それを歌い分けるのが歌い手

私の地元の新聞に由紀さおりさんのインタビュー記事が載っていました。とても興味深いことを話されているのでご紹介します。

歌謡曲や、先人が残した童謡・唱歌でもそうですけれど、日本語ってね、美しい言葉の響きがあって、リズムでなくて旋律の言葉なんですよ。でも今の若い人たちの歌はリズムが先になっているから、わざと平たんに歌ったり、言葉のアクセントを逆にしたり、アクセントを強くするために鼻濁音を使わなかったり。歌詞も非常に直接的な(表現の)文言です。
 古今和歌集でも、百人一首でも、日本語は本来、直接的じゃないんです。奥深くに込められた思いや深い気持ちを、ただ好きだ、嫌いだじゃなくて、情景描写もして、いろいろな表現、言葉で伝える。歌謡曲はそういう流れをくんでいるんです。歌謡曲が20曲あれば20人の女性像があります。そこにたたずむ女の人はみんな違い、人生の一こま一こまがある。それを歌い分けるのが歌い手でした。今は(多くが)自分のことしか歌わないものね。シンガー・ソングライターも、自分の思いを伝えて共感してもらうでしょ。
 私がデビューした1969(昭和44)年は、日本の音楽シーンの中でも、いろんなジャンルの歌が混沌としていて、作詞家や作曲家が、うまく日本の人たちの味わいというか、好みに合わせた歌謡曲をたくさん作ってくださった時代なんですね。私のデビュー曲「夜明けのスキャット」もその中の1つだと思います。
 姉(安田祥子さん)と2人で童謡・唱歌を中心にコンサートを続けてきましたが、デビュー40周年を機に再び歌謡曲を歌い始めました。そして、あの時代の歌をもう一回歌ってみようという時に、また日本のバンドの演奏で歌うだけでは、誰も振り向いてくれないし、お客は呼べないよねって。
 そんな話になって、私の曲をカバーしたことがあった米国のジャズ・オーケストラービンク・マルティーニのリーダーのトーマス (トーマス・口ーダーデール)さんに声を掛けて、アルバム「1969」を2011年に作りました。トーマスさんは60~70年代の音楽にしか興味のない人だから、興味を持ってくれたらいいねとオファーしたら、二つ返事で。
 収めた曲はほとんどが日本語。英語で歌おうなんて、初めから全然思っていませんでした。だって、私は、歌謡曲の歌い手として、もう一度、私の存在を皆さんに認知してもらいたいと、アルバムを作ろうと思ったわけですから。
 今の若者は、熱い思いを「重い」と感じ、もっとさらっと好きか嫌いか歌ってくれた方が楽という世代でしょう。だって、メールでやりとりしてことが終わっちゃうんだから。
 でも、相手の目を見て言うのは大事なこと。そして、伝えたときに相手がどういう表情で見てくれているか、理解してもらえたか感じるわけでしょう。そういうことが今はないのよ。
 それを投げ掛けると面倒くさいのね、今の若い人には。「うざいな」っていう感じになっちやうのよ。それでも若い人たちの世代に歌謡曲が好きという人がいないわけではないから。私が歌うことで、そういう世代の人をもう一回、据り起こすというか、歌謡曲というカテゴリーとして感じなくても、新しい言葉の表現として何かを伝えられたらいいな、というのが今の私の思いですね。


私は由紀さんとほぼ同じ時代を生きてきただけに、この記事にはとても共感できました。
まず、日本語は「旋律の言葉」というところです。日本語がリズムよりメロディーに向いた言葉かということについては(私もたぶんそうだと思いますが)科学的な分析などもあると思いますから客観的な判断に任せたいと思います。しかし<あの頃>の歌はメロディーがとても豊かでした。つまり音楽が豊かだったのです。詞はメロディーに乗って歌われ、したがって「直接的」でない詩的な言葉がメロディーのつくりだすニュアンスの変化に結び付いていたのです。

