『木綿のハンカチーフ』(2)
(1)で、「『木綿のハンカチーフ』は手紙のやり取りといういわば対話形式でストーリーが展開し、そのストーリーを最後まで追うことで「木綿のハンカチーフ」の意味がわかり、それが聴く者の心に感情を引き起こす、という構造をもっています」と書きましたが、太田裕美さんはどう歌っているでしょうか。
聴いてみましょう。
太田裕美さんはもってまわったような表情はつけないが、最初のフレーズは旅立ちのうれしさを快活なうたで感じさせ、女性の言葉になると裕美さんの特徴である少し舌足らずな甘えるような声を生かしてやさしい表情で歌います。そのあともストーリーの展開に合わせて微妙に表情が変化していきます。
しかし裕美さんが最も集中しているのはこの対話を音楽に乗せるということではないでしょうか。対話と言ってもお芝居のようにではなくあくまで音楽として表現する、それがこの曲のすぐれた点なのです。Youtubeで「歌番組では2番くらいまでしか歌わなかったからレコードを買って最後を聴くまで明るい歌だと思っていた」というコメントがありましたが、たしかに言葉を抜いてメロディーだけ聴けばむしろテンポの良い明るい歌ですね。これを歌詞の結末に引き寄せられて芝居じみたうたにしてしまったら魅力は半減です。太田裕美さんはあくまでも基調は明るく軽快に、そしてその中に微妙な陰影を描いて、この女性の悲しみをさらりと歌い、そのことで聴く者の共感を引き出しています。この曲にぴったりの、大げさでもなく単調でもない、過不足のないうたと言えます。
私は、親友である太田裕美さんと天地真理さんとの関係から、真理さんだったらこの歌をどう歌うのだろうか?と考えたことがあります。そしてその時は、真理さんはストーリー的な歌はあまり合わないのではないか、と考えました。
ところが、実際にそれを聴くことができたのです。先日紹介したように「私は天地真理」コンサートの中で歌われていたのです。
聴いてみましょう。
いかがだったでしょうか。
私がこの元ファイルをいただいて初めて聴いたときはこうでした。
「水色の恋」「童話作家」と進んで、次はアルバム版の記憶から「いちご白書をもう一度」と私は無意識に思い込んでいました。ところが思いがけず全く違う曲が始まり、何の曲かわからないでいる間に真理さんの歌声が入ってきました。それを聴いたとたん、私の涙腺が一気に緩み、涙が次々と流れ落ちてきたのです。そのころやっとその曲が『木綿のハンカチーフ』だとわかったのですが、その後もさらに涙があふれてきました。
私はそれまでこの曲で涙を流したことなどありませんし、上述したように元々そういう曲でもありません。それでは真理さんはよほど悲しげに歌ったのでしょうか。お聴きいただいたようにそれも違います。それどころか、この録音ではファンの声援や拍手、バンドの音などで真理さんの声はあまり鮮明には聴こえないのです。まして歌詞はなかなか聴き取れないのです。ですから歌詞の意味から(つまりストーリーで)涙が出たわけではないのです。もっとも私はこの曲を知っているわけですから、『木綿のハンカチーフ』だとわかったとき、そのストーリーが脳の中に想起されていたでしょう。しかしそれが涙につながったわけではありません。なぜなら、まだ『木綿のハンカチーフ』だとわからず、歌詞が聴き取れない状態の時にすでに涙があふれていたからです。
ではなぜ涙が出たのでしょうか?ひとつには声でしょう。このコンサートでの真理さんの声はアルバム版でお分かりの通り、何の技巧を使わずとも聴く人の心を打つ力をもっていました。このコンサートだけでなく、1976年の真理さんの声は、歌手としてのキャリアによって練り上げられ、人気は下火になったけれどそのために声帯の酷使もなくなり、最高の状態にあったのでしょう。拍手や歓声の中から聴こえてくる声であっても「恋人よ」という冒頭の一節だけで、やさしさ、懐かしさ、そういったものが混然となった感情が私のなかに引き起こされ心を動かしたのです。
