3人の女性アーティスト(2)
前々回、私が学生時代に聴いた3人の女性アーティストについて書きました。同じ音楽の話題とはいえ、このブログは真理さんのうたをテーマとしたブログですから、どういうつながりがあるか、説明しなければなりません。
私がこの3人の女性アーティストに魅了されたということは、それぞれに私の感性が共鳴したということです。そして真理さんのうたに共鳴しているのも同じ私の感性なのです。
ですから、この3人の女性アーティストの魅力を語ることは、私自身の感性を分析することであり、私がなぜ真理さんのうたに惹かれるか考えることでもあるのです。
ロスアンヘレスの魅力はやはりそのみずみずしい声でしょう。そして「さらばグラナダ」にも見られたように驚嘆すべき技巧を持ちながら、普段はその技巧を感じさせない自然でなめらかな歌唱法や、ドイツ系とは少し違うラテン的な明るさとその半面にある熱さも魅力的です。
そして、これらの特徴は真理さんのうたにも確かに見られるものです。
シュワルツコップの威厳さえ感じさせる雰囲気や技巧を駆使した歌唱は真理さんとは少し違うイメージに思えます。
しかし、真理さんのうたも決してストレートではありません。真理さんはただ素直に歌っているのではなく、独特の歌い回しがあります。たとえば「忘れな草をあなたに」などは天地真理節と言っていいくらいクセのある歌い方です。しかし多くの場合それはあまり目立たないので気づきにくいのですが、そっと忍び込んでいるのです。
シュワルツコップもクセのある歌唱ですが、それこそがうたに生気を与えるのです。それは次の「幸福」の中にしっかり聴きとることができると思います。一見技巧的に見えなくても見事な工夫がなされ、それが弾むような幸福感を聴く者に与えるのです。
リリー・クラウスの場合は明らかです。その場にいる人たちを一瞬で幸福感で満たしてしまうオーラ、これはもちろん真理さんに通じるものです。
クラウスの弾くモーツァルトは一般によくイメージされている明るく楽しい音楽ではないということは前回書きました。しかし、ダイヤモンドのような硬質で透明な音がさまざまな光を反射して、きらきら輝くよろこびや、純粋な故の孤独感などが交錯していきます。「トルコ行進曲」はまさにそうした演奏でした。「天馬空をゆく」ように、自在でよろこびに満ちながらふと気づくと寂寥に包まれている、そんな演奏でした。
そして真理さんのうたの中にもそんな瞬間がいくつかあるのです。私が真理さんのうたを愛するのはまさにその故です。
私がこの3人の女性アーティストのコンサートを聴いたのはちょうど真理さんの全盛期に重なりますが、私の音楽の聴き方には何の違いもなかったのです。私は、権威やネームバリューで音楽は聴きません。シュワルツコップは誰もが認める大歌手ですが、だから彼女の歌を愛するわけではありません。あくまで自分の耳で聴いて、自分の感性が震え出したという経験からです。真理さんも同じです。クラシックの著名なアーティストであろうと私の感性を刺激しない演奏はつまらないものです。一方、アイドルであろうが無かろうが、彼女のうたは確かに私の感性を震わせたのです。そこに私の求める音楽があったのです。
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私がこの3人の女性アーティストに魅了されたということは、それぞれに私の感性が共鳴したということです。そして真理さんのうたに共鳴しているのも同じ私の感性なのです。
ですから、この3人の女性アーティストの魅力を語ることは、私自身の感性を分析することであり、私がなぜ真理さんのうたに惹かれるか考えることでもあるのです。
ロスアンヘレスの魅力はやはりそのみずみずしい声でしょう。そして「さらばグラナダ」にも見られたように驚嘆すべき技巧を持ちながら、普段はその技巧を感じさせない自然でなめらかな歌唱法や、ドイツ系とは少し違うラテン的な明るさとその半面にある熱さも魅力的です。
そして、これらの特徴は真理さんのうたにも確かに見られるものです。
シュワルツコップの威厳さえ感じさせる雰囲気や技巧を駆使した歌唱は真理さんとは少し違うイメージに思えます。
しかし、真理さんのうたも決してストレートではありません。真理さんはただ素直に歌っているのではなく、独特の歌い回しがあります。たとえば「忘れな草をあなたに」などは天地真理節と言っていいくらいクセのある歌い方です。しかし多くの場合それはあまり目立たないので気づきにくいのですが、そっと忍び込んでいるのです。
シュワルツコップもクセのある歌唱ですが、それこそがうたに生気を与えるのです。それは次の「幸福」の中にしっかり聴きとることができると思います。一見技巧的に見えなくても見事な工夫がなされ、それが弾むような幸福感を聴く者に与えるのです。
リリー・クラウスの場合は明らかです。その場にいる人たちを一瞬で幸福感で満たしてしまうオーラ、これはもちろん真理さんに通じるものです。
クラウスの弾くモーツァルトは一般によくイメージされている明るく楽しい音楽ではないということは前回書きました。しかし、ダイヤモンドのような硬質で透明な音がさまざまな光を反射して、きらきら輝くよろこびや、純粋な故の孤独感などが交錯していきます。「トルコ行進曲」はまさにそうした演奏でした。「天馬空をゆく」ように、自在でよろこびに満ちながらふと気づくと寂寥に包まれている、そんな演奏でした。
そして真理さんのうたの中にもそんな瞬間がいくつかあるのです。私が真理さんのうたを愛するのはまさにその故です。
私がこの3人の女性アーティストのコンサートを聴いたのはちょうど真理さんの全盛期に重なりますが、私の音楽の聴き方には何の違いもなかったのです。私は、権威やネームバリューで音楽は聴きません。シュワルツコップは誰もが認める大歌手ですが、だから彼女の歌を愛するわけではありません。あくまで自分の耳で聴いて、自分の感性が震え出したという経験からです。真理さんも同じです。クラシックの著名なアーティストであろうと私の感性を刺激しない演奏はつまらないものです。一方、アイドルであろうが無かろうが、彼女のうたは確かに私の感性を震わせたのです。そこに私の求める音楽があったのです。
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