小説「想い出のセレナーデ」
『オール読物11月号』に『想い出のセレナーデ』という短編小説が掲載されているという、掲示板「さくら貝」にM.M.Mさんが書き込まれた情報を見て、早速読んでみました。
『オール読物11月号』には「秋の直木賞作家特集」とともに「あの素晴らしい昭和歌謡をもう一度」という特集があり、巻頭の「グラビア!昭和歌謡クロニクル」や「あの素晴らしい歌詞をもう一度」というエッセイ集、そして「人気作家競演!昭和歌謡小説」という7人の作家による短編小説集があります。そしてその小説集の中に朱川湊人氏による『想い出のセレナーデ』がありました。
朱川氏について私はよく知りませんが、<ノスタルジックホラー>を得意とする直木賞作家ということです。年齢は1963年1月生まれと言うことですから、この小説の「僕」と同じで、その意味で「僕」の<天地真理経験>は朱川氏の<天地真理経験>が投影されていると言っていいのでしょう。
さて小説『想い出のセレナーデ』はこの「僕」(風間秀治)の古いカセットテープについての回想から始まります。そのカセットテープは小学校6年の時のクラスの「お楽しみ会」の様子が録音されているのですが、その中に佐々木千晶が皆の前で歌った天地真理の『想い出のセレナーデ』があるのです。
千晶は歌手を夢見る明るい少女で「僕」とは保育園の頃から何となく気が合い一緒に遊ぶ仲でした。もしその後特別のことがなければ一緒に人生を生きることになっていたかもしれなかったと後に思うような仲でした。
千晶は天地真理のファンでした。「僕と同世代の人には説明するまでもないと思うが、七〇年代初め頃のトップアイドルと言えば、文句なしに天地真理だった。次から次へとヒットを飛ばし、名前を冠した番組も数多くあって、それこそ老若男女を問わない人気を博していた。まさに国民的アイドル」で、千晶も「僕」も彼女の歌が好きだったのです。(青字は引用です)
ところが中学2年の時、千晶の家族に悲惨な事件が起こります。これ以上はこれから読まれる方も多いと思いますから、細かいあらすじは控えたいと思いますが、千晶は笑いを失い、3年に進級した頃いつの間にか姿を消してしまったのです。「僕」は高校、大学受験、そして就職活動と忙しく過ごすうちに千晶のことは忘れてしまいます。一度だけ街で千晶と遭遇しますが、「僕」はその変貌した姿に戸惑って避けるように逃げてしまったのです。その後、就職し、結婚してこどもも育て、仕事でも家庭でもそれなりの苦労もしながら人並みの人生を送ってくるなかで、時に千晶のことを思い、苦い悔恨の思いを引きずって生きてきた「僕」に、最後に「奇跡」が起こります。詳しいことは書けませんが、ともかくこの「奇跡」に「僕」はぼろぼろと涙を流し『想い出のセレナーデ』に聴き入るのでした。
私は読んだ直後、この小説は、人生の坂のいただきに差し掛かった人が後ろを振り返り、青春の苦い思いと共に、別の道があったのではないかとふり返る、そんな内容かなと考えました。その意味では最後の「奇跡」はない方が良かったのではないか、安易に解決がもたらされてしまったのではないかなどと生意気に考えたりしていました。
ところがこれをどう紹介しようかと考えているうちに、あることに気づきました。千晶が「お楽しみ会」で『想い出のセレナーデ』を歌ったのは小学校6年の時でした。つまり1974年の暮れから75年のはじめ頃です。小学校の高学年は2人にとって幸せな時間でしたが、それは真理さんの全盛期に当たります。千晶の身に事件が起こったのは中学2年の年末で姿を消すのが3年進級後ですから、1976年末から77年春頃のことになります。一方、真理さんが突然入院したのが77年1月、2月にいったん退院しますが、その後も復帰できず公の場から姿を消してしまいました。また、街で変貌した千晶に遭ったのは「僕」が就職活動中ということですから1984年か85年、真理さんがヌード写真集などを出し始めたのがやはりこの頃で、『魔性の香り』は86年の正月映画でした。
つまりこの小説は千晶と「僕」の物語ですが、実は真理さんとファンとの物語なのではないか、と思いついたのです。千晶は天地真理さんであり、「僕」はファンです。
千晶が傷つき苦しんでいる時に何の力にもなれず、事情も知らずに見かけだけで避けてしまい、更に深く傷つけてしまったという「僕」の悔恨は、私を含め多くのファンのもっている悔恨ではないでしょうか。
そうであれば、最後の「奇跡」は絶対に必要なのです。なぜなら「奇跡」は確かにあるからです。たとえば今年の6月にもその「奇跡」はありました。何事もなかったかのようにやさしく微笑む天地真理さんが、あのステージにいたのですから。
肝心のところを説明していないので何のことかわからないような紹介になってしまいました。また朱川さん自身がそんな思いを込めているのかどうかはわかりません。私の勝手な妄想かもしれません。しかし、興味をもたれたらぜひ小説そのものをお読みになってください。
********************************
ネット版「天地真理誕生日スペシャル」へのリクエストを募集しています。
ぜひ聴きたい、聴いてもらいたい天地真理さんの1曲(オリジナル、カバーを問わず)をお知らせください。なお、リクエスト曲はYoutubeの動画で見られるものからお願いします。その動画のURL,そして一言メッセージもそえてメールでamhikokigumo@gmail.comまでお願いします。(10月31日まで)
********************************
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)10月28日は「宿、ホテルの昭和歌謡」、11月11日は「繰り返しの昭和歌謡」18日は「喫茶店の昭和歌謡」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
