本物を見なければわからない
1週間ほどスペインへ行ってきました。
日本をたつ時、私の住所ではまだ桜が咲き始めた頃だったのですが、マドリッドに着いたら新緑の若葉の季節でした。マドリッドは街路樹が高くて美しく、まさに「若葉のささやき」でした。気温も30℃近くで半袖で過ごしました。中間でバルセロナへ移動した頃から気温が下がり4月らしい気候になりました。
この旅で考えたことは何といっても「本物(実物)を見なければわからない」ということでした。それは至る所で経験しました。たとえば、
マドリッドから少し脚を延ばした古都トレドは写真では見ていましたが、実際のスケールや路地のたたずまいなど現地に行ってみなければわからないものでした。またベラスケス、ルーベンス、ゴヤ等の作品も写真とはまるで印象が違いました。そういう中で、とりわけそのことを強く感じたのは、まずソフィア王妃芸術センターで見たダリの作品です。私はダリの作品はどうも気持ち悪くて面白くはあっても好きではありませんでした。例えば次の作品はタイトルからして「偉大なる手淫者」というのですが・・・。

ところが実際に見るとまるで印象が違うのです。色彩が本当に繊細で実に美しい作品なのです。実物を見てない方は信じないかもしれませんが本当です。ぜひ実物を見て下さい。まさに「本物を見なければわからない」ものの代表です。
しかしそれ以上に、「本物」によって心動かされたものが2つあります。
ひとつはやはりソフィア王妃芸術センターにあるピカソの「ゲルニカ」です。

このあまりにも有名な作品は写真ではほとんどの方がご覧になっていると思いますし、テレビなどでもよく取り上げられますから細部までご存知の方も多いと思います。当然私もその歴史的意義も含めよく知った作品で「見慣れた」と言ってもいいものでした。
ところが、実際にこの作品の前3mくらいのところに立ってこれを見た時、画像から強い波のようなものが私に向かって押し寄せてくるような感覚にとらわれました。それはこの絵の中に埋め込まれた底知れぬ怒り、悲しみが発するエネルギーなのでしょう。呆然と見入っているうちに涙がにじんでいるのに気が付きました。それは言葉や概念で表現できないものに対して私の心身が反応を起こした結果でしょう。ともかくこれまでしたことのない体験でした。
「本物を見なければわからない」もののもうひとつはガウディのサグラダファミリアです。これもあまりにも有名な教会建築ですね。

外側のつくりは写真でも見られます。もちろんそのスケール感は実際に見なければわかりませんが、私がとりわけ「本物を見なければわからない」と思ったのはその内部です。もちろん内部の写真もあります。しかしその<空間>はその場でしかわからないものでした。

内部は微妙に色の違う石柱が木々のように林立し、そこに回り中のステンドグラスからの色とりどりの光線が差し込み、まるで森の中にいるようです。光線は水彩絵の具のようにやわらかで、太陽が移動するにつれて刻々と違う色で柱を染め上げていきます。小鳥の声が聴こえてきそうな生命の楽園です。心が何かかけがえのないものによって満たされ慰められる、そんな空間でした。お互いにぶつかり合うほどに大勢の観光客がいて、相当の音量が発生しているに違いないのに、この空間に身を浸していると森の静寂がそこにありました。まさに至福のひとときでした。
「本物(実物)を見なければわからない」ということは言葉で言えば当たり前ですが、実際には私たちは偽物、まがい物を見て、いかにもわかったように思い込んでしまいがちです。サグラダファミリアについてネットで調べていたら「美しいとも、立派だとも思わない 。岡本太郎の奇をてらう思想と(し)か思えません。すばらしいと言う感性もミーハー。ともあれ子供の粘土工作」というご立派なコメントを見ました。写真だけを見て自分は何でも正しく判断できると考える、自分を相対化できないこういう傲慢な人たちがネット上には多すぎますね。
天地真理さんの場合も「本物」を自分の目や耳で知ろうとせず、上の例で言えば「写真」のような2次的な情報でわかったように思っている人が世間にはあまりに多すぎます。帰りの飛行機の乗り継ぎで降り立ったヘルシンキ空港でかなり待ち時間があったので、旅行に来て初めてイヤホンを挿し真理さんのうたを聴きました。聴こえてきたのは「もの想う季節」でしたが、みずみずしい歌声が疲れた心と身体に沁みわたりました。
※ 前回「ラジオ深夜便 天地真理集」にmariminafanさんから17日の放送での反応を教えていただきましたので、お聴きください。
保母さんだった玉木(?)さんとは45周年記念パーティーにも来てくださっていた方でしょうか。ずっと真理さんを見守ってきてくださっているのですね。心温まるお便りでした。
それにしても、これを聴いて考えたことは、リクエストしっぱなしではなく、こういうフォローも大事だなと言うことです。次につなげるためにもこれから大事にしていきましょう。
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コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
日本をたつ時、私の住所ではまだ桜が咲き始めた頃だったのですが、マドリッドに着いたら新緑の若葉の季節でした。マドリッドは街路樹が高くて美しく、まさに「若葉のささやき」でした。気温も30℃近くで半袖で過ごしました。中間でバルセロナへ移動した頃から気温が下がり4月らしい気候になりました。
この旅で考えたことは何といっても「本物(実物)を見なければわからない」ということでした。それは至る所で経験しました。たとえば、
マドリッドから少し脚を延ばした古都トレドは写真では見ていましたが、実際のスケールや路地のたたずまいなど現地に行ってみなければわからないものでした。またベラスケス、ルーベンス、ゴヤ等の作品も写真とはまるで印象が違いました。そういう中で、とりわけそのことを強く感じたのは、まずソフィア王妃芸術センターで見たダリの作品です。私はダリの作品はどうも気持ち悪くて面白くはあっても好きではありませんでした。例えば次の作品はタイトルからして「偉大なる手淫者」というのですが・・・。

