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秘蔵ライブ(5) さくらさくら

私は真理さんは日本情緒のような曲は得意でないと思ってきました。演歌などはいかにも歌いにくそうで、彼女の発声法、歌唱法があっていないと思うのです。 
ところが、Youtubeで「さくらさくら」を聴いて驚きました。


     (Sugi4Geruさんのライブラリーから。1975年4月)

聴いたことのないような「さくら さくら」です。もともとこの曲は日本の伝統的な曲としてはあまり湿っぽくなく、おおらかな感じがする曲ですが、真理さんのうたはとりわけカラッとしています。
ヨーロッパで例えれば、地中海岸のラテン的明るさと言えばよいでしょうか。太陽の光がさんさんと降り注いでいるような感じです。
こういう曲は通常、情緒たっぷりに歌われますが、真理さんのうたはそういう聴き慣れた定型的な歌い方とはまったく違います。こねるような歌い方ではなく、いわば直線的な歌い方で、勿体をつけたところがまったくない。声は明るいというだけでなく、輝くようで、特に「いざやいざや」のところは彼女の声の力が全開で<強さ>さえ感じます。
一般的な優美な歌い方がソメイヨシノのはらはらと散る光景を連想させるとすれば、真理さんの「さくらさくら」は青空に映える八重桜のような生命力を感じるうたです。

この「さくらさくら」に限らず、真理さんはしばしば、その曲について私たちが持っているイメージとまったく違う歌い方をすることがあります。私などはそれが天地真理のうたを聴く一つの楽しみなのですが、「こうあるべきだ」というイメージと違うために「下手だ」と思われてしまったこともあったのではないかと思います。ちょっと大げさに言えば、異文化を受け入れられないと言うことと似ています。

同じような印象を受けたのが「みかんの花咲く丘」です。
これは戦後の曲ですから日本の伝統的な曲というわけではありませんが、童謡系の曲です。真理さんが童謡系の曲を歌う場合、素朴になりすぎることが多いと私は感じているのですが、これは違いました。


    (Sugi4Geruさんのライブラリーから。1975年3月)

この曲は8分の6拍子です。数学的に約分すると4分の3拍子になりますが、音楽としては2拍子系です。つまり、8分音符3つをひと組とすると、1小節にそれが2組含まれるので2拍子なのです。
これを由紀さおりさんで聴くとゆったりと流麗に歌っています。それに対し真理さんの場合は拍子が明確で8分の6拍子の構造がくっきりとしています。
どうしてそうなるのか、これは想像ですが、由紀さおりさんの場合は歌詞をことばとしてスムーズになるように音楽に乗せていると思うのですが、真理さんはピアノを弾く感覚で、つまり音楽の論理で歌っているのではないかと思うのです。私は真理さんのうたは基本的に音楽優先のように思っているのですが、これなどはそのいい例ではないでしょうか。

そういうわけで由紀さんのうたは流麗で抵抗感がありません。だれもが自然に受け入れられるうたです。それに対し、真理さんの場合はちょっとごつごつした感じで抵抗があるという人もいるのではないでしょうか。これも、自分が受け入れにくいので「下手だ」と思ってしまう人もあるかもしれません。しかし先入観なく聴けば、「さくらさくら」と同じく太陽の光が降り注ぐような明るさ、明快な8分の6拍子から生まれる活気ある楽しさを感じ取ることができるでしょう。私などは聴けば聴くほど楽しくなってくるのです。

いずれも真理さんが得意とするジャンルではありませんが、だからこそ真理さんのうたの特質がはっきり現れています。


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聴き手に伝わる歌

こんにちは、bellwoodです。真理さんが歌う唱歌・童謡、とても新鮮な切り口で楽しく拝読・拝聴させていただきました。

「さくらさくら」は、私は非常に器楽的な歌い方だな、という感想をもちました。真理さんはクラシックを学び、ピアノから音楽に入った方だけに、どこかに人間の声も楽器の一種という意識があるのかもしれません。
この曲では特に、体全体を管楽器のように使って声を鳴り響かせているように感じられます。
そしてそのクライマックスがご指摘の「いざやいざや」にあり、ここで「いざ桜を見に行こう」というワクワクする気持ちの昂ぶりが見事に表現されていると思います。
この楽天性こそが天地真理の世界であり、彼女独特の解釈と言えるのではないでしょうか。

「みかんの花咲く丘」は、おしゃるように私も真理さんのリズム感覚がよく表れた歌唱であると感じます。
彼女のリズム感の良さについてはあまり語られていないように思いますが、プロのギタリストである藤原浩哲さんという方が下のエッセイで触れておられます。
http://www.jade.dti.ne.jp/~laura-f/essay15.html
そして由紀さおり・安田祥子姉妹の歌がいわばイージーリスニング的であるのに対し、真理さんの歌はいつもの通り豊かな表情やニュアンスが込められていて聴き流すことが出来ません。
1番の歌詞は情景描写ですが、丘の上から海を眺める遠い目線が声の表情からさりげなく感じられます。
2番になると、母さんとの思い出がテーマとなり「やさしい母さん 思われる」で想いが溢れ出るようにして終わります。

いずれも藤原浩哲さんも書いておられるように「聴き手に何かが伝わってくる」歌であると思います。

Re: 聴き手に伝わる歌

bellwoodさん
コメントありがとうございます。

> 「さくらさくら」は、私は非常に器楽的な歌い方だな、という感想をもちました。
真理さんはこぶしも回さないし、自己陶酔的な歌い方をしない人ですね。楽譜から入る人ですから、客観的な見方ができるのでしょうね。

> この楽天性こそが天地真理の世界であり、彼女独特の解釈と言えるのではないでしょうか。
同感です。そしてそれが真理さんのうたを生き生きとさせているのですね。

> いずれも藤原浩哲さんも書いておられるように「聴き手に何かが伝わってくる」歌であると思います。
そうです。真理さんのうたを軽く調子のよい歌のように思っている人もいると思いますが、聴く者の心に響くうたなのですね。「心に響くうた」というと「泣かせる歌」のようにとる人も多いと思いますが、真理さんのうたの無類の楽しさは生きることのよろこびと幸せで私たちの心を満たしてくれるのですね。
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