誕生日の新聞
更新が遅れ気味ですね。書きかけた話題はいくつかあったのですが、いろいろ事情もあってボツにしました。そこで何かいい話題はないかと考えていると、hatogairu kouenさんのブログ「再発見!歌姫・天地真理」に真理さんの誕生年前後の紹介が出ているのを見て、真理さんの誕生日の新聞(コピー)を持っていたのを思い出し、紹介することにしました。(クリックすると少し大きくなります。文字は読めないかもしれませんが。上半分だけですが下半分はほとんど広告です)
真理さんの誕生日は1951年11月5日です。この日は月曜日だったのですね。
この頃の新聞は4面しかありません。まだまだ物資不足が続いていたのでしょう。
では1面を見てみましょう。

トップ記事は「行政協定」に関するものです。「再発見!歌姫・天地真理」に紹介されているようにこの年は9月にサンフランシスコ平和条約が調印されて連合国による占領が終わり日本が独立を回復した年です。一方、平和条約と同日「日米安保条約」(略称)が調印され今に続く安保体制が生まれた年でもあります。「行政協定」はその結果駐留が継続されることになった在日米軍の位置づけに関する規定で、1960年の安保条約改定後は「地位協定」という名称になっています。沖縄などで米軍兵士が犯罪を犯したとき、日本の警察がすぐに身柄を拘束できないということがよく問題になりますが、これも地位協定に基づいています。
この記事はこの時点では「行政協定」はまだ締結されておらずそのためダレス国務長官が来日するという内容です。(締結されたのは翌年2月)戦後の体制ができつつある頃というのがわかります。
その左の記事は「主食問題」「統制全廃」という言葉が見えます。食糧難で配給制であったコメの統制をどうするかという記事です。主食も不足して外米を輸入し、なおかつ配給でないと暮らしていけない時代でした。まだまだ戦争の傷が生活の根本を圧迫していたのですね。
なお、下の方に「民主党」と出ていますがこれは現在の民主党とは別物でその後「自由党」と合同して「自由民主党」を結成する政党です。
次に2面を見てみましょう

最初は「炭労2次ストか」ですね。炭労とは炭鉱労働者の組合です。当時はエネルギーの中心は石炭でしたから炭労がストライキをすると日本経済にとって深刻な打撃になりますから炭労の影響力は大きかったのです。高度成長前で、働く人々の賃金は安く生活は貧しかったので、ストライキは盛んにおこなわれました。労働組合が活発だったころですね。
中央の下の方には「中国に邦人20万」という見出しがあります。終戦後6年がたってまだ中国には20万人の日本人が残留し帰国を望んでいるという記事です。まだこれだけの人が放置されていたのですね。
次は3面です。

「主要家庭商品の値動き」という記事で「制電」という言葉がありますね。電力も不足していたことがわかります。「木炭・マキ」も「主要商品」だったのですね。私など高校まで石炭ストーブ、まきストーブでしたが、若い人はどういうものかわからない人もいるでしょうね。
最後に4面です。

まず早慶戦の記事ですね。当時は大学野球の人気が高かったのですね。何とその下に小さく日米野球の記事があります。この頃の日米野球というのはシーズン後にメジャーリーグの選抜チームが来て日本の各球団や日本選抜チームと試合をしたものです。当時は日米の実力の差は大きく、アメリカの選手は観光気分のようなところもあったにもかかわらず全日本でも勝てなかったのですね。でもメンバーを見ると、アメリカにはディマジオの名前が見えますし、全日本チームは別当、川上、藤村、大下といった伝説的な打者が並び、投手も別所、金田、杉下という超豪華リレーです。

