11月5日
11月5日は天地真理さんの誕生日ですね。
天地真理さん、お誕生日おめでとうございます
誕生日を迎えるたび、当然一つずつ歳をとられてきたはずですが、私の印象ではここ数年、かえって若々しくなられてきたように感じます。
今年もお元気で誕生日を迎えられたことを喜びたいと思います。
さてここ3年間、この日は「誕生日スペシャル」ということで皆さんのリクエスト曲で構成してきましたが、今回は「11月5日」にちなんだお話にしたいと思います。
天地真理さんは1971年10月1日、「水色の恋」で歌手デビューすると短期間でヒットチャートを駆け上がり、早くも大ヒットの兆しが見えていました。そんな中、約一か月後の11月5日には真理さんの20歳の誕生日パーティーが開かれました。その時のことを真理さんは次のように書いています。
この日は私の20歳の誕生日だったんです。
いつも、私はお母さんと二人で誕生日を祝ってきました。だからその時も、お母さんや事務所の人たちと、ささやかに誕生バーティをするつもりでいたのです。
ところが、会場のスナックに出かけてみると、CBSソニーの社長さんをはじめ、ブロダクションの副社長さん、それに報道関係の方々……と、会場に入りきれないほどの大勢の人たちが集って、私の誕生日を祝って下さったのです。
「こんなに皆さんから可愛がってもらって、お前は本当にしあわせ者だよ」 お母さんはそう私に小声で告げると同時に、そっとハンカチを出して目頭をおさえました。
私をこれまでにするのにお母さんはどれほど苦労したことでしょう。
片親の寂しさを味合わせないようにと、私のやりたいことを自由にやらせてくれたお母さん。仕事を休んで父兄会に来てくれたお母さん。ギターがほしいといえば、すぐに財布の底をはたいて買ってくれたお母さん……私の胸も思わずジーンと熱くなりました。
デビューして2年間には、さまざまな思い出が残っていますが、この20歳の誕生パーティの事が一番印象深く、私の胸に生きつづけているのでした。 (「近代映画」天地真理スペシャル 1973.6 )
プロ歌手として歩み始めた真理さんにとって忘れられない誕生日だったようです。
しかし、実はプロ歌手への道は1年前の11月5日に始まっていたのです。
1970年11月5日、真理さんは合歓の郷で開かれたヤマハの第2回作曲コンクールに出場していました。このコンクールは第4回からヤマハ・ポピュラー・コンテストと改名されポプコンという略称でその後親しまれたものです。真理さんはこの年、高校を卒業しヤマハ・ヴォーカルスクールで学んでいましたが、「譜面歌手」という形でこのコンクールに出場していたのです。「譜面歌手」というのは譜面応募の歌を歌う歌手ということのようですが、私の推測では歌手の指定がない場合スクール生から選ばれて歌ったのではないでしょうか。出場歌手の一覧を見ると、弘田三枝子、尾崎紀世彦、本田路津子、赤い鳥などそうそうたるプロ歌手と並んで「斉藤マリ」という名が記されています。歌った曲はJune Chun作詞作曲の「OTHERWISE」でした。
どんな歌だったのでしょうか。
(この動画は現在Youtubeでは見られません。作者の方がわからなくなりましたが、問題あればご連絡ください)
どうでしょうか?アマチュアとは思えない堂々とした歌いぶりですね。
以前からCBSソニーの中曽根ディレクターから誘われていた真理さんがプロデビューを決断したのは11月ということですから、このコンクールでの経験と自信がきっかけだったのかもしれません。
なお、この歌詞を聴き取り訳してくださったファンの方たちがおられます。かなり前のことになってしまいましたが、この頃はよくこんな風にコメントの対話がありました。
http://anotoki.seesaa.net/article/135376576.html
http://anotoki.seesaa.net/article/162205838.html
なお、このコンクールでは「小さな私」という曲がエントリーされ藤田とし子さんが歌われましたが、真理さんはこの曲の楽譜を見て気に入り自分でも機会あるごとに歌っていました。それがデビュー曲「水色の恋」の原曲です。ポプコンは「あなた」など数多くのヒット曲を生みましたが、実は最初の大ヒット曲は「水色の恋」だったのです。ですから真理さんは第3回のコンクールにゲストとして招かれ、いわば凱旋出場を果たしています。
もう一つ、11月5日についての個人的な思い出を書かせてください。
実は私が天地真理さんのファンサイトに初めて投稿したのが2004年(または2005年)の11月5日でした。投稿先は、今は休止されていますがHP「はばたけ真理ちゃん」の掲示板でした。初めてだったので下書きを書いたらしくファイルが残っていました。次の文がそうですが、ある方のコメントへの返信として出したものです。文中の〈すべての「ハッピーソング」の極北〉という言葉は元のコメントにあった言葉です。