ですから歌手はそういうメロディーのもつ表情を活かして、そこに言葉を乗せていたと思うのです。由紀さんが「歌謡曲が20曲あれば20人の女性像があります。そこにたたずむ女の人はみんな違い、人生の一こま一こまがある。それを歌い分けるのが歌い手でした。」と言っているのもそのことを意味しているのだと思います。ただ由紀さんのような言い方だと、歌を「意味」を表現するものと考えてしまいそうで、それは私の考えとは違います。しかし歌手は「歌い分ける」、つまり「自分の思いを伝え」るのではなく、その歌の論理に従って客観的に表現するのだということについてはその通りだと思いますし、由紀さんもそういうことを言いたかったのだと思います。それは次に「今は(多くが)自分のことしか歌わない」と言っていることからもわかると思います。

演劇で言えば、役者は自分の<役>を演じるのです。台本を読み込んで、人物像を描き、場面ごとに台詞や動作をどのように表現するか考え演じます。決して<自分>を演じるわけではないのです。
歌の場合、台本は楽譜です。その楽譜をしっかり読みこんでどう表現するか考え、実際に声で表現する、それが歌手だと由紀さんは言っているのです。

もちろんそこに<自分>が出ないわけではありません。その人の持って生まれた感性、成育歴、音楽的経験、文学的教養、さらに声帯や口腔などの身体的特徴等々が<うた>には表れてきます。だから同じ歌を歌っても様々な解釈、表現があるのです。しかしそれは「自分のことしか歌わない」ということとは全く違います。

シンガー・ソングライターの登場以来、歌が「自分のこと」を歌うようになってきました。すると必然的に“主役”は言葉になり、音楽は“脇役”つまり言葉を引き立てる(ムードづくり)BGMのようなものになってきたのではないでしょうか。それがメロディーの衰退として言われていることだと思います。形を変えた浪花節と言ってもいいかもしれません。

一方、由紀さんが言っていることと逆ですが、音楽が主になって言葉が無意味化しているような歌もありますね。聴いているだけでは何を言っているのか聴き取れないような、言葉の本来のアクセント、抑揚など一切無視して機械的な“音”に分解してしまったような歌(?)です。これは言わば器楽ですね。

もちろん歌はさまざまな楽しみ方があります。理屈抜きにリズムに身を任せているだけで楽しい、という楽しみ方があってもいいのです。ただ、私は歌には器楽と違った言葉を介した表現があると思いますし、“語り”にはない音楽自体の自由な展開があると思うのです。

実はこの記事は書いているうちにだんだん深みにはまっていきそうになりました。下の※の文はその一部のなごりです。フロシキを広げ過ぎて収集がつかなくなりそうになったので、切り上げたのですが、私が述べたかったことは、天地真理さんが、言葉を明確に歌いながら<意味>に頼らず、音楽の自由な展開から生まれるニュアンスに言葉の表情を託して、<うた>のもつ豊かな表現を実現できた歌手だったということでした。ちょっと中途半端な記事になりましたが、いずれ本編「空いっぱいの幸せ」で活かしたいと思います。

※シンガー・ソングライターというものが登場した1960年代後半はベトナム反戦運動、フランス5月革命、日本の学園闘争など世界中(特に先進諸国)で<若者の反乱>が沸き起こった時代です。それらはそれぞれの個別のテーマは違ってもお互いを一体のものと考えていました。その底流にあったのは、エスタブリッシュメント、つまり既存の体制、権威への異議申し立てでした。社会は<大人>たちが動かし、若者たちの声が反映される回路を持ちませんでした。歌の世界でも、決まり切ったような歌謡曲に若者たちは強い違和感を感じていました。自分たちが感じていること、訴えたいことを自分たちでつくって歌おうという動きがフォーク、そしてシンガー・ソングライターの出現へとつながるのです。




※リクエスト情報

FMしばたhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。

NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)9月2日は「夏の終わりのリクエストスペシャル」」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。

FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。



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歌謡曲

おはようございます。毎日の酷暑に参りますね。

由紀さおりさんのお話 共感出来ます。
私が歌謡曲を意識的に聴いたのは、小6の一年間と中2くらい迄のごく短期間でした。

もちろん、いろんな媒体から自然に覚えていましたが(天地真理は、こちらに入ります)意識的に聴いたのはその程度です。

中3あたりは深夜ラジオでニューミュージック(シンガーソングライターのジャンルですね)を聴き、その後は洋楽のみになってしまいました。

今 真理さんを聴くようになって思うのは、やはりプロはプロの仕事なんだな ということです。

作詞家が居て、作曲家(メロディーメーカー)が居て、編曲家がいる。
演奏家(生バンドも)も居て みんな分業ですが、それぞれのプロです。

そこに歌い手が最後の仕上げをしていた。

贅沢の極みですね。

日本語は一音(ワンノート)に一文字が美しい。無理矢理英語みたいに、単語単位で当て嵌めると、わけが判らなくなります。

歌謡曲の魅力がメロディーにあったからこそ、すぐに記憶でき、記憶も持続出来たのでしょうね。

Re: 歌謡曲

ガルボ・ピアノ弾きさん
コメントありがとうございます。

クラシックなどでは作曲者自身が指揮した演奏より本職の指揮者が指揮した演奏の方が優れていることが多いですね。同様に(異論もあるかもしれませんが)「この広い野原いっぱい」は森山良子さんより天地真理さんの方が優れていると私には思えます。もちろん森山良子さんの場合は本職の歌手ですが、作品は作詞・作曲者の手を離れ、第三者によって歌われてより魅力的なものになるということがありますね。作詞、作曲、編曲、演奏、そして歌唱というそれぞれの個性が重なっていくからでしょうか。


リクエストしましたぁ~

ひこうき雲さん おはようございます。
無沙汰してすみません。。。

久々にFMしばた ごきげんラジオ 智美さんの番組にリクエスト
しました。。
多分8/20(火)の放送かなと思います。

昔の音楽とか映画をたまに見たり聴いたりしますが・・良い作品は
凄く丁寧に時間をかけて作られてると思います。
真理さんが残された歌アルバムも当時とても忙しいのに、命をかけて
作られたと、つくづく思わせる聞けば聞くほど良い音楽ばかり・・^^

今は音楽等全ての物事でインスタントで作られているのですぐに飽きる
気がします。

それではこのへんで・・
猛暑ですお体大切に[^ェ^] よろしくお願いします。







Re: リクエストしましたぁ~

nozika さん
コメントありがとうございます。

そうですね。私は最近の歌を緻密に聴いているわけではないので大雑把な印象になりますが、たしかに昔のものは丁寧に作られているという感じがします。といっても、当時は逆の印象で、真理さんの場合3か月ごとに新曲を出していましたし、LPもほぼそれに近いペースでしたから、もっとじっくり作ればいいのに、などと思ったりしたものでした。ところが今聴くとよくできているのですね。ガルボさんの言うように、やはりプロの仕事ですね。

録音の方、セットしました。ただうっかり電源を入れ忘れることがあるので、気をつけたいと思います。
私もこの間、時々リクエストとメッセージを出しているのですが、ちょうどたくさんメッセージが来ている日だったり、議会中継で番組そのものがなかったり、どうもタイミングが悪いようです。リクエストかかるといいですね。

Re: リクエストしましたぁ~

nozikaさん

本日の智美さんの「ごきげんラジオ」、nozikaさんのメッセージは読まれましたが、残念ながらリクエストはかかりませんでした。
次はかけてほしいですね。

またリクエストします

ひこうき雲さん こんばんわ

録音チェツクとお手間かけて頂きありがとうございます。
ハラハラ(◎-◎;)!!ドキドキ 残念と久しく楽しませて
もらつてます。。。
またリクエストしますので[^ェ^] よろしく!お願いします。

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