「時代をプロデュースした者たち 渡辺晋」
追記あります。(この色の部分)
4月26日、NHKBS1で 「時代をプロデュースした者たち 渡辺晋」という番組がありました。渡辺晋とは渡辺プロダクションの社長だった人です。戦後、ジャズプレイヤーから芸能ビジネスへ転じ、渡辺プロダクションを創設してウェスタンカーニバルの成功を皮切りに若者の求める新しい音楽文化を企画し、戦後の大衆文化に大きな役割を果たした人と言ったらいいでしょう。他のことは省きますが、番組ではその一つとして<アイドル>をつくりだしたということも取り上げ、その第1号であり代表として天地真理さんについて紹介されていました。
番組の予告が他のチャンネルでも何回かあり、真理さんの映像が出るらしいということはファンの皆さんの中でも話題になっていました。私は、渡辺プロの話なのだから真理さんの映像くらい出るのは当たり前だろうと思って特別の期待はもっていませんでした。しかし、番組を実際に見て驚きました。非常に詳しく取り上げられていたからです。
その録画をsakuraさんが掲示板で紹介してくださっていますのでご覧ください。
いかがだったでしょうか。時間的には6分ほどですが、渡辺プロのタレントで一人にこれほど時間をかけたケースはありませんでしたし、菊池さんや中島さんの証言などかなり手間をかけていて破格の扱いでした。さらに思いがけない映像と歌声もあり、ファンの皆さんの中で喜びの声が上がっているのもわかります。
ただ、私自身はとても不愉快でした。それは「天地真理は渡辺プロがつくった」という”手柄話”に終始していたからです。そもそも事実関係さえでたらめでした。まず71年に渡辺晋の指示で売り出すためのプロジェクトチームがつくられ、そこで「清純」とか「手が届きそうで届かない」「お姫様だけど気さくな感じ、たとえば白雪姫」などというコンセプトが決まり、「白雪姫のイメージを打ち出す番組に出演させる」ということで「時間ですよ」に出演することになったということでした。いかにも真理さんを売りだすために社長直々の指示で強力な態勢をとっていたように描かれていました。しかし当時のマネージャー菊池さんは次のように語っています。(全体はこちら)
当時、渡辺プロは会社を挙げて小柳ルミ子を売ろうとしたわけです。同時期にアイドルは2人も必要ないですし、こっちは全然ダークホース。向こうは大人数に対して、こちらは私とCBSソニーの中曾根さん、渡辺音楽出版の中島さんの3人でやっていました。もちろん全社挙げての小柳ルミ子はドーンと売れるわけですよ。こっちはこっちでギリギリベストテンに入ったくらいで、「これくらいがちょうどいいな」と思っていたんですが、2曲目の「ちいさな恋」で1位になっちゃうんですよね。
渡辺プロが全社挙げて取り組んでいたのは小柳ルミ子さんだったのです。他の証言や状況証拠(デビュー月など)を見ても渡辺プロは真理さんに特に期待していたとは思えません。当然そんなコンセプトが最初から決まっていたとは私には考えられないのです。「清純」とか「手が届きそうで届かない」とかの誰でもいいようなものはともかく、「白雪姫」というイメージがその会議で生まれたように言っているのは嘘でしょう。そのすぐ後で菊池さんが証言しているように「白雪姫」は「キャッチフレーズが必要」ということで出てきた言葉です。ファンの方ならご存知の通り、正確には「あなたの心のとなりにいるソニーの白雪姫」です。「となり」は「時間ですよ」での「となりの真理ちゃん」からとられたものでしょうし、「白雪姫」は「水色の恋」の歌詞「白雪姫みたいな」からとったものでしょう。 つまり実はよせ集めてその場の思い付きでつくられたものではないでしょうか。菊池さんが「笑っちゃいますよね」と言っているのはそういう経過も含めて、その程度のものと考えていたということでしょう。キャッチフレーズというのはデビュー時の印象付けに必要なだけでほどなく忘れ去られてしまうものです。皆さんは他の歌手のキャッチフレーズを覚えていますか?当事者である菊池さんたちも「白雪姫」というキャッチフレーズがその後真理さんの代名詞のようになるとは思ってもみなかったはずです。ですから渡辺プロが独自に「白雪姫」というコンセプトを考えたなどと言うことは私には全く信じられません。もしそうだったとしたら、どうして「ソニーの」と言う言葉が入るのでしょう。「白雪姫」のイメージを打ち出したいというなら「ソニーの」はない方がいいに決まっています。これはこのキャッチフレーズがソニー主導で決まったことを物語っているのではないでしょうか。
