その時・・・
みなさんは以前、NHKで放送していた「その時歴史が動いた」という番組をご存知でしょうか。松平定知アナウンサーの司会で、歴史を動かしたある出来事をそれが起こった<時>を中心に描いた番組でした。
今回はちょっとその形式をお借りしてまとめてみました。
今日は2010年7月21日(水)です。今日の<その時>はちょうど39年前、1971年7月21日、曜日も同じ水曜日、午後9:20分頃です。
その少し前、午後9:00、TBS系テレビではこんな番組が始まりました。
そうです。水曜劇場「時間ですよ」の第2シリーズ第1回(通算31回)が始まったのです。そして配役の中に一瞬、「マリ 天地真理」と出ていたのに気づかれたでしょうか。これが後に「空前のアイドル」と言われる天地真理さんの名前が初めてテレビの画面に現れた瞬間でした。
そして、約20分後、いよいよ真理さんの初登場場面です。
(動画がうまく出ない場合は読み込み直してください)
いかがですか?ちょっと緊張気味だけれど清楚で初々しい表情、素敵ですね。くりっと斜めに見あげる特徴ある表情も、もうこの時からなのですね。
しかし驚いたことに<うた>を聴くととてもテレビ初出演とは思えないのです。目を閉じて聴くと、この「恋は水色」はファーストアルバムと同レベル、つまりすでに完成されたうたなのです。真理さんは最初からこんなに見事に歌っていたのですね。
ともかく、これがちょうど39年前、テレビの電波にのって(アマチュア時代を除けば)初めて日本中の家庭に届いた真理さんのうたと姿でした。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
それでは、その時動いた歴史とは何でしょうか?
私は2つあったと思います。
〔詳しくは本編(空いっぱいの幸せ)でいずれ述べたいと思いますので、ここではあらすじだけ触れることにします〕
まずひとつは、日本の大衆音楽の流れを変えたこと、もうひとつは文化の主導権を変えたことです。
「大衆音楽」という言い方をあえてしたのは、その頃は<演歌><歌謡曲><ポピュラー><フォーク>など各ジャンルの垣根が高くてはっきり分かれていたし、世代的にもはっきり分かれていたので、その全体をさす意味で「大衆音楽」としました。
それまでの大衆音楽はまだまだその主導権は古いタイプの音楽、演歌や歌謡曲にありました。社会も文化も「大人」たちが主導権を持っていたのです。若者文化もGSブームなど、徐々に広がりつつはありましたが、まだまだ旧来の感性を残していました。真理さんたちが登場する直前の最大のヒット歌手は藤圭子さんでしょうが、この人は“怨歌”=演歌でした。<フォーク>は若者たちの自己表現として共感を得てきましたが、まだ特殊な分野という枠を超えるまでになっていませんでした。ですから若者たちは自分たちの気持ちを投影できる音楽を待ち望んでいたのです。
そこに登場したのが真理さんを代表とするアイドルたちでした。71年デビューの3人娘が72年春、ベストテンの1・2・3位を独占しますが、これはひとつの革命だったと私は思います。つまり大衆音楽の主導権を若者が奪いとった瞬間でした。これ以後、テレビの歌番組は完全に若者に乗っ取られ、文化そのものが若者中心に移っていきます。
そしてそういう革命を牽引したのが天地真理さんだったのです。世代を超えた真理さんの巨大な吸引力によって、それまでいわば反体制だった若者文化が一挙に多数派を形成してしまったのです。そしてその役割を果たせたのは天地真理さんだけでした。南沙織さんは人間的には魅力的な人で固定ファンは多かったと思いますが、真理さんのような不特定多数(選挙で言えば「支持なし層」)をも引き付けるカリスマ性はありませんでした。小柳ルミ子さんはむしろ旧来の歌謡曲の流れの中にあった人でした。そして、それ以後のアイドルたちは真理さんの切り開いた道を進めばよかったのです。
こうして日本の大衆音楽は、天地真理さんの空前の人気に支えられて若者中心へと大きくシフトし、各ジャンルが融合していく中で「ニューミュージック」から「Jポップ」へとつながる道筋が開けたのだと思います。
最初に書いたようにこれはあらすじです。かなり乱暴なデッサンです。説明の不十分なところが相当あります。
また、常識的な<歴史>とは違うかもしれません。しかし、専門家でもインテリでもなく、“大衆”の感覚で、かつ巨視的に<歴史>を眺めればこういう流れが見えると私は思っています。
真理さんがはじめてブラウン管に映し出されたこの日、1971年7月21日、その時 <歴史> は確かに動いたのです。
※ 「空いっぱいの幸せ」の「若葉のささやき」(各曲寸評)でアルバム「若葉のささやき」を完成。これでアルバム数でも半分を超えました。
http://sky.geocities.jp/amhikokigumo/rwakaba.htm
