みんなが美しいものを多く見られる世界
3月23日、CS衛星劇場で「真理ちゃんとデイト」復活第1回の放送がありました。
復活第1回ですが1972年の放送では第2回に当たるものでした。本来の第1回がどうして放送されないのかわかりませんが、複雑な権利関係があるのかもしれません。それはともかく、前回、当時の私の感想として「期待して見たけれど少しがっかりした」と書いたのですが、約半世紀を経てあらためて見て、<素晴らしいものを見た>というのが私の率直な感想です。当時の私は何を見ていたのでしょうか?おそらく人形などとのやり取りを見て、<子供向け>とステレオタイプに決めつけてしまったのだと思います。世の常識的な価値観にとらわれていたということですね。
今回の放送を見てまず惹かれたのは真理さんの表情の豊かさです。画面が思っていたよりずっときれいで微妙な陰影もとらえられていたこともあって、刻々と変化する表情が見事に映し出されていました。
もちろん真理さんのうたは素晴らしかったですね。最初の「ちいさな恋」はこの番組のオリジナル音源のようですね。ひそやかなシングル版と比べると弾けるようで、いわば「ひとりじゃないの」を経て一皮むけたという感じがします。うれしかったのは真理さんの歌う「花はどこへ行った」が聴けたことです。おそらく漣健児さんの訳詞だと思うので、この曲の本来の内容とは全く違った内容になっていますが(「想い出のグリーングラス」もそうですね)、全くオリジナルな曲として聴くならば、真理さんのうたは若芽のようなみずみずしい生の息吹が感じられます。「好きだから」はレコード音源ですが、おそらく実際に歌いながら曲に合わせて揺れるような動きがすてきですね。「少年と少女」はこのシリーズで生まれたオリジナル曲の中でも当時から私も記憶していた印象的な曲です。最後の「虹をわたって」はオリジナル音源で、はじめの部分の弾き歌いの時のようなゆったりとしたうたがとりわけ魅力的でした。
もうひとつ、私が当時はわからず今回知ることができたこと、それは人形たちと真理さんの会話が実に意味深いものだったことです。それは哲学的ともいえる内容を持っていたのです。そのテーマはいわば「見えるものと見えないもの」とでも言えばいいでしょうか?ノッペラはのっぺらぼうですから元々目がないのですが、(第1回で?)真理さんが目をつけてしまったようなのです。それは「この街の素敵なもの、流れる雲や青い空、緑の葉っぱに、公園のベンチにかけている人、生まれたばっかりの子猫、そういうものすべてを見せてあげたい」と思ったからなのです。しかしニンジン君は「見るものすべてがそんなにきれいじゃない。みんな見てしまったら僕みたいになってしまう。」と言って目を取ろうとするのです。その後の詳しいことは割愛しますが、最後にヒネクレは「星よりも花よりも、きれいなもんがあるのと違いまっか?」と言い、真理さんが「みんなが美しいものを多く見られる世界だったら楽しいだろうなぁ」と結びます。これらの言葉はそれぞれにすぐには結論できない深い意味を持っていて、私は『星の王子さま』の「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」という言葉も連想しました。驚くのはこのやり取りの中で真理さんの意見は必ずしも正しいと肯定されていないことです。ニンジン君は真理さんの考えを間違っていると公然と批判します。真理さんの人気によって生まれた番組なのに真理さんにおもねっていないのです。このことは以前にも書いたことがあります。(https://amhikokikgumo.web.fc2.com/lemon.htm の☆8をご覧ください) とは言え、こうしたやりとりは決して理屈っぽいものではありません。むしろ詩的ともいえる雰囲気の中で進行するのです。私は、たった30分の子供向け番組の中にこれだけのことを盛り込んだ当時のテレビスタッフの気概に脱帽します。翻って今のテレビ、マスコミにこの気概はあるのでしょうか?冒頭に<素晴らしいものを見た>と書いたのはこのことです。
次回以降、さらに楽しみですね。