※入社当時の渡辺プロと真理さんの関係がわかる動画が「ちっちゃいちっちゃい足跡」で期間限定で紹介されています。真理さん自身の証言もあります。
最初から「白雪姫」のイメージがあったわけではないと私が考えるもう一つの根拠は「水色の恋」のB面「風を見た人」です。ご存知の方はわかるように暗い情念が渦巻くような曲で「白雪姫」のイメージとは無縁です。デビュー曲の候補はいくつかあったということですからこの曲もその一つだったのでしょう。もし「白雪姫のイメージで」ということが始めから決まっていたのならこんな曲はつくられなかったでしょう。
ただ真理さんがこのキャッチフレーズを掲げて「水色の恋」でデビューするとマスコミは「白雪姫」を面白がり枕詞のように使ったので、キャッチフレーズから「白雪姫」だけが独り歩きを始め、「天地真理」と分かちがたいものとなっていったのは事実で、「ちいさな恋」からはまさに「白雪姫」をコンセプトとして性格づけや曲作りがされていくことになったのでしょう。渡辺プロが初めから「白雪姫」というコンセプトを立てていたと言うのは後出しじゃんけんのようなもので、結果が良かったから「俺は最初からそう思っていたんだ」と言うようなものだと私は思っています。
それから、「白雪姫のイメージを打ち出す番組に出演させる」ということで「時間ですよ」に出演することになったというのも事実ではありませんね。ある雑誌で読んだところでは、真理さんは渡辺プロに入社したけれどまだ実際の仕事がなく毎日必ず会社に行っていたわけではなかったがある日たまたま出社したところマネージジャー(菊池さんでしょう)に「ちょうどいいところに来た。これからオーディションの申込書を持っていくところなので一緒に行こう」と声を掛けられ、初めて聞く話だったが一緒に書類を出しに行ったと言うのです。これが「時間ですよ」のオーディションだったのですね。ですからこれもたまたまであったわけです。菊池さんはこう言っています。
それでTBSドラマ「時間ですよ」のオーディションを受けさせたんです。オーディションの役は風呂屋のお手伝いさん役で、天地真理には全然合わないなと思いましたが、「まあいいや」と(笑)。するとオーディションに受かっちゃって、しかもそのお手伝いさん役ではなく、天地真理用に新たに役を作ると言うんです。一説には森光子さんが「真理ちゃんのために新たな役を」とおっしゃってくれたらしいんですが、ディレクターの久世光彦さんも「任せておけ」と言ってくれましてね。
「時間ですよ」オーディションの顛末は非常によく知られている話なのにこの番組では「白雪姫のイメージを打ち出す番組」に出演させたと言っていました。でも、実際に募集していたのは「白雪姫」ではなく「風呂屋のお手伝いさん役」だったのです。菊池さん自身も真理さんには合わないとわかっていたのです。でも、「まあいいや」と、これまた軽い気持ちで出したところ思わぬ展開になって新しい役がつくられることになったというわけです。すべて菊池さんの独断で渡辺プロが組織的に仕組んだものでは全くなかったのです。(菊池さんは自分は会社の中では変人扱いされていたと言っています) 申し込んだ菊池さんさえ予想もしない結果だったのに、渡辺プロが最初からそういう展開を知っていたというなら超能力以外ありえません。これも後出しじゃんけんですね。
なお、菊池さんの話からは「となりの真理ちゃん」というキャラクターも渡辺プロではなく、森光子さんの強い推薦で新しい役を作ることになった久世さんが考えたものだということがわかりますね。
