“偉大な過去”とのたたかい
先日テレビでフィギュアスケートのNHK杯女子シングル、浅田真央さんのフリーの演技を見ていました。私は競技としての専門的なことはわかりません。ジャンプの種類などさっぱり区別ができません。しかし、リストの「愛の夢」にのって滑るこの日の真央さんの演技は誰よりも優雅で美しく、非常に完成度の高いものであることはわかりました。
そして最後の演技を終えてポーズをとった真央さんの表情の素晴らしさ。それは、形容が難しいのですが、敢えて言えば深いところから滲みだしてきたような笑顔でした。それを見て、私は胸がジーンと熱くなってしまいました。

思えば、浅田真央さんは16歳でシニアデビューしたとたん、グランプリファイナルで優勝という快挙を成し遂げ、彼女自身は年齢制限で出場できなかったトリノオリンピック優勝の荒川静香さん引退後の日本のエースとして、グランプリファイナル2度、世界選手権2度の優勝を飾り、何度も歴代最高得点を更新、フリーで史上初の2度のトリプルアクセル成功など、日本のみならず世界のフィギュア史上でも最高の成績をあげてきました。それが2009-10のシーズンでは前半不調が続き、後半立て直してバンクーバーオリンピックは史上初の一大会3回のトリプルアクセルを成功させたものの、ライバルのキム・ヨナさんに敗れ銀メダルに終わりました。
2010-11のシーズンは全く生彩を欠き、ジャンプは失敗が目立ち、優勝はおろか3位入賞さえできない成績が続きました。「あの真央ちゃんはどこへいったのか」というのが日本の人たちの共通の思いではなかったでしょうか。インタビューでの表情も、かつての自信に満ちた笑顔は影をひそめてしまいました。
NHK杯は彼女にとって今シーズン初めての大会、みんながかたずをのんで見ていたと思います。そんな中でのあの演技、そしてあの笑顔です。私が胸を熱くしたのは、そこに天地真理さんを重ねてみていたのです。ともに誰も立ったことのない頂点を極め、勝って当たり前と誰にも見られてしまうところから、どんなにがんばってもかつてのように勝てない状態へ落ち込んでいったという意味で、2人には共通点があると思うのです。自分自身の“偉大な過去”をもってしまった人は、経験のない者には想像のつかない重圧を受けて生きていかざるを得ないのだろうと思います。
真理さんの入院・休養にも(それだけが原因とは私は考えませんが)そのことがひとつの大きな要素としてあったとは思っています。
しかし、あの演技を見て、私は真央さんはそれを乗り越えつつあると感じました。あの形容のしようのない笑顔は過去の強い<浅田真央>と格闘し、今新しい自分になれたというひそやかなよろこびがもたらしたもののように思えます。
この2年間、精神的にもつらい日々があったでしょう。しかし、ひたむきな練習を積み重ねることによって光が見えるところまで来たのです。
一方、歌手の場合にはスポーツと違って自分が努力すればその結果がおのずから出てくるというものではありません。スポーツでは努力の結果は客観的な勝敗(球技、格闘技など)や数字的記録となって現れてきます。何秒とか何メートルという形です。フィギュアはその中では主観的要素が入る余地のある競技だと思いますが、評価の基準は明確ですから基本的には客観的な得点になります。
ところが歌手の場合、例えばレコード(CD)売上げは客観的な数字で表れますが、それは本人の努力とは直接には関係ありません。売れるかどうかは偶然的要素も含めてきわめて多様で何がヒットの原因かは明快ではありません。本人が努力してうまく歌えばヒットするというものではないのです。その他の要素も数字自体は客観的であっても、それが本人の努力を反映するものとは言えないのです。コントロールできない“運”のような要素が強いと言えます。そこに真央さんの場合とは違った真理さんの苦悩があったのです。
浅田真央さんがこれからどのように“今”の自分を表現していくか、期待して見守りたいと思います。彼女のイニシャルも<A・M>ですから。
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そして最後の演技を終えてポーズをとった真央さんの表情の素晴らしさ。それは、形容が難しいのですが、敢えて言えば深いところから滲みだしてきたような笑顔でした。それを見て、私は胸がジーンと熱くなってしまいました。

思えば、浅田真央さんは16歳でシニアデビューしたとたん、グランプリファイナルで優勝という快挙を成し遂げ、彼女自身は年齢制限で出場できなかったトリノオリンピック優勝の荒川静香さん引退後の日本のエースとして、グランプリファイナル2度、世界選手権2度の優勝を飾り、何度も歴代最高得点を更新、フリーで史上初の2度のトリプルアクセル成功など、日本のみならず世界のフィギュア史上でも最高の成績をあげてきました。それが2009-10のシーズンでは前半不調が続き、後半立て直してバンクーバーオリンピックは史上初の一大会3回のトリプルアクセルを成功させたものの、ライバルのキム・ヨナさんに敗れ銀メダルに終わりました。
2010-11のシーズンは全く生彩を欠き、ジャンプは失敗が目立ち、優勝はおろか3位入賞さえできない成績が続きました。「あの真央ちゃんはどこへいったのか」というのが日本の人たちの共通の思いではなかったでしょうか。インタビューでの表情も、かつての自信に満ちた笑顔は影をひそめてしまいました。
NHK杯は彼女にとって今シーズン初めての大会、みんながかたずをのんで見ていたと思います。そんな中でのあの演技、そしてあの笑顔です。私が胸を熱くしたのは、そこに天地真理さんを重ねてみていたのです。ともに誰も立ったことのない頂点を極め、勝って当たり前と誰にも見られてしまうところから、どんなにがんばってもかつてのように勝てない状態へ落ち込んでいったという意味で、2人には共通点があると思うのです。自分自身の“偉大な過去”をもってしまった人は、経験のない者には想像のつかない重圧を受けて生きていかざるを得ないのだろうと思います。
真理さんの入院・休養にも(それだけが原因とは私は考えませんが)そのことがひとつの大きな要素としてあったとは思っています。
しかし、あの演技を見て、私は真央さんはそれを乗り越えつつあると感じました。あの形容のしようのない笑顔は過去の強い<浅田真央>と格闘し、今新しい自分になれたというひそやかなよろこびがもたらしたもののように思えます。
この2年間、精神的にもつらい日々があったでしょう。しかし、ひたむきな練習を積み重ねることによって光が見えるところまで来たのです。
一方、歌手の場合にはスポーツと違って自分が努力すればその結果がおのずから出てくるというものではありません。スポーツでは努力の結果は客観的な勝敗(球技、格闘技など)や数字的記録となって現れてきます。何秒とか何メートルという形です。フィギュアはその中では主観的要素が入る余地のある競技だと思いますが、評価の基準は明確ですから基本的には客観的な得点になります。
ところが歌手の場合、例えばレコード(CD)売上げは客観的な数字で表れますが、それは本人の努力とは直接には関係ありません。売れるかどうかは偶然的要素も含めてきわめて多様で何がヒットの原因かは明快ではありません。本人が努力してうまく歌えばヒットするというものではないのです。その他の要素も数字自体は客観的であっても、それが本人の努力を反映するものとは言えないのです。コントロールできない“運”のような要素が強いと言えます。そこに真央さんの場合とは違った真理さんの苦悩があったのです。
浅田真央さんがこれからどのように“今”の自分を表現していくか、期待して見守りたいと思います。彼女のイニシャルも<A・M>ですから。
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