〈天地真理の時代〉
新年おめでとうございます
ずいぶん遅い新年号になってしまいましたが、実は年末から正月の一番必要な時にプリンターが故障し、次にパソコンが不調になって悪戦苦闘。機械が立ち直ったと思ったら今度は私自身の肉体がダウン。腰痛で椅子に座り続けることが困難でとてもパソコンに向かうことができなかったのです。
というわけで、あまりお目出たくない話から始まってしまいましたが、今年はぜひ本編サイト「空いっぱいの幸せ」の一応の完成を見たいと思っています。
一昨年、各曲寸評「若葉のささやき」を完成して、残っているのは「ひとりじゃないの」(時代と天地真理)だけとなったのですが、昨年はまったく手がつけられませんでした。テーマが大きすぎる、とも言えますし、事実を確認できないことがいろいろあって自信が持てないと言うこともあります。しかし、なんとか今年は書き進めたいと思っています。
その一つとして、<天地真理の時代>とはどういうものだったか、ということからまず取り掛かりたいと思っています。天地真理さんがどんな風に人々に受け入れられたか、ということです。
例えば、天地真理さんが「空前のアイドル」であるということはファンの人たちにとっては常識ですし、ある時点まではファン以外の人たちにとってもそうだったと思うのです。それは好き嫌いではなく、事実であったからです。
NHKの「認知度調査」(この人を知っていますか?という調査)で初めて100%になったのは天地真理さんだった、ということをどこか(コメント?)で読みました。この調査について私は詳しく知りませんので真偽はわかりません。(このことを書かれた方がもしご覧になっていたら、詳しく教えていただけるとありがたいです)しかし、直感からすれば、納得できるのです。お年寄りから幼児まで真理さんを知らない人はほとんどいなかっただろうと思えるのです。
しかし真理さんの歌手としての活動が(少なくともマスコミの上では)途絶えてくると、真理さんを知らない世代が増えてきます。たしか10年くらい前の「天声人語」だったと思うのですが、ある大学の先生が、学生が「天地真理」をテンチシンリと読んだのに仰天したという記事がありました。この先生からすれば「天地真理」を知らない人がいることが信じられなかったのでしょう。私もこの記事を読んで同様に信じられませんでした。でも冷静に考えてみればこの学生は20才前後ですからテレビで真理さんを見ることはほとんどなかったのでしょう。
そういう人たちにも「空前のアイドル」ということを納得してもらうには<事実>を示さねばなりません。
<事実>にも2つの種類があります。一つは数字であらわされるような客観的事実です。そのような<事実>については以前、このブログでも取り上げました。(アルバムの女王1、2)それを見ても当時の真理さんの存在の大きさはわかります。しかし、当時の<熱さ>のようなものを伝えるにはまだ不十分のように感じられます。
それを補うのがもう一つの<事実>、数字では記録されないような個別の体験の証言です。例えば、あるブログにこんな記事がありました。
雀荘で麻雀をしている最中にテレビで真理ちゃんの歌が始まると、
雀荘にいた客全員が一斉に手を止めて、真理ちゃんの歌に聴き入り、
♪あなた~を待つ~の~♪、テニスコート~♪
真理ちゃんの歌が終わってから、またゲームを再開するという、
そんなシーンが、今でも、鮮明に思い出されます。
他の歌手の場合には、こういうことはありませんでしたから、
その人気の凄まじさが、判ろうというものです。
この光景はこの筆者が実際に体験したことだと思います。もちろんこれを<事実>と見ることには異論もあるでしょう。若干誇張があるかもしれません。「全員」ではないかもしれません。しかしこれに近い光景が事実としてなかったらこの筆者の記憶に残ることもなかったと思います。100%事実ではないかもしれないが、数字のような<形>には残らない<事実>があるように思えるのです。そしてこういう<事実>の積み重ねが〈天地真理の時代〉を生き生きとよみがえらせてくれるのではないでしょうか。
とは言え私の情報収集力は拙いものです。そこでみなさんにもそうした情報の提供をしていただければ大変うれしいです。
最後はお願いになりましたが、今年もよろしくお願いします。
※ NHKFM「ミュージックプラザ」1月21日は「楽器の昭和歌謡」、28日は「雪の昭和歌謡」です。特に「雪」ならいい曲がありそうですね。もちろん特集に関係のないリクエストも可能です。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
