神が宿った
前回に続き国会図書館で見つけた記事の紹介です。
今回は、1993年6月発行の季刊「Beauty business」(ビューティービジネス社)です。この雑誌は化粧品業界の業界誌ではないかと思われますので、一般の人が見る機会は少ないのではないでしょうか。その中に。「スペシャル対談」ということで(株)ソニー・クリエイティブプロダクツ社長の井上良勝さんと真理さんとの対談が載っているのです。
この対談は10ページもありますので画像を直接読んでいただくことができません。最初のページの画像だけ見ていただいて、あとは引用で紹介します。

リードには次のように書かれています。
「白雪姫」こと天地真理さんの名はいまも日本の歌謡史上に燦然と輝いている。昭和46年10月、CBSソニーより「水色の恋」でデビューすると同時に空前のブームを巻き起こし、その後発売されたレコード「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」などはいずれもミリオンセラーとなり日本中に彼女の明るい歌声が響き渡ったのだ。そして今年ひとり娘の真保ちゃんがミュージカルに出演したのを機に真理さんも再び羽搏こうとしている。そこで彼女と親しいソニーCPの井上社長に真理さんとの対談をお願いした。
ソニー・クリエイティブプロダクツ(CP)という会社は1978年、CBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)の子会社として設立され、ファンシー文具・雑貨の製造販売やキャラクターのライセンス事業を行っていてスヌーピーやピーター・ラビットもこの会社がキャラクター管理をしているようです。1996年に分離するまでは化粧品も扱っていて、その関係でこの雑誌で社長の井上さんが登場しているのです。
井上さんはこの頃はソニーCPの社長ですが、それ以前はCBSソニーの副社長であり、真理さんがデビューした頃は営業の本社部門である販売推進課の課長さんだった人です。真理さんの全盛期を営業の面で支えた人だったのですね。
その井上さんが当時のことについて次のように語っています。
当時、CBSソニーは(昭和)43年に会社をスタートさせて、何が一番悩みだったかというと、国内制作部門にヒットアーティストがいないということでした。われわれはアメリカ・CBSとのジョイントベンチャーでしたから、洋楽部門ではサイモン&ガーファンクルとか、アンディ・ウイリアムスとか当時のヒットアーティストが揃っていて極めて順調だったのですが、国内制作と言う、要するに日本のアーティストのヒットがなかなか出なくて、大変な苦労をしたんです。もちろん単発ヒットはあって、カルメン・マキさんとか。ピーターとかが出たのですが長続きしない。本当の意味でCBSソニーの国内制作部門を成功に導いたのは、天地真理さんと南沙織さんの登場でしたね。そういう意味でCBSソニーの歴史の中では一番の功労者だと思います。
その後、いろいろなアーティストがたくさん出ましたけれども、CBSソニーの創業時に、最も輝いて且つ貢献してくれたアーティスト、それが天地真理さんでしたね。もっとも真理ちゃんの場合、単にCBSソニーという枠だけではなくて、彼女の存在が”真理ちゃんスマイル”という言葉に象徴されるような、社会現象にまでなり、その後の音楽シーンに<アイドル>という路線を定着させて、それが山口百恵さん、松田聖子さんとつながっていったのですから、これは大変なことでしたね。
井上さんも天地真理さんこそCBSソニーの草創期を支えた最大の功労者と言っていますね。本社ビルの建設費の半分は真理さんが稼いだという噂さえありました。当時を知る人たちはみなさんすでに退社されているのでしょうが、現在のソニーミュージックの人たちもぜひそのことを知っておいてほしいですね。銅像くらい建ててもいいような気もしますが、それ以上に、もっともっと天地真理さんのうたを世間の人たちに積極的にアピールしてほしいものです。
さて、このあと、デビュー前後の話や真保さんのミュージカル出演の話が続いたあと、もう一度デビュー時の話に戻ります。
井上 レコード会社とアーティストと一緒に仕事をしていくというのは、やっぱりデビュー前とデビュー後のしばらくなんですね。あとは、もうヒットすれば、そのアーティストはとにかく忙しくもなるし、それからレコード会社の方はもうレコードをつくって、それが売れてというサイクルに乗っていきますから、だからそういう意味でレコード会社と一番密接に時間を共にするというのは、デビュー前後なんです。