まだあります。番組では「水色の恋」がヒットすると渡辺晋は「すかさず次の手」を打ちテレビの冠番組をつくったと言っています。しかし「真理ちゃんとデイト」は1972年10月スタートです。「すかさず」つくったにしてはどうして一年もかかったのでしょう。また「新曲を出せば必ずこの番組で歌うという仕掛け」をつくったと言っていて真理ちゃんシリーズが新曲のヒットに大きな役割を果たしたかのように言っていましたが、「真理ちゃんとデイト」開始以前に「ちいさん恋」「ひとりじゃないの」がすでに大ヒットしているのです。「仕掛け」などなくてもオリコン1位を連続して獲得して「天地真理」人気は天井知らずの上昇を続けていたのです。そしてそういう人気があったからこそ、デビューからたった一年の若い歌手が冠番組を持つという前代未聞のことが可能になったのです。つまり因果関係は全く逆で、冠番組で人気を得たのではなく、異例の人気があったからこそそういうことが可能になったのです。真理ちゃんシリーズは低年齢層が主たる対象でしたから、子どもたちには大いにアピールしたでしょう。しかし(私もそうでしたが)一定以上の年齢ではファンでさえみんなが熱心に見ていたとは言えないのではないでしょうか。ましてファン以外の人には、そこで新曲を歌っても特に効果があったとは思われません。
この渡辺晋の番組を担当したプロデューサーは当時は10歳くらいだったようですから真理ちゃんシリーズを見ていたかわかりませんが当然「天地真理」は知っていたでしょう。でもそれはあくまで“子供の眼”にとどまっていたでしょう。それは当然のことですが、この番組をつくるにあたってもあまりしっかりと調べたようには思えません。なぜなら、「虹をわたって」「若葉のささやき」「恋する夏の日」のジャケットを映してこの3曲はオリコン1位になったと言っていますが、なぜか初のオリコン1位曲「ちいさん恋」や彼女の最大のヒット曲「ひとりじゃないの」には全く触れていないのです。真理さんが達成した3曲連続を含む5曲のオリコン1位獲得という記録はまさに前人未到だったわけですが、そういう初歩的な事実さえ知らないのかもしれません。ですから渡辺プロ関係者の「天地真理はわれわれがつくった」という手柄話を信じてしまって、事実の検証さえしなかったのでしょう。番組では「渡辺晋のこだわり」というものが深遠な意味を持っているかのように描かれていましたが、私にはそんなものが「天地真理」の人気に影響があったとは全く考えられません。たしかに渡辺プロの組織力というのは大きな力になったと思います。テレビ局やマスコミへの影響力は当然有利に働いたでしょう。しかし、「天地真理」の空前の人気は渡辺プロの<作戦>で生み出されたのではありません。菊池さんも「水色の恋」が「ギリギリベストテンに入ったくらいで、これくらいがちょうどいいな」と思っていたら「ちいさな恋」が1位になっちゃったと予想外の人気に驚いていたのです。真理さんの人気は渡辺プロの予想をはるかに超えてぐんぐん上がっていきました。それは真理さん自身がもっていた魅力と才能、誰をも幸せにしてしまう豊かな表情と心をときめかせ生きるよろこびを感じさせる歌声が多くの人々の心をとらえたからであり、大衆自身がそれを敏感に感じ取ったからなのです。
この番組は渡辺晋の業績を戦後史の中に位置づけるという趣旨のようです。しかしそのストーリーのために事実を勝手に作り出してはならないのは当然です。結局、真理さんに関しては、きちんとした検証をせず40年前の俗説(天地真理はつくられたアイドル)を無批判に復活させただけでした。真理さんをよく知らない人が見たら「天地真理はこんな風につくられたんだ」と無邪気に信じてしまうかもしれません。私が最初に「不愉快」といったのはこのことなのです。私たちが長い時間をかけてひとつひとつ覆してきたこんな俗説がマスコミの無責任な番組づくりによってまた広く流布されてはたまらないという気持ちです。
