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日本のポップス黎明期(2)

2007年以来使っていたパソコンがいよいよ不調になり、ついに買い換えました。かなり前からいやになるくらい遅くなって何をするにも時間がかかっていたのですが、年金生活なので少しでも支出は抑えたいとだましだまし使ってきました。しかし最近は勝手にシャットダウンするようなことも起こってきていよいよ限界だなと思い買い換えました。新しいパソコンは画面は2倍くらい大きいし、何と言っても速くて快適です。しかし引っ越しは大変で時間がかかりました。こんなことができるのはあと何年かなと真剣に考えたりもしました。

さて、その間に筒美京平さんがお亡くなりになりました。日本のポピュラーミュージックの最大の作曲家と言っていいでしょうね。私が中学生のころまでは、ラジオ(のちテレビ)から流れてくる曲は”歌謡曲”で、日本語訳詞の欧米のポップスを弘田三枝子さんらが歌い始めたのがとても新鮮だったことは少し前に書きました。そして間もなく輸入ではない日本オリジナルのポップスが生まれてきました。おそらくその先鞭をつけたのは中村八大さんだと思います。ジャズ出身の八大さんは永六輔さんとの”六・八コンビ”でNHK[夢で逢いましょう」の「今月の歌」で次々とヒット曲を生み出しました。坂本九さんを加えた「六・八・九トリオ」による「上を向いて歩こう」をはじめ「遠くへ行きたい」「こんにちは赤ちゃん」「幼なじみ」等、今聴いてもほんとうに心温まる良質の歌を作ってくれました。
当時、クラシックの音楽を聴きはじめ、決まりきった内容でじめじめした歌謡曲にうんざりしてラジオで欧米ポップスも聴くようになっていた私にも八大さんの曲は抵抗なく聴いて歌える曲でした。日本でもこういうセンスのある曲がもっと増えてほしいなと思っていたところ、次に「いずみたく」という作曲家が現れました。「見上げてごらん夜の星を」幸せなら手をたたこう」「いいじゃないの幸せならば」「太陽がくれた季節」「恋の季節」「夜明けのうた」「希望」「夜明けのスキャット」「いい湯だな」等々、実に多くのヒット曲がありますが、日本のポップスを大衆化し根付かせた人といえるのかも知れません。
そしてそのころ、ヒット曲の「作曲」欄に筒美京平という名前が少しずつ登場し始め、私は「ああこの人もいいセンスをしているな」と自分の発見のように思ったら、あっという間にヒットメーカーになってしまいました。その後の実績についてはご存じのとおりです。数えきれないくらいのヒット曲は今後超える人はいないでしょう。しかしマスコミにはめったに出ず、”職人”に徹した人でもありました。
以上のことはあくまで私の個人的な記憶であり、日本のポピュラーミュージックの歴史として妥当なのかはわかりません。しかし、私の思春期に重なる記憶です。それだけに筒美さんが亡くなられたのは自分の大事なものがまた一つ失われたような寂しさがあります。ご冥福をお祈りしたいと思います。
筒美さんと天地真理さんは真理さんの人気が下火となってきた頃、ようやく結びつきます。シングルでは「さよならこんにちわ」「夕陽のスケッチ」、「矢車草」、アルバムでは「小さな人生」の主要な曲が筒美さんの作曲ですが、結果としては大きなヒットとはならず、必ずしも期待された成果は残せませんでした。しかしそれまでの真理さんとは違う側面を引き出した優れた曲が多くあります。
例えば「矢車草」は数ある筒美作品の中でも(もちろん私はそのすべてを聴いたわけではありませんが)これほど清楚な歌はほかにないのではないでしょうか。



あらためてご冥福をお祈りしたいと思います。



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