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」INDEXへ
今回はちょっとその形式をお借りしてまとめてみました。
今日は2010年7月21日(水)です。今日の<その時>はちょうど39年前、1971年7月21日、曜日も同じ水曜日、午後9:20分頃です。
その少し前、午後9:00、TBS系テレビではこんな番組が始まりました。
そうです。水曜劇場「時間ですよ」の第2シリーズ第1回(通算31回)が始まったのです。そして配役の中に一瞬、「マリ 天地真理」と出ていたのに気づかれたでしょうか。これが後に「空前のアイドル」と言われる天地真理さんの名前が初めてテレビの画面に現れた瞬間でした。
そして、約20分後、いよいよ真理さんの初登場場面です。
(動画がうまく出ない場合は読み込み直してください)
いかがですか?ちょっと緊張気味だけれど清楚で初々しい表情、素敵ですね。くりっと斜めに見あげる特徴ある表情も、もうこの時からなのですね。
しかし驚いたことに<うた>を聴くととてもテレビ初出演とは思えないのです。目を閉じて聴くと、この「恋は水色」はファーストアルバムと同レベル、つまりすでに完成されたうたなのです。真理さんは最初からこんなに見事に歌っていたのですね。
ともかく、これがちょうど39年前、テレビの電波にのって(アマチュア時代を除けば)初めて日本中の家庭に届いた真理さんのうたと姿でした。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
それでは、その時動いた歴史とは何でしょうか?
私は2つあったと思います。
〔詳しくは本編(空いっぱいの幸せ)でいずれ述べたいと思いますので、ここではあらすじだけ触れることにします〕
まずひとつは、日本の大衆音楽の流れを変えたこと、もうひとつは文化の主導権を変えたことです。
「大衆音楽」という言い方をあえてしたのは、その頃は<演歌><歌謡曲><ポピュラー><フォーク>など各ジャンルの垣根が高くてはっきり分かれていたし、世代的にもはっきり分かれていたので、その全体をさす意味で「大衆音楽」としました。
それまでの大衆音楽はまだまだその主導権は古いタイプの音楽、演歌や歌謡曲にありました。社会も文化も「大人」たちが主導権を持っていたのです。若者文化もGSブームなど、徐々に広がりつつはありましたが、まだまだ旧来の感性を残していました。真理さんたちが登場する直前の最大のヒット歌手は藤圭子さんでしょうが、この人は“怨歌”=演歌でした。<フォーク>は若者たちの自己表現として共感を得てきましたが、まだ特殊な分野という枠を超えるまでになっていませんでした。ですから若者たちは自分たちの気持ちを投影できる音楽を待ち望んでいたのです。
そこに登場したのが真理さんを代表とするアイドルたちでした。71年デビューの3人娘が72年春、ベストテンの1・2・3位を独占しますが、これはひとつの革命だったと私は思います。つまり大衆音楽の主導権を若者が奪いとった瞬間でした。これ以後、テレビの歌番組は完全に若者に乗っ取られ、文化そのものが若者中心に移っていきます。
そしてそういう革命を牽引したのが天地真理さんだったのです。世代を超えた真理さんの巨大な吸引力によって、それまでいわば反体制だった若者文化が一挙に多数派を形成してしまったのです。そしてその役割を果たせたのは天地真理さんだけでした。南沙織さんは人間的には魅力的な人で固定ファンは多かったと思いますが、真理さんのような不特定多数(選挙で言えば「支持なし層」)をも引き付けるカリスマ性はありませんでした。小柳ルミ子さんはむしろ旧来の歌謡曲の流れの中にあった人でした。そして、それ以後のアイドルたちは真理さんの切り開いた道を進めばよかったのです。
こうして日本の大衆音楽は、天地真理さんの空前の人気に支えられて若者中心へと大きくシフトし、各ジャンルが融合していく中で「ニューミュージック」から「Jポップ」へとつながる道筋が開けたのだと思います。
最初に書いたようにこれはあらすじです。かなり乱暴なデッサンです。説明の不十分なところが相当あります。
また、常識的な<歴史>とは違うかもしれません。しかし、専門家でもインテリでもなく、“大衆”の感覚で、かつ巨視的に<歴史>を眺めればこういう流れが見えると私は思っています。
真理さんがはじめてブラウン管に映し出されたこの日、1971年7月21日、その時 <歴史> は確かに動いたのです。
※ 「空いっぱいの幸せ」の「若葉のささやき」(各曲寸評)でアルバム「若葉のささやき」を完成。これでアルバム数でも半分を超えました。
http://sky.geocities.jp/amhikokigumo/rwakaba.htm
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」INDEXへ