無化粧・沖縄・まりちゃんズ(2)

話題は行ってきたばかりの沖縄海洋博に移っていきます。

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沖縄海洋博は1975年7月20日から1976年1月18日まで沖縄本島北部の本部町で開かれた万博で、1972年にアメリカの占領統治から日本の施政下へ復帰したものの、激しい沖縄戦とそれに続く長い占領下で経済の発展が遅れた沖縄の開発を進める“起爆剤”として開かれたものです。その象徴として“海上未来都市”アクアポリスがつくられ、新交通システムが運用されるなど、明るい“未来”を描くものでした。全国から350万人が訪れ、にぎわいましたが、計画の450万人には遠く及ばず、地元業者には大きな損害を出したところもあり“自爆剤”と言われたりしました。沖縄経済も大きな面積を占める(本島の20%)米軍基地の存在もあってその後も発展は思わしくなく、本土式の“列島改造”は赤土の流出でサンゴ礁に甚大な損害を与えたと言います。現在アクアポリスは撤去され、跡地は海洋博記念公園として整備されて、沖縄美ら海水族館などが人気になっています。

                  アクアポリス

真理さんは沖縄には復帰翌年の1973年に3人娘コンサートのために訪れています。ここに出てくる写真はその時のもので、青く澄んだ空と海のもと、いっそう輝いて見えますね。
ですから、この録音での話は、その2年後、2度目の訪問、と言うことになります。

そしてその感想として、真理さんはここで「沖縄が日本に感じられなかったのがすごくさびしかった」といっています。私は、この発言は当時の“本土”の人、特に芸能人として稀有の発言ではないかと思うのです。

この時、真理さんがどこで公演し、どういうところを見てきたかということはわかりません。したがって、この発言が何を意味しているか、具体的にはわからないのですが、「日本に感じられなかった」といっていることから考えると、高度成長を経た本土と比較してまだまだ残る人々の貧しさ、あるいは車で移動するだけで見えてくる延々と続くフェンスの向こうの広大な米軍基地と狭い土地にひしめく住民の家並みから本土から見捨てられてきた沖縄の現実を見ていたのだろうと思います。
司会者が「逆に、日本じゃないみたいでうれしくなっちゃう」と言っているのに対し「私もうれしかったの」とこたえているように、沖縄の独特の風土、文化には魅力を感じている、でも「沖縄の人たちのことを考えると」という言葉にあるように、繁栄を謳歌する本土との落差を痛切に感じたのではないでしょうか。

私は、他のところでの発言などから考えて、真理さんが政治的に特にすぐれた見識を持った人だとは思っていません。むしろ、あまり大きな見地から社会を考えるということは苦手な人ではないかと推測しています。しかし、そういう問題を、もっとちいさな、つまり一人ひとりの人間の問題にして考えてしまう人ではないかと思います。
また、当時、本土の人の多くがそうであったように、真理さんが沖縄戦とか戦後の占領、米軍基地の問題について、きちんとした知識を持っていたとも思われません。しかし、そうだからこそ、政治的言語ではなく、自分の感性で沖縄の「人」に想いを馳せることができたのではないでしょうか。

私自身、この頃、沖縄については全く無知でした。「本土並み返還」についての疑義(最近「密約」が明らかになりました)とか、政治的次元では関心はありましたが、今思えば本当に恥ずかしいことに、沖縄の「人」に思いを致すことはなかったのです。しかしそれは私だけでなく、多くの“本土”の人たちに共通したことではなかったでしょうか。それだけに、30年後に聞き直したテープから聞こえてきた真理さんのこの発言は驚きでした。

真理さんのこの発言から35年後の今、“本土”の人たちは沖縄の「人」に心を寄せることができているのでしょうか。



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こんばんは、ひこうき雲様。

初めて、コメントさせていただきます。
いきなりですが、真理様が、「あんな所に、いえ、ああいう所に・・」と
とっさに、言い換えていましたが、何もない所に、建って、という意味なのか、あの美しい自然を壊して、人工的な建物が造られ、、不自然(違和感)を、感じられて、なのか、解りませんが、知りたかったです。