ところが実際に見るとまるで印象が違うのです。色彩が本当に繊細で実に美しい作品なのです。実物を見てない方は信じないかもしれませんが本当です。ぜひ実物を見て下さい。まさに「本物を見なければわからない」ものの代表です。
しかしそれ以上に、「本物」によって心動かされたものが2つあります。
ひとつはやはりソフィア王妃芸術センターにあるピカソの「ゲルニカ」です。

このあまりにも有名な作品は写真ではほとんどの方がご覧になっていると思いますし、テレビなどでもよく取り上げられますから細部までご存知の方も多いと思います。当然私もその歴史的意義も含めよく知った作品で「見慣れた」と言ってもいいものでした。
ところが、実際にこの作品の前3mくらいのところに立ってこれを見た時、画像から強い波のようなものが私に向かって押し寄せてくるような感覚にとらわれました。それはこの絵の中に埋め込まれた底知れぬ怒り、悲しみが発するエネルギーなのでしょう。呆然と見入っているうちに涙がにじんでいるのに気が付きました。それは言葉や概念で表現できないものに対して私の心身が反応を起こした結果でしょう。ともかくこれまでしたことのない体験でした。
「本物を見なければわからない」もののもうひとつはガウディのサグラダファミリアです。これもあまりにも有名な教会建築ですね。

外側のつくりは写真でも見られます。もちろんそのスケール感は実際に見なければわかりませんが、私がとりわけ「本物を見なければわからない」と思ったのはその内部です。もちろん内部の写真もあります。しかしその<空間>はその場でしかわからないものでした。

内部は微妙に色の違う石柱が木々のように林立し、そこに回り中のステンドグラスからの色とりどりの光線が差し込み、まるで森の中にいるようです。光線は水彩絵の具のようにやわらかで、太陽が移動するにつれて刻々と違う色で柱を染め上げていきます。小鳥の声が聴こえてきそうな生命の楽園です。心が何かかけがえのないものによって満たされ慰められる、そんな空間でした。お互いにぶつかり合うほどに大勢の観光客がいて、相当の音量が発生しているに違いないのに、この空間に身を浸していると森の静寂がそこにありました。まさに至福のひとときでした。
「本物(実物)を見なければわからない」ということは言葉で言えば当たり前ですが、実際には私たちは偽物、まがい物を見て、いかにもわかったように思い込んでしまいがちです。サグラダファミリアについてネットで調べていたら「美しいとも、立派だとも思わない 。岡本太郎の奇をてらう思想と(し)か思えません。すばらしいと言う感性もミーハー。ともあれ子供の粘土工作」というご立派なコメントを見ました。写真だけを見て自分は何でも正しく判断できると考える、自分を相対化できないこういう傲慢な人たちがネット上には多すぎますね。
天地真理さんの場合も「本物」を自分の目や耳で知ろうとせず、上の例で言えば「写真」のような2次的な情報でわかったように思っている人が世間にはあまりに多すぎます。帰りの飛行機の乗り継ぎで降り立ったヘルシンキ空港でかなり待ち時間があったので、旅行に来て初めてイヤホンを挿し真理さんのうたを聴きました。聴こえてきたのは「もの想う季節」でしたが、みずみずしい歌声が疲れた心と身体に沁みわたりました。
※ 前回「ラジオ深夜便 天地真理集」にmariminafanさんから17日の放送での反応を教えていただきましたので、お聴きください。
保母さんだった玉木(?)さんとは45周年記念パーティーにも来てくださっていた方でしょうか。ずっと真理さんを見守ってきてくださっているのですね。心温まるお便りでした。
それにしても、これを聴いて考えたことは、リクエストしっぱなしではなく、こういうフォローも大事だなと言うことです。次につなげるためにもこれから大事にしていきましょう。
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