1971年10月の歌
前回、リクエスト情報でお知らせしたラジオ日本「タブレット純 音楽の黄金時代」 10月28日放送「1971年の10月にリリースした歌、ヒットした歌」特集で天地真理さんの「水色の恋」がかかりました。
「1971年の10月にリリースした歌、ヒットした歌」なら10月1日リリースの「水色の恋」はドンピシャで、この曲のための特集のような気がしましたから、絶対最初にかかるだろうと予想していました。聴いているとまさにその通りで一番にかけてもらえました。お聴きください。
この番組は特集についてはタブレット純さんはじめ局側で選曲するので、この特集なら「水色の恋」は必ずかかったと思うのですが、「たくさんのリクエストをいただいた」ということはやはりうれしいですね。
曲の紹介の中でタブレット純さんに「この人何者なんだろう?」と言われてしまった「風花」は私のラジオネームで、こんなメッセージでした。
1971年10月1日は天地真理さんが「水色の恋」で歌手としてデビューした日でした。「水色の恋」は天地真理さんのためにつくられたオリジナル曲ではなく、1970年のヤマハ第2回作曲コンクールに応募してアマチュア姉妹がつくったもので、原題は「小さな私」といいました。このコンクールの本選は11月5日に行われましたが、実は高校卒業後ヤマハヴォーカルスクールで学んでいた天地真理さんも(奇しくも19歳の誕生日であるこの日)本名の斉藤真理の名で譜面歌手としてこのコンクールに出場していたのです。しかし「小さな私」を歌ったのは彼女ではなく(声優でもある)藤田とし子さんでした。天地真理さんはこの時は「OtherWise」という別の曲を歌ったのです。しかし彼女はヴォーカルスクールでコンクールの応募曲をまとめた楽譜集を見て「小さな私」に心惹かれ、自分の持ち歌のように歌うようになり、TBSの「ヤング720」という番組にアマチュアとして出演した時もこの曲を歌いました。それがCBSソニーのディレクターの目にとまりプロ歌手の道を歩み始めることになったのです。
その後、渡辺プロに所属することになった天地真理さんは、たまたまマネージャーが応募したテレビドラマ「時間ですよ」のオーディションで彼女のための新しい役をつくることで採用され、1971年7月に一瞬登場して歌を歌う役でテレビに登場しました。ところがそれが大変な反響を呼び、CBSソニーでは歌手デビューを急ぐことになりました。しかしなかなかふさわしい曲ができず、彼女の希望もあり「小さな私」を「水色の恋」と改めてデビュー曲とすることになったのです。つまり「水色の恋」は天地真理さん自身が発見した曲と言ってよく、シンガーソングライターではないけれど、その意味で彼女のオリジナルと言ってもいい曲です。曲調もフォーク的で、先日(10月14日)の朝日新聞土曜版の「もういちど流行歌」の特集でははっきり「フォークソング」と書いてあり、CBSソニーはフォーク歌手として売り出そうとしていたと書かれています。その後の爆発的な人気沸騰で「空前のアイドル」への道をひた走ることになる天地真理さんにとって、「水色の恋」はその原点と言っていい曲だと思います。
この曲は彼女のシングルの中でも最も彫りの深い表現と言ってよく、たとえば「あなたの姿あなたの声が」という部分の切々とした歌い方はその後の彼女のヒット曲ではなかなか見られないものです。しかし、かといって感傷に沈んでいるわけではなく、むしろ微妙な陰影を帯びた、色で言えばまさに「水色」の、ひそやかな哀愁を美しく歌っています。自分で選んだということからわかるように、これが天地真理さんの本質であり、その意味でも原点なのです。
(なお、ヤマハの「作曲コンクール」は第3回からは「ポピュラーソングコンテスト」と改名してその後「あなた」などの大ヒット曲を数多く生み出すことになるのですが、最初のヒット曲は「水色の恋」だったのです。そのため天地真理さんは翌年の本選に招待され、いわば“凱旋” を果たしています。)
本当なら真理さんの<うた>についての中段部分だけでいいのに、どうしてこんなに長いメッセージを書いたかと言うと、すでに何人かの人がリクエストを出していることを知っていましたから、放送で読んでもらうメッセージはそちらに任せて、読んでもらうよりタブレット純さんやスタッフの方に真理さんについてもっとよく知ってもらおうと思ったのです。
特に、天地真理さんがプロダクションやレコード会社がすべてお膳立てして売り出された歌手ではなく、自分で研鑽をつみ、<自分の歌>を自分で探し出した歌手であることを知ってもらいたいと思ったわけです。そうしてタブレット純さんやスタッフの方が真理さんにさらに興味を持ってほしいと思ったからです。
ただ私の意図とは逆に長さがインパクトとなって話題が曲についてのことに集中し、他の方のメッセージが読まれなかったのはとても残念でした。
なお、私がメッセージに書いたことに関してはホームページ「空いっぱいの幸せ」の記事やこのブログの最初の記事、および過去の記事をご覧ください。
