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アルバムの女王(1)

今日は10月1日、真理さんの歌手デビューの日です。東京では40周年の祝賀会が行われているはずです。
5年前、本編の「空いっぱいの幸せ」をはじめたのもこの日でしたし、毎年、この日は必ず更新をするようにしてきました。しかし、今年はいろいろ追われていて、何も用意しないままにこの日が迫ってきてしまいました。
そこで、本編の更新用に集めはじめたばかりでまとまっていないのですが、いくつか資料を紹介して若干の考察をしてみようと思います。

40年前の今日、真理さんは「水色の恋」で歌手としてデビューしたわけですが、あっという間にオリコンで3位に入ってしまいました。その後、出す曲すべてが大ヒットで3曲連続を含む5曲が1位を獲得し、当時の記録をすべて塗り替えてしまいました。この記録は4年後ピンクレディーによって破られるまで、また女性ソロ歌手としては10年後松田聖子さんによって破られるまで真理さんが保持していました。

しかし真理さんの特徴はシングルよりむしろアルバムにありました。ライバルの小柳ルミ子さんとの対比で、シングルの小柳、アルバムの天地と言われていました。
当時LPレコードは2000円前後でしたが、物価指数でみれば今の価値の3倍くらいですから、今でいえば6000円くらいということでまだまだ高価でした。ですからある程度お金をもっている大人、あるいは音楽をじっくり聴きたい学生などが主な購買層で、森進一や藤圭子など演歌系の歌手かプレスリーやサイモン&ガーファンクルのような(今の言い方で言えば)洋楽系の歌手のアルバムが上位を占めていました。
ところが真理さんはファーストアルバムがいきなり12週1位を続け、年間の売り上げでもアルバムではファーストアルバムが、歌手別では真理さんが1位を獲得してしまったのです。真理さんは若いポップス系の歌手として初めての<アルバムが売れる歌手>となったのです。
ということは、高いお金を出してもLPを買う価値のある歌手だったということです。

そのあたりのことを「オリコン」1980年9月12日号では次のように言っています。

「天地真理のウルトラ人気を示すデータとして見逃せないのはアルバムのセールスである。ファーストLP、『水色の恋/涙から明日へ』から『天地真理ギフトパック』まで8枚ものアルバムが連続してトップ10にはいり、何と7枚目の『恋する夏の日』まではすべてトップ5にランクされているのだ(そのうち5枚が1位)。現在と当時の音楽状況、経済状況はもちろん違ってはいるか、アルバムをこれだけ売るアーティストというのは並大抵ではない。また彼女の異質ともいえるファルセット、説得力ある歌唱力抜きでは、たとえ外見的な人気が多分にあったとしても、これほどのセールスには結びつかなかったに違いない。」

この分析は当時のマス(?)コミとしては珍しく先入観にとらわれないまっとうな評価となっていますが、思いこみではなくデータという事実をしっかり見ているからこそこのような評価ができたのでしょう。
   (元記事はサムネイルをクリックして見てください)

オリコン記事

シングル盤で真理さんの記録を破ったのがピンクレディーと松田聖子さんということはすでに書きましたが、この間、レコードの売り上げが総体として急速に増えてきています。高度経済成長で日本は年々豊かになり所得も増えたことが反映しているのでしょう。そういう変化を抜きに単純に枚数だけで比較抱きるのでしょうか?
次回はそのへんを考察してみたいと思います。