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コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
復活第1回ですが1972年の放送では第2回に当たるものでした。本来の第1回がどうして放送されないのかわかりませんが、複雑な権利関係があるのかもしれません。それはともかく、前回、当時の私の感想として「期待して見たけれど少しがっかりした」と書いたのですが、約半世紀を経てあらためて見て、<素晴らしいものを見た>というのが私の率直な感想です。当時の私は何を見ていたのでしょうか?おそらく人形などとのやり取りを見て、<子供向け>とステレオタイプに決めつけてしまったのだと思います。世の常識的な価値観にとらわれていたということですね。
今回の放送を見てまず惹かれたのは真理さんの表情の豊かさです。画面が思っていたよりずっときれいで微妙な陰影もとらえられていたこともあって、刻々と変化する表情が見事に映し出されていました。
もちろん真理さんのうたは素晴らしかったですね。最初の「ちいさな恋」はこの番組のオリジナル音源のようですね。ひそやかなシングル版と比べると弾けるようで、いわば「ひとりじゃないの」を経て一皮むけたという感じがします。うれしかったのは真理さんの歌う「花はどこへ行った」が聴けたことです。おそらく漣健児さんの訳詞だと思うので、この曲の本来の内容とは全く違った内容になっていますが(「想い出のグリーングラス」もそうですね)、全くオリジナルな曲として聴くならば、真理さんのうたは若芽のようなみずみずしい生の息吹が感じられます。「好きだから」はレコード音源ですが、おそらく実際に歌いながら曲に合わせて揺れるような動きがすてきですね。「少年と少女」はこのシリーズで生まれたオリジナル曲の中でも当時から私も記憶していた印象的な曲です。最後の「虹をわたって」はオリジナル音源で、はじめの部分の弾き歌いの時のようなゆったりとしたうたがとりわけ魅力的でした。
もうひとつ、私が当時はわからず今回知ることができたこと、それは人形たちと真理さんの会話が実に意味深いものだったことです。それは哲学的ともいえる内容を持っていたのです。そのテーマはいわば「見えるものと見えないもの」とでも言えばいいでしょうか?ノッペラはのっぺらぼうですから元々目がないのですが、(第1回で?)真理さんが目をつけてしまったようなのです。それは「この街の素敵なもの、流れる雲や青い空、緑の葉っぱに、公園のベンチにかけている人、生まれたばっかりの子猫、そういうものすべてを見せてあげたい」と思ったからなのです。しかしニンジン君は「見るものすべてがそんなにきれいじゃない。みんな見てしまったら僕みたいになってしまう。」と言って目を取ろうとするのです。その後の詳しいことは割愛しますが、最後にヒネクレは「星よりも花よりも、きれいなもんがあるのと違いまっか?」と言い、真理さんが「みんなが美しいものを多く見られる世界だったら楽しいだろうなぁ」と結びます。これらの言葉はそれぞれにすぐには結論できない深い意味を持っていて、私は『星の王子さま』の「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」という言葉も連想しました。驚くのはこのやり取りの中で真理さんの意見は必ずしも正しいと肯定されていないことです。ニンジン君は真理さんの考えを間違っていると公然と批判します。真理さんの人気によって生まれた番組なのに真理さんにおもねっていないのです。このことは以前にも書いたことがあります。(https://amhikokikgumo.web.fc2.com/lemon.htm の☆8をご覧ください) とは言え、こうしたやりとりは決して理屈っぽいものではありません。むしろ詩的ともいえる雰囲気の中で進行するのです。私は、たった30分の子供向け番組の中にこれだけのことを盛り込んだ当時のテレビスタッフの気概に脱帽します。翻って今のテレビ、マスコミにこの気概はあるのでしょうか?冒頭に<素晴らしいものを見た>と書いたのはこのことです。
次回以降、さらに楽しみですね。
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