また真理さんの歌い方、それも当然涙の理由でしょう。対話のような形をとったこの曲は、いわばA-B-A-Bというように言葉や曲想が交代していきます。太田裕美さんは丁寧にその形で歌っています。ところが真理さんのうたではこういう交代はあまり明確ではありません。せいぜいA-A’-A-A’くらいでしょう。むしろひとつながりの歌として、大きな波をつくって歌っているように思えます。つまり言葉とかストーリーによって理屈で感動を引き起こすのではなく、音楽そのものの展開にそって歌うことで、その力を引き出しているのです。この録音では言葉は明確に聴こえませんから、私の涙は言葉によってではなく、器楽曲のように音楽そのものとして聴くことであふれ出たのです。そしてそこに天地真理という歌手の最高の魅力があり、私はこの曲でそれを再認識できたと思っています。
ここでお知らせがあります。
11月5日は今年もネット版「天地真理誕生日スペシャル」をやりたいと思います。
去年、おととしもやりましたが、ラジオのリクエスト番組のようなものをネット上でやってみようというものです。
そこで、皆さんからのリクエストを募集します。ぜひ聴きたい、聴いてもらいたい天地真理さんの1曲(オリジナル、カバーを問わず)とそれに関するメッセージをお寄せください。なお、リクエスト曲はYoutubeの動画で見られるものから選んでその動画のURLをお知らせください。
ただ最近Youtubeから削除されたりミュートされている動画が多いので、「一杯のレモンティー」限定の動画(Youtube、FC2動画)も含めて結構です。その場合はその記事の年月日とタイトルをお知らせください。ともかく、現在みられるか、確認のうえリクエストをお願いします。
リクエストはメールでamhikokigumo@gmail.comまでお願いします。このブログへの非公開コメントでも結構ですが、こちらからお尋ねすることもありますので連絡方法もお知らせください。
作業の都合上、なるべく早くいただければありがたいですが、最終10月31日までとします。あとわずかですが、大勢の方からのリクエストをお願いします。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)10月27日は「ファッションの昭和歌謡」、11月17日は「朝の昭和歌謡」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
聴いてみましょう。
太田裕美さんはもってまわったような表情はつけないが、最初のフレーズは旅立ちのうれしさを快活なうたで感じさせ、女性の言葉になると裕美さんの特徴である少し舌足らずな甘えるような声を生かしてやさしい表情で歌います。そのあともストーリーの展開に合わせて微妙に表情が変化していきます。
しかし裕美さんが最も集中しているのはこの対話を音楽に乗せるということではないでしょうか。対話と言ってもお芝居のようにではなくあくまで音楽として表現する、それがこの曲のすぐれた点なのです。Youtubeで「歌番組では2番くらいまでしか歌わなかったからレコードを買って最後を聴くまで明るい歌だと思っていた」というコメントがありましたが、たしかに言葉を抜いてメロディーだけ聴けばむしろテンポの良い明るい歌ですね。これを歌詞の結末に引き寄せられて芝居じみたうたにしてしまったら魅力は半減です。太田裕美さんはあくまでも基調は明るく軽快に、そしてその中に微妙な陰影を描いて、この女性の悲しみをさらりと歌い、そのことで聴く者の共感を引き出しています。この曲にぴったりの、大げさでもなく単調でもない、過不足のないうたと言えます。
私は、親友である太田裕美さんと天地真理さんとの関係から、真理さんだったらこの歌をどう歌うのだろうか?と考えたことがあります。そしてその時は、真理さんはストーリー的な歌はあまり合わないのではないか、と考えました。
ところが、実際にそれを聴くことができたのです。先日紹介したように「私は天地真理」コンサートの中で歌われていたのです。
聴いてみましょう。
いかがだったでしょうか。
私がこの元ファイルをいただいて初めて聴いたときはこうでした。
「水色の恋」「童話作家」と進んで、次はアルバム版の記憶から「いちご白書をもう一度」と私は無意識に思い込んでいました。ところが思いがけず全く違う曲が始まり、何の曲かわからないでいる間に真理さんの歌声が入ってきました。それを聴いたとたん、私の涙腺が一気に緩み、涙が次々と流れ落ちてきたのです。そのころやっとその曲が『木綿のハンカチーフ』だとわかったのですが、その後もさらに涙があふれてきました。
