夢あふれていた時代
ちょっと更新が遅れてしまいました。私は更新間隔を最大2週間と自分では決めているのですが、だんだんネタ切れになってきて最近はなかなかいいテーマが思いつかず結構苦労しています。今回も困っていたところ、ファンクラブ公式サイトで雑誌での天地真理特集のお知らせがありました。また天地真理さん自身からもFBでその特集に触れておられました。そこで渡りに船と、その発売を待っていて、少し遅くなってしまいました。
なお、入手したばかりですので、最初は簡単な紹介だけとして、その後、付け足して行きたいと思います。
さて、その雑誌ですがクレタパブリッシング発行の「昭和40年男」という雑誌です。私はこういう雑誌があることも知りませんでしたが、その名の通り昭和40年(1965年)生まれ(あるいはその前後の世代)の男性を主な対象とした雑誌のようです。
7月11日発行の8月号はまず特集「俺たちの角川映画」が半分弱の60ページほどを占めています。次に「連載特集」ということで昭和40年生まれが6歳だった昭和46年にスポットを当てた30ページほどの特集があります。そしてその中に「天地真理 『水色の恋』でデビュー」という記事があるのです。

内容はそのタイトル「日本中が夢中になった みんなの真理ちゃん」に集約されていると思います。冒頭に「『水色の恋』が発売された71年以前、日本にアイドル歌手は存在しなかった。天地はアイドルの先駆けであり、世代や性別の壁を超えて大衆的人気をさらった数少ない、最大の成功例と言える」とあるように天地真理の存在を時代の中にきちんと位置付け評価していて(本来はそれが当たり前で特筆することではないのですが)良質の記事と言えると思います。
【7/13 追記】
記事は主として中島二千六さんの話をベースにしています。中島さんは当時渡辺音楽出版の立場で、CBSソニー(当時)の中曽根皓二ディレクター、渡辺プロの菊池哲栄マネージャーとともにデビューから全盛期に至る真理さんを支えた人です。そういう意味ではこの記事も今までの様々な記事と同様、プロデュースした側からの手柄話とも言えます。ただこの記事にはそれらと微妙に違うスタンスがあると感じます。
プレミアムボックスの解説の中に次のような中島さんの言葉が紹介されています。
「一番輝いて見える、そして、みんなが夢見るような女の子を作り上げた、そう思っています」
私はこれを読んだときにとても違和感を覚えました。なぜなら、<天地真理>というスターは粘土細工のように「作り上げる」ことができるものではないからです。真理さんは当時もマスコミによって「作られたアイドル」などと言われました。つまり真理さんの人気は渡辺プロの戦略によって生み出されたものだ、というのです。しかしそれなら同じ戦略をとれば誰でも真理さんのような人気が得られたはずです。実際、真理さん以降、同じような戦略で売り出そうとした人はいくらでもいました。しかし誰一人、真理さんの達したところに届いた人はいなかったのです。<天地真理>の人気は(当たり前のことなのですが)真理さん自身の魅力があってこそのことだったのです。しかしマスコミの側はいつも「どう作ったか」という話ばかりでした。少し前の渡辺晋を扱ったテレビ番組もそうでした。(なお、「作る」ということに関しては以前の記事で触れました。最後の「アーカイブ(過去記事)へ」をクリックして目次より「6 涙よりほほえみを」①②をご覧ください。)
【7/16 追記】
しかし今回の記事では少し違っています。こんな表現があります。「アイドル歌謡とは歌い手が“演じる”もの――中島はそう定義している。自然のままにアーティストが演じられれば、理想的と言える。そのために周囲のスタッフは懸命に努力を重ねる。いわば“作り込み”の作業だ。」
「作り上げる」ではなく「作り込み」と言っているのです。それが中島さんの言葉か、この筆者の言葉かは判然としませんが、おそらく中島さんの言葉を受けての表現だと思います。この記事の中では「アーティスト」という言葉も頻繁に使われています。主体はあくまで歌手=アーティストであり、スタッフはその魅力を最大限高めるために作り込む、という関係がそこに見えてきます。いちいち引用は控えますが本文を読めば、NNKトリオ(中曽根・中島・菊池/*私の勝手な命名です)が果たしていたのはそういう役割であったと読めます。中島さんは「天地にはフォークの世界しかない」と考えていたし中曽根さんも同様だったでしょう。しかし容姿や声質を含めてもっと大きな可能性を見て「アイドル」という方向性が選択されたのです。
私は上記の記事「涙よりほほえみを②」の最後に<かつての真理さんが現代に現れたなら、「アイドル」ではなく「アーティスト」と呼ばれたでしょう>と書きましたが、中島さんたちはアーティスト天地真理を世間に知らしめるために「アイドル」として育てようと考えたということでしょう。
【7/19 追記】