とはいえ、この番組では最初に書いたように、真理さんに焦点を当てた破格の扱いで、これを見て真理さんに興味を持つ人もいるかもしれません。また「真理ちゃんとデイト」のテーマソングを歌う映像はまさに<真理ちゃん>の魅力が全開で(私も吸い込まれるように見入ってしまいました)、当時の真理さんを知らない人が見ても「空前のアイドル」が誇張でないことを実感できるのではないでしょうか。しかしだからこそ事実をしっかり踏まえてつくってほしかったと思うのです。そうすることで渡辺晋ができたこととできなかったことがはっきりしてくるでしょう。一面的な成功物語ではなく、功罪それぞれを客観的に描いてこそ本来のストーリーもより深みのあるものにできたのではないでしょうか。
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リクエスト速報です。4月27日NHKFM「ミュージックプラザ」で「若葉のささやき」がかかりました。
リクエストは、埼玉の「柴犬」さん、神戸の「はつみ」さんでした。
この日の特集は「70年代フォークソング」でしたが、特集ではなく通常リクエストとしてかかりました。私はこの曲も考えたのですが、特集テーマにあわせて「あのすばらしい愛をもう一度」を天地真理さんで、というリクエストを出しました。曲はかかったのですが、真理さんではなく”本家”でした。カバーをかけてもらうのはなかなか難しいですね。
「若葉のささやき」はsakuraさんが掲示板に書いてくださっていますが、ミュージックプラザではこの季節に5年間で4回、最近3年は連続でかかっているということで、すっかりこの季節の定番曲になりましたね。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)5月11日は「岩崎宏美を迎えて」、18日は「風の70s」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
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4月26日、NHKBS1で 「時代をプロデュースした者たち 渡辺晋」という番組がありました。渡辺晋とは渡辺プロダクションの社長だった人です。戦後、ジャズプレイヤーから芸能ビジネスへ転じ、渡辺プロダクションを創設してウェスタンカーニバルの成功を皮切りに若者の求める新しい音楽文化を企画し、戦後の大衆文化に大きな役割を果たした人と言ったらいいでしょう。他のことは省きますが、番組ではその一つとして<アイドル>をつくりだしたということも取り上げ、その第1号であり代表として天地真理さんについて紹介されていました。
番組の予告が他のチャンネルでも何回かあり、真理さんの映像が出るらしいということはファンの皆さんの中でも話題になっていました。私は、渡辺プロの話なのだから真理さんの映像くらい出るのは当たり前だろうと思って特別の期待はもっていませんでした。しかし、番組を実際に見て驚きました。非常に詳しく取り上げられていたからです。
その録画をsakuraさんが掲示板で紹介してくださっていますのでご覧ください。
いかがだったでしょうか。時間的には6分ほどですが、渡辺プロのタレントで一人にこれほど時間をかけたケースはありませんでしたし、菊池さんや中島さんの証言などかなり手間をかけていて破格の扱いでした。さらに思いがけない映像と歌声もあり、ファンの皆さんの中で喜びの声が上がっているのもわかります。
ただ、私自身はとても不愉快でした。それは「天地真理は渡辺プロがつくった」という”手柄話”に終始していたからです。そもそも事実関係さえでたらめでした。まず71年に渡辺晋の指示で売り出すためのプロジェクトチームがつくられ、そこで「清純」とか「手が届きそうで届かない」「お姫様だけど気さくな感じ、たとえば白雪姫」などというコンセプトが決まり、「白雪姫のイメージを打ち出す番組に出演させる」ということで「時間ですよ」に出演することになったということでした。いかにも真理さんを売りだすために社長直々の指示で強力な態勢をとっていたように描かれていました。しかし当時のマネージャー菊池さんは次のように語っています。(全体はこちら)
