サラシをまいて

sakuraさんに予告されてしまいましたが、6月23日(月)のNHKFMミュージックプラザ「雨の昭和歌謡」特集で「レイン・ステイション」がかかりました。リクエストは神戸と松戸の方たちでしたが、真理さん関連の掲示板やブログでおなじみの方たちではないように思います。そうだとすると、そういう方たちからシングルヒット以外の曲がリクエストされるというのはとてもうれしいことですね。



私は「レイン・ステイション」は前(2014.6.18)にかかっているので今回は「ある雨の日の情景」をリクエストしたのですが、ボツでした。カバーはなかなかかかりませんね。あるいはNHKがCD(レコード)をもっていないのでしょうか。でもシングル以外の曲も少しずつかかるようになってきてよかったです。

さて、本題です。
先日、所用があって国会周辺に行ったとき、汗をかきながら坂を上って「ちょっと休みたいな」と思ったところ、目の前に緑豊かな大きな建物がありました。国会図書館でした。次の予定までしばらく時間もあったので、入ってみることにしました。
利用するのは初めてなので、まず利用登録をしてから検索用パソコンでいろいろ試してみました。さすがに資料が多く、めずらしいものもいろいろありそうでした、しかし時間の都合もあるので、前から気になっていた資料を探してみようと、「天地真理」と入れて検索すると400件くらい出てきました。多いのはCD、レコードなどの録音資料と雑誌でした。
うれしくなって片端から探してみたのですが、残念ながら私の目当ての資料はわかりませんでした。もう少し時間があれば検索の仕方を工夫するなどして探せたかもしれませんが、次の機会にすることにしてあきらめました。
しかしそうして探していく過程で、今まで知らなかった意外な資料もいくつか見ることができました。今回はそれを紹介しようと思います。

まず、1984年11月発行の『社会保険』という雑誌です。あまりおなじみでない雑誌ですが、全国社会保険協会連合会というところが発行している雑誌です。準官製機関の雑誌らしいですからなじみのないのは当たり前ですね。
では真理さんはどこに出てくるかというと、「とっておきの話~健康と病気」というコーナーにインタビュー記事があり、1973年のアメリカ旅行とそのあとの“盲腸炎”のことを語っています。
『社会保険』
(クリックすると別タグが開きますので、拡大して読んでください)
1973年の夏といえばまさに真理さんの人気が絶頂に達した頃でしたが、アメリカ旅行の後、“盲腸炎”で入院してしばらくテレビで姿を見なかったことは私も覚えています。ところが実際は十分静養させてくれず、サラシをまいてステージに上がっていたとは知りませんでした。改めて当時の苛酷な生活を想うのですが、真理さんは私たちの前ではそんなことはみじんも感じさせず、変わらぬ笑顔で歌っていたのですね。

もうひとつ注目したのは最後の部分です。そこで、日台合作の映画『殺戮』に出演することになったといっています。この映画出演については塩崎雪生さんが著書『氷の福音』の第15章《魔性の煙霧》(179p)に詳しく書かれていますのでぜひご覧いただきたいと思いますが、私はそれを読むまでこの映画については知りませんでしたし、ほとんどの方がそうだと思います。しかしこの記事では、真理さん自身がこの映画について強い意欲をもって語っていますし、10月末に台湾で撮影開始、翌年2月完成という具体的なスケジュールもできていたこともわかります。それがどうして実現できなかったのか、『氷の福音』によると製作費が調達できなかったと推測されるようですが、返す返すも残念というほかありません。この映画が立ち消えになった結果、『魔性の香り』に出演することになった経過については『氷の福音』に詳しく述べられている通りです。私は『魔性の香り』もきちんと評価すべき作品と考えていますが(本編「空いっぱいの幸せ」)、実際に映画を見なかった人たちに大きな誤解を与えたのも事実でしょう。
この記事でこの映画への真理さんの強い意気込みを知り、何とか実現させてあげたかったと思うばかりです。