私はそれまでこの曲で涙を流したことなどありませんし、上述したように元々そういう曲でもありません。それでは真理さんはよほど悲しげに歌ったのでしょうか。お聴きいただいたようにそれも違います。それどころか、この録音ではファンの声援や拍手、バンドの音などで真理さんの声はあまり鮮明には聴こえないのです。まして歌詞はなかなか聴き取れないのです。ですから歌詞の意味から(つまりストーリーで)涙が出たわけではないのです。もっとも私はこの曲を知っているわけですから、『木綿のハンカチーフ』だとわかったとき、そのストーリーが脳の中に想起されていたでしょう。しかしそれが涙につながったわけではありません。なぜなら、まだ『木綿のハンカチーフ』だとわからず、歌詞が聴き取れない状態の時にすでに涙があふれていたからです。
ではなぜ涙が出たのでしょうか?ひとつには声でしょう。このコンサートでの真理さんの声はアルバム版でお分かりの通り、何の技巧を使わずとも聴く人の心を打つ力をもっていました。このコンサートだけでなく、1976年の真理さんの声は、歌手としてのキャリアによって練り上げられ、人気は下火になったけれどそのために声帯の酷使もなくなり、最高の状態にあったのでしょう。拍手や歓声の中から聴こえてくる声であっても「恋人よ」という冒頭の一節だけで、やさしさ、懐かしさ、そういったものが混然となった感情が私のなかに引き起こされ心を動かしたのです。
また真理さんの歌い方、それも当然涙の理由でしょう。対話のような形をとったこの曲は、いわばA-B-A-Bというように言葉や曲想が交代していきます。太田裕美さんは丁寧にその形で歌っています。ところが真理さんのうたではこういう交代はあまり明確ではありません。せいぜいA-A’-A-A’くらいでしょう。むしろひとつながりの歌として、大きな波をつくって歌っているように思えます。つまり言葉とかストーリーによって理屈で感動を引き起こすのではなく、音楽そのものの展開にそって歌うことで、その力を引き出しているのです。この録音では言葉は明確に聴こえませんから、私の涙は言葉によってではなく、器楽曲のように音楽そのものとして聴くことであふれ出たのです。そしてそこに天地真理という歌手の最高の魅力があり、私はこの曲でそれを再認識できたと思っています。
ここでお知らせがあります。
11月5日は今年もネット版「天地真理誕生日スペシャル」をやりたいと思います。
去年、おととしもやりましたが、ラジオのリクエスト番組のようなものをネット上でやってみようというものです。
そこで、皆さんからのリクエストを募集します。ぜひ聴きたい、聴いてもらいたい天地真理さんの1曲(オリジナル、カバーを問わず)とそれに関するメッセージをお寄せください。なお、リクエスト曲はYoutubeの動画で見られるものから選んでその動画のURLをお知らせください。
ただ最近Youtubeから削除されたりミュートされている動画が多いので、「一杯のレモンティー」限定の動画(Youtube、FC2動画)も含めて結構です。その場合はその記事の年月日とタイトルをお知らせください。ともかく、現在みられるか、確認のうえリクエストをお願いします。
リクエストはメールでamhikokigumo@gmail.comまでお願いします。このブログへの非公開コメントでも結構ですが、こちらからお尋ねすることもありますので連絡方法もお知らせください。
作業の都合上、なるべく早くいただければありがたいですが、最終10月31日までとします。あとわずかですが、大勢の方からのリクエストをお願いします。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)10月27日は「ファッションの昭和歌謡」、11月17日は「朝の昭和歌謡」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
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