ひとりじゃないの 小谷夏作品群 (2)
小谷夏(久世光彦)さんが真理さんに提供した詞には共通したテーマがあります。
「さびしかったら」で印象的なのはまず「さびしいのはあなただけじゃない」というところ。真理さんのちょっとせつなげな歌い方が「あなた」にも「わたし」にもある<さびしさ>を感じさせ、だからこそ「誰だって初めはひとりぼっちよ」と転調した後の希望につながっていきます。
この「さびしい」と「ひとりぼっち」というテーマは真理さんのために書かれた詞に共通するものでしょう。これに「思い出」を加えると、“小谷夏の世界”になるのではないでしょうか。
もちろん、必ずこれらの言葉が使われているという意味ではありません。「ポケットに涙」には「思い出」はありますが他はないし「思い出の足音」は「思い出」と「ひとり」はあるが「さびしい」はありません。『童話作家』の5曲はそれぞれにこれらの言葉が使われているというよりも全体としてこの3つの言葉による世界を描き出している、と言えます。それはどういう世界かと言えば、「ひこうき雲」に出てくるように、「ひとはいつもひとり」ということです。人間は誰も本質的には孤独で一人ぽっち、心の底でさびしさを抱えて生きている、だからこそそういう孤独な人間同士がいつくしみあい、愛し合うことを求めるのだ、ということではないでしょうか。
そしてその意味で「ひとりじゃないの」と言えるのです。「あなたがほほえみをひとつ分けてくれて、わたしがひと粒の涙をかえしたら」…ここには何の理由もないのです。ただ、お互いがさびしさを抱えた孤独な人間としての共感があるだけです。そして、「その時が、ふたりの旅のはじまり」なのです。
マスコミは真理さんを「明るく元気」と評していましたが、「天地真理の世界」を築いた「ひとりじゃないの」は実は「明るい」だけの曲ではなく、さびしさや孤独を抱えた曲で、だからこそみずみずしいよろこびがそこにあるのです。
次の文章はデビュー間もないころの真理さんについて久世さんが書いたものです。「ひとりじゃないの」誕生の秘密はここにあるのでしょう。
光と影と! 久世光彦
森光子さんの強硬なバックアップで、天地真理を起用することになった。天地真理にとって『時間ですよ』はすべての意味において、芸能界への実質的なスタート台だったと私は思っている。
オーデション・パスの子は必ず番組担当者なり、プロダクションなりの猛烈な特訓を受ける。天地真理もその例にもれず、特訓を受けるべく、下田へでかけた。
「窓辺に寄りそってギターをひく天地真理」 それがドラマの彼女のキャラクター。彼女は浜辺でギターを弾いた。そしてうたった。その真摯な姿は今もあざやかに思い起こすことができる。
「休息!」の声が入ると、真理はまるで子供のようにはしゃいだ。「悪戯っ子」と言いたくなるようなにぎやかさだった。
遊び疲れると真理は何のためらいもなく、砂浜に寝転んだ。そうこうしているうちに私は真理の姿を見失ってしまった。真理は砂浜にペタンと坐っていた。 どこか遠くを眺めている。まるで焦点の定まっていない真理の横顔に私は寂しい陰りのようなものを見た。その瞬間私は言い知れぬ感動におそわれた。それが天地真理というスターの魅力じゃないかと思う。その魅力の原点が、今の彼女を支えているのではないだろうか。
『天地真理 恋と花と空と ALL ABOUT MARI & SONG』より
新興楽譜出版社 昭和47年6月1日発行
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「さびしかったら」で印象的なのはまず「さびしいのはあなただけじゃない」というところ。真理さんのちょっとせつなげな歌い方が「あなた」にも「わたし」にもある<さびしさ>を感じさせ、だからこそ「誰だって初めはひとりぼっちよ」と転調した後の希望につながっていきます。
この「さびしい」と「ひとりぼっち」というテーマは真理さんのために書かれた詞に共通するものでしょう。これに「思い出」を加えると、“小谷夏の世界”になるのではないでしょうか。
もちろん、必ずこれらの言葉が使われているという意味ではありません。「ポケットに涙」には「思い出」はありますが他はないし「思い出の足音」は「思い出」と「ひとり」はあるが「さびしい」はありません。『童話作家』の5曲はそれぞれにこれらの言葉が使われているというよりも全体としてこの3つの言葉による世界を描き出している、と言えます。それはどういう世界かと言えば、「ひこうき雲」に出てくるように、「ひとはいつもひとり」ということです。人間は誰も本質的には孤独で一人ぽっち、心の底でさびしさを抱えて生きている、だからこそそういう孤独な人間同士がいつくしみあい、愛し合うことを求めるのだ、ということではないでしょうか。
そしてその意味で「ひとりじゃないの」と言えるのです。「あなたがほほえみをひとつ分けてくれて、わたしがひと粒の涙をかえしたら」…ここには何の理由もないのです。ただ、お互いがさびしさを抱えた孤独な人間としての共感があるだけです。そして、「その時が、ふたりの旅のはじまり」なのです。
マスコミは真理さんを「明るく元気」と評していましたが、「天地真理の世界」を築いた「ひとりじゃないの」は実は「明るい」だけの曲ではなく、さびしさや孤独を抱えた曲で、だからこそみずみずしいよろこびがそこにあるのです。
次の文章はデビュー間もないころの真理さんについて久世さんが書いたものです。「ひとりじゃないの」誕生の秘密はここにあるのでしょう。
光と影と! 久世光彦
森光子さんの強硬なバックアップで、天地真理を起用することになった。天地真理にとって『時間ですよ』はすべての意味において、芸能界への実質的なスタート台だったと私は思っている。
オーデション・パスの子は必ず番組担当者なり、プロダクションなりの猛烈な特訓を受ける。天地真理もその例にもれず、特訓を受けるべく、下田へでかけた。
「窓辺に寄りそってギターをひく天地真理」 それがドラマの彼女のキャラクター。彼女は浜辺でギターを弾いた。そしてうたった。その真摯な姿は今もあざやかに思い起こすことができる。
「休息!」の声が入ると、真理はまるで子供のようにはしゃいだ。「悪戯っ子」と言いたくなるようなにぎやかさだった。
遊び疲れると真理は何のためらいもなく、砂浜に寝転んだ。そうこうしているうちに私は真理の姿を見失ってしまった。真理は砂浜にペタンと坐っていた。 どこか遠くを眺めている。まるで焦点の定まっていない真理の横顔に私は寂しい陰りのようなものを見た。その瞬間私は言い知れぬ感動におそわれた。それが天地真理というスターの魅力じゃないかと思う。その魅力の原点が、今の彼女を支えているのではないだろうか。
『天地真理 恋と花と空と ALL ABOUT MARI & SONG』より
新興楽譜出版社 昭和47年6月1日発行
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