真理さんのファンの中には、アイドルではなくフォークシンガーという道を進んでいたらもっと息長く活躍できたのではないかと考える人たちが少なからずいます。真理さんのうたを高く評価する人ほどそういう傾向があるのではないでしょうか。
私自身も、その後の真理さんの人生を考えると、そう思わないでもありません。しかし真理さんが純粋にフォークシンガーだったらおそらく私は真理さんのうたに出会っていなかったろうと思います。真理さんのファーストアルバムに収録されている曲はフォークとしてはヒットして大衆的によく知られていた曲だと思いますが、私はほとんどの曲をこのアルバムで、つまり真理さんのうたで初めて聴いたのです。つまり”本家”は聴いたことがなかったのです。当時クラシックしか聴いていなかった私の場合は少し極端だとしても、普通に“歌謡曲”をきいていた人たちでもフォークとは縁遠いという人は結構多かったのではないでしょうか。私が真理さんのうたに出会ったのはおそらくどこかの街角です。当時は街の中ではあちこちで流行歌が流れていて、「水色の恋」が私の耳にも届いたのです。ですから一定の“流行”がなければ私は真理さんの歌に出会わなかったに違いありません。その意味ではNNKトリオの選択は間違っていなかったのです。
人気だけではありません。もしフォークという枠にこだわっていたら、「ひとりじゃないの」も生まれなかったし、私がたびたびシングルNo1として挙げている「恋と海とTシャツと」「空いっぱいの幸せ」の名唱も聴けなかったのです。真理さんの可能性を大きく広げようとしてNNKトリオが「アイドル」を選択し、それを真理さんが自分の資質で受け止めて、類型でない、天地真理しか歌えない<うた>を歌ったと私は理解しています。
ただその選択が真理さんの人生にとって幸せだったのかということについては私は何とも言えません。ただこの特集の最後の真理さん自身の言葉がひとつの回答になっているように思います。
【7/19 さらに追記】
少し私自身の想いにずれてしまいましたが、ともかくこの特集は「アイドル天地真理」の誕生を、ただ「可愛かった」と言った粗雑な分析(?)ではなく、彼女の持つ資質と才能を前提として、それがスタッフの“作り込み”によって開花していく過程を丁寧に追っていて、その意味で一定の水準のものであり、分量的にもよくつくってくれたと思います。もちろん覗き見週刊誌の低劣な記事とは比較になりません。
ただそういう評価を前提としたうえで、よりすぐれた内容を期待する意味で、もう少し考えてみたいことがありますので、それはページを改めて続けたいと思います。
アーカイブ(過去記事)へ
「空いっぱいの幸せ」へ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
なお、入手したばかりですので、最初は簡単な紹介だけとして、その後、付け足して行きたいと思います。
さて、その雑誌ですがクレタパブリッシング発行の「昭和40年男」という雑誌です。私はこういう雑誌があることも知りませんでしたが、その名の通り昭和40年(1965年)生まれ(あるいはその前後の世代)の男性を主な対象とした雑誌のようです。
7月11日発行の8月号はまず特集「俺たちの角川映画」が半分弱の60ページほどを占めています。次に「連載特集」ということで昭和40年生まれが6歳だった昭和46年にスポットを当てた30ページほどの特集があります。そしてその中に「天地真理 『水色の恋』でデビュー」という記事があるのです。

内容はそのタイトル「日本中が夢中になった みんなの真理ちゃん」に集約されていると思います。冒頭に「『水色の恋』が発売された71年以前、日本にアイドル歌手は存在しなかった。天地はアイドルの先駆けであり、世代や性別の壁を超えて大衆的人気をさらった数少ない、最大の成功例と言える」とあるように天地真理の存在を時代の中にきちんと位置付け評価していて(本来はそれが当たり前で特筆することではないのですが)良質の記事と言えると思います。
【7/13 追記】
記事は主として中島二千六さんの話をベースにしています。中島さんは当時渡辺音楽出版の立場で、CBSソニー(当時)の中曽根皓二ディレクター、渡辺プロの菊池哲栄マネージャーとともにデビューから全盛期に至る真理さんを支えた人です。そういう意味ではこの記事も今までの様々な記事と同様、プロデュースした側からの手柄話とも言えます。ただこの記事にはそれらと微妙に違うスタンスがあると感じます。
プレミアムボックスの解説の中に次のような中島さんの言葉が紹介されています。
「一番輝いて見える、そして、みんなが夢見るような女の子を作り上げた、そう思っています」
