この雨雲の次に 青空が開けるわ (2)
「次回」に約束していたことはこの次にして、この曲についてもうちょっと書きましょう。
私がこの曲を知ったのは6年前の“ファン復帰”後のことです。(このあたりの経過については本編の〈水色の恋〉をご覧ください)私は真理さんの再デビューもその当時には知らずにいましたから、「愛綴れ織り」も知らないままでした。ましてそのB面のこの曲は知るわけがなかったのです。
それがその年のテレビ出演をきっかけに無性に彼女のうたを聴きたくなり、古レコード屋でこのEPを買いました。もちろん目当ては「愛綴れ織り」だったのですが、レコードをひっくり返してB面を聴いた時、A面以上に引き込まれてしまったのです。それからしばらくの間、毎日何回も、本当に飽きずに聴きました。
私は実はあまり歌詞を聴かないのです。歌詞の意味を頭で考えながらうたを聴く、ということがあまりないのです。つまり、「言葉」としてより「音」として聴いてしまうのですね。この曲も最初は「音」として聴いていたと思いますが、「信じることに照れて」というところで耳がピクピクし初め、「臆病にならないで」というところで居住まいを正して聴き入りました。私としてはとてもめずらしく、言葉が先に入ってくるような聴き方をした曲です。
この曲の作詞は松本隆さんで、とてもよく考えられた詞ですね。「心まで許した人に裏切られれば 人生が灰色にみえても仕方ないし」というあたりは(作詞者自身がそう考えたかはわかりませんが)3年間の“休養”中の真理さんの心境のようにもとれます。核心は前回引用したところです。落ち込まないで自分を信じて前向きに生きよう、という趣旨ですが、「それが私よ」という言葉で、相手に向けた言葉というより自分自身の生き方とすることで押しつけがましさを抑えています。それでも、詞だけを見れば、私のようなへそ曲がりは「なんだ、説教くさい歌だなあ」と思ってしまったかもしれません。しかしそういう抵抗なしに、スーッとこの詞に入ることができたのは、森田公一さんのスマートだけれど情感のある音楽と真理さんのうたのためでしょう。
前回書いたように、この歌には3年間の苦闘の末、復帰を果たした、当時の真理さんの心がこめられているように思えます。軽く淡々としたうたの中にも秘められた強さを感じるのです。
「愛の三叉路には戻り道はない」
これは、彼女の強い決意そのものだったのではないでしょうか。
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私がこの曲を知ったのは6年前の“ファン復帰”後のことです。(このあたりの経過については本編の〈水色の恋〉をご覧ください)私は真理さんの再デビューもその当時には知らずにいましたから、「愛綴れ織り」も知らないままでした。ましてそのB面のこの曲は知るわけがなかったのです。
それがその年のテレビ出演をきっかけに無性に彼女のうたを聴きたくなり、古レコード屋でこのEPを買いました。もちろん目当ては「愛綴れ織り」だったのですが、レコードをひっくり返してB面を聴いた時、A面以上に引き込まれてしまったのです。それからしばらくの間、毎日何回も、本当に飽きずに聴きました。
私は実はあまり歌詞を聴かないのです。歌詞の意味を頭で考えながらうたを聴く、ということがあまりないのです。つまり、「言葉」としてより「音」として聴いてしまうのですね。この曲も最初は「音」として聴いていたと思いますが、「信じることに照れて」というところで耳がピクピクし初め、「臆病にならないで」というところで居住まいを正して聴き入りました。私としてはとてもめずらしく、言葉が先に入ってくるような聴き方をした曲です。
この曲の作詞は松本隆さんで、とてもよく考えられた詞ですね。「心まで許した人に裏切られれば 人生が灰色にみえても仕方ないし」というあたりは(作詞者自身がそう考えたかはわかりませんが)3年間の“休養”中の真理さんの心境のようにもとれます。核心は前回引用したところです。落ち込まないで自分を信じて前向きに生きよう、という趣旨ですが、「それが私よ」という言葉で、相手に向けた言葉というより自分自身の生き方とすることで押しつけがましさを抑えています。それでも、詞だけを見れば、私のようなへそ曲がりは「なんだ、説教くさい歌だなあ」と思ってしまったかもしれません。しかしそういう抵抗なしに、スーッとこの詞に入ることができたのは、森田公一さんのスマートだけれど情感のある音楽と真理さんのうたのためでしょう。
前回書いたように、この歌には3年間の苦闘の末、復帰を果たした、当時の真理さんの心がこめられているように思えます。軽く淡々としたうたの中にも秘められた強さを感じるのです。
「愛の三叉路には戻り道はない」
これは、彼女の強い決意そのものだったのではないでしょうか。
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