なぜ「冬物語」?
ある方から、『冬歌』というCDに真理さんの歌う「冬物語」が入っているけれど、オリジナルでもないこの曲がなぜ入っているのだろう?というお便りをいただきました。
このCDはソニーから出ていて冬に関連した曲を集めたものです。アリス「冬の稲妻」,井上陽水「氷の世界」,かぐや姫「神田川」,猫「雪」,太田裕美「最後の一葉」,南沙織「哀しい妖精」などが入っています。私のよく知らない曲もありますが、たぶん真理さん以外はオリジナル曲だと思います。その中になぜか真理さんだけがカバー曲なのです。
真理さんにはオリジナルで「冬歌」はないのでしょうか?そんなことはありません。アルバムでもいろいろありますが、シングルでは「木枯らしの舗道」があります。大ヒットとは言えませんがそれでもオリコン14位ですから並みの歌手なら十分なヒット曲でしょう。真理さんのうたも落ち着いたしっとりとした歌いぶりで魅力的です。それなのにどうしてこの曲ではなくて「冬物語」なのでしょう?
実はやはりソニーから出ている『冬色空間』というCDでは「木枯らしの舗道」が入っており、「冬物語」もフォークローバーズのものが入っているのです。『冬歌』は2004年、『冬色空間』は2009年の発売です。つまり『冬歌』はプレミアムボックス発売以前で、当時真理さんのアルバムは「若葉のささやき」までしかCD化されていなかったのです。ですから「木枯らしの舗道」はまだCD化されていなかったのです。これで「木枯らしの舗道」でない理由はわかりました。しかし「冬物語」については、フォークローバーズのオリジナルは2002年にはCD化されているようですから、そちらを入れたほうが自然です。とするとなぜ真理さんのカバーを入れたのでしょう?
実は真理さんの歌う「冬物語」はビクターから出ている『阿久悠を歌った100人』シリーズの『私の青い鳥』というCDにもはいっています。もちろん阿久悠さんを記念したCDシリーズですが、ともに一世を風靡した歌手と作詞家であるにもかかわらず、真理さんと阿久悠さんとは不思議なくらい縁がなく、真理さんのオリジナル曲で阿久悠作詞はたった1曲しかありません。それも通常の曲ではなく、TBS真理ちゃんシリーズ第1作「真理ちゃんとデート」のテーマソングだけなのです。アルバムでも「冬物語」のほかには「若草の髪飾り」だけです。だから、『阿久悠を歌った100人』に真理さんが入らなくても不自然ではないわけです。このCDは女性歌手特集なのでフォークローバーズでないのは当然としても、真理さんが入らなければ恰好がつかないという顔ぶれでもないし、他の歌手はオリジナルなのに真理さんだけわざわざカバーで入れる必然性はないように思えます。
そうするとこの2つのCDに真理さんの「冬物語」が入っているのはなぜでしょうか?それぞれの制作者が真理さんのこの曲を気に入っていた、ということかもしれません。
とすると、真理さんのうたがカバーなのに他の歌手のオリジナルと同格に評価されたということで、真理さんのファンとしてはうれしいことだと思います。
しかし、水を差すようで申しわけないのですが、私はちょっと違う感想を持ちます。
というのは、私は「冬物語」が真理さんのカバーの中で特に優れているとは思わないからです。よくないと言っているわけではなくて、後半などは真理さんらしい伸び伸びとした展開になってとてもいいのですが、前半はちょっとぎこちなくてうまく歌っているとは思えないのです。ここはオリジナルのフォークロバーズの方が滑らかで、表情も豊かです(ちょっと感情過多になりそうなところはありますが)。
しかし真理さんの「冬物語」は一般にも人気があるのです。Youtubeでも再生回数がかなり上位にありました。(現在その動画は削除されているようですが、新しい動画がアップされています。)それはなぜでしょうか?