私はこれを読んだときにとても違和感を覚えました。なぜなら、<天地真理>というスターは粘土細工のように「作り上げる」ことができるものではないからです。真理さんは当時もマスコミによって「作られたアイドル」などと言われました。つまり真理さんの人気は渡辺プロの戦略によって生み出されたものだ、というのです。しかしそれなら同じ戦略をとれば誰でも真理さんのような人気が得られたはずです。実際、真理さん以降、同じような戦略で売り出そうとした人はいくらでもいました。しかし誰一人、真理さんの達したところに届いた人はいなかったのです。<天地真理>の人気は(当たり前のことなのですが)真理さん自身の魅力があってこそのことだったのです。しかしマスコミの側はいつも「どう作ったか」という話ばかりでした。少し前の渡辺晋を扱ったテレビ番組もそうでした。(なお、「作る」ということに関しては以前の記事で触れました。最後の「アーカイブ(過去記事)へ」をクリックして目次より「6 涙よりほほえみを」①②をご覧ください。)
【7/16 追記】
しかし今回の記事では少し違っています。こんな表現があります。「アイドル歌謡とは歌い手が“演じる”もの――中島はそう定義している。自然のままにアーティストが演じられれば、理想的と言える。そのために周囲のスタッフは懸命に努力を重ねる。いわば“作り込み”の作業だ。」
「作り上げる」ではなく「作り込み」と言っているのです。それが中島さんの言葉か、この筆者の言葉かは判然としませんが、おそらく中島さんの言葉を受けての表現だと思います。この記事の中では「アーティスト」という言葉も頻繁に使われています。主体はあくまで歌手=アーティストであり、スタッフはその魅力を最大限高めるために作り込む、という関係がそこに見えてきます。いちいち引用は控えますが本文を読めば、NNKトリオ(中曽根・中島・菊池/*私の勝手な命名です)が果たしていたのはそういう役割であったと読めます。中島さんは「天地にはフォークの世界しかない」と考えていたし中曽根さんも同様だったでしょう。しかし容姿や声質を含めてもっと大きな可能性を見て「アイドル」という方向性が選択されたのです。
私は上記の記事「涙よりほほえみを②」の最後に<かつての真理さんが現代に現れたなら、「アイドル」ではなく「アーティスト」と呼ばれたでしょう>と書きましたが、中島さんたちはアーティスト天地真理を世間に知らしめるために「アイドル」として育てようと考えたということでしょう。
【7/19 追記】
真理さんのファンの中には、アイドルではなくフォークシンガーという道を進んでいたらもっと息長く活躍できたのではないかと考える人たちが少なからずいます。真理さんのうたを高く評価する人ほどそういう傾向があるのではないでしょうか。
私自身も、その後の真理さんの人生を考えると、そう思わないでもありません。しかし真理さんが純粋にフォークシンガーだったらおそらく私は真理さんのうたに出会っていなかったろうと思います。真理さんのファーストアルバムに収録されている曲はフォークとしてはヒットして大衆的によく知られていた曲だと思いますが、私はほとんどの曲をこのアルバムで、つまり真理さんのうたで初めて聴いたのです。つまり”本家”は聴いたことがなかったのです。当時クラシックしか聴いていなかった私の場合は少し極端だとしても、普通に“歌謡曲”をきいていた人たちでもフォークとは縁遠いという人は結構多かったのではないでしょうか。私が真理さんのうたに出会ったのはおそらくどこかの街角です。当時は街の中ではあちこちで流行歌が流れていて、「水色の恋」が私の耳にも届いたのです。ですから一定の“流行”がなければ私は真理さんの歌に出会わなかったに違いありません。その意味ではNNKトリオの選択は間違っていなかったのです。
人気だけではありません。もしフォークという枠にこだわっていたら、「ひとりじゃないの」も生まれなかったし、私がたびたびシングルNo1として挙げている「恋と海とTシャツと」「空いっぱいの幸せ」の名唱も聴けなかったのです。真理さんの可能性を大きく広げようとしてNNKトリオが「アイドル」を選択し、それを真理さんが自分の資質で受け止めて、類型でない、天地真理しか歌えない<うた>を歌ったと私は理解しています。
ただその選択が真理さんの人生にとって幸せだったのかということについては私は何とも言えません。ただこの特集の最後の真理さん自身の言葉がひとつの回答になっているように思います。
【7/19 さらに追記】
少し私自身の想いにずれてしまいましたが、ともかくこの特集は「アイドル天地真理」の誕生を、ただ「可愛かった」と言った粗雑な分析(?)ではなく、彼女の持つ資質と才能を前提として、それがスタッフの“作り込み”によって開花していく過程を丁寧に追っていて、その意味で一定の水準のものであり、分量的にもよくつくってくれたと思います。もちろん覗き見週刊誌の低劣な記事とは比較になりません。
ただそういう評価を前提としたうえで、よりすぐれた内容を期待する意味で、もう少し考えてみたいことがありますので、それはページを改めて続けたいと思います。
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コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。