※ 私が探していたのは、1972年の初めから春くらいの週刊誌です。芸能週刊誌や女性週刊誌ではなく、おそらく男性向けの週刊誌で、”中年にも人気の清純派歌手2人”というようなコンセプトで真理さんと小柳ルミ子さんを比較した内容でした。ずっと探しているのですが、なかなか見つかりません。どの雑誌か覚えていないのですが、「週刊ポスト」「週刊現代」あるいは新聞社系の「週刊朝日」「サンデー毎日」「週刊読売」等ではないかと思います。内容からして「週刊新潮」や「週刊文春」のイヤミ系ではないと思いますが可能性がないとも言えません。もし心当たりがある方がおられましたら教えていただければ幸いです。


※リクエスト情報

FMしばたhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。

NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)6月30日は「上半期リクエストスペシャル」、7月7日は「七夕の昭和歌謡」、14日は「フランスな昭和歌謡」、21日は「海の昭和歌謡」、28日は「昭和のヒットメーカー 弾厚作」(つまり作曲家としての加山雄三)です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。

リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。

FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。


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想い出のグリーングラス

秘蔵シリーズ、今回は貴重な放送録音をたくさん公開してくださっているSugi4Geruさんのコレクションから「想い出のグリーングラス」です。
この曲はライブ盤「天地真理オンステージ」でも歌われています。そこではじめにそちらを聴いてください。なお、この曲とこの時の真理さんの歌唱については本編「空いっぱいの幸せ」の「各曲寸評」に書きましたのでご覧ください。



ひとつひとつの言葉に豊かな表情があるうたですね。こういうきちんとした録音の、しかもライブでの歌唱があるのにどうしてわざわざ放送録音版を取り上げるのだろうと思われるかもしれませんが、ともかくお聴きください。



どうでしょうか。全く違いますね。しかもこれは1974年9月10日の「スタジオ23」でのライブということですから、「天地真理オンステージ」(1974年9月15日)とは5日しか違わないのです。同じ歌手がほとんど同じ時期に全く違う歌い方をしているわけです。しかし真理さんの場合、それは珍しいことではありません。Sugi4Geruさんのコレクションをお聴きになれば同じ曲でもそれぞれかなり違った歌い方になっていることがわかると思います。
これはその時のバンドの演奏、ステージやスタジオの環境、番組の性格・雰囲気に応じて、さらに真理さん自身の心身の状態も反映して、意識的あるいは無意識的に違う歌い方になるのでしょう。つまり真理さんは決まりきった歌い方はしないということです。「どんな条件でも同じように歌えるのがプロだ」という人もいます。そういう人は真理さんを評価できないかもしれません。しかし<うた>というのは生身の人間の<表現>なのです。大量生産の工業製品ではありません。真理さんのうたを聴くと、<うた>とはその時その場で生まれるものだということが実感できます。
このライブでも、出だしこそ淡々としていますが、「迎えてくれる」からは何かに憑かれたような歌い方になって最後のピークへ向かってグングンと高揚していきます。「オンステージ」版は歌詞の内容にそった丁寧な、やや抑えた歌い方ですが、こちらはそうした<物語り>を超越して音楽自体の展開に身を任せて歌っているように思えます。それはまるでミューズの神が真理さんに乗り移って、天地真理という楽器を奏でているように私には思えます。ともかくこれは真理さん自身も2度と同じように歌うことができないうたと言っていいでしょう。

おまけでもう一つ、真理さんがあこがれていたジョーン・バエズの歌う「想い出のグリーングラス」をお聴きください。




※リクエスト情報

FMしばたhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。

NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)6月23日は「雨の昭和歌謡」、30日は「上半期リクエストスペシャル」、7月7日は「七夕の昭和歌謡」、14日は「フランスな昭和歌謡」、21日は「海の昭和歌謡」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。

リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。

FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。


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誕生日の新聞

更新が遅れ気味ですね。書きかけた話題はいくつかあったのですが、いろいろ事情もあってボツにしました。そこで何かいい話題はないかと考えていると、hatogairu kouenさんのブログ「再発見!歌姫・天地真理」に真理さんの誕生年前後の紹介が出ているのを見て、真理さんの誕生日の新聞(コピー)を持っていたのを思い出し、紹介することにしました。(クリックすると少し大きくなります。文字は読めないかもしれませんが。上半分だけですが下半分はほとんど広告です)

