消えたもの
(1/22 ちょっとだけ追記しました)
今回は年賀状を読みながら考えたことです。
年賀状を出すのはひと仕事ですね。私はこれまで使っていた葉書印刷ソフトがウィンドウズ8で使えず、昨年末はだいぶ苦労しました。印刷自体は他の手段でできますが、住所録が使えなかったからです。Vistaのノートパソコンに移してやろうと思ったら、今度はそのノートパソコンの電源が入らなくなって修理に出したりと、てんやわんやの末、何とか間に合わせました。
そこまでして出さなくてもいいかな、と思ったりもしましたが、届いた年賀状を読んでいると、やはり一年に一度の便りでもうれしいなと思いました。(真理さん、真保さんからもいただきました。ありがとうございました。)
若い人はメールで済ます人も多いようですが、やはり手にもって見るというのは、たとえ印刷された文字であっても親しさが違うように感じるのは古い人間だからでしょうか。
私たちの世代は通信と言えば葉書や手紙が普通でした。もちろん手書きでしたから、文面だけでなく文字からもその人の気持ちが伝わってきたものです。
だから歌の中でも“小道具”として「手紙」がよく使われました。真理さんの歌の中にもあります。
たとえば『海にたくした願い』は手紙そのものがテーマになった曲ですね。
こういった経験は誰にもあったのではないでしょうか。海に流さないまでも、そっと丸めたり、とか。
そして手紙だから歌になるのでしょう。メールでは海には流せませんし、<削除>ではあっけなさすぎます。
『もの想う季節』では「教会を出たら あなたへの手紙 今日こそ出しましょ 迷わずに」という一節があります。逆に言えばそれまで手紙を出せずにいたのですね。この逡巡、ためらいというのも手紙だからこそでしょう。メールだったら<送信>で一瞬ですね。
「ポストに一枚葉書が届いたわ」と歌うのは『クラス会』ですね。連絡だけならメールでも同じですが、「元気でいますか?」という一言でなつかしい“あの頃”へ飛んでいく、これも葉書だからこそではないでしょうか。
私自身も最近は手紙や葉書をほとんど書かなくなりましたが、若い人はなおさらそうなのでしょう。そうすると、歌の中に「手紙」とか「葉書」は出てくるのでしょうか?私は最近の歌は知らないのですが、おそらく消えてしまっているのではないかと思いますがどうでしょう。もっとも、その代わりに「メール」が歌になっているとも想像できないのですが・・・。
もうひとつ、歌から消えてしまったのではないかと思っているのが公衆電話です。「歌から」どころか実際の街の中からすっかり姿を消してしまいました。(大都会では事情は違うでしょうか?)
私が子供の頃は電話がある家はめずらしくて、学校などには「連絡先」として近所の家の電話番号に(呼)とつけて出していました。呼び出し電話といって、受けた家の人が呼び出してくれて、電話を使わせてくれたのです。今考えるととんでもないことだと思いますが、当時は普通にやっていたことです。それだけ地域のつながりが密接だったのです。「夕焼横丁」の世界ですね。
やがて高度経済成長で電話も各家庭に普及しましたが、固定電話ですから出先では公衆電話を使いました。街にはあちこちに公衆電話ボックスがありましたが、それは独特の空間でした。街の中の個室のような空間で通話の声は外には聞こえません。しかしガラスを通して中の人は丸見えです。ですから映画やドラマの中でもよく使われました。資生堂のCM映像が伝説にさえなっています。歌でも“小道具”としてよく使われました。
「並木の電話かけようかしら。話すことなどないけれど、きれいな虹のことだけ言えば、私の想い伝わるかしら」という一節は『虹をわたって』の中でも私が最も好きなところで、真理さんも心を込めて歌っているところだと思います。公衆電話というちょっと非日常的なアイテムだからこういう歌詞が成り立つのでしょう。携帯やスマホでは電話も日常的すぎて歌にはならない気がします。
『家なき子』ではボックスでない公衆電話ですが「10円硬貨少ないし」という歌詞があります。当時は公衆電話は10円硬貨しか使えなかったのですね。その後100円が使えるようになったり、カードが使えるようになったりしましたが、それまでは10円硬貨を用意しておかなくてはかけられませんでした。この歌の主人公はいきなり家を飛び出してきたのでろくにお金をもっていなかったのですね。それはともかく、「10円硬貨少ないし」という歌詞には不安で心細い心情が実にうまく表現されています。
もうひとつ、手紙や電話ボックスが主役の歌がありますね。『さよならだけ残して』はそんな時代の象徴のような曲です。
というわけで、たいした話ではありませんでしたが、ちょっと昔を懐かしんでみました。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)1月26日は「昭和のヒット・メイカー 有馬三重子」です。特集に関係のないリクエストも可能です。
リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
NHKFM 2015年2月21日(土) 午後0時15分~9時00分は
「今日(京)は一日”さだまさし”三昧」です。
どういう構成かわかりませんが、真理さんによるカバーをリクエストしてみたらどうでしょうか。
リクエストはこちらから
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
