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<物語>を超えて

前回の記事でマスコミが<物語>をつくりすぎるということを書きました。実はその時点で例の佐村河内守氏の偽作問題の一報が入ってきて、それについても触れようかと思ったのですが、長くなりすぎるので見送りました。
そこで今回はこの問題から考えたことに触れたいと思います。

この問題についての報道を読んで私が感じるのは相変わらず<物語>の次元で騒いでいるということです。この問題は「全聾の作曲家が感動的な音楽を作った」という<物語>が嘘だったということです。しかしそういう<物語>を撒き散らしたのはマスコミ(「マス」だけとは限りませんが)でしょう。代表としてNHKが槍玉に挙げられています。確かにNHKがどうしてあんな安易な<物語>をつくってしまったのか、という疑問はあります。しかし、今声高に非難している人たちは見抜けていたのでしょうか?そうだったらそういう人たちがもっと早く声を上げていたはずですよね。実際はついこの間まで絶賛していた人もいるのではないでしょうか。問題は誰がどうしたというようなことではなく、作品を音楽そのものではなく周辺的な事柄で作り上げた<物語>で評価しようという安易さなのです。

佐村河内氏は「現代のベートーヴェン」などと呼ばれたりしていましたが、それはベートーヴェンも耳が不自由だったにもかかわらず偉大な作品を作り出したからですね。しかしベートーヴェンが偉大なのはつくりだした音楽そのものが偉大だからです。仮に耳が不自由でなかったとしてもベートーヴェンの評価に変わりはないのです。
佐村河内氏の場合も、変わるのは作曲者名だけで音楽そのものは変わらないのです。それで評価が変わる人がいるならその人は<物語>にとらわれて<音楽>を聴いていなかったということです。それはその人自身の問題であって佐村河内氏の責任ではありません。自分の耳で聴いて、その音楽自体に感動したと言う人は、今回のことがあっても曲への評価に変わりはないはずです。

私自身はこういう<物語>を聞くと胡散臭い感じがしてしまって“聴かず嫌い”でいたのですが、今回のことであらためて聴いてみました。といってもすでに削除されたのかYoutubeには「交響曲第1番」は第3楽章しかありませんでした。聴いてみた感想としては、私の好みではないけれど、なかなかよくできていると思いました。新垣氏はやはりたしかな腕の持ち主だと思います。しかし新垣氏は現代音楽の作曲家ということですから自分の名前ではこういうロマン派のような曲はつくらないでしょうね。佐村河内氏のインスピレーションがあって初めて生まれた曲でしょう。お互いに足りないものを補い合ってつくった共同作品と発表すれば何の問題もなかったのではないでしょうか。
しかしそれを偽ったのは事実であり、それについて2人の責任は免れようがありませんが、なぜそうなったのか?そのことについてはまだ不明のことが多く私には判断できません。そのあたり作曲家吉松隆さんがここをはじめ前後7回にわたって考察されています。参考になることが多いと思いますのでご覧になってみてください。

今回の騒動では、<物語>を撒き散らして「天才」に祭り上げたマスコミ等の人たちも責任が問われているはずですが、懲りもせず今度は「ペテン師」という新たな<物語>を撒き散らしています。そこには音楽そのものへの謙虚なアプローチと言うものが全くないのです。週刊誌やテレビ、ネットなどで口汚く罵っている人たちが作品をどれだけ聴いているでしょうか?おそらくほとんどいないのではないでしょうか。その時々の時流に乗って、ある時は持ち上げ、次には手のひらを返すように貶める、これが彼らのいつものやり方です。

ここまで来て、このブログのテーマにたどり着きました。前回の記事にも書いたように、真理さんも根拠のない<物語>で中傷されたり、評価するにしても<うた>とは関係のない周辺的なことがらで語られるだけで、<うた>そのものはほとんど語られなかったのです。その辺のことについては本編『空いっぱいの幸せ』で触れましたので詳しくはそちらをご覧ください。

最近、ネットでは彼女の<うた>の評価が高まってきたと思いますが、テレビ等のマスコミのレベルではかえって影が薄くなってきているのではないでしょうか。私はテレビをあまり見ないので見落としているだけかもしれませんが、「1970年代のヒット曲」のような番組では以前はほんの少しであっても歌謡大賞やレコード大賞の場面などの映像が紹介されたものですが、最近ではそれさえ無くなってきていませんか?そうだとすれば、その要因となっているのは“その後”の<物語>でしょう。

