小さな日記
(青色の部分、追記しました)
今日(10月1日)は天地真理さんのデビュー記念日です。そこで、あたらしいシリーズをはじめることにします。「聴き比べ」シリーズです。つまり、同じ曲を天地真理さんを含む何人かの歌手で聴き比べてみようというものです。
歌謡曲を含むポピュラー音楽の世界では歌(曲)は歌手など“アーティスト”と結びついています。自作自演(シンガー・ソングライター)の場合はもちろん、専門の作詞・作曲家がつくった曲でも歌った歌手の“持ち歌”と考えられています。他人の“持ち歌”を歌うとわざわざ“カバー”と言います。
私は最初、カバ-の意味がわかりませんでした。なぜなら私が親しんできたクラシックの世界ではほとんどすべての曲がカバーなのです。100年も200年も前につくられた曲を無数の演奏家や歌手が演奏したり歌ったりしているのです。曲は例えば「モーツァルトの作品」というように作曲家で表され初演の演奏家で表されることはありません。曲は演奏家とは切り離され、それ自体独立した存在です。逆に言えば、演奏家は特定の演奏に縛られることなくそれぞれ自由に独自の解釈で自分自身の表現を追求するのです。演奏家を縛るのは<楽譜>だけです。
そして、その演奏家がその曲をどう演奏するか、ただの記号である楽譜を耳に聴こえる音楽としてどう再現するか、そこにクラシックを聴く楽しみがあるのです。クラシックのコンサ-トでは演奏中は誰も一言も発せず聴いています。それは単にマナーだからということではなく、一音も聴き洩らさず聴こうとしているからなのです。実際たった一音の表情で奇跡が起こることもあるのです。ポピュラーファンの人たちの中にはカバーは創造的でないと思っている人もいるようですが、自分の歌い方がそのままスタンダードになる持ち歌よりも、耳になじんだ曲にオリジナリティーを生み出すカバーの方がより厳しく創造力が求められるのです。
天地真理さんのカバーが素晴らしいということはファンの人にはよく知られたことです。それは真理さんが高校までクラシックの音楽教育を受け、作品と演奏者のこのような関係を自然に身につけていたからではないでしょうか。真理さんは「歌は楽譜を見て覚える」と言っていました。他人の歌った録音を聴いて覚えるのではなく、楽譜から自分で曲想を膨らませて歌っていくのです。もちろんそれは真理さんだけと言うことではありませんが、真理さんのカバーの面白さはそういうところから生まれてくるのでしょう。
ともかく、それぞれの持ち歌を比較しても、必ずしもそれぞれの歌手の特質がわかるとは言えません。それが歌手の特質なのか、曲の特質なのか、分かりにくいからです。しかし、同じ曲をそれぞれどう歌っているか聴いていけばその歌手の特質が現れてきます。その意味で単に「どっちがうまい」ということではなく、それぞれどう表現しようとしているかと言うことを見ていきたいと思います。ただし当然のことながら私の主観的評価が入ってくるということを前提にお読みいただければと思います。
さて前置きが長くなってしまいましたが第1回はカレッジフォークの名作『小さな日記』です。
なお、真さんのブログにも『小さな日記』の聴き比べがあり、より詳細なすぐれた分析がされていますのでぜひご覧ください。
構成美「小さな日記」-1 聴き比べ
構成美「小さな日記」-2 構成美とは
構成美「小さな日記」-3 歌詞1,2番
構成美「小さな日記」-4 歌詞3,4番
構成美「小さな日記」-5 構成美の習得は?