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 真理さんのアルバム売り上げは凄かったのですね。
 祝賀会はもう始まったでしょうか。この場を借りして、真理さんの40周年を心よりお祝い申し上げ、ますますのご活躍をご祈念いたします。
 73~75年は、私は中学生で、音楽に一番関心があったころで、女性アイドル歌手への関心とは別の次元のものとして、音楽を聴くとなると、陽水などのフォーク、洋楽はカーペンターズ、ビートルズで、TVでは見れないものに興味がありました。そして、この時期の女性歌手としては、真理さんとは異質の若い歌手が登場し、世間の評判が高まるにつれ、私の関心もそちら側に傾いていきました。
 それは、荒井由実です。74年10月には、「ミスリム」というアルバムがでて、「瞳を閉じて」「やさしさに包まれたなら」「海を見ていた午後」「12月の雨」など、なんと荒井由実20才。75年10月には、「あの日にかえりたい」で全国的にブレイクし、76年には、年間アルバム売り上げチャートトップ10に、旧譜を含め3枚のアルバムがランクされたようです。その後すぐに結婚し、活動がなくなり、私の興味も薄れていった。
 荒井由実は、スタイルは良いが美貌はイマイチ、変な声で、上手とは言えないし、音程も外れているように聞こえるのだが、なぜか惹きつけられる歌が多い。「いちご白書をもう一度」など、他の歌手で大ヒットして(真理さんも76年アルバム録音)おり、音楽性が他とかけ離れていた。都会的(クール、退廃的)で、かつ優しさを感じさせる荒井由実の歌は、あの時の時代が求めていたのでしょう。
 天地真理さんの75、76年のアルバムを現在聞くと、本当に魅力的ですが、大学生の若い荒井由実のような音楽が出回るようになっていた当時としては、もはや大ヒットに至らず、まさに時代の流れを感じます。
 天地真理さんは、72~74年にかけて、カラーTVの普及の中で、芸能界の一つの時代を作った歌手であり、その時の輝きは、今も何ら色あせていません。(長くなり、申し訳ありません)

Re: タイトルなし

chitaさん
早速コメントありがとうございます。

今頃は祝賀会がおわって、まもなく「虹をわたって」の上映ですね。
きっと楽しい会ができたのではないでしょうか。

ユーミンは私の守備範囲の中にないので何とも言えないのですが、彼女は日本の歌謡曲にあったじめじめした部分を一掃してしまったところに最大の特徴があるように思います。
それはともかく、少し前だと思いますが、真理さんも真保さんと一緒にユーミンのコンサートに行ったことがあるようです。そして「私と同年代のユーミンが活躍しているのを見て私もがんばらなくちゃと思った」と感想を語っていたという記事を何かで読んだことがあります。

真理さんが象徴した時代、ユーミンが求められた時代、それぞれどういう時代だったか、実はこれがいま私のテーマになっているのです。今回の記事で紹介した資料もその一端です。

 10月1日の記念日ですから、またお邪魔します。(実は暇ですので・・)
 真理さんがユーミンのコンサートに行ってコメントが残っていることをご存じなのには、ちょっと驚きです。
 ところで、76年ごろ、荒井由実の作詞作曲で、ハイ・ファイ・セット「卒業写真」、三木聖子「まちぶせ」がヒットしました。また、アグネスチャン、南沙織、太田裕美、岡崎友紀などの所謂アイドルをはじめ多くの歌手に楽曲を提供しています。
 この時期に、天地真理さんが、荒井由実の曲を歌っていれば、どうなっていたかなあ・・・
 80年代になり、松田聖子が連続ヒットをだせたのは、その多くが、呉田軽穂(松任谷由実)の作曲だったからですよね。
 さて、今日の祝賀会には、太田裕美さんも出席したようです。参加された方のブログを見るのが楽しみです。

Re: タイトルなし

chita さん

>この時期に、天地真理さんが、荒井由実の曲を歌っていれば、どうなっていたかなあ・・・

真理さんは1977年1月に緊急入院し以後3年間の休養に入ってしまったのですが、入院しなければ次の新曲は「二月の風景画」に決まっていたものの、実はその後、夏ごろ出る新曲はユーミンが候補になっていたようです。
たしかにそれが実現していたら、真理さんに新境地が開かれていたかもしれませんね。
そう思うとやはり残念でなりません。

 またまた、失礼します。77年の夏ごろ出る新曲はユーミンが候補になっていたんですか、本当ですか、びっくりです。
 76年末頃には、荒井由美は、最後のアルバムを出し、結婚式を挙げ、引退すると言われていたので、おそらく、新たに提供するのではなく、カバー曲だったのでしょうか。
 あくまでも今考えてみればの話ですが、ハイ・ファイ・セットではなく、真理さんが「中央フリーウェイ」をカバーしていれば、真理さんの声、そして、国立周辺の曲として、真理さんにピッタリだったはずです。
 いつの時代も、歌がヒットするかしないかは、歌唱力の上手い下手とは、全く関係ないですね、真理さんは、75年あたりから、上手く歌うようになったため、一方で、歌に味わい、スパイスがなくなっていったのかもしれません。
 ということで、今日は、ひこうき雲さん、お付き合いありがとうございました。てっきり、「ひこうき雲」と名乗っていらっしゃるので、荒井由実の関係者かと思っておりました。失礼いたします。
 

