聴き比べ 忘れな草をあなたに
久しぶりに聴き比べシリーズで今回は「忘れな草をあなたに」です。
Wikipediaによれば、この曲は1963年、作曲家江口浩司が女性コーラスグループ「ヴォ―チェ・アンジェリカ」のために作曲した曲(作詞は木下龍太郎)ということで、多くの歌手に歌われ抒情歌謡の代表作となっています。
ヴォ―チェ・アンジェリカは1960年に国立音楽大学出身者を中心に結成された女性6名によるコーラスグループです。当時活躍していたダークダックス、ボニージャックス、デュークエイセス、女性ではスリーグレイセス、スリーバブルスなどのコーラスグループの一つでこの歌はその代表作です。
それでは“元祖”の歌声をお聴きください。
ちょっと古風な感じもありますが、アクがなく清潔な歌い方です。グループだと細かな表情をつけにくいのですが、ソロを交代で歌うことで表情を豊かにしています。6人のハーモニーのところは儚さが感じられとても美しいですね。
しかしこの曲をヴォ―チェ・アンジェリカで聴いたことがある人はあまりいないのではないでしょうか。むしろ倍賞千恵子さんや菅原洋一さんで聴いた人が多いと思います。実際、このお二人に歌われてこれだけ親しまれる歌になったと言ってもいいのではないでしょうか。その意味ではこのお二人が“本家”ですね。
ではまず倍賞千恵子さんからお聴きください。
基本的にはヴォ―チェ・アンジェリカと同じように清潔で美しいうたですね。しかしソロですから表情がずっと深くなって歌のスケールも大きくなっています。とは言え、それが芝居がかってくるぎりぎりのところで抑えられているのは倍賞さんのうたの特質ですね。実は倍賞さんのヒット曲「下町の太陽」もこの曲と同じ江口浩司作曲で倍賞さんの声やうたがこの歌にもとても合っているのでしょう。
では次にもう一人の“本家”菅原洋一さんでお聴きください。
本当は菅原さんがもっと若い頃のうたを探したのですがYoutubeには比較的最近のものしかありませんでした。もちろんこれも立派なうたですが、声のツヤは若い頃には及びませんし、表現も若い頃に比べるとやや大げさになっていると思います。また“歌”より“語り”の要素が強まっているようです。しかし本質は変わっていないので若い頃の艶やかでソフトな声、品のいいやさしくデリケートな表現を感じ取ることはできると思います。ちなみに菅原さんも国立音楽大学出身です。
この歌はカバーしている方が多いのですべてを紹介することはできません。そこでその中から梓みちよさん、森昌子さん、芹洋子さんの歌をお聴きください。
梓さんはかなり濃厚な表現ですね。私の感覚ではちょっとくどいかなという気もします。森さんはうまいですね。でもなぜか私の胸には届かないのです。芹さんのようなうたを“清純”と言うのでしょう。情感も豊かですね。
さてそれでは最後に天地真理さんです。真理さんの印象からすると芹さんのような歌い方を想像されるかもしれませんね。実際はどうでしょうか。お聴きください。keisukeさんの作品です。(※「youtubeでご覧ください」と出たらそこをクリックすれば別タブで開きます)
ちょっと予想が外れたみたいですね。
この曲は真理さんのファーストアルバムに収録されています。このファーストアルバムは1972年のアルバム売上第1位となった記念碑的アルバムですが、収録曲はほとんどが当時の日本のフォークあるいはフォーク的な曲で若干のポップスが混じる構成です。その中ではこの曲は年代的にも音楽的にもやや古い作品で、そのためか真理さんも他の曲とはかなり違う歌い方をしています。つまり他の曲では歌い崩さない端正な形式の中で豊かな表情をつくっているのですが、この曲では私が<天地真理節>と呼ぶ独特な歌いまわしがあったりして、かなり濃厚な表現になっているのです。たとえば「しあわせ祈る言葉にかえて」のところは「しあわせエ」と歌っています。もっとよくわかるのは「忘れな草を」のところです。真理さんは「忘れなぐさアーを」という感じで歌っていますね。楽譜で見ると「ぐ」は付点四分音符、「さ」は八分音符なのですが、それを「ぐ」を四分音符の長さに縮め、残りの八分音符分で「さ」を始めてスラーで本来の「さ」の八分音符につなげるという形で歌っているのだと思います。

