「あの年この歌 1971年」(2)

はじめに前回の記事について訂正しておきたいと思います。前回の記事の中で「水色の恋」を歌うデビュー当時の動画はこれまで無かったと書きましたが、実はあったのです。単独の動画ではないのでうっかりしていましたが、1975年に「夜のヒットスタジオ」に出演した時、局がデビュー当時の映像を用意して真理さんに見せたのです。Youtubeの動画で見ることができます。「水色の恋」を歌う場面は2分20秒のあたりからです。


この「初めての涙」の映像もとても興味深いもので、以前記事で取り上げたことがあります(涙より微笑みを)が、「初めての涙」の頃ですから1975年の6~7月の放送でしょう。芳村さんが3年半前と言っていますから「水色の恋」の映像はまちがいなくデビュー当時のものになります。
一方今回の映像については、デビュー直後ではなく翌年2月に東京会館でおこなわれた「ちいさな恋」発売記念「ちいさなパーティー」のものではないかという指摘もいただきました。下の写真がその時のものと言うことで、たしかに衣装は同じようですし、髪形もはっきりはわかりませんが似ているように思います。
19720218ちいさなパーティー東京会館
そうすると「夜のヒットスタジオ」の映像が一番古いということになりますが、どうでしょうか?

さて本題です。前回の続きで「あの年この歌」新3人娘特集についてもう少し考えてみたいと思います。
前回書いたようにこの番組はこれまで見られなかった映像を探し出すなど通り一遍のものにしないようにという意欲はあったと思います。しかし全体としては、やはりきまりきったイメージで安易につくられていたという印象です。南さん、小柳さんについてもステレオタイプな解説でしたが、とりわけ真理さんについては一層そういうことが言えると思います。
たとえば、3人娘それぞれを語る人が、南さんの場合は作詞家の有馬三恵子さん、小柳さんの場合は小柳さん自身というそれぞれのチームのメンバーなのに真理さんの場合は真理さんのチームの人ではなくライバルであった小柳さんがご自分の立場から語っています。真理さんを語れる人をちゃんと探したのでしょうか?探せばすぐに見つかると思うのですが(たとえば菊池マネージャーとか)、それをしなかったのですね。さらに小柳さんの話についてもファクトチェックはしたのでしょうか?個室の件についても、私が当時読んだ雑誌記事では個室を使えたのは美空ひばりだけであとは新人もベテランも一緒と書いてありました。太田裕美さんが真理さんと親しくなったのも楽屋で太田さんが真理さんに気軽に話しかけたのがきっかけと記憶しています。個室だったらそういうことは起こらないですね。たしかに真理さんは特別扱いだった時期があったようで、番組を終わってテレビ局を出るときはプロデューサーがわざわざ玄関まで送っていたという話も読んだことがあります。ですから局によっては個室の時もあったのかもしれませんがそれが常態だったとは言えないのではないでしょうか。しかし小柳さんにとってはそれは強い記憶として残っていても不思議はないし、人はそういう記憶は時間とともに肥大化することもよくあることですから、小柳さんがウソを言っているということではなく、局がチェックするべきことです。
小柳さんのその他の話はいつものことですが、これも検証はされているのでしょうか。個々の事例はともかく、渡辺プロが真理さんを優遇していたというのは事実でしょうか。実際は逆だったと私は考えています。つまり渡辺プロが力を入れていたのは小柳さんだったということです。そのことについては以前も触れています。
実はこのことについてずっと見つけていてまだ見つからない雑誌記事があるのです。1972年であるのは間違いないのですが何月かははっきりとは覚えていません。雑誌は男性向け週刊誌(文春、新潮、ポスト、現代など)あるいは新聞社系週刊誌(朝日、毎日、読売、サンケイ)だと思います。内容は真理さんと小柳さんを比較したものです。その中で私がはっきり記憶しているのは、渡辺プロの社員(名前は覚えていませんがある程度の役職の人と記憶しています)の発言です。言葉までは覚えていませんがだいたい次のような内容でした。「小柳は美空ひばりの後継者として育てていく。天地は2年間稼いでくれたらいい」 私はそれを読んで仰天しました。自分の会社の、これからどんどん売り込んでいこうという人気急上昇の有望タレントを「2年間稼いでくれたらいい」と公言するなど普通は考えられないことです。小柳さんのチームの人が言うならわからないでもありません。しかしそういう立場の人ではなかったと思います。私は渡辺プロの本音が、この迂闊な人からポロリと出てしまったのだと当時思いましたし、今も思っています。真理さんも小柳さんも歌手デビュー前にTVドラマに出演しています。小柳さんはNHKの連続テレビ小説「虹」(1970.4.6~1971.4.3)で主人公の娘と言う大きな役を演じ、演技力をつけ知名度も得たうえで、1971年4月25日「私の城下町」で歌手デビューし、さらに2曲目もヒットさせて年末のレコード大賞、歌謡大賞の新人賞、NHK紅白への出場を勝ち取りました。きちんと段階を踏み目標を定めて育てようとしたことがわかります。一方、真理さんは「時間ですよ」への出演も、ご存知のように瓢箪から駒のように実現したもので、ほんの一場面、セリフもほとんどなくただ歌を歌うだけの軽い役でした。しかし意外に人気が出てきたので急遽10月に歌手デビューすることになりましたが、すでに大賞や紅白には間に合わない時期でした。このように、小柳さんは計画的に育てようとしてきたのに対し、真理さんは偶然の連続、行き当たりばったりであったことがわかります。そういうところを見ても渡辺プロがどちらを優遇していたかは明らかだと私は思っています。
(※この雑誌に心当たりのある方がおられましたら、ご連絡ください)

なお、誤解のないようにしていただきたいのですが、私は小柳さんの発言をあまり不愉快だと思っていません。かつてはそう感じることもありましたが、同じことを話していても真理さんへの気持ちが以前とはだいぶ違っていると感じました。その転機は2010年のTBSの番組「解禁㊙ストーリー」で真理さんと40年ぶりに再会してからではないでしょうか。この時、小柳さんはご自身のブログで「真理ちゃんと私は“戦友”ですね」と書いていました。また、小柳さんはいまやサッカー解説でも知られていますが、スポーツ報知(2015.2.20)のインタビューでメッシと.ロナウドのライバル関係に触れ「私の場合は天地真理さんがそういう存在だった。私がメッシで真理ちゃんがロナウドかな。私は職人、彼女は華があるスター」と語っていました。これを読んで私は、もしかしたら小柳さんは芸能界で当時の真理さんのすごさを最もよく知っている人ではないかと思いました。今回の発言もあまり感情が入らず軽く話していたように感じましたし、むしろ「真理ちゃんは特別だった」という証言のつもりだったのかもしれません。ともかく小柳さんは自分が感じていたことを正直に話しただけで、その検証は局側がすべきことだったのです。

小柳さんの話がだいぶ長くなってしまいましたので、予定を延長して次回も続けたいと思います。


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No title

そうですね、わたしも小柳ルミ子さん、「天地真理さんのすごさ」を知ってもらう上で、キャスティングボートお持ちかとなおもったりします。「私がメッシで真理ちゃんがロナウドかな。私は職人、彼女は華があるスター」」、なろほどです。

Re: No title

しんりさん
コメントありがとうございます。

小柳さんが言う通り、真理さんと小柳さんは<戦友>なのですね。ライバルとして競い合いながら、だからこそお互いの喜びも悲しみも、実感をもって知ることができるのでしょう。「私がメッシで真理ちゃんがロナウドかな。私は職人、彼女は華があるスター」と言う言葉は最高の賛辞とも言えますね。
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