でも真理ちゃんの場合には、私は覚えているんですが、たしか有力な新人がその時3人同時にデビューしたんですね。社内ではそれぞれみんなに期待していて、「全部売れるだろう」って思っていたんですが、そしたら真理ちゃんだけがその発売した翌日から、ものすごい数のオーダーが入ってきて、いきなり大ヒットになってしまったんです。
ずいぶん長くレコードビジネスをやっていましたが、予測をはるかに上回って、翌日からあんなにたくさんのバックオーダーがきたというのはあまり記憶がありませんね。
司会 つまり製造に追いまくられたわけですね。
井上 そうですね。だから随分品切れもしたと思います。とにかく発売の翌日からものすごい反響があったんです。それはそう多くない経験でしたから、すごくはっきり覚えていますよ。
司会 だからそれは、ソニーさんの戦略とか、意志とか、あるいは真理さんの意志と無関係に、神がもうそこへ宿っちゃったんですね
井上 ええ、まさにそういう感じだったですね。
このあとはこの雑誌の性格上、化粧品の話が続きますので、それは割愛しますが、いかがだったでしょうか。
こういう営業サイドからの当時の経験というのはあまり聞いたことがなかったように思います。内容としては特に新しいことがあるわけではないですが、やはりあの時その場にいた人だけが言える臨場感がありますね。
当事者の意志も予測も超えて人気が爆発的に広がっていく、神が宿ったとしか言いようのない経験というのは、同じ時代を生きてきた私たちも十分理解できるものではないでしょうか。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)6月30日は「上半期リクエストスペシャル」、7月7日は「七夕の昭和歌謡」、14日は「フランスな昭和歌謡」、21日は「海の昭和歌謡」、28日は「昭和のヒットメーカー 弾厚作」(つまり作曲家としての加山雄三)です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へ
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今回は、1993年6月発行の季刊「Beauty business」(ビューティービジネス社)です。この雑誌は化粧品業界の業界誌ではないかと思われますので、一般の人が見る機会は少ないのではないでしょうか。その中に。「スペシャル対談」ということで(株)ソニー・クリエイティブプロダクツ社長の井上良勝さんと真理さんとの対談が載っているのです。
この対談は10ページもありますので画像を直接読んでいただくことができません。最初のページの画像だけ見ていただいて、あとは引用で紹介します。

リードには次のように書かれています。
「白雪姫」こと天地真理さんの名はいまも日本の歌謡史上に燦然と輝いている。昭和46年10月、CBSソニーより「水色の恋」でデビューすると同時に空前のブームを巻き起こし、その後発売されたレコード「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」などはいずれもミリオンセラーとなり日本中に彼女の明るい歌声が響き渡ったのだ。そして今年ひとり娘の真保ちゃんがミュージカルに出演したのを機に真理さんも再び羽搏こうとしている。そこで彼女と親しいソニーCPの井上社長に真理さんとの対談をお願いした。
ソニー・クリエイティブプロダクツ(CP)という会社は1978年、CBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)の子会社として設立され、ファンシー文具・雑貨の製造販売やキャラクターのライセンス事業を行っていてスヌーピーやピーター・ラビットもこの会社がキャラクター管理をしているようです。1996年に分離するまでは化粧品も扱っていて、その関係でこの雑誌で社長の井上さんが登場しているのです。
井上さんはこの頃はソニーCPの社長ですが、それ以前はCBSソニーの副社長であり、真理さんがデビューした頃は営業の本社部門である販売推進課の課長さんだった人です。真理さんの全盛期を営業の面で支えた人だったのですね。
その井上さんが当時のことについて次のように語っています。
