秘蔵ライブ(9) キンキンと一緒
久しぶりの秘蔵ライブシリーズ、今回は私がYoutubeにアップしているキンキンこと愛川欽也さんとの共演です。
タイトルは覚えていないのですが、キンキンが持っていたテレビ番組に出演した時の録音です。時間帯はわりと遅い、いわば“大人の時間”だったと思います。時期は『木枯らしの舗道』を歌っていますから1975年のはじめ頃、正月公演よりは後で2月のフランス旅行より前ですから1月中~下旬と思われます。
愛川欽也さんはこの頃の真理さんがおそらく最も信頼していた人だったと思います。雑誌のインタビューか手記か忘れましたが、一番の友達としてキンキンをあげている記事もありました。そこではキンキンの自由な生き方に共感していたと思います。実現はしなかったのですが、キンキンがつくる映画への出演も頼まれていました。
キンキンがパーソナリティーをつとめる深夜放送「パックインミュージック」(たしか水曜日)にもしばしば飛び入りで参加していました。(もちろん仕事が終わった後、ノーギャラでしょう)欽也パックには永六輔さんや黒柳徹子さんなど飛び入りの人が毎回のようにいて“店子”と呼ばれていましたが真理さんもその一人でした。その様子を知ることができる貴重な録音を『想い出の足音』のもも茶さんがアップしてくれています。(1974.6.25放送)
これは欽也パックの名物「カトリーヌコーナー」ですがどうでしょうか。実に楽しいですね。もちろん真理さんが出ているからということもありますが、こういう“ロマンティック”な時間というものが今やテレビからもラジオからも消え失せてしまったのではないでしょうか。
それはともかく、この番組での真理さんはとてもリラックスしていました。そんな様子がうかがえる録音をSugi4Geruさんがアップしてくれています。(1974.12.18放送)
伝説のオーディションの司会が林美雄さんだったんですね。とても臨場感のある話でした。真理さんはちょっとはしゃいでいますね。ここにいることがうれしくてたまらない、と言った感じです。
私はこの頃はすでに就職していましたから深夜放送を毎回聴くというわけにはいきませんでしたが、1,2回は真理さんが登場したのを聴きました。その内の1回は特に印象に残っているのですが、いつもの真理さんとは別人のようによくしゃべっていました。その具体的な内容は覚えていませんが、非常に率直に自分の考えを語っていたという印象があります。実はこの時のことを1977年1月の緊急入院前の“奇行”の一つにあげた週刊誌もありました。それによればこの時真理さんはワインをお土産に持って来て自分もそれを飲みながらしゃべっていたというのです。私が聴いた限り、この日の真理さんは“奇行”どころか、実に正直に自分をさらけ出していたと思います。しかし芸能界では自分に正直なのは“奇行”だったのです。あってはならないことだったのです。真理さんはその一線を踏み越えてしまった。事実は依然わかりませんが、そのことが何らかの形で緊急入院とその後の3年にわたる“休養”に結び付いたのではないでしょうか?