私も、去年の3月に、初めて沖縄に訪れました。
本当に、ここは日本なの?と那覇の空から見た、海の美しさ・・・・・  
いつまでもこの美しさを、残してほしいと、心から思いました。
沖縄に着いて、観光地めぐりをしたのですが、フェンスが長々と、続き
思わす、(このフェンスの中に入ったら、怒られるのかな?)・・・・・
怒られるどころじゃないですね。中はアメリカなのですから・・・・

真理さんは、沖縄の人たちの気持ちも考え、悲しい気持ちになられた・・・・真理さんも、色々な事があって、傷ついたり、辛い思いをされたのかもしれません。それゆえ、なお更、辛く、悲しい思いを共感されたのでしょうか。

私も、厚木基地の近くに、数年間、暮らした事があります。
年に1,2回、戦闘機が、密集している住宅地を、低空飛行で、しかも、ひっくり返って飛ぶんです。それは、それは、恐ろしい光景です。
凄まじい轟音・・・・今にも、墜落したら、どうしよう・・・・なのに、住宅地を、今にも手が届きそうなくらいの、低い空を飛ぶんです!

うさぎのぴょん吉は、恐怖でがたがた震えて、近所の子供が、恐怖で泣いている。忘れられません・・・・

ごめんなさい。話がそれてしまいました。これ以上、この話はやめます。

真理さんの貴重なテープを、聞かせていただき、どうもありがとうございました。

Re: こんばんは、ひこうき雲様。

夏海さん
ようこそおいで下さいました。
コメントありがとうございます。

厚木基地の近くにおられたんですね。そう言えば、真理さんも座間に住んでおられました。
そこで夏海さんのような体験があったかどうかはわかりません。
でも、私も初めて嘉手納基地の長大なフェンスを見たときには言葉を失いましたから、そんな光景もあの発言の背景にあったかもしれません。

海洋博会場はいまでも那覇からは少し遠いですが、当時は高速道も全通していなかったのでもっと遠かったと思います。また、まだ未開発の地域だったので“起爆剤”にしようとしたのでしょうから、その意味で「あんな所」と最初言いかけたのではないでしょうか。でもすぐに、そういう言い方はその地域の人々に失礼と思って、言いなおしたのだと思います。

このころのラジオ番組などの録音はもう少しあります。この頃の真理さんの心の動きがわかるものもありますので、すこしづつ披露していきたいと思います。
また、おいで下さい。



真理ちゃんは優しいのです。

こんばんわ、ひこうき雲さん。熊五郎です。
ずいぶんと前のブログ内容についての投稿となり、すみません。
なぜ、この沖縄への投稿になったかといいますと、部屋の整理をしていたら、70年から85年まで発行されていた。沖縄の郷土誌「青い海」が出てきたからです。あれ、沖縄と言えば、沙織ちゃん、真理ちゃん、ルミちゃんの新三人娘が73年にコンサートしたっけなと、詳しい日時が知りたく、「沖縄 天地真理」と検索したら・・・ここへ。内容見ると、心にズンときましたよ。実は、真理ちゃんのことが一応お終いとなった76年以降の大学時代は、沖縄大好きの沖縄バカだった。なにせ、地元の人も嫌がる砂糖きびの援農隊するぐらいでしたから。真理ちゃんの感覚は、当時の人なら普通なのです。私も76年行った時、強烈な海の青さにしびれた。さらに嘉手納のB52にはショックでしたから。知らないということは、大きなことですね。でも真理ちゃんは本当に心優しい人です。

Re: 真理ちゃんは優しいのです。

熊五郎さん
連続コメントありがとうございます。

君五郎さんは「沖縄大好きの沖縄バカだった」のですね。今でこそそういう人は珍しくありませんが、当時は珍しい方ではありませんか?先駆けですね。素晴らしい。

>真理ちゃんの感覚は、当時の人なら普通なのです。
確かに現地を見た人はそうでしょうね。しかし本土の多くの人はそれを見ていませんでしたね。青い海しか見なかった観光客もそうでしょう。そういう中で短い滞在中にあのような感想を持てた真理さんは「本当に心優しい人です」ね。
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