「風評評価」
由紀さおりさんのアルバムが全米ジャズ部門第一位になったということで話題になっています。さらにカナダでも第一位になり他の国でもランク上昇中ということですから「スキヤキ」(上を向いて歩こう)以来の快挙ということでしょうか。
日本の歌のよさがより広く世界の人たちに知られるのはうれしいことです。ただ、それが日本国内で大ニュースになって由紀さんの評価が急に上がるようなところが見えることには私は違和感があります。
由紀さおりさんは私も好感を持つ歌手の一人です。もともと童謡歌手でしたから音楽の形がしっかりしていて演歌系の人とは違うさわやかさがありますし、大げさでなくさりげない表情で情感豊かに歌うことのできる人です。でもそういう由紀さんの魅力は40年前から変わらないと思います。歌っている曲も「1969」というアルバムのタイトルどおり1969年のヒット曲です。由紀さん自身の「夜明けのスキャット」いしだあゆみさんの「ブルーライトヨコハマ」といった我々の世代ならおなじみの曲ばかりです。もちろん今回対象となったアルバムはアレンジも違っていますし、Youtubeで聴いてみると以前よりはさすがに声の若さは失われ、かつての透明感、軽さは見られませんし、表現は少し濃厚になって情感は深くなっています。しかし根本的には変わっていないと思えます。ですからアメリカでヒットしたなどと騒ぐ必要はないのです。由紀さんのうたの良さは日本人は40年前に知っていたのですから。「いま頃わかったの、遅れているね」と言えばいいのです。アメリカ人は40年も遅れてやっとその良さが分かったと言うことです。もちろん事実はその頃アメリカの人たちは由紀さんのうたを知らなかったということですが、知っていたらヒットしたでしょうか。売り方一つでしょう。
今回も「ピンク・マティーニ」というジャズオーケストラと組んだことで話題を呼んでヒットしたということでしょう。つまり「情報」の問題なのです。もちろんジャズ風のアレンジでアメリカ人好みの雰囲気になったということもありますが、何の話題にもならずこのアルバムを並べておいたらヒットしたというわけではないでしょう。
しかもそのきっかけは、リーダーが中古レコード店でたまたまジャケットが美しいということで手に取ったことだそうですから全くの偶然ですね。前回の記事でヒットするかどうかは偶然と書きましたがまさに典型です。
ともかく、「この日本の歌手は素晴らしい」とアメリカの人気アーティストが認めて一緒に録音したからヒットしたということで注目されヒットにつながったということでしょう。
しかし、そういう由紀さんのうたの価値に40年前から今まで、日本のマスコミや業界は気付いていなかったのです。
日本という国は何でもアメリカに認められるとお墨付きをもらったように喜ぶ国ですね。アメリカに限らず、そういう権威に認められないと自信が持てないようです。天地真理さんのうたがあまり高く評価されなかったのもそういう権威がなかったからでしょう。あれだけの多くの人の心をとらえた、その事実だけでも評価に値するのに、マスコミなどはそれを外見の魅力にすり替えてしまった。そもそも彼らには真理さんのうたを評価する能力がなかった。由紀さんなどのうたが世界に通用するうただということを見抜く能力がなかったと同じことです。
「風評被害」という言葉がありますが、「風評評価」とでも言うべきこともあるのではないでしょうか。風のうわさで「あれはいい」と聴くととびつき、「あれはだめ」と聴くとそう信じてしまう、そういう現象です。由紀さんのヒットをよろこぶのはいいと思いますが、外のうわさに一喜一憂せず、自分の耳を研ぎ澄まし、自分の耳を信じるべきでしょう。その意味で、私は40年前にファーストアルバムを聴いたその時から、天地真理さんのうたは普遍的な価値をもつと信じているのです。
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日本の歌のよさがより広く世界の人たちに知られるのはうれしいことです。ただ、それが日本国内で大ニュースになって由紀さんの評価が急に上がるようなところが見えることには私は違和感があります。
由紀さおりさんは私も好感を持つ歌手の一人です。もともと童謡歌手でしたから音楽の形がしっかりしていて演歌系の人とは違うさわやかさがありますし、大げさでなくさりげない表情で情感豊かに歌うことのできる人です。でもそういう由紀さんの魅力は40年前から変わらないと思います。歌っている曲も「1969」というアルバムのタイトルどおり1969年のヒット曲です。由紀さん自身の「夜明けのスキャット」いしだあゆみさんの「ブルーライトヨコハマ」といった我々の世代ならおなじみの曲ばかりです。もちろん今回対象となったアルバムはアレンジも違っていますし、Youtubeで聴いてみると以前よりはさすがに声の若さは失われ、かつての透明感、軽さは見られませんし、表現は少し濃厚になって情感は深くなっています。しかし根本的には変わっていないと思えます。ですからアメリカでヒットしたなどと騒ぐ必要はないのです。由紀さんのうたの良さは日本人は40年前に知っていたのですから。「いま頃わかったの、遅れているね」と言えばいいのです。アメリカ人は40年も遅れてやっとその良さが分かったと言うことです。もちろん事実はその頃アメリカの人たちは由紀さんのうたを知らなかったということですが、知っていたらヒットしたでしょうか。売り方一つでしょう。
今回も「ピンク・マティーニ」というジャズオーケストラと組んだことで話題を呼んでヒットしたということでしょう。つまり「情報」の問題なのです。もちろんジャズ風のアレンジでアメリカ人好みの雰囲気になったということもありますが、何の話題にもならずこのアルバムを並べておいたらヒットしたというわけではないでしょう。
しかもそのきっかけは、リーダーが中古レコード店でたまたまジャケットが美しいということで手に取ったことだそうですから全くの偶然ですね。前回の記事でヒットするかどうかは偶然と書きましたがまさに典型です。
ともかく、「この日本の歌手は素晴らしい」とアメリカの人気アーティストが認めて一緒に録音したからヒットしたということで注目されヒットにつながったということでしょう。
しかし、そういう由紀さんのうたの価値に40年前から今まで、日本のマスコミや業界は気付いていなかったのです。
日本という国は何でもアメリカに認められるとお墨付きをもらったように喜ぶ国ですね。アメリカに限らず、そういう権威に認められないと自信が持てないようです。天地真理さんのうたがあまり高く評価されなかったのもそういう権威がなかったからでしょう。あれだけの多くの人の心をとらえた、その事実だけでも評価に値するのに、マスコミなどはそれを外見の魅力にすり替えてしまった。そもそも彼らには真理さんのうたを評価する能力がなかった。由紀さんなどのうたが世界に通用するうただということを見抜く能力がなかったと同じことです。
「風評被害」という言葉がありますが、「風評評価」とでも言うべきこともあるのではないでしょうか。風のうわさで「あれはいい」と聴くととびつき、「あれはだめ」と聴くとそう信じてしまう、そういう現象です。由紀さんのヒットをよろこぶのはいいと思いますが、外のうわさに一喜一憂せず、自分の耳を研ぎ澄まし、自分の耳を信じるべきでしょう。その意味で、私は40年前にファーストアルバムを聴いたその時から、天地真理さんのうたは普遍的な価値をもつと信じているのです。
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