今回は年賀状を読みながら考えたことです。
年賀状を出すのはひと仕事ですね。私はこれまで使っていた葉書印刷ソフトがウィンドウズ8で使えず、昨年末はだいぶ苦労しました。印刷自体は他の手段でできますが、住所録が使えなかったからです。Vistaのノートパソコンに移してやろうと思ったら、今度はそのノートパソコンの電源が入らなくなって修理に出したりと、てんやわんやの末、何とか間に合わせました。
そこまでして出さなくてもいいかな、と思ったりもしましたが、届いた年賀状を読んでいると、やはり一年に一度の便りでもうれしいなと思いました。(真理さん、真保さんからもいただきました。ありがとうございました。)
若い人はメールで済ます人も多いようですが、やはり手にもって見るというのは、たとえ印刷された文字であっても親しさが違うように感じるのは古い人間だからでしょうか。
私たちの世代は通信と言えば葉書や手紙が普通でした。もちろん手書きでしたから、文面だけでなく文字からもその人の気持ちが伝わってきたものです。
だから歌の中でも“小道具”として「手紙」がよく使われました。真理さんの歌の中にもあります。
たとえば『海にたくした願い』は手紙そのものがテーマになった曲ですね。
こういった経験は誰にもあったのではないでしょうか。海に流さないまでも、そっと丸めたり、とか。
そして手紙だから歌になるのでしょう。メールでは海には流せませんし、<削除>ではあっけなさすぎます。
『もの想う季節』では「教会を出たら あなたへの手紙 今日こそ出しましょ 迷わずに」という一節があります。逆に言えばそれまで手紙を出せずにいたのですね。この逡巡、ためらいというのも手紙だからこそでしょう。メールだったら<送信>で一瞬ですね。
「ポストに一枚葉書が届いたわ」と歌うのは『クラス会』ですね。連絡だけならメールでも同じですが、「元気でいますか?」という一言でなつかしい“あの頃”へ飛んでいく、これも葉書だからこそではないでしょうか。
私自身も最近は手紙や葉書をほとんど書かなくなりましたが、若い人はなおさらそうなのでしょう。そうすると、歌の中に「手紙」とか「葉書」は出てくるのでしょうか?私は最近の歌は知らないのですが、おそらく消えてしまっているのではないかと思いますがどうでしょう。もっとも、その代わりに「メール」が歌になっているとも想像できないのですが・・・。
もうひとつ、歌から消えてしまったのではないかと思っているのが公衆電話です。「歌から」どころか実際の街の中からすっかり姿を消してしまいました。(大都会では事情は違うでしょうか?)
私が子供の頃は電話がある家はめずらしくて、学校などには「連絡先」として近所の家の電話番号に(呼)とつけて出していました。呼び出し電話といって、受けた家の人が呼び出してくれて、電話を使わせてくれたのです。今考えるととんでもないことだと思いますが、当時は普通にやっていたことです。それだけ地域のつながりが密接だったのです。「夕焼横丁」の世界ですね。
やがて高度経済成長で電話も各家庭に普及しましたが、固定電話ですから出先では公衆電話を使いました。街にはあちこちに公衆電話ボックスがありましたが、それは独特の空間でした。街の中の個室のような空間で通話の声は外には聞こえません。しかしガラスを通して中の人は丸見えです。ですから映画やドラマの中でもよく使われました。資生堂のCM映像が伝説にさえなっています。歌でも“小道具”としてよく使われました。
「並木の電話かけようかしら。話すことなどないけれど、きれいな虹のことだけ言えば、私の想い伝わるかしら」という一節は『虹をわたって』の中でも私が最も好きなところで、真理さんも心を込めて歌っているところだと思います。公衆電話というちょっと非日常的なアイテムだからこういう歌詞が成り立つのでしょう。携帯やスマホでは電話も日常的すぎて歌にはならない気がします。
『家なき子』ではボックスでない公衆電話ですが「10円硬貨少ないし」という歌詞があります。当時は公衆電話は10円硬貨しか使えなかったのですね。その後100円が使えるようになったり、カードが使えるようになったりしましたが、それまでは10円硬貨を用意しておかなくてはかけられませんでした。この歌の主人公はいきなり家を飛び出してきたのでろくにお金をもっていなかったのですね。それはともかく、「10円硬貨少ないし」という歌詞には不安で心細い心情が実にうまく表現されています。
もうひとつ、手紙や電話ボックスが主役の歌がありますね。『さよならだけ残して』はそんな時代の象徴のような曲です。
というわけで、たいした話ではありませんでしたが、ちょっと昔を懐かしんでみました。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)1月26日は「昭和のヒット・メイカー 有馬三重子」です。特集に関係のないリクエストも可能です。
リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
NHKFM 2015年2月21日(土) 午後0時15分~9時00分は
「今日(京)は一日”さだまさし”三昧」です。
どういう構成かわかりませんが、真理さんによるカバーをリクエストしてみたらどうでしょうか。
リクエストはこちらから
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