涙よりほほえみを (1)
またYoutubeの話題ですが、1972年の日本歌謡大賞授賞式の様子がUPされています。
http://www.youtube.com/watch?v=kdjSyUwKQMI
「ひとりじゃないの」で放送音楽賞を受賞した時の様子ですが、思いがけないお母さんの登場でお二人が涙を流すシーンがまずあり、それから涙を拭いて歌い始めます。真理さんは動揺を見せず、いつもにもまして輝くような笑顔でしっかり歌いきるのですが、間奏に入るとまた下を向いて涙をこらえた表情になります。しかし、再び歌に入ると素晴らしい笑顔が戻ってきます。
私はこの場面は実際にその時テレビで見ていましたし、録画もYoutubeか何かで見たことがあります。でも間奏のときの表情は記憶がなく、はじめて気がつきました。そこで今回のテーマを考えつきました。
《 歌っている時の笑顔は「つくりもの」だろうか?》
この動画を見れば、こんなテーマは「ばかばかしい!」と相手にもされないでしょう。「何を考えているんだ」と怒られそうな気もします。
でも、彼女には(人気が下降し始めると)「つくられたアイドル」とか「虚像」とかいうレッテルが付きまとうようになります。その根拠として「あの笑顔はつくりもの」ということが言われたものです。「あの笑顔はテレビやステージだけのもので、営業用だ」と。
たしかにこの動画での表情の切り替えは見事ですが、この笑顔も「つくりもの」でしょうか?
もうひとつ、「夜のヒットスタジオ」で「はじめての涙」を歌う動画がありますが、最後、目に涙を光らせて歌い終わります。
http://www.youtube.com/watch?v=RwYT358FCrs
ところが、この動画では映っていないのですが、実はその直後、はじけるように笑顔になるのです。もちろんそれは歌が終わりその緊張が解けて解放感から出た笑顔です。するとここでは笑顔が「本物」で涙が「つくりもの」ということになるのでしょうか?
※ 最後まで入った動画を教えていただきました。
http://www.youtube.com/watch?v=Z94M78GjuRI
こう書くとまた「あほらしい」と言われそうです。当然ですね。「涙」は歌に深く没入した結果であり、「つくりもの」という言葉は適さないからです。というのは、こう言われる場合の「つくりもの」という言葉には“虚偽”という意味合いが含まれていますが、この「涙」を「つくりもの」というならすべての芸術表現が虚偽になってしまいます。
真理さんの「笑顔」も同じです。真理さんが歌うときの笑顔、それは歌の中に入っていくときに自然に生まれるものでしょう。だからこそあんなにも輝いているのです。それは「涙」の場合と同じように、歌と一体となった芸術表現なのです。
役者が役になりきって演じていても、それが本人そのものでないのは誰だったわかっています。それは演技だからです。演技は意識的につくるものですから「つくりもの」には違いありません。しかし、あれは「つくりもの」で本人はあんな人間ではない、と非難する人はいません。
歌の場合も、明るい歌を歌っているからと言って、その歌手は明るい性格とは限らないし、その必要もないはずです。その歌手の才能は「どう歌ったか」で測られるもので、その歌手の人格によるのではありません。ある歌手の普段の表情が歌っている時の表情とどうして一致しなければならないのでしょうか。人間であれば、さまざまな表情があるのが当たり前で、いつもいつも笑顔でいるなんてことの方が異常です。
ところがマスコミによれば、アイドルはそれが一致していなければいけないようなのです。真理さんに限らず、歌のイメージと“本当の姿”とは違う、というのが当時の芸能マスコミのお決まりのネタだったのです。
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http://www.youtube.com/watch?v=kdjSyUwKQMI
「ひとりじゃないの」で放送音楽賞を受賞した時の様子ですが、思いがけないお母さんの登場でお二人が涙を流すシーンがまずあり、それから涙を拭いて歌い始めます。真理さんは動揺を見せず、いつもにもまして輝くような笑顔でしっかり歌いきるのですが、間奏に入るとまた下を向いて涙をこらえた表情になります。しかし、再び歌に入ると素晴らしい笑顔が戻ってきます。
私はこの場面は実際にその時テレビで見ていましたし、録画もYoutubeか何かで見たことがあります。でも間奏のときの表情は記憶がなく、はじめて気がつきました。そこで今回のテーマを考えつきました。
《 歌っている時の笑顔は「つくりもの」だろうか?》
この動画を見れば、こんなテーマは「ばかばかしい!」と相手にもされないでしょう。「何を考えているんだ」と怒られそうな気もします。
でも、彼女には(人気が下降し始めると)「つくられたアイドル」とか「虚像」とかいうレッテルが付きまとうようになります。その根拠として「あの笑顔はつくりもの」ということが言われたものです。「あの笑顔はテレビやステージだけのもので、営業用だ」と。
たしかにこの動画での表情の切り替えは見事ですが、この笑顔も「つくりもの」でしょうか?
もうひとつ、「夜のヒットスタジオ」で「はじめての涙」を歌う動画がありますが、最後、目に涙を光らせて歌い終わります。
http://www.youtube.com/watch?v=RwYT358FCrs
ところが、この動画では映っていないのですが、実はその直後、はじけるように笑顔になるのです。もちろんそれは歌が終わりその緊張が解けて解放感から出た笑顔です。するとここでは笑顔が「本物」で涙が「つくりもの」ということになるのでしょうか?
※ 最後まで入った動画を教えていただきました。
http://www.youtube.com/watch?v=Z94M78GjuRI
こう書くとまた「あほらしい」と言われそうです。当然ですね。「涙」は歌に深く没入した結果であり、「つくりもの」という言葉は適さないからです。というのは、こう言われる場合の「つくりもの」という言葉には“虚偽”という意味合いが含まれていますが、この「涙」を「つくりもの」というならすべての芸術表現が虚偽になってしまいます。
真理さんの「笑顔」も同じです。真理さんが歌うときの笑顔、それは歌の中に入っていくときに自然に生まれるものでしょう。だからこそあんなにも輝いているのです。それは「涙」の場合と同じように、歌と一体となった芸術表現なのです。
役者が役になりきって演じていても、それが本人そのものでないのは誰だったわかっています。それは演技だからです。演技は意識的につくるものですから「つくりもの」には違いありません。しかし、あれは「つくりもの」で本人はあんな人間ではない、と非難する人はいません。
歌の場合も、明るい歌を歌っているからと言って、その歌手は明るい性格とは限らないし、その必要もないはずです。その歌手の才能は「どう歌ったか」で測られるもので、その歌手の人格によるのではありません。ある歌手の普段の表情が歌っている時の表情とどうして一致しなければならないのでしょうか。人間であれば、さまざまな表情があるのが当たり前で、いつもいつも笑顔でいるなんてことの方が異常です。
ところがマスコミによれば、アイドルはそれが一致していなければいけないようなのです。真理さんに限らず、歌のイメージと“本当の姿”とは違う、というのが当時の芸能マスコミのお決まりのネタだったのです。
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