当時、渡辺プロは会社を挙げて小柳ルミ子を売ろうとしたわけです。同時期にアイドルは2人も必要ないですし、こっちは全然ダークホース。向こうは大人数に対して、こちらは私とCBSソニーの中曾根さん、渡辺音楽出版の中島さんの3人でやっていました。もちろん全社挙げての小柳ルミ子はドーンと売れるわけですよ。こっちはこっちでギリギリベストテンに入ったくらいで、「これくらいがちょうどいいな」と思っていたんですが、2曲目の「ちいさな恋」で1位になっちゃうんですよね。
渡辺プロが全社挙げて取り組んでいたのは小柳ルミ子さんだったのです。他の証言や状況証拠(デビュー月など)を見ても渡辺プロは真理さんに特に期待していたとは思えません。当然そんなコンセプトが最初から決まっていたとは私には考えられないのです。「清純」とか「手が届きそうで届かない」とかの誰でもいいようなものはともかく、「白雪姫」というイメージがその会議で生まれたように言っているのは嘘でしょう。そのすぐ後で菊池さんが証言しているように「白雪姫」は「キャッチフレーズが必要」ということで出てきた言葉です。ファンの方ならご存知の通り、正確には「あなたの心のとなりにいるソニーの白雪姫」です。「となり」は「時間ですよ」での「となりの真理ちゃん」からとられたものでしょうし、「白雪姫」は「水色の恋」の歌詞「白雪姫みたいな」からとったものでしょう。 つまり実はよせ集めてその場の思い付きでつくられたものではないでしょうか。菊池さんが「笑っちゃいますよね」と言っているのはそういう経過も含めて、その程度のものと考えていたということでしょう。キャッチフレーズというのはデビュー時の印象付けに必要なだけでほどなく忘れ去られてしまうものです。皆さんは他の歌手のキャッチフレーズを覚えていますか?当事者である菊池さんたちも「白雪姫」というキャッチフレーズがその後真理さんの代名詞のようになるとは思ってもみなかったはずです。ですから渡辺プロが独自に「白雪姫」というコンセプトを考えたなどと言うことは私には全く信じられません。もしそうだったとしたら、どうして「ソニーの」と言う言葉が入るのでしょう。「白雪姫」のイメージを打ち出したいというなら「ソニーの」はない方がいいに決まっています。これはこのキャッチフレーズがソニー主導で決まったことを物語っているのではないでしょうか。
※入社当時の渡辺プロと真理さんの関係がわかる動画が「ちっちゃいちっちゃい足跡」で期間限定で紹介されています。真理さん自身の証言もあります。
最初から「白雪姫」のイメージがあったわけではないと私が考えるもう一つの根拠は「水色の恋」のB面「風を見た人」です。ご存知の方はわかるように暗い情念が渦巻くような曲で「白雪姫」のイメージとは無縁です。デビュー曲の候補はいくつかあったということですからこの曲もその一つだったのでしょう。もし「白雪姫のイメージで」ということが始めから決まっていたのならこんな曲はつくられなかったでしょう。
ただ真理さんがこのキャッチフレーズを掲げて「水色の恋」でデビューするとマスコミは「白雪姫」を面白がり枕詞のように使ったので、キャッチフレーズから「白雪姫」だけが独り歩きを始め、「天地真理」と分かちがたいものとなっていったのは事実で、「ちいさな恋」からはまさに「白雪姫」をコンセプトとして性格づけや曲作りがされていくことになったのでしょう。渡辺プロが初めから「白雪姫」というコンセプトを立てていたと言うのは後出しじゃんけんのようなもので、結果が良かったから「俺は最初からそう思っていたんだ」と言うようなものだと私は思っています。
