『サルビアの花』いろいろ
今年も最後なので、久しぶりに本編を更新しました。今回は「若葉のささやき」(各曲寸評)でアルバム『恋と海とTシャツと』です。
このアルバムには、タイトル曲はもちろん「恋人たちの港」「花嫁の友達」という私の大好きなオリジナル曲があり、特にカバー曲はファーストアルバムに匹敵する名唱ぞろいで、私も楽しんで仕上げることができました。
カバー曲の場合はYoutubeなどで“本家”をはじめ他の歌手と聴き比べながら書いていきますが、今回特におもしろかったのは「サルビアの花」でした。本編でそのことも書きたかったのですが、スペース的にあまり長くなっても他の曲とのバランスが悪いので、そちらは簡潔にすませました。そこで、こちらに少し書いてみようと思います。
この曲は誰が“本家”かわからないくらいいろいろの人がいろいろに歌っています。一応、最初にヒットさせたということでは「もとまろ」が“本家”と言うことなのでしょう。実際、今回聴いてみた中ではやはり「もとまろ」が一番バランスがいいように思います。悲劇性を持ちながらもフォークのシンプルさ、清潔感をもっている名唱と言えます。そのせいでこの曲は青春の哀しみを歌った曲と言うイメージで受け止められてきたと思います。
しかし、もう一人の“本家”作曲者の早川義夫自身のうたを聴くとまったく違うのですね。早川は若いころのものと最近のものとがありますが、特に若いころのものがそうです。自分=「僕」が感情をそのまま歌っているという感じでまるで主観的です。確かにこの曲の歌詞をよく読むと独りよがりなところがあるのですが、青春にはそういう独りよがりな鬱屈感というのはつきもので、その意味ではこれも青春の歌だなあと思いました。ただ私はこういう主観的なうたは押しつけがましくて好きではないのです。
女性歌手の場合は「もとまろ」のうたがベースになっていますね。女性だから男性の場合のようにストレートではないけれど、「僕」に感情移入して切々と歌うという傾向です。たとえば小柳ルミ子はすごく細い声で語りっぽく歌っていて、彼女得意の“泣き節”ですが、作為が目立ってメロディーの自然な流れを妨げてしまっています。岩崎宏美はもう少し自然でメロディーが活かされてはいますし、とても魅力的なところ(「僕の愛の方が」)もありますが、いろいろやろうとし過ぎたり声が出過ぎていて「もとまろ」の寡黙さがないのです。
井上陽水も歌っているのですが、温泉につかって「ああいい湯だなあ」と口をついて出た鼻歌みたいな感じで、好きなように歌っています。そういう意味では「もとまろ」でもなく早川でもない独創的なうたと言えますが、この曲の良さが活かされているとは思えません。
そこで真理さんですが、本編をお読みいただければと思いますが、他の人とはまったく違うのです。主観的にならず、あくまで客観的に、頭で考えたストーリーではなく、<歌>そのものの流れから心が感じたままに歌っているのです。
今回の更新のためにさまざまな「サルビアの花」を聴く中で、あらためて真理さんのうたの魅力を再確認できて、いい気持ちで1年を終えることができそうです。
今年1年、ご覧いただきありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
※なお、文中、敬称を省略させていただきました。
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コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
このアルバムには、タイトル曲はもちろん「恋人たちの港」「花嫁の友達」という私の大好きなオリジナル曲があり、特にカバー曲はファーストアルバムに匹敵する名唱ぞろいで、私も楽しんで仕上げることができました。
カバー曲の場合はYoutubeなどで“本家”をはじめ他の歌手と聴き比べながら書いていきますが、今回特におもしろかったのは「サルビアの花」でした。本編でそのことも書きたかったのですが、スペース的にあまり長くなっても他の曲とのバランスが悪いので、そちらは簡潔にすませました。そこで、こちらに少し書いてみようと思います。
この曲は誰が“本家”かわからないくらいいろいろの人がいろいろに歌っています。一応、最初にヒットさせたということでは「もとまろ」が“本家”と言うことなのでしょう。実際、今回聴いてみた中ではやはり「もとまろ」が一番バランスがいいように思います。悲劇性を持ちながらもフォークのシンプルさ、清潔感をもっている名唱と言えます。そのせいでこの曲は青春の哀しみを歌った曲と言うイメージで受け止められてきたと思います。
しかし、もう一人の“本家”作曲者の早川義夫自身のうたを聴くとまったく違うのですね。早川は若いころのものと最近のものとがありますが、特に若いころのものがそうです。自分=「僕」が感情をそのまま歌っているという感じでまるで主観的です。確かにこの曲の歌詞をよく読むと独りよがりなところがあるのですが、青春にはそういう独りよがりな鬱屈感というのはつきもので、その意味ではこれも青春の歌だなあと思いました。ただ私はこういう主観的なうたは押しつけがましくて好きではないのです。
女性歌手の場合は「もとまろ」のうたがベースになっていますね。女性だから男性の場合のようにストレートではないけれど、「僕」に感情移入して切々と歌うという傾向です。たとえば小柳ルミ子はすごく細い声で語りっぽく歌っていて、彼女得意の“泣き節”ですが、作為が目立ってメロディーの自然な流れを妨げてしまっています。岩崎宏美はもう少し自然でメロディーが活かされてはいますし、とても魅力的なところ(「僕の愛の方が」)もありますが、いろいろやろうとし過ぎたり声が出過ぎていて「もとまろ」の寡黙さがないのです。
井上陽水も歌っているのですが、温泉につかって「ああいい湯だなあ」と口をついて出た鼻歌みたいな感じで、好きなように歌っています。そういう意味では「もとまろ」でもなく早川でもない独創的なうたと言えますが、この曲の良さが活かされているとは思えません。
そこで真理さんですが、本編をお読みいただければと思いますが、他の人とはまったく違うのです。主観的にならず、あくまで客観的に、頭で考えたストーリーではなく、<歌>そのものの流れから心が感じたままに歌っているのです。
今回の更新のためにさまざまな「サルビアの花」を聴く中で、あらためて真理さんのうたの魅力を再確認できて、いい気持ちで1年を終えることができそうです。
今年1年、ご覧いただきありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
※なお、文中、敬称を省略させていただきました。
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