もういちど流行歌

<追記あります> (9月11日)

すでにさくら貝掲示板に投稿してありますが、朝日新聞土曜版beの「もういちど流行歌」で特集テーマに天地真理さん「ひとりじゃないの」が取り上げられます。
今回は「1972年6月」ということですから、「ひとりじゃないの」が、先行して大ヒットしていた「瀬戸の花嫁」をあっという間に抜き去ってトップに立ち6週連続1位を続けていた頃ですね。真理さんの人気が不動のものになった曲ですから特集で取り上げられるのは当然ですね。
「もういちど歌謡曲」では特集と併せて、当時のオリコン・ベスト20の曲への投票もあります。せっかく特集で取り上げられるのですからこちらでもぜひ当時と同じ「1位」を取りたいものです。この投票は、投票できるのが朝日新聞デジタル会員のみで期間も極めて短いので限られた範囲での投票になります。全国的人気投票ではありません。とは言え、何といっても全国紙です。そういうメジャーなメディアで天地真理さんの実績にふさわしい取り上げられ方をされるのは本当に久々です。
これは待ちに待った機会です。この記事を見たすべての人はぜひ投票、投稿をしてください。投票だけでもいいですが、「ひとりじゃないの」についての思いを書き込む質問もありますから、できれば書き込んでください。熱心な書き込みが多ければ担当記者に与えるインパクトも違ってくると思います。また知っている方にも呼びかけましょう。投票で1位になれば、真理さんは今も多くの人に愛されているということが、ネットを見ない人たちを含め一般の人たちにも伝わるでしょう。それを機会にもう一度真理さんの歌を聴いてみよう、動画を見てみようという人も増えると思います。

朝日新聞を購読していなくても、 http://enq.digital.asahi.com/? で無料会員登録すれば誰でも投票ができます。

投票、投稿は同じページからも入れますが http://enq.digital.asahi.com/beranking/enquete/VIEW_MTUwNDI0NDU1Mi41OTkz.html で「回答する」をクリックしてください。

締め切りは9月11日です。時間がありません。すぐに投票、そして呼びかけをお願いします。

<追記>
ラジオ日本「タブレット純 音楽の黄金時代」で2週続けて真理さんの曲がかかりました。
9月2日「山川啓介特集」で「私が雪だった日」、9月9日「1974年9月のうた」で「想い出のセレナーデ」です。
実は私が使っていたネットラジオ録音ソフトが少し前から機能しなくなり、パソコンの前にいなければ聴くことができない状態です。そのため、「私が雪だった日」は聴けませんでした。リクエストがあったのかも不明です。「想い出のセレナーデ」はかろうじて間に合って途中から聴けました。こちらはリクエストもありました。ただ録音できなかったので、音で紹介することはできません。
いずれにしても、この番組は真理さんの曲をよく取り上げてくれます。皆さんもリクエストして見て下さい。
ところで、皆さんの中で良いネットラジオ録音ソフトをご存知の方がおられましたら、教えていただけませんか。別のソフトをインストールしてみたのですがうまくいきません。受信できるラジオ局もコミュニティーFMはカバーしていません。情報をお願いします。



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「名盤ドキュメント」

8月20日、NHKBSプレミアムで<名盤ドキュメント 太田裕美「心が風邪をひいた日」木綿のハンカチーフ誕生の秘密>という番組(再放送)を見ました。私はあまりテレビを見ないのですが、たまたまネットで紹介されていたので見てみました。
内容はこちらをご覧いただくとよいと思いますが、なかなかよくできた番組だと思いました。
一番よかったのは民放などでよくある“人情もの”みたいな話でなかったことです。本来当たり前のことなのですが、歌をちゃんと音楽、作品としてアプローチしていました。この「名盤ドキュメント」という番組は(私は見なかったのですが)以前の内容を見るとそういう番組なのですね。
ただどうしても、“つくる側”からの視点で論じられているのですね。筒美京平と松本隆を軸に編曲の萩田光男、企画の立場で(真理さんの後期の作品も担当した)ディレクターの白川隆三と言った人たちがどんなふうにこの曲をつくったか、ということが主題になっていて、表現する側、つまり太田裕美さんがどう歌ったか、あるいは“聴く側”がこの歌のどういうところに何を感じ取ったのか、ということについて掘り下げられるところまではいかなかったように思います。
もちろん太田裕美さんがそれをどう歌ったかということも触れられていましたし、テレビ番組としては割とよく分析できていると思いました。また、どう聴いたかということもある程度取り上げられていました。しかし私自身はそちらの方に関心があることもあって、十分ではありませんでした。マスコミというのは送り出す側ですから、そう言う立場で考えてしまうのでしょうね。
こうしたことについてはちょうどこの曲について以前の記事でも触れました。
しかし良質の番組であったことは確かで、こんな番組を天地真理さんについてもつくってくれないかなあとうらやましくなりました。