最初は“本家”であるファーセインツです。
フォー・セインツは1968年『小さな日記』がヒットして当時のカレッジフォークグループでは最も有名なグループの一つだったと言ってもいいと思いますが、実は高校生の真理さんが同じステージで共演しています。そのことについてはここをご覧ください。その時も多分『小さな日記』を歌ったと思いますので、真理さんはすぐ近くで聴いていたと思います。
またこのグループは後にレコード会社を移籍してフォー・クローバーズと改称し『冬物語』をヒットさせていますが、これも真理さんがカバーしていますから、縁の深いグループと言えますね。
歌唱そのものは当時のフォークグループに共通の素朴なものですが、その中では洗練されていてハーモニーもきれいです。フォークは歌謡曲の芝居じみた歌い方に対して自分たちの日常的な感覚で歌おうとしていましたから、あまり大げさな表情をつけず淡々と歌っています。それだけに表現としては浅いことが多く、この曲でも全体がだらだらと流れていく感じでメリハリがあまりありません。一方、本人たちは気づいていなかったでしょうが、今聴くと意外に歌謡曲的な節回しがあって結構湿っぽくなってもいます。ただ当時の感覚では若者たちの生活実感に合った新鮮な印象があったのです。
次にカレッジフォークと言えばこの人、森山良子さんです。
さすがに技巧的で表情豊かに歌っています。表現としては悲劇的です。最初から最後まで恋人の死への深い悲しみに貫かれています。この悲しみに同化して思い切り泣きたいという人にはぴったりでしょう。
しかし私からすると大げさすぎてくどいと思います。最初から悲しげに歌うので、「山に初雪降る頃に」からの悲劇の印象がむしろ弱くなってしまっています。つまりフォーセインツとは逆の意味でメリハリが乏しいのです。確かに「ちょっぴり拗ねて」からの「可愛い恋」のところは表情を変えようとしているのはわかりますが、空回りしている印象です。結局、恋人の死への悲しみが想い出の中に客観化されずに今もそのまま引きずっているという印象が残ります。
次は抒情歌ならこの人、倍賞千恵子さんです。
作為的なところがなく、とても自然で気持ちよく聴けます。とはいえ平板ではなく表情も細やかで豊かです。テンポを遅く歌うことで、全体として悲劇性が感じられますが、けっして大げさに悲しみを強調するのではなく淡々と歌っていて、懐かしさが感じられます。「山に初雪降る頃に」からは彼女の発声の素晴らしさもあって心に訴えるものがあります。
ただ私の感覚では、もう少しメリハリが欲しいと思います。
それでは最後に天地真理さんです。
この歌唱については本編HP「空いっぱいの幸せ」に私が書いた寸評を引用しておきます。
【フォークグループ フォーセインツのヒット曲で女性歌手が多くカバーしているが、いずれも多少の寡多はあるものの思い入れたっぷりに悲劇的な歌い方になっている。しかし天地真理はここでも淡々と、しかし音楽の進行に従って刻々と情感豊かな表情で歌う。冒頭の「(小さな)過去」ということばは抱きしめるように懐かしく歌い、「可愛い恋」では幸せいっぱいに描き出し、後半の悲劇に入ってはじめて哀しみの表情を見せて歌う。しかしそれも過剰な“泣き”になることはなく最後の回想へつながっていく。聴き終えれば、大げさな“泣き節”よりはるかに深い感動が心に残っている。】
どうだったでしょうか。“本家”のフォー・セインツ、定評ある森山良子さん、倍賞千恵子さんと並べても、天地真理さんのうたがユニークですぐれた価値をもつものであることがお分かりいただけたのではないでしょうか。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)10月7日は「秋のリクエストスペシャル」、21日は「霧の昭和歌謡」、28日は「宿、ホテルの昭和歌謡」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
今日(10月1日)は天地真理さんのデビュー記念日です。そこで、あたらしいシリーズをはじめることにします。「聴き比べ」シリーズです。つまり、同じ曲を天地真理さんを含む何人かの歌手で聴き比べてみようというものです。
歌謡曲を含むポピュラー音楽の世界では歌(曲)は歌手など“アーティスト”と結びついています。自作自演(シンガー・ソングライター)の場合はもちろん、専門の作詞・作曲家がつくった曲でも歌った歌手の“持ち歌”と考えられています。他人の“持ち歌”を歌うとわざわざ“カバー”と言います。
私は最初、カバ-の意味がわかりませんでした。なぜなら私が親しんできたクラシックの世界ではほとんどすべての曲がカバーなのです。100年も200年も前につくられた曲を無数の演奏家や歌手が演奏したり歌ったりしているのです。曲は例えば「モーツァルトの作品」というように作曲家で表され初演の演奏家で表されることはありません。曲は演奏家とは切り離され、それ自体独立した存在です。逆に言えば、演奏家は特定の演奏に縛られることなくそれぞれ自由に独自の解釈で自分自身の表現を追求するのです。演奏家を縛るのは<楽譜>だけです。
そして、その演奏家がその曲をどう演奏するか、ただの記号である楽譜を耳に聴こえる音楽としてどう再現するか、そこにクラシックを聴く楽しみがあるのです。クラシックのコンサ-トでは演奏中は誰も一言も発せず聴いています。それは単にマナーだからということではなく、一音も聴き洩らさず聴こうとしているからなのです。実際たった一音の表情で奇跡が起こることもあるのです。ポピュラーファンの人たちの中にはカバーは創造的でないと思っている人もいるようですが、自分の歌い方がそのままスタンダードになる持ち歌よりも、耳になじんだ曲にオリジナリティーを生み出すカバーの方がより厳しく創造力が求められるのです。
天地真理さんのカバーが素晴らしいということはファンの人にはよく知られたことです。それは真理さんが高校までクラシックの音楽教育を受け、作品と演奏者のこのような関係を自然に身につけていたからではないでしょうか。真理さんは「歌は楽譜を見て覚える」と言っていました。他人の歌った録音を聴いて覚えるのではなく、楽譜から自分で曲想を膨らませて歌っていくのです。もちろんそれは真理さんだけと言うことではありませんが、真理さんのカバーの面白さはそういうところから生まれてくるのでしょう。
ともかく、それぞれの持ち歌を比較しても、必ずしもそれぞれの歌手の特質がわかるとは言えません。それが歌手の特質なのか、曲の特質なのか、分かりにくいからです。しかし、同じ曲をそれぞれどう歌っているか聴いていけばその歌手の特質が現れてきます。その意味で単に「どっちがうまい」ということではなく、それぞれどう表現しようとしているかと言うことを見ていきたいと思います。ただし当然のことながら私の主観的評価が入ってくるということを前提にお読みいただければと思います。
さて前置きが長くなってしまいましたが第1回はカレッジフォークの名作『小さな日記』です。
なお、真さんのブログにも『小さな日記』の聴き比べがあり、より詳細なすぐれた分析がされていますのでぜひご覧ください。
構成美「小さな日記」-1 聴き比べ
構成美「小さな日記」-2 構成美とは
構成美「小さな日記」-3 歌詞1,2番
構成美「小さな日記」-4 歌詞3,4番
構成美「小さな日記」-5 構成美の習得は?