真理さんの誕生日は1951年11月5日です。この日は月曜日だったのですね。
この頃の新聞は4面しかありません。まだまだ物資不足が続いていたのでしょう。

では1面を見てみましょう。
1面
トップ記事は「行政協定」に関するものです。「再発見!歌姫・天地真理」に紹介されているようにこの年は9月にサンフランシスコ平和条約が調印されて連合国による占領が終わり日本が独立を回復した年です。一方、平和条約と同日「日米安保条約」(略称)が調印され今に続く安保体制が生まれた年でもあります。「行政協定」はその結果駐留が継続されることになった在日米軍の位置づけに関する規定で、1960年の安保条約改定後は「地位協定」という名称になっています。沖縄などで米軍兵士が犯罪を犯したとき、日本の警察がすぐに身柄を拘束できないということがよく問題になりますが、これも地位協定に基づいています。
この記事はこの時点では「行政協定」はまだ締結されておらずそのためダレス国務長官が来日するという内容です。(締結されたのは翌年2月)戦後の体制ができつつある頃というのがわかります。
その左の記事は「主食問題」「統制全廃」という言葉が見えます。食糧難で配給制であったコメの統制をどうするかという記事です。主食も不足して外米を輸入し、なおかつ配給でないと暮らしていけない時代でした。まだまだ戦争の傷が生活の根本を圧迫していたのですね。
なお、下の方に「民主党」と出ていますがこれは現在の民主党とは別物でその後「自由党」と合同して「自由民主党」を結成する政党です。

次に2面を見てみましょう
3面
最初は「炭労2次ストか」ですね。炭労とは炭鉱労働者の組合です。当時はエネルギーの中心は石炭でしたから炭労がストライキをすると日本経済にとって深刻な打撃になりますから炭労の影響力は大きかったのです。高度成長前で、働く人々の賃金は安く生活は貧しかったので、ストライキは盛んにおこなわれました。労働組合が活発だったころですね。
中央の下の方には「中国に邦人20万」という見出しがあります。終戦後6年がたってまだ中国には20万人の日本人が残留し帰国を望んでいるという記事です。まだこれだけの人が放置されていたのですね。

次は3面です。
2面
「主要家庭商品の値動き」という記事で「制電」という言葉がありますね。電力も不足していたことがわかります。「木炭・マキ」も「主要商品」だったのですね。私など高校まで石炭ストーブ、まきストーブでしたが、若い人はどういうものかわからない人もいるでしょうね。

最後に4面です。
4面
まず早慶戦の記事ですね。当時は大学野球の人気が高かったのですね。何とその下に小さく日米野球の記事があります。この頃の日米野球というのはシーズン後にメジャーリーグの選抜チームが来て日本の各球団や日本選抜チームと試合をしたものです。当時は日米の実力の差は大きく、アメリカの選手は観光気分のようなところもあったにもかかわらず全日本でも勝てなかったのですね。でもメンバーを見ると、アメリカにはディマジオの名前が見えますし、全日本チームは別当、川上、藤村、大下といった伝説的な打者が並び、投手も別所、金田、杉下という超豪華リレーです。
日米野球

2面のところにマンガがありましたね。「サザエさん」です。
サザエさん
この頃からすでにあったのですね。この日はセリフがなくて絵だけなので、わかったようなわからないような感じですが、七輪で煮炊きをしているなど懐かしい風景が描かれています。

こうしてみてくると真理さんが生まれた年はまだまだ戦争の傷も癒えず苦しい生活が続き、日本がこれからどうなっていくのか手探りの状態の中で、人々が懸命に生きていた時代だったのですね。


※リクエスト情報

FMしばたhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。

NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)6月16日が「サンバな昭和歌謡」、23日は「雨の昭和歌謡」、30日は「上半期リクエストスペシャル」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。

リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。

FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。


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