2面のところにマンガがありましたね。「サザエさん」です。

この頃からすでにあったのですね。この日はセリフがなくて絵だけなので、わかったようなわからないような感じですが、七輪で煮炊きをしているなど懐かしい風景が描かれています。
こうしてみてくると真理さんが生まれた年はまだまだ戦争の傷も癒えず苦しい生活が続き、日本がこれからどうなっていくのか手探りの状態の中で、人々が懸命に生きていた時代だったのですね。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)6月16日が「サンバな昭和歌謡」、23日は「雨の昭和歌謡」、30日は「上半期リクエストスペシャル」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
真理さんの誕生日は1951年11月5日です。この日は月曜日だったのですね。
この頃の新聞は4面しかありません。まだまだ物資不足が続いていたのでしょう。
では1面を見てみましょう。

トップ記事は「行政協定」に関するものです。「再発見!歌姫・天地真理」に紹介されているようにこの年は9月にサンフランシスコ平和条約が調印されて連合国による占領が終わり日本が独立を回復した年です。一方、平和条約と同日「日米安保条約」(略称)が調印され今に続く安保体制が生まれた年でもあります。「行政協定」はその結果駐留が継続されることになった在日米軍の位置づけに関する規定で、1960年の安保条約改定後は「地位協定」という名称になっています。沖縄などで米軍兵士が犯罪を犯したとき、日本の警察がすぐに身柄を拘束できないということがよく問題になりますが、これも地位協定に基づいています。
この記事はこの時点では「行政協定」はまだ締結されておらずそのためダレス国務長官が来日するという内容です。(締結されたのは翌年2月)戦後の体制ができつつある頃というのがわかります。
その左の記事は「主食問題」「統制全廃」という言葉が見えます。食糧難で配給制であったコメの統制をどうするかという記事です。主食も不足して外米を輸入し、なおかつ配給でないと暮らしていけない時代でした。まだまだ戦争の傷が生活の根本を圧迫していたのですね。
なお、下の方に「民主党」と出ていますがこれは現在の民主党とは別物でその後「自由党」と合同して「自由民主党」を結成する政党です。
次に2面を見てみましょう

最初は「炭労2次ストか」ですね。炭労とは炭鉱労働者の組合です。当時はエネルギーの中心は石炭でしたから炭労がストライキをすると日本経済にとって深刻な打撃になりますから炭労の影響力は大きかったのです。高度成長前で、働く人々の賃金は安く生活は貧しかったので、ストライキは盛んにおこなわれました。労働組合が活発だったころですね。
中央の下の方には「中国に邦人20万」という見出しがあります。終戦後6年がたってまだ中国には20万人の日本人が残留し帰国を望んでいるという記事です。まだこれだけの人が放置されていたのですね。
次は3面です。

「主要家庭商品の値動き」という記事で「制電」という言葉がありますね。電力も不足していたことがわかります。「木炭・マキ」も「主要商品」だったのですね。私など高校まで石炭ストーブ、まきストーブでしたが、若い人はどういうものかわからない人もいるでしょうね。
最後に4面です。

まず早慶戦の記事ですね。当時は大学野球の人気が高かったのですね。何とその下に小さく日米野球の記事があります。この頃の日米野球というのはシーズン後にメジャーリーグの選抜チームが来て日本の各球団や日本選抜チームと試合をしたものです。当時は日米の実力の差は大きく、アメリカの選手は観光気分のようなところもあったにもかかわらず全日本でも勝てなかったのですね。でもメンバーを見ると、アメリカにはディマジオの名前が見えますし、全日本チームは別当、川上、藤村、大下といった伝説的な打者が並び、投手も別所、金田、杉下という超豪華リレーです。

2面のところにマンガがありましたね。「サザエさん」です。

この頃からすでにあったのですね。この日はセリフがなくて絵だけなので、わかったようなわからないような感じですが、七輪で煮炊きをしているなど懐かしい風景が描かれています。
こうしてみてくると真理さんが生まれた年はまだまだ戦争の傷も癒えず苦しい生活が続き、日本がこれからどうなっていくのか手探りの状態の中で、人々が懸命に生きていた時代だったのですね。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)6月16日が「サンバな昭和歌謡」、23日は「雨の昭和歌謡」、30日は「上半期リクエストスペシャル」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。