ずいぶん遅い新年号になってしまいましたが、実は年末から正月の一番必要な時にプリンターが故障し、次にパソコンが不調になって悪戦苦闘。機械が立ち直ったと思ったら今度は私自身の肉体がダウン。腰痛で椅子に座り続けることが困難でとてもパソコンに向かうことができなかったのです。
というわけで、あまりお目出たくない話から始まってしまいましたが、今年はぜひ本編サイト「空いっぱいの幸せ」の一応の完成を見たいと思っています。
一昨年、各曲寸評「若葉のささやき」を完成して、残っているのは「ひとりじゃないの」(時代と天地真理)だけとなったのですが、昨年はまったく手がつけられませんでした。テーマが大きすぎる、とも言えますし、事実を確認できないことがいろいろあって自信が持てないと言うこともあります。しかし、なんとか今年は書き進めたいと思っています。
その一つとして、<天地真理の時代>とはどういうものだったか、ということからまず取り掛かりたいと思っています。天地真理さんがどんな風に人々に受け入れられたか、ということです。
例えば、天地真理さんが「空前のアイドル」であるということはファンの人たちにとっては常識ですし、ある時点まではファン以外の人たちにとってもそうだったと思うのです。それは好き嫌いではなく、事実であったからです。
NHKの「認知度調査」(この人を知っていますか?という調査)で初めて100%になったのは天地真理さんだった、ということをどこか(コメント?)で読みました。この調査について私は詳しく知りませんので真偽はわかりません。(このことを書かれた方がもしご覧になっていたら、詳しく教えていただけるとありがたいです)しかし、直感からすれば、納得できるのです。お年寄りから幼児まで真理さんを知らない人はほとんどいなかっただろうと思えるのです。
しかし真理さんの歌手としての活動が(少なくともマスコミの上では)途絶えてくると、真理さんを知らない世代が増えてきます。たしか10年くらい前の「天声人語」だったと思うのですが、ある大学の先生が、学生が「天地真理」をテンチシンリと読んだのに仰天したという記事がありました。この先生からすれば「天地真理」を知らない人がいることが信じられなかったのでしょう。私もこの記事を読んで同様に信じられませんでした。でも冷静に考えてみればこの学生は20才前後ですからテレビで真理さんを見ることはほとんどなかったのでしょう。
そういう人たちにも「空前のアイドル」ということを納得してもらうには<事実>を示さねばなりません。
<事実>にも2つの種類があります。一つは数字であらわされるような客観的事実です。そのような<事実>については以前、このブログでも取り上げました。(アルバムの女王1、2)それを見ても当時の真理さんの存在の大きさはわかります。しかし、当時の<熱さ>のようなものを伝えるにはまだ不十分のように感じられます。
それを補うのがもう一つの<事実>、数字では記録されないような個別の体験の証言です。例えば、あるブログにこんな記事がありました。
雀荘で麻雀をしている最中にテレビで真理ちゃんの歌が始まると、
雀荘にいた客全員が一斉に手を止めて、真理ちゃんの歌に聴き入り、
♪あなた~を待つ~の~♪、テニスコート~♪
真理ちゃんの歌が終わってから、またゲームを再開するという、
そんなシーンが、今でも、鮮明に思い出されます。
他の歌手の場合には、こういうことはありませんでしたから、
その人気の凄まじさが、判ろうというものです。
この光景はこの筆者が実際に体験したことだと思います。もちろんこれを<事実>と見ることには異論もあるでしょう。若干誇張があるかもしれません。「全員」ではないかもしれません。しかしこれに近い光景が事実としてなかったらこの筆者の記憶に残ることもなかったと思います。100%事実ではないかもしれないが、数字のような<形>には残らない<事実>があるように思えるのです。そしてこういう<事実>の積み重ねが〈天地真理の時代〉を生き生きとよみがえらせてくれるのではないでしょうか。
とは言え私の情報収集力は拙いものです。そこでみなさんにもそうした情報の提供をしていただければ大変うれしいです。
最後はお願いになりましたが、今年もよろしくお願いします。
※ NHKFM「ミュージックプラザ」1月21日は「楽器の昭和歌謡」、28日は「雪の昭和歌謡」です。特に「雪」ならいい曲がありそうですね。もちろん特集に関係のないリクエストも可能です。
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