そうですね。今日は真理さんの誕生日。おめでとうございます。
そして、ほんとうに気持ちのいい秋晴れでした。まさに『空いっぱいの幸せ』が聞こえてくるような日でした。『空いっぱいの幸せ』は私にとっても「My favorite song」 。彼女のシングル曲の中でも愛してやまない3曲の一つです。(他の2曲は『恋と海とTシャツと』『虹をわたって』)
私はちょっとした畑を借りていて休みの時には土をいじったりしていますが、今日はまわりにも誰一人見かけず、ふと目を上げると、どこまでも高く晴れわたった青空のもと、周りの山々の紅葉も盛りとなって、神秘なほどに多彩な色が見事な調和を見せていました。おもわず「世界はなんて美しいのだろう」と心の底からよろこびがあふれてきました。同時にこの美しい世界に自分ひとりしか存在しないようなたとえようのない寂しさも感じました。実はこの感覚こそ真理さんの「うた」の本質だと私は思うのです。あふれるような「よろこび」と表面には出ないがそこにひっそりと寄り添っている孤独。それこそ他の歌手の誰も表現できなかった彼女の魅力であり、それが最も見事に表現されているのが上記の3曲だと思っています。そのなかでもとりわけ『空いっぱいの幸せ』は余分な装飾を削り取って「よろこび」が最も純化した形で歌われている曲だと思います。まさに〈 すべての「ハッピーソング」の極北 〉、こんな「うた」を聴くことができることこそまさに幸せです。
あれからもう10年以上経ったのかと思うと様々な感慨がありますが、あの時の青空に映える紅葉に彩られた山々の美しさは忘れません。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)11月9日は「秋のリクエストスペシャル」、16日は「黄昏の昭和歌謡」(夕陽、夕焼など)、30日は「振り返る昭和歌謡」(追憶、思い出など)です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
「天地真理特集」を実現するために、リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
天地真理さん、お誕生日おめでとうございます
誕生日を迎えるたび、当然一つずつ歳をとられてきたはずですが、私の印象ではここ数年、かえって若々しくなられてきたように感じます。
今年もお元気で誕生日を迎えられたことを喜びたいと思います。
さてここ3年間、この日は「誕生日スペシャル」ということで皆さんのリクエスト曲で構成してきましたが、今回は「11月5日」にちなんだお話にしたいと思います。
天地真理さんは1971年10月1日、「水色の恋」で歌手デビューすると短期間でヒットチャートを駆け上がり、早くも大ヒットの兆しが見えていました。そんな中、約一か月後の11月5日には真理さんの20歳の誕生日パーティーが開かれました。その時のことを真理さんは次のように書いています。
この日は私の20歳の誕生日だったんです。
いつも、私はお母さんと二人で誕生日を祝ってきました。だからその時も、お母さんや事務所の人たちと、ささやかに誕生バーティをするつもりでいたのです。
ところが、会場のスナックに出かけてみると、CBSソニーの社長さんをはじめ、ブロダクションの副社長さん、それに報道関係の方々……と、会場に入りきれないほどの大勢の人たちが集って、私の誕生日を祝って下さったのです。
「こんなに皆さんから可愛がってもらって、お前は本当にしあわせ者だよ」 お母さんはそう私に小声で告げると同時に、そっとハンカチを出して目頭をおさえました。
私をこれまでにするのにお母さんはどれほど苦労したことでしょう。
片親の寂しさを味合わせないようにと、私のやりたいことを自由にやらせてくれたお母さん。仕事を休んで父兄会に来てくれたお母さん。ギターがほしいといえば、すぐに財布の底をはたいて買ってくれたお母さん……私の胸も思わずジーンと熱くなりました。
デビューして2年間には、さまざまな思い出が残っていますが、この20歳の誕生パーティの事が一番印象深く、私の胸に生きつづけているのでした。 (「近代映画」天地真理スペシャル 1973.6 )
プロ歌手として歩み始めた真理さんにとって忘れられない誕生日だったようです。
しかし、実はプロ歌手への道は1年前の11月5日に始まっていたのです。