その<物語>を超えて<うた>そのものを評価してもらうためにはともかく聴いてもらうしかない、ということで呼びかけたのが「リクエスト大作戦」でした。それは一定程度の成果はあったと思いますがまだまだ大きな広がりにはなっていません。そこで再度、皆さんの参加を呼び掛けたいのですが、ちょうどNHKFM「ミュージック・プラザ」(月曜 16時~)で、3月3日ひな祭りの日に『昭和の歌姫スペシャル』という特集があります。ファンからすれば「昭和の歌姫」に天地真理さんが入るのは当然だろうと思うかもしれませんが、リクエストが少なければかかりません。今回は同じ歌手であれば合計数がものを言うと思いますので、リクエスト曲は分散してもいいのでそれぞれの思いを込めて出していただきたいと思います。リクエストはこちらから。おそくとも前週の木曜日までにお願いします。
大勢の方の参加を期待しています。

※リクエスト情報

FMしばたhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。

NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)3月3日は上記のように「昭和の歌姫スペシャル」、17日は「祝 番組400回記念リクエストスペシャル」、24日は「別れの昭和歌謡」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。

リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。

FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。


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歌の評価

 今回のブログを読んで、天地真理さんの「物語」と「歌の評価」について、「ちっちゃい私」さんのブログの中に、「この歌 この歌手(上)」(読売新聞社文化部1997年1月発売)の本の一部があったことをを思い出しましたので、ちょっと紹介します。

http://blogs.yahoo.co.jp/chiccyaiwatashi/34137963.html

 「天地プロジェクト」のスタッフは菊池はじめ五、六人。みんな若かった。若いだけに、「真理はおれたちの思い通りに育ててみせる」、そんな意気込みにも満ちていて、怖いものは何もなかった。・・・・・・・・・・・・

 「白雪姫」路線を歩んだ天地だったが、「本当は女らしい子、女としての色香があったんです。」と菊池は言う。菊池たちは、その女らしさを意識して消そうとした。「今にも咲こうとする一瞬の花を咲かせない。抑えに抑えて、出来るだけ花を長持ちさせる。これが、方針でした。」だからこそ、歌作りには気を使いに使い、「天地真理」という歌手を作っていった。・・・・・

 「作詞家から言うと、天地さんは言葉を届けてくれる、そんな歌手でした。」と山上。
 森田公一も、天地には同じような感じを抱いていた。「あの子は、ポッと立っているだけで『ああ、歌手なんだなあ』そんな雰囲気がありました」

 森田は、当時人気を二分していた小柳ルミ子の歌を作ったことがあり、二人の特徴をよく観察していた。「小柳さんは、技巧的な歌い方。テクニックに優れているので、大人の歌手への脱皮は早い。天地さんはストレートに感情を。知らないうちに真綿でくるまれるような歌い方だが、大人になるスピードは遅い」

Re: 歌の評価

chitaさん
コメントありがとうございます。

この記事、私も読みました。元の本も読もうと思いながら、最近は健忘症なのでそのままになっていました。
だから元の文脈を読まないといけないと思うのですが、引用された部分だけで判断すれば、「おれたちの思い通りに育ててみせる」とか「天地真理という歌手をつくった」とかずいぶん傲慢だなあと思います。そんな小細工より真理さんの<うた>をおおらかに豊かに育てるべきだったと思うのですが。

Re: Re: 歌の評価

 スタッフの方針は理解できますが、実際は、「真理ちゃんシリーズ」により、それまで誰も経験したことがない、小学低学年の憧れのアイドル、歌のお姉さんを作ったわけで、スタッフも想定外の方向に進んだのではないでしょうか。

 毎週、あの30分の番組を制作するのに、真理さんは、多くの時間と労力、気力を費やしていただろうと想像しますが、当時中学生の私は、きちんと見ていませんでした。

 2年半の「真理ちゃんシリーズ」で、TVタレントとしてのイメージが強くなった感じがあるのですが、一方、TV以外で、LPアルバムやコンサートでは、歌手、表現者として深みを持ち始め、今風に言うと「アーティスト」ゾーンに移行しつつあったわけですが、私自身は、それに触れる機会もありませんでした。

 今、誰もが耳にしたオリコン1位のシングル曲を聴いても、歌手としての再評価に結び付きませんが、当時、ほとんど光が当たらなかったアルバム「小さな人生」、「童話作家」を聴いてこそ、天地真理さんの再評価ができると思いますので、太田裕美さんの『レイン・ステイション』が、その契機になることを大いに期待しております。

Re: Re: Re: 歌の評価

真理さんの全盛期を知る人たちはシングルの曲は耳にたこができるほど聴いたと思っているでしょう。そして真理さんに対する先入観もその印象に付随しているでしょう。
だから今その人たちがそれらの曲を聴いても、自分の記憶の中にある印象で聴いてしまって、虚心に耳を傾けることができない人が多いかもしれません。
その意味ではおっしゃるように、聴いたことがない曲の方が「うた」そのものを聴いてもらえるでしょうね。
あの名盤「私は天地真理」でさえ、たった5千枚しか売れなかったし、「小さな人生」「童話作家」はオリコンのベスト100にも届かず、統計に現れてきません。
Youtubeでかなり聴かれるようになってきましたが、今も知らない人がほとんどです。
その意味で太田裕美さんの「レイン・ステイション」がきっかけになって、話題が広がっていくといいですね。
期待したいと思います。

Truth is stranger than fiction.