それはこの曲が短調曲だからではないでしょうか。日本人(とは限らないでしょうが)は短調好き、悲劇好きです。短調だと感情移入して浸りやすく、その意味で「聴いた」という満足感があるのでしょう、曲としても価値が高いと思われがちです。逆に長調曲は曲としての価値は軽く考えられてしまうことが多いのではないでしょうか。
真理さんの明るい長調曲が”子供ぽい”と見られ、「想い出のセレナーデ」を歌ったら”大人への脱皮”などと言われたのもそういう感じ方が前提になっていると思います。
「冬物語」も「天地真理もちゃんとこんな歌を歌っていたんだ」と“天地真理再発見”ということで人気になっているという側面があるのではないでしょうか。真理さんのアルバムをあまり聴いたことのなかった人々がこういう形で真理さんの多彩な側面を知ってくれるのはとてもいいことだと思いますが、もしかつての真理さんの明るい歌には大した価値はないが、こういう短調曲だから価値があると思う人があるとすれば、真理さんのうたの本当の魅力がまだ理解されていないと私には思えます。
上記2つのCDも「冬」とか「阿久悠」とかの条件もある中で真理さんの歌を入れてくれたことはとてもうれしいことです。ただそれが、たまたま短調曲であったために取りあげられたとすればちょっとさびしいなと思うのです。真理さんにはもっと素晴らしいうたはいくらでもある、と言いたいのです。
ところで、まもなく発売される『ゴールデンベスト 新3人娘』にも「冬物語」が収録されているのですが、これについてはまだ発売前ですから、後日触れたいと思います。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」INDEXへ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
読み直して気がついたことがあったので追記します。
ちょっと誤解を招きやすいところがありそうです。私は真理さんの歌う短調曲を評価しないわけではありません。Youtubeの「母」を聴いていただいても、真理さんがこうした曲をどんなに見事に歌ったかわかると思います。
本文に書いたように「冬物語」は完成度がもうひとつなのです。しかしそれが短調曲であることによって天地真理の隠れた代表曲のような扱いを受けるとすれば、違和感があるということです。
オリジナルであれカバーであれ、真理さんにはもっともっと素晴らしいうたが、それが長調であれ短調であれ、たくさんあるよ、ということを多くの人に言いたいのです。
このCDはソニーから出ていて冬に関連した曲を集めたものです。アリス「冬の稲妻」,井上陽水「氷の世界」,かぐや姫「神田川」,猫「雪」,太田裕美「最後の一葉」,南沙織「哀しい妖精」などが入っています。私のよく知らない曲もありますが、たぶん真理さん以外はオリジナル曲だと思います。その中になぜか真理さんだけがカバー曲なのです。
真理さんにはオリジナルで「冬歌」はないのでしょうか?そんなことはありません。アルバムでもいろいろありますが、シングルでは「木枯らしの舗道」があります。大ヒットとは言えませんがそれでもオリコン14位ですから並みの歌手なら十分なヒット曲でしょう。真理さんのうたも落ち着いたしっとりとした歌いぶりで魅力的です。それなのにどうしてこの曲ではなくて「冬物語」なのでしょう?
実はやはりソニーから出ている『冬色空間』というCDでは「木枯らしの舗道」が入っており、「冬物語」もフォークローバーズのものが入っているのです。『冬歌』は2004年、『冬色空間』は2009年の発売です。つまり『冬歌』はプレミアムボックス発売以前で、当時真理さんのアルバムは「若葉のささやき」までしかCD化されていなかったのです。ですから「木枯らしの舗道」はまだCD化されていなかったのです。これで「木枯らしの舗道」でない理由はわかりました。しかし「冬物語」については、フォークローバーズのオリジナルは2002年にはCD化されているようですから、そちらを入れたほうが自然です。とするとなぜ真理さんのカバーを入れたのでしょう?