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コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
「1971年の10月にリリースした歌、ヒットした歌」なら10月1日リリースの「水色の恋」はドンピシャで、この曲のための特集のような気がしましたから、絶対最初にかかるだろうと予想していました。聴いているとまさにその通りで一番にかけてもらえました。お聴きください。
この番組は特集についてはタブレット純さんはじめ局側で選曲するので、この特集なら「水色の恋」は必ずかかったと思うのですが、「たくさんのリクエストをいただいた」ということはやはりうれしいですね。
曲の紹介の中でタブレット純さんに「この人何者なんだろう?」と言われてしまった「風花」は私のラジオネームで、こんなメッセージでした。
1971年10月1日は天地真理さんが「水色の恋」で歌手としてデビューした日でした。「水色の恋」は天地真理さんのためにつくられたオリジナル曲ではなく、1970年のヤマハ第2回作曲コンクールに応募してアマチュア姉妹がつくったもので、原題は「小さな私」といいました。このコンクールの本選は11月5日に行われましたが、実は高校卒業後ヤマハヴォーカルスクールで学んでいた天地真理さんも(奇しくも19歳の誕生日であるこの日)本名の斉藤真理の名で譜面歌手としてこのコンクールに出場していたのです。しかし「小さな私」を歌ったのは彼女ではなく(声優でもある)藤田とし子さんでした。天地真理さんはこの時は「OtherWise」という別の曲を歌ったのです。しかし彼女はヴォーカルスクールでコンクールの応募曲をまとめた楽譜集を見て「小さな私」に心惹かれ、自分の持ち歌のように歌うようになり、TBSの「ヤング720」という番組にアマチュアとして出演した時もこの曲を歌いました。それがCBSソニーのディレクターの目にとまりプロ歌手の道を歩み始めることになったのです。
その後、渡辺プロに所属することになった天地真理さんは、たまたまマネージャーが応募したテレビドラマ「時間ですよ」のオーディションで彼女のための新しい役をつくることで採用され、1971年7月に一瞬登場して歌を歌う役でテレビに登場しました。ところがそれが大変な反響を呼び、CBSソニーでは歌手デビューを急ぐことになりました。しかしなかなかふさわしい曲ができず、彼女の希望もあり「小さな私」を「水色の恋」と改めてデビュー曲とすることになったのです。つまり「水色の恋」は天地真理さん自身が発見した曲と言ってよく、シンガーソングライターではないけれど、その意味で彼女のオリジナルと言ってもいい曲です。曲調もフォーク的で、先日(10月14日)の朝日新聞土曜版の「もういちど流行歌」の特集でははっきり「フォークソング」と書いてあり、CBSソニーはフォーク歌手として売り出そうとしていたと書かれています。その後の爆発的な人気沸騰で「空前のアイドル」への道をひた走ることになる天地真理さんにとって、「水色の恋」はその原点と言っていい曲だと思います。
この曲は彼女のシングルの中でも最も彫りの深い表現と言ってよく、たとえば「あなたの姿あなたの声が」という部分の切々とした歌い方はその後の彼女のヒット曲ではなかなか見られないものです。しかし、かといって感傷に沈んでいるわけではなく、むしろ微妙な陰影を帯びた、色で言えばまさに「水色」の、ひそやかな哀愁を美しく歌っています。自分で選んだということからわかるように、これが天地真理さんの本質であり、その意味でも原点なのです。
(なお、ヤマハの「作曲コンクール」は第3回からは「ポピュラーソングコンテスト」と改名してその後「あなた」などの大ヒット曲を数多く生み出すことになるのですが、最初のヒット曲は「水色の恋」だったのです。そのため天地真理さんは翌年の本選に招待され、いわば“凱旋” を果たしています。)
本当なら真理さんの<うた>についての中段部分だけでいいのに、どうしてこんなに長いメッセージを書いたかと言うと、すでに何人かの人がリクエストを出していることを知っていましたから、放送で読んでもらうメッセージはそちらに任せて、読んでもらうよりタブレット純さんやスタッフの方に真理さんについてもっとよく知ってもらおうと思ったのです。
特に、天地真理さんがプロダクションやレコード会社がすべてお膳立てして売り出された歌手ではなく、自分で研鑽をつみ、<自分の歌>を自分で探し出した歌手であることを知ってもらいたいと思ったわけです。そうしてタブレット純さんやスタッフの方が真理さんにさらに興味を持ってほしいと思ったからです。
ただ私の意図とは逆に長さがインパクトとなって話題が曲についてのことに集中し、他の方のメッセージが読まれなかったのはとても残念でした。
なお、私がメッセージに書いたことに関してはホームページ「空いっぱいの幸せ」の記事やこのブログの最初の記事、および過去の記事をご覧ください。
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