『南沙織がいたころ』
最近『南沙織がいたころ』(朝日新書)という本が出版されました。著者は永井良和という方です。私はよく知らないのですが関西大学社会学教授で専門は大衆文化論・都市社会学ということです。
内容としては一言でいえば南沙織さんの半生を描いたものですが、芸能界の人とかとくにそれに詳しい人というわけではありません。したがって誰も知らなかった新しい事実とかが出てくるわけではありません。本人にインタビューしたわけでもありません。ただ少年時代からの南沙織さんの普通のファンとしての立場で<メディアを通して知り得たことを素材として・・・沙織さんと、沙織さんを支えたスタッフ、そして沙織さんの歌を聴いていたファンがつくりあげた「作品としての南沙織」について書いた>ものです。
たしかにファンの立場からの温かい視点で沙織さんの成長を追うような内容で、特に新しい内容があるわけではありません。ファンの立場からといってもひいきの引き倒しのようなところとか事情通をひけらかすようなところもなく落ち着いた客観的な記述です。そういう意味では好感が持てます。真理さんにもこんな本ができたならと羨ましくもなります。
ただ真理さんについての本を考えるとすれば物足りないところもあります。特に沙織さんのうたの魅力がどこにあるのか、あまり鮮明ではありません。生身の沙織さんの成長に応じてつくられた私小説的な歌といったよく言われるような解説は出てきますが、この著者が沙織さんのうたのどこにどういう魅力を感じているのか、ということはあまりよくわかりません。そういう意味では読んで沙織さんの魅力がよりよくわかったという本ではありませんでした。
ただこういう形でのまとめ方もあるのだな、ということでは参考になりました。つまり、公表された資料だけを使って「作品としての○○」を描くという手法です。これなら真理さんについてもすぐ書けそうな気がします。しかし、こういう書き方ができるのは南沙織さんについての事実と公表されていることとがそれほど乖離がないからではないでしょうか。私は沙織さんに好感は持っていますが特にファンでもないのに、この本で新たに知ったことは一つしかありません。それはお父さん(実父)が日本人だということぐらいです。それも別の雑誌で公表されているそうですから秘密でもありません。つまり南沙織さんの場合は謎のところはあまりないのです(もしかしたらファンの人から「違うよ」といわれるかもしれませんが)。沙織さんも芸能界の中で苦しんだことは多々あったということはこの本からもわかります。しかしそれでも概して真っすぐな道を生きてこられたと言えるのではないでしょうか。もちろんそれは偶然ということではなく、そういう人生を引き寄せる沙織さんの強い意志があり、それを尊重してくれる環境があったからだと思います。
しかし真理さんの場合はそうはいきませんでした。真理さんの人生は自分の意志のとおりにはいかないことが多く、起伏の大きい道であったと思います。しかしさまざまな困難を経験しながらも「天地真理」として生きてこられたこと、そのことを私は何よりよろこび感謝したいと思っています。
ただその人生を描こうとしたら本当に難しいのです。マスコミなどに公表された情報だけではむしろ誤解を招きかねないと思います。そういう部分をカットして<うた>についてだけ書くという方法もあると思います。はっきり言えば私の関心もそこにあります。その意味では真理さんの人生自体は関係がないのです。
芸術家には尋常でない人も多いと言われます。むしろ常識的な人の作品は面白くないなどと言われるぐらいです。芸術家(芸人)にまで社会の模範となるべき倫理性が求められることになったのはごく最近のことでしょう。かつては生活者としては破綻者だがひとたび舞台に立つと誰もまねできない演技を見せる役者とかいたものです。芸術家の評価とは、その性格とか人生についてではなく、芸術そのものについてです。その意味で真理さんについても多くの人に紹介したいのは<うた>そのものです。
実際、Youtubeで真理さんのうたを聴き、その素晴らしさを知ったという人は本当に多くいます。しかし、まだまだそれが人々の常識になるようにはなっていません。より多くの人に聴いてもらうにはどうしたらよいでしょうか。聴いてみようという動機を生み出すためには、世間の人たちが持っているさまざまな先入観を解いていくことも必要です。そのようにして先入観なく真理さんの<うた>に耳を傾けてもらえるならば、“歌手・天地真理”がそれにふさわしい評価を必ず得られると私は思っているのです。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」INDEXへ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