このなかで印象的だったことがいろいろあり、ひとつひとつ触れられるといいのですが、長くなりますから今後少しづつ取り上げることにして、今回は「アルバム」について触れたいと思います。
じつはこの番組の中で、一瞬ですが天地真理さんが登場した場面がありました。セカンドアルバムのジャケットが映り、「ちいさな恋」が流れたのです。
名盤ドキュメント・アルバム

どういう場面かというと、当時の「アルバム」の性格について解説されていたところです。
白川さんによれば、「当時はシングルが優先で、シングルがオリコン何位ということが歌手にとって大事だった。そこで何人かの作詞・作曲家に依頼して数曲をつくってもらいその中からシングル曲を決めていた。そして残った候補曲でアルバムをつくった。」と言うのです。いわばアルバムは残り物であって、相互の関連の無い曲を寄せ集めたものというわけですね。ところがフォークなどのシンガーソングライターは、あるテーマによってつくるアルバム、つまりコンセプトアルバムをつくった。太田は(作詞・作曲もするが)シンガーソングライターというわけではないが「木綿のハンカチーフ」が収録された「心が風邪をひいた日」というアルバムはいわば筒美・松本によるコンセプトアルバムで画期的だった、という話の中で、旧来型の“寄せ集め”アルバムの例として真理さんのセカンドアルバムが映ったというわけです。
なぜ真理さんのアルバムが例として登場したのか?おそらく当時(正確には1972~1973年)最もアルバムが売れていた歌手は真理さんでしたから“代表”として登場したのだと思います。太田裕美さんや白川さんとの関係からしても決して悪い意味ではなく、むしろオマージュかもしれません。ただ私としてはちょっと引っかかるところもあるのです。
それはコンセプトアルバムが“寄せ集め”アルバムより価値があるかのように受け取れたことです。“寄せ集め”であろうと1曲1曲の<うた>がすぐれていればいいのです。コンセプトアルバムが価値があると考えるのは頭でっかちの思い込みだと思います。
私がクラシックを聴き始めた頃、「運命」と「未完成」のカップリングと言うのが定番でした。この組み合わせに特に意味があるわけではありません。ただ一番売れ筋だったからです。儲けのためです。だからと言って、そういう動機だからそのレコードに価値がないなどと言う人はいませんでした。価値を決めるのは演奏自体なのです。寄せ集めであろうと1曲1曲の演奏がすぐれていれば価値のあるレコードだし、構成がいかに深遠な理念によっていようと演奏がお粗末ではそのレコードに価値があるとは言えないのです。
ただ真理さんのアルバムにコンセプトがないのかと言えば、私はあると思います。白川さんが担当した「小さな人生」はコンセプトアルバムですし、「童話作家」のA面もそう言えるでしょう。またコンサートというのは当然コンセプトをもっていますから、それを収録したライブ盤もそういう性格を持つことになります。特に「私は天地真理」はどの曲を収録するかという選択を通してよりはっきりとしたコンセプトを持ったとも言えます。(参照) その他のアルバムも、たしかに一見無造作に作られているように思われますが、1枚1枚にたしかな個性があります。たとえば、番組で映っていたセカンドアルバムは青春のあこがれと幸福感が横溢する稀有のアルバムとなっていると私は思っています。しかしそれはコンセプトが優れているからではなく、真理さんの<うた>がすばらしいからなのです。