こういう歌い方に何か名称があるのかわからないので私は勝手に<天地真理節>と呼んでいるのですが、「ひとりじゃないの」のシングルバージョン以降の「かがや~く」というところも元々なかった独自のアレンジですし、公式録音ではありませんが「童話作家」にも梅田コマ公演以降そういうところがあります。
ともかくこんな風に歌っているのは真理さんだけですが歌詞にも真理さんだけの部分がありますね。まず「(しあわせ祈る言葉に)かえて」を「そえて」と歌っています。3番と間違えたのかもしれませんが梓みちよさんも「そえて」と歌っていてそれはそれで意味も通るので渡辺プロの持っていた楽譜はそうなっていたのかも、とも考えてしまいます。もう一つ、2番の「さだめは」を「さだめて」と歌っています。これは意味が通らないので単純に間違いだと思いますが、楽譜を見てみると「は」のすぐ上に1番の「て」があるのでそれが目に入ってしまったのではないかと推測するのですがどうでしょうか?
ただ、不思議なのはレコーディングなのですからこんな間違いは録りなおせばいいはずです。どうしてそのまま残ったのか。スタッフも気づかなかったのでしょうか。実はほかにも「ここは録りなおした方がよかったのでは?」と思うところがいくつかの曲にあります。真理さん自身やディレクターの話で真理さんのレコーディングはほとんど一発録音だったというようなことを読んだ覚えもあるので多少の傷は「まあいいや」となってしまったのかもしれません。とすると真理さんの場合スタジオ録音もほとんど加工のないライブのようなものだったと言えるのかもしれません。実際はどうだったのでしょう?
さて、他の人と違うところを部分で見てきましたが、全体の表現としてはどうなのでしょう。
かなり濃厚な表現と言いましたが、たとえば、歌いだしの「別れても」という一節はいつもの真理さんのように明るくさりげない感じですが次の「別れても」の繰り返しは「も」のあたりにかげりが出てきて次の「心の奥に」ではかなり思いが強く入ってきます。こんな風に随所でこういう思い入れの強い表現をしています。その意味ではちょっとアクの強い歌い方なのです。
特にそういう印象を与えるのは例の<天地真理節>のところで、「忘れな草を」は他の歌手は儚げな余韻をつくるような歌い方ですが、真理さんの場合はむしろ強く押し出すような感じで情熱的な印象になっています。そしてここは曲全体の印象のカギとなるところですから、真理さんの歌うこの曲は弱々しい悲しみの歌ではなく人を恋う情熱的な歌になっていると私は思います。
その象徴が3番の冒頭「よろこびの」のところではないでしょうか。真理さんの「よろこびの」はまさに心の奥から湧き上がってくるようなよろこびを感じさせます。他の歌手の場合、ここを1,2番と同じように歌っていたり、多少意識してはいるが本当のよろこびに至っていないのです。ここは他の追随を許さない見事な表現で、私はもう何百回も聴いているはずなのに、聴くたびに感嘆してしまうのです。
私はこの曲を真理さんのうたとして最上級のものだとは思いません。ファーストアルバムだけでもほとんどの曲はよりすぐれたうたになっていると思っています。しかしいわば“真理さんらしくない”ところに独特の存在感がある歌と言えるでしょう。
≪追加≫
非公開コメントで菅原洋一さんの若い頃の歌唱を教えていただきました。私の記憶にあるイメージより濃厚でした。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)11月30日は「振り返る昭和歌謡」(追憶、思い出など)です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
「天地真理特集」を実現するために、リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