それはともかく、真理さんがこのようにリラックスしていられるというのはやはりキンキンへの信頼があればこそでしょう。
テレビでもキンキンとケロンパ(後にキンキンと結婚するうつみ宮土里さん)の略称「キンケロ歌謡曲」(東京12チャンネルテレビ?)にしばしば出演し、ケロンパが(旅行か何かで)出演できない時は「キンマリ歌謡曲」として一緒に司会をしたりしていました。相手役がケロンパからレモンちゃん(落合恵子さん)に代わって「キンレモ歌謡曲」になってからもよくゲスト出演していました。その様子がpoko955さんの動画で見られます。
このようにキンキンと真理さんはとても仲が良かったのですが、真理さんにとってキンキンは(ちょっと若い)お父さんのような存在だったのかもしれませんね。
それでは今回の秘蔵ライブをお聴きください。
どうでしょう、真理さんもとても楽しんでいますね。
これらの歌については本編「空いっぱいの幸せ」の「若葉のささやき(アルバム別各曲寸評)」の「私家版」に詳しく書いてありますのでそちらをお読みください。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)9月2日は「夏の終わりのリクエストスペシャル」」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
タイトルは覚えていないのですが、キンキンが持っていたテレビ番組に出演した時の録音です。時間帯はわりと遅い、いわば“大人の時間”だったと思います。時期は『木枯らしの舗道』を歌っていますから1975年のはじめ頃、正月公演よりは後で2月のフランス旅行より前ですから1月中~下旬と思われます。
愛川欽也さんはこの頃の真理さんがおそらく最も信頼していた人だったと思います。雑誌のインタビューか手記か忘れましたが、一番の友達としてキンキンをあげている記事もありました。そこではキンキンの自由な生き方に共感していたと思います。実現はしなかったのですが、キンキンがつくる映画への出演も頼まれていました。
キンキンがパーソナリティーをつとめる深夜放送「パックインミュージック」(たしか水曜日)にもしばしば飛び入りで参加していました。(もちろん仕事が終わった後、ノーギャラでしょう)欽也パックには永六輔さんや黒柳徹子さんなど飛び入りの人が毎回のようにいて“店子”と呼ばれていましたが真理さんもその一人でした。その様子を知ることができる貴重な録音を『想い出の足音』のもも茶さんがアップしてくれています。(1974.6.25放送)
これは欽也パックの名物「カトリーヌコーナー」ですがどうでしょうか。実に楽しいですね。もちろん真理さんが出ているからということもありますが、こういう“ロマンティック”な時間というものが今やテレビからもラジオからも消え失せてしまったのではないでしょうか。
それはともかく、この番組での真理さんはとてもリラックスしていました。そんな様子がうかがえる録音をSugi4Geruさんがアップしてくれています。(1974.12.18放送)
伝説のオーディションの司会が林美雄さんだったんですね。とても臨場感のある話でした。真理さんはちょっとはしゃいでいますね。ここにいることがうれしくてたまらない、と言った感じです。
私はこの頃はすでに就職していましたから深夜放送を毎回聴くというわけにはいきませんでしたが、1,2回は真理さんが登場したのを聴きました。その内の1回は特に印象に残っているのですが、いつもの真理さんとは別人のようによくしゃべっていました。その具体的な内容は覚えていませんが、非常に率直に自分の考えを語っていたという印象があります。実はこの時のことを1977年1月の緊急入院前の“奇行”の一つにあげた週刊誌もありました。それによればこの時真理さんはワインをお土産に持って来て自分もそれを飲みながらしゃべっていたというのです。私が聴いた限り、この日の真理さんは“奇行”どころか、実に正直に自分をさらけ出していたと思います。しかし芸能界では自分に正直なのは“奇行”だったのです。あってはならないことだったのです。真理さんはその一線を踏み越えてしまった。事実は依然わかりませんが、そのことが何らかの形で緊急入院とその後の3年にわたる“休養”に結び付いたのではないでしょうか?
それはともかく、真理さんがこのようにリラックスしていられるというのはやはりキンキンへの信頼があればこそでしょう。
テレビでもキンキンとケロンパ(後にキンキンと結婚するうつみ宮土里さん)の略称「キンケロ歌謡曲」(東京12チャンネルテレビ?)にしばしば出演し、ケロンパが(旅行か何かで)出演できない時は「キンマリ歌謡曲」として一緒に司会をしたりしていました。相手役がケロンパからレモンちゃん(落合恵子さん)に代わって「キンレモ歌謡曲」になってからもよくゲスト出演していました。その様子がpoko955さんの動画で見られます。
このようにキンキンと真理さんはとても仲が良かったのですが、真理さんにとってキンキンは(ちょっと若い)お父さんのような存在だったのかもしれませんね。
それでは今回の秘蔵ライブをお聴きください。
どうでしょう、真理さんもとても楽しんでいますね。
これらの歌については本編「空いっぱいの幸せ」の「若葉のささやき(アルバム別各曲寸評)」の「私家版」に詳しく書いてありますのでそちらをお読みください。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)9月2日は「夏の終わりのリクエストスペシャル」」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
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