当時、CBSソニーは(昭和)43年に会社をスタートさせて、何が一番悩みだったかというと、国内制作部門にヒットアーティストがいないということでした。われわれはアメリカ・CBSとのジョイントベンチャーでしたから、洋楽部門ではサイモン&ガーファンクルとか、アンディ・ウイリアムスとか当時のヒットアーティストが揃っていて極めて順調だったのですが、国内制作と言う、要するに日本のアーティストのヒットがなかなか出なくて、大変な苦労をしたんです。もちろん単発ヒットはあって、カルメン・マキさんとか。ピーターとかが出たのですが長続きしない。本当の意味でCBSソニーの国内制作部門を成功に導いたのは、天地真理さんと南沙織さんの登場でしたね。そういう意味でCBSソニーの歴史の中では一番の功労者だと思います。
その後、いろいろなアーティストがたくさん出ましたけれども、CBSソニーの創業時に、最も輝いて且つ貢献してくれたアーティスト、それが天地真理さんでしたね。もっとも真理ちゃんの場合、単にCBSソニーという枠だけではなくて、彼女の存在が”真理ちゃんスマイル”という言葉に象徴されるような、社会現象にまでなり、その後の音楽シーンに<アイドル>という路線を定着させて、それが山口百恵さん、松田聖子さんとつながっていったのですから、これは大変なことでしたね。
井上さんも天地真理さんこそCBSソニーの草創期を支えた最大の功労者と言っていますね。本社ビルの建設費の半分は真理さんが稼いだという噂さえありました。当時を知る人たちはみなさんすでに退社されているのでしょうが、現在のソニーミュージックの人たちもぜひそのことを知っておいてほしいですね。銅像くらい建ててもいいような気もしますが、それ以上に、もっともっと天地真理さんのうたを世間の人たちに積極的にアピールしてほしいものです。
さて、このあと、デビュー前後の話や真保さんのミュージカル出演の話が続いたあと、もう一度デビュー時の話に戻ります。
井上 レコード会社とアーティストと一緒に仕事をしていくというのは、やっぱりデビュー前とデビュー後のしばらくなんですね。あとは、もうヒットすれば、そのアーティストはとにかく忙しくもなるし、それからレコード会社の方はもうレコードをつくって、それが売れてというサイクルに乗っていきますから、だからそういう意味でレコード会社と一番密接に時間を共にするというのは、デビュー前後なんです。
でも真理ちゃんの場合には、私は覚えているんですが、たしか有力な新人がその時3人同時にデビューしたんですね。社内ではそれぞれみんなに期待していて、「全部売れるだろう」って思っていたんですが、そしたら真理ちゃんだけがその発売した翌日から、ものすごい数のオーダーが入ってきて、いきなり大ヒットになってしまったんです。
ずいぶん長くレコードビジネスをやっていましたが、予測をはるかに上回って、翌日からあんなにたくさんのバックオーダーがきたというのはあまり記憶がありませんね。
司会 つまり製造に追いまくられたわけですね。
井上 そうですね。だから随分品切れもしたと思います。とにかく発売の翌日からものすごい反響があったんです。それはそう多くない経験でしたから、すごくはっきり覚えていますよ。
司会 だからそれは、ソニーさんの戦略とか、意志とか、あるいは真理さんの意志と無関係に、神がもうそこへ宿っちゃったんですね
井上 ええ、まさにそういう感じだったですね。
このあとはこの雑誌の性格上、化粧品の話が続きますので、それは割愛しますが、いかがだったでしょうか。
こういう営業サイドからの当時の経験というのはあまり聞いたことがなかったように思います。内容としては特に新しいことがあるわけではないですが、やはりあの時その場にいた人だけが言える臨場感がありますね。
当事者の意志も予測も超えて人気が爆発的に広がっていく、神が宿ったとしか言いようのない経験というのは、同じ時代を生きてきた私たちも十分理解できるものではないでしょうか。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)6月30日は「上半期リクエストスペシャル」、7月7日は「七夕の昭和歌謡」、14日は「フランスな昭和歌謡」、21日は「海の昭和歌謡」、28日は「昭和のヒットメーカー 弾厚作」(つまり作曲家としての加山雄三)です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
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