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天地真理さんで聴きたかったオペラアリア

天地真理さんの発声の基本は国立音高で学んだクラシックの発声法です。ただ真理さんは早稲田大学フォークソングクラブに参加するなどフォークを歌いこなしたり、ヤマハのヴォーカルスクールでマーサ三宅さんの指導を受けてジャズにも親しんだりして、独自の発声法を身に着けていきました。
ですから、クラシックの歌手が歌謡曲を歌うとどこか大仰で違和感があるのに対し、真理さんのうたが、他の歌手とは違う感覚ではあるものの、違和感なく自然に聴こえるのです。
しかし、曲によってはクラシックの素養がはっきりとわかることもあります。たとえば、ミュージカル「君よ知るや南の国」のこの曲です。



オペラの一場面かと思うようなスケールの大きなうたですね。
こういううたを聴くとオペラ好きの私などは「真理さんがオペラを歌ったら・・・」と楽しい想像をしてしまいます。
もちろん今の真理さんには難しいかもしれませんが、1970年代の真理さんなら曲を選べば歌いこなせたと思うのです。
そんな想像をする中で、私が真理さんに歌ってほしかったなあと思うのはモーツァルトの「フィガロの結婚」の中のケルビーノのアリアです。
ケルビーノというのは主人公フィガロが仕えるアルマヴィーヴァ伯爵の小姓で思春期の少年です。この役はメゾソプラノの女性歌手が少年(男性)を演じます。こういう役をオペラの世界では「ズボン役」と言いますが、「フィガロ」のケルビーノは「ばらの騎士」のオクタヴィアンとならんでズボン役の代表です。
「フィガロ」でのケルビーノのアリアは2つありますが第2幕で歌われる「恋とはどんなものかしら」は誰もが聴いたことがあるのではないでしょうか。ケルビーノはアグネス・バルツァです。



恋に憧れる少年の気持ちを実に美しく表現していますね。メロディーも親しみやすくとても魅力的なアリアですが、私が好きなのはもう一つのアリア「自分が自分でわからない」です。これは第1幕で歌われますが、恋に恋い焦がれる思春期の苦しいほどの胸の高まりを歌っていて、私がモーツァルトのオペラの中で最も好きな曲の一つでもあります。 


(声と映像は別人です。映像はフォン・シュターデ。テンポが違うのでずれがあります。)

この演奏はエーリッヒ・クライバー(カルロスのお父さん)指揮、ウィーン・フィルハーモニーによるもので、1955年、ウィーン国立歌劇場絶頂期の記念碑的録音として知られているものです。<ウィーンのモーツァルト>を極めた演奏と言ってもいいでしょう。
ケルビーノを歌っているのはシュザンヌ・ダンコです。シュザンヌ・ダンコはベルギー生まれということですからフランス文化圏で育った人ですが、声楽家としての教育はプラハで受けたようです。プラハと言えば、ウィーンでの初演が必ずしも成功と言えなかった「フィガロの結婚」が爆発的な成功を収めた地ですから、ドイツ系の音楽もしっかり身に着けているといっていい人です。
私がこの曲の歌唱としてダンコが好きなのは、何よりも生き生きとしているからです。言葉の意味にとらわれて演劇的な表現を強めると音楽が死んでしまいます。当時のウィーンスタイルは何より音楽自体の魅力を生かし、文学的な意味とぎりぎりの調和を保っていたと私は思うのですが、その最良の遺産がこのクライバーの「フィガロ」だと思います。ダンコの歌唱は(純ドイツ系でない)自身の資質とこのウィーンスタイルとが溶け合ったものなのでしょう。胸の内から衝動のように湧いてくる異性への憧れが、青春の生のよろこびとして美しくあふれ出てくるうたと言ったらよいでしょうか。それは「私は生きている」というこの歌を連想させます。