最初は“本家”であるファーセインツです。
フォー・セインツは1968年『小さな日記』がヒットして当時のカレッジフォークグループでは最も有名なグループの一つだったと言ってもいいと思いますが、実は高校生の真理さんが同じステージで共演しています。そのことについてはここをご覧ください。その時も多分『小さな日記』を歌ったと思いますので、真理さんはすぐ近くで聴いていたと思います。
またこのグループは後にレコード会社を移籍してフォー・クローバーズと改称し『冬物語』をヒットさせていますが、これも真理さんがカバーしていますから、縁の深いグループと言えますね。
歌唱そのものは当時のフォークグループに共通の素朴なものですが、その中では洗練されていてハーモニーもきれいです。フォークは歌謡曲の芝居じみた歌い方に対して自分たちの日常的な感覚で歌おうとしていましたから、あまり大げさな表情をつけず淡々と歌っています。それだけに表現としては浅いことが多く、この曲でも全体がだらだらと流れていく感じでメリハリがあまりありません。一方、本人たちは気づいていなかったでしょうが、今聴くと意外に歌謡曲的な節回しがあって結構湿っぽくなってもいます。ただ当時の感覚では若者たちの生活実感に合った新鮮な印象があったのです。
次にカレッジフォークと言えばこの人、森山良子さんです。
さすがに技巧的で表情豊かに歌っています。表現としては悲劇的です。最初から最後まで恋人の死への深い悲しみに貫かれています。この悲しみに同化して思い切り泣きたいという人にはぴったりでしょう。
しかし私からすると大げさすぎてくどいと思います。最初から悲しげに歌うので、「山に初雪降る頃に」からの悲劇の印象がむしろ弱くなってしまっています。つまりフォーセインツとは逆の意味でメリハリが乏しいのです。確かに「ちょっぴり拗ねて」からの「可愛い恋」のところは表情を変えようとしているのはわかりますが、空回りしている印象です。結局、恋人の死への悲しみが想い出の中に客観化されずに今もそのまま引きずっているという印象が残ります。
次は抒情歌ならこの人、倍賞千恵子さんです。
作為的なところがなく、とても自然で気持ちよく聴けます。とはいえ平板ではなく表情も細やかで豊かです。テンポを遅く歌うことで、全体として悲劇性が感じられますが、けっして大げさに悲しみを強調するのではなく淡々と歌っていて、懐かしさが感じられます。「山に初雪降る頃に」からは彼女の発声の素晴らしさもあって心に訴えるものがあります。
ただ私の感覚では、もう少しメリハリが欲しいと思います。
それでは最後に天地真理さんです。
この歌唱については本編HP「空いっぱいの幸せ」に私が書いた寸評を引用しておきます。
【フォークグループ フォーセインツのヒット曲で女性歌手が多くカバーしているが、いずれも多少の寡多はあるものの思い入れたっぷりに悲劇的な歌い方になっている。しかし天地真理はここでも淡々と、しかし音楽の進行に従って刻々と情感豊かな表情で歌う。冒頭の「(小さな)過去」ということばは抱きしめるように懐かしく歌い、「可愛い恋」では幸せいっぱいに描き出し、後半の悲劇に入ってはじめて哀しみの表情を見せて歌う。しかしそれも過剰な“泣き”になることはなく最後の回想へつながっていく。聴き終えれば、大げさな“泣き節”よりはるかに深い感動が心に残っている。】
どうだったでしょうか。“本家”のフォー・セインツ、定評ある森山良子さん、倍賞千恵子さんと並べても、天地真理さんのうたがユニークですぐれた価値をもつものであることがお分かりいただけたのではないでしょうか。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)10月7日は「秋のリクエストスペシャル」、21日は「霧の昭和歌謡」、28日は「宿、ホテルの昭和歌謡」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。