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Wikipediaによれば、この曲は1963年、作曲家江口浩司が女性コーラスグループ「ヴォ―チェ・アンジェリカ」のために作曲した曲(作詞は木下龍太郎)ということで、多くの歌手に歌われ抒情歌謡の代表作となっています。
ヴォ―チェ・アンジェリカは1960年に国立音楽大学出身者を中心に結成された女性6名によるコーラスグループです。当時活躍していたダークダックス、ボニージャックス、デュークエイセス、女性ではスリーグレイセス、スリーバブルスなどのコーラスグループの一つでこの歌はその代表作です。
それでは“元祖”の歌声をお聴きください。
ちょっと古風な感じもありますが、アクがなく清潔な歌い方です。グループだと細かな表情をつけにくいのですが、ソロを交代で歌うことで表情を豊かにしています。6人のハーモニーのところは儚さが感じられとても美しいですね。
しかしこの曲をヴォ―チェ・アンジェリカで聴いたことがある人はあまりいないのではないでしょうか。むしろ倍賞千恵子さんや菅原洋一さんで聴いた人が多いと思います。実際、このお二人に歌われてこれだけ親しまれる歌になったと言ってもいいのではないでしょうか。その意味ではこのお二人が“本家”ですね。
ではまず倍賞千恵子さんからお聴きください。
基本的にはヴォ―チェ・アンジェリカと同じように清潔で美しいうたですね。しかしソロですから表情がずっと深くなって歌のスケールも大きくなっています。とは言え、それが芝居がかってくるぎりぎりのところで抑えられているのは倍賞さんのうたの特質ですね。実は倍賞さんのヒット曲「下町の太陽」もこの曲と同じ江口浩司作曲で倍賞さんの声やうたがこの歌にもとても合っているのでしょう。
では次にもう一人の“本家”菅原洋一さんでお聴きください。
本当は菅原さんがもっと若い頃のうたを探したのですがYoutubeには比較的最近のものしかありませんでした。もちろんこれも立派なうたですが、声のツヤは若い頃には及びませんし、表現も若い頃に比べるとやや大げさになっていると思います。また“歌”より“語り”の要素が強まっているようです。しかし本質は変わっていないので若い頃の艶やかでソフトな声、品のいいやさしくデリケートな表現を感じ取ることはできると思います。ちなみに菅原さんも国立音楽大学出身です。
この歌はカバーしている方が多いのですべてを紹介することはできません。そこでその中から梓みちよさん、森昌子さん、芹洋子さんの歌をお聴きください。
梓さんはかなり濃厚な表現ですね。私の感覚ではちょっとくどいかなという気もします。森さんはうまいですね。でもなぜか私の胸には届かないのです。芹さんのようなうたを“清純”と言うのでしょう。情感も豊かですね。
さてそれでは最後に天地真理さんです。真理さんの印象からすると芹さんのような歌い方を想像されるかもしれませんね。実際はどうでしょうか。お聴きください。keisukeさんの作品です。(※「youtubeでご覧ください」と出たらそこをクリックすれば別タブで開きます)
ちょっと予想が外れたみたいですね。
この曲は真理さんのファーストアルバムに収録されています。このファーストアルバムは1972年のアルバム売上第1位となった記念碑的アルバムですが、収録曲はほとんどが当時の日本のフォークあるいはフォーク的な曲で若干のポップスが混じる構成です。その中ではこの曲は年代的にも音楽的にもやや古い作品で、そのためか真理さんも他の曲とはかなり違う歌い方をしています。つまり他の曲では歌い崩さない端正な形式の中で豊かな表情をつくっているのですが、この曲では私が<天地真理節>と呼ぶ独特な歌いまわしがあったりして、かなり濃厚な表現になっているのです。たとえば「しあわせ祈る言葉にかえて」のところは「しあわせエ」と歌っています。もっとよくわかるのは「忘れな草を」のところです。真理さんは「忘れなぐさアーを」という感じで歌っていますね。楽譜で見ると「ぐ」は付点四分音符、「さ」は八分音符なのですが、それを「ぐ」を四分音符の長さに縮め、残りの八分音符分で「さ」を始めてスラーで本来の「さ」の八分音符につなげるという形で歌っているのだと思います。

