8月30日追加しました久しぶりにFMしばたでリクエストの真理さんの歌がかかりました。
まず、8月19日(月)の「ごきげんラジオ769」でクミさんのリクエスト「さよならだけ残して」がかかりました。
ところがこの日は暑さのせいか録音をセットし忘れて、番組そのものは紹介できません。
変わりにクミさんのブログの記事をご覧ください。
前回はいつだったか調べてみると7月11日でしたから1カ月ちょっと間があいてしまいました。ところが同じ週の8月23日(金)の「ごきげんラジオ769」で「ある雨の日の情景」がかかりました。この日は朝から激しい雨で家にいたのでFMしばたを聴いてみたところ、金曜日は愛恵さんのはずが野口さんでした。愛恵さんなら別の話題を考えていたのですが野口さんだったので放送の中にあった話題についてメッセージとリクエストを送りました。
しかしいつまでたっても読まれず、ダメかなと思っていたら、終了間際、突然「ある雨の日の情景」の前奏(ライブ版)が聴こえてきました。そしてその上にかぶせてメッセージが読まれました。
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歌の音量をしぼりすぎてはっきり聴こえないのは残念ですが、つづけてかかったのはうれしいですね。
両方とも吉田拓郎作品でしたが、クミさんはしっかり観察して吉田拓郎ならかかりやすいと考えてリクエストしたようです。私はその日の天気に合わせただけだったのですが結果的によかったかもしれませんね。
しばらくリクエストがかかりませんでしたが、この間もクミさんは毎週リクエストを出し続けました。またNOZIKAさんも出し続けています。その全部を紹介するととても長くなるので、それぞれ1回分だけ紹介します。
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ともかく続けることが大事ですね。それからもっと多くの方がリクエストすれば、確率はさらに上がると思います。
もう一つリクエストの関係ですが、NHKFM「ミュージックプラザ」で9月2日(月)は「夏の終わりのリクエストスペシャル」です。ぜひ大勢でリクエストを出しましょう。
それから以前呼びかけた「天地真理スペシャル」への要望もそろそろ出していきたいですね。よろしくお願いします。
※ 藤圭子さんが亡くなりました。私の年代では強烈な印象を残した歌手であり、天地真理さん登場以前、その時代を象徴することができた歌手でした。ご冥福をお祈りします。
8月30日追加8月30日の「おはようしばた769」でクミさんのリクエスト「さくら貝」がかかりました。
これで3人のパーソナリティーで3回連続で真理さんの歌がかかりました。
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VPS※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)9月2日は「夏の終わりのリクエストスペシャル」」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
FM軽井沢「天地真理ミュージックコレクション」へは天地真理オフィシャルウェブサイトの「FM放送」へ。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へコメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
久しぶりの秘蔵ライブシリーズ、今回は私がYoutubeにアップしているキンキンこと愛川欽也さんとの共演です。
タイトルは覚えていないのですが、キンキンが持っていたテレビ番組に出演した時の録音です。時間帯はわりと遅い、いわば“大人の時間”だったと思います。時期は『木枯らしの舗道』を歌っていますから1975年のはじめ頃、正月公演よりは後で2月のフランス旅行より前ですから1月中~下旬と思われます。
愛川欽也さんはこの頃の真理さんがおそらく最も信頼していた人だったと思います。雑誌のインタビューか手記か忘れましたが、一番の友達としてキンキンをあげている記事もありました。そこではキンキンの自由な生き方に共感していたと思います。実現はしなかったのですが、キンキンがつくる映画への出演も頼まれていました。
キンキンがパーソナリティーをつとめる深夜放送「パックインミュージック」(たしか水曜日)にもしばしば飛び入りで参加していました。(もちろん仕事が終わった後、ノーギャラでしょう)欽也パックには永六輔さんや黒柳徹子さんなど飛び入りの人が毎回のようにいて“店子”と呼ばれていましたが真理さんもその一人でした。その様子を知ることができる貴重な録音を『想い出の足音』のもも茶さんがアップしてくれています。(1974.6.25放送)
これは欽也パックの名物「カトリーヌコーナー」ですがどうでしょうか。実に楽しいですね。もちろん真理さんが出ているからということもありますが、こういう“ロマンティック”な時間というものが今やテレビからもラジオからも消え失せてしまったのではないでしょうか。
それはともかく、この番組での真理さんはとてもリラックスしていました。そんな様子がうかがえる録音をSugi4Geruさんがアップしてくれています。(1974.12.18放送)
伝説のオーディションの司会が林美雄さんだったんですね。とても臨場感のある話でした。真理さんはちょっとはしゃいでいますね。ここにいることがうれしくてたまらない、と言った感じです。
私はこの頃はすでに就職していましたから深夜放送を毎回聴くというわけにはいきませんでしたが、1,2回は真理さんが登場したのを聴きました。その内の1回は特に印象に残っているのですが、いつもの真理さんとは別人のようによくしゃべっていました。その具体的な内容は覚えていませんが、非常に率直に自分の考えを語っていたという印象があります。実はこの時のことを1977年1月の緊急入院前の“奇行”の一つにあげた週刊誌もありました。それによればこの時真理さんはワインをお土産に持って来て自分もそれを飲みながらしゃべっていたというのです。私が聴いた限り、この日の真理さんは“奇行”どころか、実に正直に自分をさらけ出していたと思います。しかし芸能界では自分に正直なのは“奇行”だったのです。あってはならないことだったのです。真理さんはその一線を踏み越えてしまった。事実は依然わかりませんが、そのことが何らかの形で緊急入院とその後の3年にわたる“休養”に結び付いたのではないでしょうか?