それから、「白雪姫のイメージを打ち出す番組に出演させる」ということで「時間ですよ」に出演することになったというのも事実ではありませんね。ある雑誌で読んだところでは、真理さんは渡辺プロに入社したけれどまだ実際の仕事がなく毎日必ず会社に行っていたわけではなかったがある日たまたま出社したところマネージジャー(菊池さんでしょう)に「ちょうどいいところに来た。これからオーディションの申込書を持っていくところなので一緒に行こう」と声を掛けられ、初めて聞く話だったが一緒に書類を出しに行ったと言うのです。これが「時間ですよ」のオーディションだったのですね。ですからこれもたまたまであったわけです。菊池さんはこう言っています。
それでTBSドラマ「時間ですよ」のオーディションを受けさせたんです。オーディションの役は風呂屋のお手伝いさん役で、天地真理には全然合わないなと思いましたが、「まあいいや」と(笑)。するとオーディションに受かっちゃって、しかもそのお手伝いさん役ではなく、天地真理用に新たに役を作ると言うんです。一説には森光子さんが「真理ちゃんのために新たな役を」とおっしゃってくれたらしいんですが、ディレクターの久世光彦さんも「任せておけ」と言ってくれましてね。
「時間ですよ」オーディションの顛末は非常によく知られている話なのにこの番組では「白雪姫のイメージを打ち出す番組」に出演させたと言っていました。でも、実際に募集していたのは「白雪姫」ではなく「風呂屋のお手伝いさん役」だったのです。菊池さん自身も真理さんには合わないとわかっていたのです。でも、「まあいいや」と、これまた軽い気持ちで出したところ思わぬ展開になって新しい役がつくられることになったというわけです。すべて菊池さんの独断で渡辺プロが組織的に仕組んだものでは全くなかったのです。(菊池さんは自分は会社の中では変人扱いされていたと言っています) 申し込んだ菊池さんさえ予想もしない結果だったのに、渡辺プロが最初からそういう展開を知っていたというなら超能力以外ありえません。これも後出しじゃんけんですね。
なお、菊池さんの話からは「となりの真理ちゃん」というキャラクターも渡辺プロではなく、森光子さんの強い推薦で新しい役を作ることになった久世さんが考えたものだということがわかりますね。
まだあります。番組では「水色の恋」がヒットすると渡辺晋は「すかさず次の手」を打ちテレビの冠番組をつくったと言っています。しかし「真理ちゃんとデイト」は1972年10月スタートです。「すかさず」つくったにしてはどうして一年もかかったのでしょう。また「新曲を出せば必ずこの番組で歌うという仕掛け」をつくったと言っていて真理ちゃんシリーズが新曲のヒットに大きな役割を果たしたかのように言っていましたが、「真理ちゃんとデイト」開始以前に「ちいさん恋」「ひとりじゃないの」がすでに大ヒットしているのです。「仕掛け」などなくてもオリコン1位を連続して獲得して「天地真理」人気は天井知らずの上昇を続けていたのです。そしてそういう人気があったからこそ、デビューからたった一年の若い歌手が冠番組を持つという前代未聞のことが可能になったのです。つまり因果関係は全く逆で、冠番組で人気を得たのではなく、異例の人気があったからこそそういうことが可能になったのです。真理ちゃんシリーズは低年齢層が主たる対象でしたから、子どもたちには大いにアピールしたでしょう。しかし(私もそうでしたが)一定以上の年齢ではファンでさえみんなが熱心に見ていたとは言えないのではないでしょうか。ましてファン以外の人には、そこで新曲を歌っても特に効果があったとは思われません。
この渡辺晋の番組を担当したプロデューサーは当時は10歳くらいだったようですから真理ちゃんシリーズを見ていたかわかりませんが当然「天地真理」は知っていたでしょう。でもそれはあくまで“子供の眼”にとどまっていたでしょう。それは当然のことですが、この番組をつくるにあたってもあまりしっかりと調べたようには思えません。なぜなら、「虹をわたって」「若葉のささやき」「恋する夏の日」のジャケットを映してこの3曲はオリコン1位になったと言っていますが、なぜか初のオリコン1位曲「ちいさん恋」や彼女の最大のヒット曲「ひとりじゃないの」には全く触れていないのです。