1970年11月5日、真理さんは合歓の郷で開かれたヤマハの第2回作曲コンクールに出場していました。このコンクールは第4回からヤマハ・ポピュラー・コンテストと改名されポプコンという略称でその後親しまれたものです。真理さんはこの年、高校を卒業しヤマハ・ヴォーカルスクールで学んでいましたが、「譜面歌手」という形でこのコンクールに出場していたのです。「譜面歌手」というのは譜面応募の歌を歌う歌手ということのようですが、私の推測では歌手の指定がない場合スクール生から選ばれて歌ったのではないでしょうか。出場歌手の一覧を見ると、弘田三枝子、尾崎紀世彦、本田路津子、赤い鳥などそうそうたるプロ歌手と並んで「斉藤マリ」という名が記されています。歌った曲はJune Chun作詞作曲の「OTHERWISE」でした。
どんな歌だったのでしょうか。
(この動画は現在Youtubeでは見られません。作者の方がわからなくなりましたが、問題あればご連絡ください)
どうでしょうか?アマチュアとは思えない堂々とした歌いぶりですね。
以前からCBSソニーの中曽根ディレクターから誘われていた真理さんがプロデビューを決断したのは11月ということですから、このコンクールでの経験と自信がきっかけだったのかもしれません。
なお、この歌詞を聴き取り訳してくださったファンの方たちがおられます。かなり前のことになってしまいましたが、この頃はよくこんな風にコメントの対話がありました。
http://anotoki.seesaa.net/article/135376576.html
http://anotoki.seesaa.net/article/162205838.html
なお、このコンクールでは「小さな私」という曲がエントリーされ藤田とし子さんが歌われましたが、真理さんはこの曲の楽譜を見て気に入り自分でも機会あるごとに歌っていました。それがデビュー曲「水色の恋」の原曲です。ポプコンは「あなた」など数多くのヒット曲を生みましたが、実は最初の大ヒット曲は「水色の恋」だったのです。ですから真理さんは第3回のコンクールにゲストとして招かれ、いわば凱旋出場を果たしています。
もう一つ、11月5日についての個人的な思い出を書かせてください。
実は私が天地真理さんのファンサイトに初めて投稿したのが2004年(または2005年)の11月5日でした。投稿先は、今は休止されていますがHP「はばたけ真理ちゃん」の掲示板でした。初めてだったので下書きを書いたらしくファイルが残っていました。次の文がそうですが、ある方のコメントへの返信として出したものです。文中の〈すべての「ハッピーソング」の極北〉という言葉は元のコメントにあった言葉です。
そうですね。今日は真理さんの誕生日。おめでとうございます。
そして、ほんとうに気持ちのいい秋晴れでした。まさに『空いっぱいの幸せ』が聞こえてくるような日でした。『空いっぱいの幸せ』は私にとっても「My favorite song」 。彼女のシングル曲の中でも愛してやまない3曲の一つです。(他の2曲は『恋と海とTシャツと』『虹をわたって』)
私はちょっとした畑を借りていて休みの時には土をいじったりしていますが、今日はまわりにも誰一人見かけず、ふと目を上げると、どこまでも高く晴れわたった青空のもと、周りの山々の紅葉も盛りとなって、神秘なほどに多彩な色が見事な調和を見せていました。おもわず「世界はなんて美しいのだろう」と心の底からよろこびがあふれてきました。同時にこの美しい世界に自分ひとりしか存在しないようなたとえようのない寂しさも感じました。実はこの感覚こそ真理さんの「うた」の本質だと私は思うのです。あふれるような「よろこび」と表面には出ないがそこにひっそりと寄り添っている孤独。それこそ他の歌手の誰も表現できなかった彼女の魅力であり、それが最も見事に表現されているのが上記の3曲だと思っています。そのなかでもとりわけ『空いっぱいの幸せ』は余分な装飾を削り取って「よろこび」が最も純化した形で歌われている曲だと思います。まさに〈 すべての「ハッピーソング」の極北 〉、こんな「うた」を聴くことができることこそまさに幸せです。
あれからもう10年以上経ったのかと思うと様々な感慨がありますが、あの時の青空に映える紅葉に彩られた山々の美しさは忘れません。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)11月9日は「秋のリクエストスペシャル」、16日は「黄昏の昭和歌謡」(夕陽、夕焼など)、30日は「振り返る昭和歌謡」(追憶、思い出など)です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
「天地真理特集」を実現するために、リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。