『オール読物11月号』には「秋の直木賞作家特集」とともに「あの素晴らしい昭和歌謡をもう一度」という特集があり、巻頭の「グラビア!昭和歌謡クロニクル」や「あの素晴らしい歌詞をもう一度」というエッセイ集、そして「人気作家競演!昭和歌謡小説」という7人の作家による短編小説集があります。そしてその小説集の中に朱川湊人氏による『想い出のセレナーデ』がありました。
朱川氏について私はよく知りませんが、<ノスタルジックホラー>を得意とする直木賞作家ということです。年齢は1963年1月生まれと言うことですから、この小説の「僕」と同じで、その意味で「僕」の<天地真理経験>は朱川氏の<天地真理経験>が投影されていると言っていいのでしょう。
さて小説『想い出のセレナーデ』はこの「僕」(風間秀治)の古いカセットテープについての回想から始まります。そのカセットテープは小学校6年の時のクラスの「お楽しみ会」の様子が録音されているのですが、その中に佐々木千晶が皆の前で歌った天地真理の『想い出のセレナーデ』があるのです。
千晶は歌手を夢見る明るい少女で「僕」とは保育園の頃から何となく気が合い一緒に遊ぶ仲でした。もしその後特別のことがなければ一緒に人生を生きることになっていたかもしれなかったと後に思うような仲でした。
千晶は天地真理のファンでした。「僕と同世代の人には説明するまでもないと思うが、七〇年代初め頃のトップアイドルと言えば、文句なしに天地真理だった。次から次へとヒットを飛ばし、名前を冠した番組も数多くあって、それこそ老若男女を問わない人気を博していた。まさに国民的アイドル」で、千晶も「僕」も彼女の歌が好きだったのです。(青字は引用です)
ところが中学2年の時、千晶の家族に悲惨な事件が起こります。これ以上はこれから読まれる方も多いと思いますから、細かいあらすじは控えたいと思いますが、千晶は笑いを失い、3年に進級した頃いつの間にか姿を消してしまったのです。「僕」は高校、大学受験、そして就職活動と忙しく過ごすうちに千晶のことは忘れてしまいます。一度だけ街で千晶と遭遇しますが、「僕」はその変貌した姿に戸惑って避けるように逃げてしまったのです。その後、就職し、結婚してこどもも育て、仕事でも家庭でもそれなりの苦労もしながら人並みの人生を送ってくるなかで、時に千晶のことを思い、苦い悔恨の思いを引きずって生きてきた「僕」に、最後に「奇跡」が起こります。詳しいことは書けませんが、ともかくこの「奇跡」に「僕」はぼろぼろと涙を流し『想い出のセレナーデ』に聴き入るのでした。
私は読んだ直後、この小説は、人生の坂のいただきに差し掛かった人が後ろを振り返り、青春の苦い思いと共に、別の道があったのではないかとふり返る、そんな内容かなと考えました。その意味では最後の「奇跡」はない方が良かったのではないか、安易に解決がもたらされてしまったのではないかなどと生意気に考えたりしていました。
ところがこれをどう紹介しようかと考えているうちに、あることに気づきました。千晶が「お楽しみ会」で『想い出のセレナーデ』を歌ったのは小学校6年の時でした。つまり1974年の暮れから75年のはじめ頃です。小学校の高学年は2人にとって幸せな時間でしたが、それは真理さんの全盛期に当たります。千晶の身に事件が起こったのは中学2年の年末で姿を消すのが3年進級後ですから、1976年末から77年春頃のことになります。一方、真理さんが突然入院したのが77年1月、2月にいったん退院しますが、その後も復帰できず公の場から姿を消してしまいました。また、街で変貌した千晶に遭ったのは「僕」が就職活動中ということですから1984年か85年、真理さんがヌード写真集などを出し始めたのがやはりこの頃で、『魔性の香り』は86年の正月映画でした。
つまりこの小説は千晶と「僕」の物語ですが、実は真理さんとファンとの物語なのではないか、と思いついたのです。千晶は天地真理さんであり、「僕」はファンです。
千晶が傷つき苦しんでいる時に何の力にもなれず、事情も知らずに見かけだけで避けてしまい、更に深く傷つけてしまったという「僕」の悔恨は、私を含め多くのファンのもっている悔恨ではないでしょうか。
そうであれば、最後の「奇跡」は絶対に必要なのです。なぜなら「奇跡」は確かにあるからです。たとえば今年の6月にもその「奇跡」はありました。何事もなかったかのようにやさしく微笑む天地真理さんが、あのステージにいたのですから。
肝心のところを説明していないので何のことかわからないような紹介になってしまいました。また朱川さん自身がそんな思いを込めているのかどうかはわかりません。私の勝手な妄想かもしれません。しかし、興味をもたれたらぜひ小説そのものをお読みになってください。
********************************
ネット版「天地真理誕生日スペシャル」へのリクエストを募集しています。
ぜひ聴きたい、聴いてもらいたい天地真理さんの1曲(オリジナル、カバーを問わず)をお知らせください。なお、リクエスト曲はYoutubeの動画で見られるものからお願いします。その動画のURL,そして一言メッセージもそえてメールでamhikokigumo@gmail.comまでお願いします。(10月31日まで)
********************************
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)10月28日は「宿、ホテルの昭和歌謡」、11月11日は「繰り返しの昭和歌謡」18日は「喫茶店の昭和歌謡」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
リクエストを出す時、「天地真理特集をお願いします」という要望を書き添えましょう。
FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。