どうでしょうか?天地真理さんでこのアリアを聴きたかったという私の気持ちをご理解いただけたでしょうか。



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<アイドル>

ゴルフの宮里藍さんが今シーズン限りで引退することを発表しました。
先日はフィギュアスケートの浅田真央さんが引退を発表したばかりですが、また一人スポーツ界のスターが現役を退くことになります。
私はスポーツにはそれほど詳しくありませんし、関心も世間一般の人に比べたら高くない方だと思います。それでもこのお二人のことはよく知っているし、私の記憶の中に強い印象として残っています。私でさえそうですから、おそらく日本中の人が知っているでしょう。まさに「国民的スター」と言っていいと思います。
実際お二人の登場で、女子ゴルフやフィギュアスケートへの人々の関心が飛躍的に高まり、それまで関心のなかったような人たちからも多くのファンが生まれました。特に子どもたちに大きな影響を与え、お二人にあこがれてゴルフやフィギュアスケートを始める子どもたちがたくさん現れ、競技の底辺が格段に広がりました。そして今、その中から日本のみならず世界で活躍するような逸材が次々と現れています。その意味でそれぞれの競技においてかけがえのない功労者と言えるのではないでしょうか。
お二人は競技での実力がすぐれていたのはもちろんですが、それだけでない、人を引き付ける特別な魅力が備わっていた人たちでした。だからこそ、多くの人が愛し、憧れる存在となったのです。まさに言葉の本来の意味で<アイドル(偶像)>でした。
どんな分野でも、それが広く一般の人たちに普及していくうえで、こうした<アイドル>と言う存在は不可欠で、お二人はまさにそうした役割を果たしたと言えると思います。

お二人のことを考えながら真理さんのことを思い浮かべました、天地真理さんもそのような意味での<アイドル>でした。いわばアイドル界の<アイドル>だったのです。
私は天地真理さんを単にアイドルとして語ることには強い違和感があります。それがたとえ称賛の言葉であったとしても「それは違う」と言いたいのです。私が真理さんに惹かれたのは何よりその<うた>の魅力であったからです。そして今ではそれは多くの人の常識になってきたと言っていいと思います。しかし一方で、真理さんの<うた>を高く評価する人たちの中には、「アイドル天地真理」を否定的に見る人たちもいます。私もそういう気持ちがわからないではありません。しかしそれもまた一面的だと思います。
天地真理さんが個性的で優れた歌手であるということは、極めて魅力的なアイドルであるということと相反することではありません。それは見る角度の違いでしかありません。そしてアイドルとしての真理さんの存在の大きさはご存知の通りです。
「元祖アイドル」と言われるように天地真理さんの登場がアイドルという言葉やイメージを人々の中に定着させ、それまで「ジャリタレ」とか「可愛い子ちゃん」などと揶揄、軽視されてきた若い歌手、タレントにいわば市民権をもたらしたのです。それは真理さんの生き生きとしてやさしい表情や晴れやかでよろこびが湧き出るような歌が、年齢、性別を問わず多くの人を魅了し、愛されたからにほかなりません。真理さんの空前の人気によって”歌謡曲”の世界の構図もがらりと変わり、それまでのじめじめした“大人の歌”からアイドルのはつらつとした歌へと中心が移っていったのです。真理さん以降、次々とより低年齢のアイドルが登場してきましたが、誰もが真理さんを目標としたり、真理さんに憧れたりしてきた人たちでした。その意味で、真理さんはやはりアイドル界の<アイドル(偶像)>だったのです。