 ひこうき雲様 毎度お世話になります。

 当方は《物語》はあってしかるべきだと思います。しかしそこに虚偽を介在させてはなりません。誰しも規模の大小こそあれ、《物語》を背負って生きています。

 このたびのテーマは、《物語》と成果(作品)とを切り離して受けとめよ、ということにあるのだととらえて読ませていただきましたが、誠に恐れ入りますが、当方にはそういうものでもないように思えるのです。文芸評論などにおいても、作家論か作品論か、といったことが常に取り沙汰されますが、ひとつの《物語》を背負って生まれ生きている人間の営為である限り、当然のことながら作家自身が背負う《物語》が創作行為に如実に反映されているわけですから、作家と作品とを切り離して論ずること自体、とてもナンセンスなことに思えてならないのです。

 当方がまとめました天地真理研究『氷の福音』において、さまざまな《物語》についての分析をおこなっていますが、歌そのもの(より厳密にいえば歌唱法の細部)についてはほとんど触れておりません。歌手について論じているのだから、それではまったく欠陥品だ、と言われてしまえばそれまでなのかもしれませんが、当方の執筆意図としては、あくまで終始一貫徹頭徹尾天地真理に《天地真理》を見出だす、というものであり、それはとりもなおさず、「天地真理という《物語》」についての考察・解明であるわけです。したがいまして、「歌わない天地真理」「ステージ上でない天地真理」についてもできうるかぎりとりあげています。
 『氷の福音』が生まれるにあたってもさまざまな《物語》がありました。資料集めや取材での思いがけない発見や、印刷・刊行時のハプニング、資金繰りや受注での意外な展開、それに当方自身の《物語》など。本文中で触れていることもありますが、どうしても公表できないためあえて割愛したこともあります。確かにそれらは、著作そのものとは別箇のことなのではありますが、やはりそういった《物語》というものも決して成果物とは切り離し得ないものだと思います。

 江時久『ベートーヴェンの耳』という書籍があります(ビジネス社、1994)。著者は難聴者とのことで、自分自身の体験をふまえて、ベートーヴェンの聴力と作曲との問題について、きわめて説得力に富む分析を試みています。一読して感心させられたのは、通説ではベートーベンが難聴に苦しみだしたのは20歳代からとされているわけですが、その通説に対し著者が、幼少時から難聴ははじまっていたであろう、と推断していることです。それは、さまざまな証言を分析した結果、家族・友人との微妙なコミュニケーションの欠落が幼少時から見られ、これは難聴少年特有のものだとの結論づけられる、というもので、これはこの書のなかで思わず膝を打ちたくなる箇所です。いまでもベートーヴェンは全聾者であったと思い込んでいる人が多いようですが、そうではなく耳硬化症がもたらす難聴であって、自身が演奏するピアノやヴァイオリンの音は充分聞こえておりましたが、小声や高音の話し声、広間での音、遠くからの呼び声などが聞こえなかった。だから、見る人によってはとても傲慢で傍若無人といった印象を受けたに違いありません。
 これもひとつの《物語》です。まったく聞こえないわけではないが、微妙な会話が聞こえない。当人にとってはとてももどかしいことだったのではないかと推測します。そういったハンディとの内なる闘いがあったればこそ、すぐれた作品づくりへの努力が可能だった、とまとめてしまえば、やはり貴殿は首をかしげられるかと思いますが、当方にはこういった《物語》もあわせ見つつ作曲家の生涯そのものを如実に知りたいと思いますし、創作過程が作品の価値にも大いに関わることだと認識しています。
 このたびの「ヒロシマのベートーヴェン」についても、まったく聞こえないわけではない、ということが槍玉にあがっているようですが、上記ベートーヴェンの症状などもふまえ、もう少し冷静に分析する必要があると思っています。

 

Re: Truth is stranger than fiction.

shiolaboさん
コメントありがとうございます。

shiolaboさんのおっしゃることはその通りと思いますし、私の考えと何ら矛盾するものではないと思います。
しかしそれについて書き始めたらとどんどん長くなってしまい収拾がつかなくなってしまいました。
そこでここでは、また続編と言うことにさせてください。
ただ、私が本文で「物語」と言っているのはマスコミなどによって増幅された「感動物語」を指しているということだけ申し上げておきます。
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