Re: タイトルなし

chitaさん

77年夏の新曲については入院関連の記事の中にCBSソニー関係者の話として出ていたものです。おそらくまだ具体的に動き出す前で、ユーミン自身に話があったかどうかも分かりません。

>いつの時代も、歌がヒットするかしないかは、歌唱力の上手い下手とは、全く関係ないですね

そうですね、ヒットするかどうかは偶然的な要素も大きいです。どうしてこんな歌がヒットするのか、なぜこんないい曲がヒットしないのかと思うことはよくありますね。真理さんの6曲連続1位を阻んだ「おんなの道」という曲などなんであんな大ヒットになるのか全く理解できませんでした。でも後で良く考えるとそれなりの理由はあるのですね。予測は難しいけれど、後になってみれば理由がわかる、ということでしょうか。

私の「ひこうき雲」は真理さんの曲からとりました。最後のアルバム「童話作家」の中の曲です。人間の深いところにある孤独を本当にさりげなく歌った名曲であり名唱だと思います。




No title

 ひこうき雲さん、5周年おめでとうございます。

 確かに、真理ちゃんのLPは、売れていたのですね。斯く言う私も、LPは買いましたが、EPは1枚ももっていませんでした。なぜかLPでした、
不思議ですね。

Re: No title

makoさん
コメントありがとうございます。

私はもともとLPしか買わなかったので、真理さんのレコードも特に考えもなく初めからLPを買っていました。
そのころは私は大学生で自分の生活費を少し融通すればよかったし、就職してからは、額面でいえば今ならワーキングプアになってしまうような給料でしたが、自由になるお金はありましたから負担ではありませんでした。しかし、高校生の頃はLPは自分の小遣いでは買えなかったので、親に頼んで特別にもらっていました。やはり小遣いで買うにはちょっと高い値段でしたね。
もし私が中学生の頃に真理さんのうたに出会っていたら、アルバムで聴ける真理さんのうたの広がりを知らなかったかもしれません。


40周年祝賀会。

 ひこうき雲様 40周年祝賀会について少々書かせてください。

 誰にも迷惑が及ばない範囲で当方なりに大いに楽しんでまいりました。笑
 あるファンによる「夏を忘れた海」ピアノ演奏がとりわけ印象深かったです。素人演奏だと演奏者ご本人はご謙遜でしたが結構な腕前で、真理様もしんみり聴き入って涙する場面もございました。
 この曲は季節柄ということもありましょうが、愛好するファンが多いのでしょうね。先日のライブトンネルでも再現された3コンサートいずれでも(当方の記憶では)「夏を忘れた海」録音が聴けましたから。ほかの曲ではなく、この曲でなければならないなにかがあるのでしょう。

 映画「虹をわたって」もとても楽しい作品でした。当方は横浜にはあまり馴染みはないのですが、おくわしい人が観れば当時と現在とを比べて面白い発見があるのではないかと思いました。真理様の着こなす衣裳がどれもこれも素敵で、目が離せませんでした。
 先日ちょっとふれましたが、この映画は台本段階でけっこう変更が多かったようで、完成した作品と台本とがかなりちがっていて興味深いです。台本にはあった「虹をわたって」の肝腎の「虹」が完成品では消えてしまっているのです。

Re: 40周年祝賀会。

shiolaboさん

祝賀会の様子教えていただきありがとうございます。
とても良い会になったようですね。
shiolaboさんも真理さんに写真をプレゼントされたとか。どんな写真だったのでしょう?

「夏を忘れた海」を弾かれたのは太田さんですね。Youtubeでもいくつか聴けますし、ブログも開かれていますね。http://ameblo.jp/tadashiohta/entry-11035198386.html
私はまだコメントしたことはありませんがなかなかいい演奏です。

映画「虹をわたって」もニュープリントでとてもきれいで良かったようですね。

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