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本物を見なければわからない

1週間ほどスペインへ行ってきました。
日本をたつ時、私の住所ではまだ桜が咲き始めた頃だったのですが、マドリッドに着いたら新緑の若葉の季節でした。マドリッドは街路樹が高くて美しく、まさに「若葉のささやき」でした。気温も30℃近くで半袖で過ごしました。中間でバルセロナへ移動した頃から気温が下がり4月らしい気候になりました。
この旅で考えたことは何といっても「本物(実物)を見なければわからない」ということでした。それは至る所で経験しました。たとえば、
マドリッドから少し脚を延ばした古都トレドは写真では見ていましたが、実際のスケールや路地のたたずまいなど現地に行ってみなければわからないものでした。またベラスケス、ルーベンス、ゴヤ等の作品も写真とはまるで印象が違いました。そういう中で、とりわけそのことを強く感じたのは、まずソフィア王妃芸術センターで見たダリの作品です。私はダリの作品はどうも気持ち悪くて面白くはあっても好きではありませんでした。例えば次の作品はタイトルからして「偉大なる手淫者」というのですが・・・。
ダリ「偉大なる手淫者」
ところが実際に見るとまるで印象が違うのです。色彩が本当に繊細で実に美しい作品なのです。実物を見てない方は信じないかもしれませんが本当です。ぜひ実物を見て下さい。まさに「本物を見なければわからない」ものの代表です。
しかしそれ以上に、「本物」によって心動かされたものが2つあります。
ひとつはやはりソフィア王妃芸術センターにあるピカソの「ゲルニカ」です。
ゲルニカ
このあまりにも有名な作品は写真ではほとんどの方がご覧になっていると思いますし、テレビなどでもよく取り上げられますから細部までご存知の方も多いと思います。当然私もその歴史的意義も含めよく知った作品で「見慣れた」と言ってもいいものでした。
ところが、実際にこの作品の前3mくらいのところに立ってこれを見た時、画像から強い波のようなものが私に向かって押し寄せてくるような感覚にとらわれました。それはこの絵の中に埋め込まれた底知れぬ怒り、悲しみが発するエネルギーなのでしょう。呆然と見入っているうちに涙がにじんでいるのに気が付きました。それは言葉や概念で表現できないものに対して私の心身が反応を起こした結果でしょう。ともかくこれまでしたことのない体験でした。
「本物を見なければわからない」もののもうひとつはガウディのサグラダファミリアです。これもあまりにも有名な教会建築ですね。
サグラダファミリア
外側のつくりは写真でも見られます。もちろんそのスケール感は実際に見なければわかりませんが、私がとりわけ「本物を見なければわからない」と思ったのはその内部です。もちろん内部の写真もあります。しかしその<空間>はその場でしかわからないものでした。
サグラダファミリア内部2
内部は微妙に色の違う石柱が木々のように林立し、そこに回り中のステンドグラスからの色とりどりの光線が差し込み、まるで森の中にいるようです。光線は水彩絵の具のようにやわらかで、太陽が移動するにつれて刻々と違う色で柱を染め上げていきます。小鳥の声が聴こえてきそうな生命の楽園です。心が何かかけがえのないものによって満たされ慰められる、そんな空間でした。お互いにぶつかり合うほどに大勢の観光客がいて、相当の音量が発生しているに違いないのに、この空間に身を浸していると森の静寂がそこにありました。まさに至福のひとときでした。

「本物(実物)を見なければわからない」ということは言葉で言えば当たり前ですが、実際には私たちは偽物、まがい物を見て、いかにもわかったように思い込んでしまいがちです。サグラダファミリアについてネットで調べていたら「美しいとも、立派だとも思わない 。岡本太郎の奇をてらう思想と(し)か思えません。すばらしいと言う感性もミーハー。ともあれ子供の粘土工作」というご立派なコメントを見ました。写真だけを見て自分は何でも正しく判断できると考える、自分を相対化できないこういう傲慢な人たちがネット上には多すぎますね。
天地真理さんの場合も「本物」を自分の目や耳で知ろうとせず、上の例で言えば「写真」のような2次的な情報でわかったように思っている人が世間にはあまりに多すぎます。帰りの飛行機の乗り継ぎで降り立ったヘルシンキ空港でかなり待ち時間があったので、旅行に来て初めてイヤホンを挿し真理さんのうたを聴きました。聴こえてきたのは「もの想う季節」でしたが、みずみずしい歌声が疲れた心と身体に沁みわたりました。

 前回「ラジオ深夜便 天地真理集」にmariminafanさんから17日の放送での反応を教えていただきましたので、お聴きください。

保母さんだった玉木(?)さんとは45周年記念パーティーにも来てくださっていた方でしょうか。ずっと真理さんを見守ってきてくださっているのですね。心温まるお便りでした。
それにしても、これを聴いて考えたことは、リクエストしっぱなしではなく、こういうフォローも大事だなと言うことです。次につなげるためにもこれから大事にしていきましょう。


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