『氷の福音』②
≪追記があります≫
この著作は天地真理さんの評伝ではありません。もちろん新発見の事実も含めてこれまでの真理さんの軌跡について触れています。しかしそこから次々とテーマが膨らみ、仏教の経典や中国の古典、日本の神話、聖書、近代の様々な思想書や文学作品を引用しつつ、宗教や思想、さらに日本の近現代史の様々な問題にまで踏み込んでいきます。
真理さんに直接関係する事実だけでも、私が知らないことがたくさんありました。shiolaboさんが関係者に直接取材してわかったことはもちろん、私が持っていない資料も多数ありました。あるいは、私が持っている資料と同じでありながら、私が気づかなかった意味を引き出しているところもありました。それだけでも読む価値はあると思います。
そしてそれに関連して引用される書物の幅広さ、その幅広い膨大なフィールドの中から、一つのキーワードに関連した部分をピンポイントで引き出してくる蓄積された知識量には本当に驚かされました。
それらは必ずしも真理さんに直接関係したものでない場合も多いですが、私にはそこに引用された古典の数々を読むことそれ自体がわくわくして楽しいものでした。
最近は、私自身も含め「古典」を読むことが少なくなりました。学校の教科書でも「古典」は減ってきているようです。「古典」(「古文」ではない。近代のものでも古典的価値をもつものは「古典」です)は難しくてつまらないものといった先入観が広がっているように思います。しかし、今回(引用なので、まとまった形ではなく断片だが)たくさんの古典的な文章を読んで、あらためて古典は人類の文化的遺産だと思いました。やはりそこには深い≪真理≫があります。たしかに古典の文章はむずかしいです。しかし複雑なことは複雑な言葉でしか表現できないということがあると思います。わかりやすく易しい言葉で表現されることはそれなりのことでしかないということもあるのではないでしょうか。それに「わからない」ことは自分を映す鏡であり「わかる」ためのステップです。「わからない」のは自分の無知ゆえですから、そこから新たな「学び」が始まるのです。その意味でも、この書で見たこともない古典に接し、shiolaboさんの解説に導かれて「学ぶ」よろこびも味わうことができました。私にとってこの書は、次にどんな楽しいものが出てくるかわからないデズニーランドのような世界でした。
そして何より、事実と古典という素材を用いてshiolaboさんが展開している考察は非常に鋭いものがあります。一つ一つを見ていけば私が同意できないこともあります。しかしそういうことも含めて深く考えさせられるものがありました。それを総合的に論じるにはもう1度か2度読み直さないとできそうもありません。ここでは一つだけ触れておきたいと思います。それは2つの ”天地真理 ”です。
shiolaboさんは 天地真理(カッコなし)と≪天地真理≫(カッコつき)の2つの表記を使い分けています。カッコなしの 天地真理 は真理さん自身のことです。カッコつきの≪天地真理≫は文字通り天地(テンチ)の真理(シンリ)ということだと思いますが、読み方は「テンチシンリ」なのか「アマチマリ」なのかわかりません。この書籍の副題は「≪天地真理≫をめぐりたる象徴学的研究」となっていて、私は「天地真理さんをめぐる」ととっていたのですが、後で見るとカッコつきの方だったのですね。最終章のタイトルも≪天地真理万歳≫となっていて≪≫をつけてあります。私がそのことに気がついたのは途中まで読んでからですが、これがこの書を理解するポイントのようです。つまりこの書は、天地真理さんのさまざまな側面の中に現れている世界の真理を論じた書、と言うことではないでしょうか。(つづく)
≪追記≫
6月17日(月)のFMしばた「ごきげんラジオ769」でクミさんとNOZIKAさんのメッセージが読まれました。
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※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)6月24日は「上半期リクエストスペシャル」、7月8日は「坂の昭和歌謡」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
この著作は天地真理さんの評伝ではありません。もちろん新発見の事実も含めてこれまでの真理さんの軌跡について触れています。しかしそこから次々とテーマが膨らみ、仏教の経典や中国の古典、日本の神話、聖書、近代の様々な思想書や文学作品を引用しつつ、宗教や思想、さらに日本の近現代史の様々な問題にまで踏み込んでいきます。
真理さんに直接関係する事実だけでも、私が知らないことがたくさんありました。shiolaboさんが関係者に直接取材してわかったことはもちろん、私が持っていない資料も多数ありました。あるいは、私が持っている資料と同じでありながら、私が気づかなかった意味を引き出しているところもありました。それだけでも読む価値はあると思います。
そしてそれに関連して引用される書物の幅広さ、その幅広い膨大なフィールドの中から、一つのキーワードに関連した部分をピンポイントで引き出してくる蓄積された知識量には本当に驚かされました。
それらは必ずしも真理さんに直接関係したものでない場合も多いですが、私にはそこに引用された古典の数々を読むことそれ自体がわくわくして楽しいものでした。
最近は、私自身も含め「古典」を読むことが少なくなりました。学校の教科書でも「古典」は減ってきているようです。「古典」(「古文」ではない。近代のものでも古典的価値をもつものは「古典」です)は難しくてつまらないものといった先入観が広がっているように思います。しかし、今回(引用なので、まとまった形ではなく断片だが)たくさんの古典的な文章を読んで、あらためて古典は人類の文化的遺産だと思いました。やはりそこには深い≪真理≫があります。たしかに古典の文章はむずかしいです。しかし複雑なことは複雑な言葉でしか表現できないということがあると思います。わかりやすく易しい言葉で表現されることはそれなりのことでしかないということもあるのではないでしょうか。それに「わからない」ことは自分を映す鏡であり「わかる」ためのステップです。「わからない」のは自分の無知ゆえですから、そこから新たな「学び」が始まるのです。その意味でも、この書で見たこともない古典に接し、shiolaboさんの解説に導かれて「学ぶ」よろこびも味わうことができました。私にとってこの書は、次にどんな楽しいものが出てくるかわからないデズニーランドのような世界でした。
そして何より、事実と古典という素材を用いてshiolaboさんが展開している考察は非常に鋭いものがあります。一つ一つを見ていけば私が同意できないこともあります。しかしそういうことも含めて深く考えさせられるものがありました。それを総合的に論じるにはもう1度か2度読み直さないとできそうもありません。ここでは一つだけ触れておきたいと思います。それは2つの ”天地真理 ”です。
shiolaboさんは 天地真理(カッコなし)と≪天地真理≫(カッコつき)の2つの表記を使い分けています。カッコなしの 天地真理 は真理さん自身のことです。カッコつきの≪天地真理≫は文字通り天地(テンチ)の真理(シンリ)ということだと思いますが、読み方は「テンチシンリ」なのか「アマチマリ」なのかわかりません。この書籍の副題は「≪天地真理≫をめぐりたる象徴学的研究」となっていて、私は「天地真理さんをめぐる」ととっていたのですが、後で見るとカッコつきの方だったのですね。最終章のタイトルも≪天地真理万歳≫となっていて≪≫をつけてあります。私がそのことに気がついたのは途中まで読んでからですが、これがこの書を理解するポイントのようです。つまりこの書は、天地真理さんのさまざまな側面の中に現れている世界の真理を論じた書、と言うことではないでしょうか。(つづく)
≪追記≫
6月17日(月)のFMしばた「ごきげんラジオ769」でクミさんとNOZIKAさんのメッセージが読まれました。
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NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)6月24日は「上半期リクエストスペシャル」、7月8日は「坂の昭和歌謡」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
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