真理さんが達成した3曲連続を含む5曲のオリコン1位獲得という記録はまさに前人未到だったわけですが、そういう初歩的な事実さえ知らないのかもしれません。ですから渡辺プロ関係者の「天地真理はわれわれがつくった」という手柄話を信じてしまって、事実の検証さえしなかったのでしょう。番組では「渡辺晋のこだわり」というものが深遠な意味を持っているかのように描かれていましたが、私にはそんなものが「天地真理」の人気に影響があったとは全く考えられません。たしかに渡辺プロの組織力というのは大きな力になったと思います。テレビ局やマスコミへの影響力は当然有利に働いたでしょう。しかし、「天地真理」の空前の人気は渡辺プロの<作戦>で生み出されたのではありません。菊池さんも「水色の恋」が「ギリギリベストテンに入ったくらいで、これくらいがちょうどいいな」と思っていたら「ちいさな恋」が1位になっちゃったと予想外の人気に驚いていたのです。真理さんの人気は渡辺プロの予想をはるかに超えてぐんぐん上がっていきました。それは真理さん自身がもっていた魅力と才能、誰をも幸せにしてしまう豊かな表情と心をときめかせ生きるよろこびを感じさせる歌声が多くの人々の心をとらえたからであり、大衆自身がそれを敏感に感じ取ったからなのです。
この番組は渡辺晋の業績を戦後史の中に位置づけるという趣旨のようです。しかしそのストーリーのために事実を勝手に作り出してはならないのは当然です。結局、真理さんに関しては、きちんとした検証をせず40年前の俗説(天地真理はつくられたアイドル)を無批判に復活させただけでした。真理さんをよく知らない人が見たら「天地真理はこんな風につくられたんだ」と無邪気に信じてしまうかもしれません。私が最初に「不愉快」といったのはこのことなのです。私たちが長い時間をかけてひとつひとつ覆してきたこんな俗説がマスコミの無責任な番組づくりによってまた広く流布されてはたまらないという気持ちです。
とはいえ、この番組では最初に書いたように、真理さんに焦点を当てた破格の扱いで、これを見て真理さんに興味を持つ人もいるかもしれません。また「真理ちゃんとデイト」のテーマソングを歌う映像はまさに<真理ちゃん>の魅力が全開で(私も吸い込まれるように見入ってしまいました)、当時の真理さんを知らない人が見ても「空前のアイドル」が誇張でないことを実感できるのではないでしょうか。しかしだからこそ事実をしっかり踏まえてつくってほしかったと思うのです。そうすることで渡辺晋ができたこととできなかったことがはっきりしてくるでしょう。一面的な成功物語ではなく、功罪それぞれを客観的に描いてこそ本来のストーリーもより深みのあるものにできたのではないでしょうか。
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リクエスト速報です。4月27日NHKFM「ミュージックプラザ」で「若葉のささやき」がかかりました。
リクエストは、埼玉の「柴犬」さん、神戸の「はつみ」さんでした。
この日の特集は「70年代フォークソング」でしたが、特集ではなく通常リクエストとしてかかりました。私はこの曲も考えたのですが、特集テーマにあわせて「あのすばらしい愛をもう一度」を天地真理さんで、というリクエストを出しました。曲はかかったのですが、真理さんではなく”本家”でした。カバーをかけてもらうのはなかなか難しいですね。
「若葉のささやき」はsakuraさんが掲示板に書いてくださっていますが、ミュージックプラザではこの季節に5年間で4回、最近3年は連続でかかっているということで、すっかりこの季節の定番曲になりましたね。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)5月11日は「岩崎宏美を迎えて」、18日は「風の70s」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
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