こういう歌い方に何か名称があるのかわからないので私は勝手に<天地真理節>と呼んでいるのですが、「ひとりじゃないの」のシングルバージョン以降の「かがや~く」というところも元々なかった独自のアレンジですし、公式録音ではありませんが「童話作家」にも梅田コマ公演以降そういうところがあります。
ともかくこんな風に歌っているのは真理さんだけですが歌詞にも真理さんだけの部分がありますね。まず「(しあわせ祈る言葉に)かえて」を「そえて」と歌っています。3番と間違えたのかもしれませんが梓みちよさんも「そえて」と歌っていてそれはそれで意味も通るので渡辺プロの持っていた楽譜はそうなっていたのかも、とも考えてしまいます。もう一つ、2番の「さだめは」を「さだめて」と歌っています。これは意味が通らないので単純に間違いだと思いますが、楽譜を見てみると「は」のすぐ上に1番の「て」があるのでそれが目に入ってしまったのではないかと推測するのですがどうでしょうか?
ただ、不思議なのはレコーディングなのですからこんな間違いは録りなおせばいいはずです。どうしてそのまま残ったのか。スタッフも気づかなかったのでしょうか。実はほかにも「ここは録りなおした方がよかったのでは?」と思うところがいくつかの曲にあります。真理さん自身やディレクターの話で真理さんのレコーディングはほとんど一発録音だったというようなことを読んだ覚えもあるので多少の傷は「まあいいや」となってしまったのかもしれません。とすると真理さんの場合スタジオ録音もほとんど加工のないライブのようなものだったと言えるのかもしれません。実際はどうだったのでしょう?
さて、他の人と違うところを部分で見てきましたが、全体の表現としてはどうなのでしょう。
かなり濃厚な表現と言いましたが、たとえば、歌いだしの「別れても」という一節はいつもの真理さんのように明るくさりげない感じですが次の「別れても」の繰り返しは「も」のあたりにかげりが出てきて次の「心の奥に」ではかなり思いが強く入ってきます。こんな風に随所でこういう思い入れの強い表現をしています。その意味ではちょっとアクの強い歌い方なのです。
特にそういう印象を与えるのは例の<天地真理節>のところで、「忘れな草を」は他の歌手は儚げな余韻をつくるような歌い方ですが、真理さんの場合はむしろ強く押し出すような感じで情熱的な印象になっています。そしてここは曲全体の印象のカギとなるところですから、真理さんの歌うこの曲は弱々しい悲しみの歌ではなく人を恋う情熱的な歌になっていると私は思います。
その象徴が3番の冒頭「よろこびの」のところではないでしょうか。真理さんの「よろこびの」はまさに心の奥から湧き上がってくるようなよろこびを感じさせます。他の歌手の場合、ここを1,2番と同じように歌っていたり、多少意識してはいるが本当のよろこびに至っていないのです。ここは他の追随を許さない見事な表現で、私はもう何百回も聴いているはずなのに、聴くたびに感嘆してしまうのです。
私はこの曲を真理さんのうたとして最上級のものだとは思いません。ファーストアルバムだけでもほとんどの曲はよりすぐれたうたになっていると思っています。しかしいわば“真理さんらしくない”ところに独特の存在感がある歌と言えるでしょう。
≪追加≫
非公開コメントで菅原洋一さんの若い頃の歌唱を教えていただきました。私の記憶にあるイメージより濃厚でした。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)11月30日は「振り返る昭和歌謡」(追憶、思い出など)です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
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