それはともかく、真理さんがこのようにリラックスしていられるというのはやはりキンキンへの信頼があればこそでしょう。
テレビでもキンキンとケロンパ(後にキンキンと結婚するうつみ宮土里さん)の略称「キンケロ歌謡曲」(東京12チャンネルテレビ?)にしばしば出演し、ケロンパが(旅行か何かで)出演できない時は「キンマリ歌謡曲」として一緒に司会をしたりしていました。相手役がケロンパからレモンちゃん(落合恵子さん)に代わって「キンレモ歌謡曲」になってからもよくゲスト出演していました。その様子がpoko955さんの動画で見られます。
このようにキンキンと真理さんはとても仲が良かったのですが、真理さんにとってキンキンは(ちょっと若い)お父さんのような存在だったのかもしれませんね。
それでは今回の秘蔵ライブをお聴きください。
どうでしょう、真理さんもとても楽しんでいますね。
これらの歌については本編「空いっぱいの幸せ」の「若葉のささやき(アルバム別各曲寸評)」の「私家版」に詳しく書いてありますのでそちらをお読みください。
※リクエスト情報
FMしばたはhttp://www.agatt769.co.jp/index.htmlから。
NHKFM「ミュージックプラザ」(月曜)9月2日は「夏の終わりのリクエストスペシャル」」です。他の日や特集に関係のないリクエストも可能です。
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私の地元の新聞に由紀さおりさんのインタビュー記事が載っていました。とても興味深いことを話されているのでご紹介します。
歌謡曲や、先人が残した童謡・唱歌でもそうですけれど、日本語ってね、美しい言葉の響きがあって、リズムでなくて旋律の言葉なんですよ。でも今の若い人たちの歌はリズムが先になっているから、わざと平たんに歌ったり、言葉のアクセントを逆にしたり、アクセントを強くするために鼻濁音を使わなかったり。歌詞も非常に直接的な(表現の)文言です。
古今和歌集でも、百人一首でも、日本語は本来、直接的じゃないんです。奥深くに込められた思いや深い気持ちを、ただ好きだ、嫌いだじゃなくて、情景描写もして、いろいろな表現、言葉で伝える。歌謡曲はそういう流れをくんでいるんです。歌謡曲が20曲あれば20人の女性像があります。そこにたたずむ女の人はみんな違い、人生の一こま一こまがある。それを歌い分けるのが歌い手でした。今は(多くが)自分のことしか歌わないものね。シンガー・ソングライターも、自分の思いを伝えて共感してもらうでしょ。
私がデビューした1969(昭和44)年は、日本の音楽シーンの中でも、いろんなジャンルの歌が混沌としていて、作詞家や作曲家が、うまく日本の人たちの味わいというか、好みに合わせた歌謡曲をたくさん作ってくださった時代なんですね。私のデビュー曲「夜明けのスキャット」もその中の1つだと思います。
姉(安田祥子さん)と2人で童謡・唱歌を中心にコンサートを続けてきましたが、デビュー40周年を機に再び歌謡曲を歌い始めました。そして、あの時代の歌をもう一回歌ってみようという時に、また日本のバンドの演奏で歌うだけでは、誰も振り向いてくれないし、お客は呼べないよねって。
そんな話になって、私の曲をカバーしたことがあった米国のジャズ・オーケストラービンク・マルティーニのリーダーのトーマス (トーマス・口ーダーデール)さんに声を掛けて、アルバム「1969」を2011年に作りました。トーマスさんは60~70年代の音楽にしか興味のない人だから、興味を持ってくれたらいいねとオファーしたら、二つ返事で。
収めた曲はほとんどが日本語。英語で歌おうなんて、初めから全然思っていませんでした。だって、私は、歌謡曲の歌い手として、もう一度、私の存在を皆さんに認知してもらいたいと、アルバムを作ろうと思ったわけですから。
今の若者は、熱い思いを「重い」と感じ、もっとさらっと好きか嫌いか歌ってくれた方が楽という世代でしょう。だって、メールでやりとりしてことが終わっちゃうんだから。
でも、相手の目を見て言うのは大事なこと。そして、伝えたときに相手がどういう表情で見てくれているか、理解してもらえたか感じるわけでしょう。そういうことが今はないのよ。
それを投げ掛けると面倒くさいのね、今の若い人には。「うざいな」っていう感じになっちやうのよ。それでも若い人たちの世代に歌謡曲が好きという人がいないわけではないから。私が歌うことで、そういう世代の人をもう一回、据り起こすというか、歌謡曲というカテゴリーとして感じなくても、新しい言葉の表現として何かを伝えられたらいいな、というのが今の私の思いですね。私は由紀さんとほぼ同じ時代を生きてきただけに、この記事にはとても共感できました。