実は真理さんの歌う「冬物語」はビクターから出ている『阿久悠を歌った100人』シリーズの『私の青い鳥』というCDにもはいっています。もちろん阿久悠さんを記念したCDシリーズですが、ともに一世を風靡した歌手と作詞家であるにもかかわらず、真理さんと阿久悠さんとは不思議なくらい縁がなく、真理さんのオリジナル曲で阿久悠作詞はたった1曲しかありません。それも通常の曲ではなく、TBS真理ちゃんシリーズ第1作「真理ちゃんとデート」のテーマソングだけなのです。アルバムでも「冬物語」のほかには「若草の髪飾り」だけです。だから、『阿久悠を歌った100人』に真理さんが入らなくても不自然ではないわけです。このCDは女性歌手特集なのでフォークローバーズでないのは当然としても、真理さんが入らなければ恰好がつかないという顔ぶれでもないし、他の歌手はオリジナルなのに真理さんだけわざわざカバーで入れる必然性はないように思えます。
そうするとこの2つのCDに真理さんの「冬物語」が入っているのはなぜでしょうか?それぞれの制作者が真理さんのこの曲を気に入っていた、ということかもしれません。
とすると、真理さんのうたがカバーなのに他の歌手のオリジナルと同格に評価されたということで、真理さんのファンとしてはうれしいことだと思います。
しかし、水を差すようで申しわけないのですが、私はちょっと違う感想を持ちます。
というのは、私は「冬物語」が真理さんのカバーの中で特に優れているとは思わないからです。よくないと言っているわけではなくて、後半などは真理さんらしい伸び伸びとした展開になってとてもいいのですが、前半はちょっとぎこちなくてうまく歌っているとは思えないのです。ここはオリジナルのフォークロバーズの方が滑らかで、表情も豊かです(ちょっと感情過多になりそうなところはありますが)。
しかし真理さんの「冬物語」は一般にも人気があるのです。Youtubeでも再生回数がかなり上位にありました。(現在その動画は削除されているようですが、新しい動画がアップされています。)それはなぜでしょうか?
それはこの曲が短調曲だからではないでしょうか。日本人(とは限らないでしょうが)は短調好き、悲劇好きです。短調だと感情移入して浸りやすく、その意味で「聴いた」という満足感があるのでしょう、曲としても価値が高いと思われがちです。逆に長調曲は曲としての価値は軽く考えられてしまうことが多いのではないでしょうか。
真理さんの明るい長調曲が”子供ぽい”と見られ、「想い出のセレナーデ」を歌ったら”大人への脱皮”などと言われたのもそういう感じ方が前提になっていると思います。
「冬物語」も「天地真理もちゃんとこんな歌を歌っていたんだ」と“天地真理再発見”ということで人気になっているという側面があるのではないでしょうか。真理さんのアルバムをあまり聴いたことのなかった人々がこういう形で真理さんの多彩な側面を知ってくれるのはとてもいいことだと思いますが、もしかつての真理さんの明るい歌には大した価値はないが、こういう短調曲だから価値があると思う人があるとすれば、真理さんのうたの本当の魅力がまだ理解されていないと私には思えます。
上記2つのCDも「冬」とか「阿久悠」とかの条件もある中で真理さんの歌を入れてくれたことはとてもうれしいことです。ただそれが、たまたま短調曲であったために取りあげられたとすればちょっとさびしいなと思うのです。真理さんにはもっと素晴らしいうたはいくらでもある、と言いたいのです。
ところで、まもなく発売される『ゴールデンベスト 新3人娘』にも「冬物語」が収録されているのですが、これについてはまだ発売前ですから、後日触れたいと思います。
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コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
読み直して気がついたことがあったので追記します。
ちょっと誤解を招きやすいところがありそうです。私は真理さんの歌う短調曲を評価しないわけではありません。Youtubeの「母」を聴いていただいても、真理さんがこうした曲をどんなに見事に歌ったかわかると思います。
本文に書いたように「冬物語」は完成度がもうひとつなのです。しかしそれが短調曲であることによって天地真理の隠れた代表曲のような扱いを受けるとすれば、違和感があるということです。
オリジナルであれカバーであれ、真理さんにはもっともっと素晴らしいうたが、それが長調であれ短調であれ、たくさんあるよ、ということを多くの人に言いたいのです。