内容としては一言でいえば南沙織さんの半生を描いたものですが、芸能界の人とかとくにそれに詳しい人というわけではありません。したがって誰も知らなかった新しい事実とかが出てくるわけではありません。本人にインタビューしたわけでもありません。ただ少年時代からの南沙織さんの普通のファンとしての立場で<メディアを通して知り得たことを素材として・・・沙織さんと、沙織さんを支えたスタッフ、そして沙織さんの歌を聴いていたファンがつくりあげた「作品としての南沙織」について書いた>ものです。
たしかにファンの立場からの温かい視点で沙織さんの成長を追うような内容で、特に新しい内容があるわけではありません。ファンの立場からといってもひいきの引き倒しのようなところとか事情通をひけらかすようなところもなく落ち着いた客観的な記述です。そういう意味では好感が持てます。真理さんにもこんな本ができたならと羨ましくもなります。
ただ真理さんについての本を考えるとすれば物足りないところもあります。特に沙織さんのうたの魅力がどこにあるのか、あまり鮮明ではありません。生身の沙織さんの成長に応じてつくられた私小説的な歌といったよく言われるような解説は出てきますが、この著者が沙織さんのうたのどこにどういう魅力を感じているのか、ということはあまりよくわかりません。そういう意味では読んで沙織さんの魅力がよりよくわかったという本ではありませんでした。
ただこういう形でのまとめ方もあるのだな、ということでは参考になりました。つまり、公表された資料だけを使って「作品としての○○」を描くという手法です。これなら真理さんについてもすぐ書けそうな気がします。しかし、こういう書き方ができるのは南沙織さんについての事実と公表されていることとがそれほど乖離がないからではないでしょうか。私は沙織さんに好感は持っていますが特にファンでもないのに、この本で新たに知ったことは一つしかありません。それはお父さん(実父)が日本人だということぐらいです。それも別の雑誌で公表されているそうですから秘密でもありません。つまり南沙織さんの場合は謎のところはあまりないのです(もしかしたらファンの人から「違うよ」といわれるかもしれませんが)。沙織さんも芸能界の中で苦しんだことは多々あったということはこの本からもわかります。しかしそれでも概して真っすぐな道を生きてこられたと言えるのではないでしょうか。もちろんそれは偶然ということではなく、そういう人生を引き寄せる沙織さんの強い意志があり、それを尊重してくれる環境があったからだと思います。
しかし真理さんの場合はそうはいきませんでした。真理さんの人生は自分の意志のとおりにはいかないことが多く、起伏の大きい道であったと思います。しかしさまざまな困難を経験しながらも「天地真理」として生きてこられたこと、そのことを私は何よりよろこび感謝したいと思っています。
ただその人生を描こうとしたら本当に難しいのです。マスコミなどに公表された情報だけではむしろ誤解を招きかねないと思います。そういう部分をカットして<うた>についてだけ書くという方法もあると思います。はっきり言えば私の関心もそこにあります。その意味では真理さんの人生自体は関係がないのです。
芸術家には尋常でない人も多いと言われます。むしろ常識的な人の作品は面白くないなどと言われるぐらいです。芸術家(芸人)にまで社会の模範となるべき倫理性が求められることになったのはごく最近のことでしょう。かつては生活者としては破綻者だがひとたび舞台に立つと誰もまねできない演技を見せる役者とかいたものです。芸術家の評価とは、その性格とか人生についてではなく、芸術そのものについてです。その意味で真理さんについても多くの人に紹介したいのは<うた>そのものです。
実際、Youtubeで真理さんのうたを聴き、その素晴らしさを知ったという人は本当に多くいます。しかし、まだまだそれが人々の常識になるようにはなっていません。より多くの人に聴いてもらうにはどうしたらよいでしょうか。聴いてみようという動機を生み出すためには、世間の人たちが持っているさまざまな先入観を解いていくことも必要です。そのようにして先入観なく真理さんの<うた>に耳を傾けてもらえるならば、“歌手・天地真理”がそれにふさわしい評価を必ず得られると私は思っているのです。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」INDEXへ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。