まず、日本語は「旋律の言葉」というところです。日本語がリズムよりメロディーに向いた言葉かということについては(私もたぶんそうだと思いますが)科学的な分析などもあると思いますから客観的な判断に任せたいと思います。しかし<あの頃>の歌はメロディーがとても豊かでした。つまり音楽が豊かだったのです。詞はメロディーに乗って歌われ、したがって「直接的」でない詩的な言葉がメロディーのつくりだすニュアンスの変化に結び付いていたのです。
ですから歌手はそういうメロディーのもつ表情を活かして、そこに言葉を乗せていたと思うのです。由紀さんが「歌謡曲が20曲あれば20人の女性像があります。そこにたたずむ女の人はみんな違い、人生の一こま一こまがある。それを歌い分けるのが歌い手でした。」と言っているのもそのことを意味しているのだと思います。ただ由紀さんのような言い方だと、歌を「意味」を表現するものと考えてしまいそうで、それは私の考えとは違います。しかし歌手は「歌い分ける」、つまり「自分の思いを伝え」るのではなく、その歌の論理に従って客観的に表現するのだということについてはその通りだと思いますし、由紀さんもそういうことを言いたかったのだと思います。それは次に「今は(多くが)自分のことしか歌わない」と言っていることからもわかると思います。
演劇で言えば、役者は自分の<役>を演じるのです。台本を読み込んで、人物像を描き、場面ごとに台詞や動作をどのように表現するか考え演じます。決して<自分>を演じるわけではないのです。
歌の場合、台本は楽譜です。その楽譜をしっかり読みこんでどう表現するか考え、実際に声で表現する、それが歌手だと由紀さんは言っているのです。
もちろんそこに<自分>が出ないわけではありません。その人の持って生まれた感性、成育歴、音楽的経験、文学的教養、さらに声帯や口腔などの身体的特徴等々が<うた>には表れてきます。だから同じ歌を歌っても様々な解釈、表現があるのです。しかしそれは「自分のことしか歌わない」ということとは全く違います。
シンガー・ソングライターの登場以来、歌が「自分のこと」を歌うようになってきました。すると必然的に“主役”は言葉になり、音楽は“脇役”つまり言葉を引き立てる(ムードづくり)BGMのようなものになってきたのではないでしょうか。それがメロディーの衰退として言われていることだと思います。形を変えた浪花節と言ってもいいかもしれません。
一方、由紀さんが言っていることと逆ですが、音楽が主になって言葉が無意味化しているような歌もありますね。聴いているだけでは何を言っているのか聴き取れないような、言葉の本来のアクセント、抑揚など一切無視して機械的な“音”に分解してしまったような歌(?)です。これは言わば器楽ですね。
もちろん歌はさまざまな楽しみ方があります。理屈抜きにリズムに身を任せているだけで楽しい、という楽しみ方があってもいいのです。ただ、私は歌には器楽と違った言葉を介した表現があると思いますし、“語り”にはない音楽自体の自由な展開があると思うのです。
実はこの記事は書いているうちにだんだん深みにはまっていきそうになりました。下の※の文はその一部のなごりです。フロシキを広げ過ぎて収集がつかなくなりそうになったので、切り上げたのですが、私が述べたかったことは、天地真理さんが、言葉を明確に歌いながら<意味>に頼らず、音楽の自由な展開から生まれるニュアンスに言葉の表情を託して、<うた>のもつ豊かな表現を実現できた歌手だったということでした。ちょっと中途半端な記事になりましたが、いずれ本編「空いっぱいの幸せ」で活かしたいと思います。
※シンガー・ソングライターというものが登場した1960年代後半はベトナム反戦運動、フランス5月革命、日本の学園闘争など世界中(特に先進諸国)で<若者の反乱>が沸き起こった時代です。それらはそれぞれの個別のテーマは違ってもお互いを一体のものと考えていました。その底流にあったのは、エスタブリッシュメント、つまり既存の体制、権威への異議申し立てでした。社会は<大人>たちが動かし、若者たちの声が反映される回路を持ちませんでした。歌の世界でも、決まり切ったような歌謡曲に若者たちは強い違和感を感じていました。自分たちが感じていること、訴えたいことを自分たちでつくって歌おうという動きがフォーク、そしてシンガー・ソングライターの出現へとつながるのです。
※リクエスト情報
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