真理とマリリン
少し前になってしまいましたが、8月5日はマリリン・モンローの命日でした。ちょうど50年前、1962年8月5日に亡くなったのですね。36歳の若さでした。死因は自殺ということになっていますが、ケネディー大統領との関係を動機とする他殺説も根強くあるようです。
朝日新聞の天声人語でもこの話題を取り上げていました。
(クリックして拡大してお読みください)

なぜマリリン・モンローを取り上げたかと言うと、真理さんはモンローを好きだったのですね。私がそのことを何で知ったのか確認しようとしたのですが、実はよくわかりませんでした。1974年の『明星』11月号に「モンローと私」という記事があります。私はこの記事で知ったと思っていたのですが、読んでみるとどうも違うように思うのです。(文章を読むにはこちらをクリックしてください)

この記事は真理さんの一人称で書かれていますが、おそらく編集部が書いた文章でしょう。当時そういうことは芸能誌ではむしろ普通で、対談などもほとんどの場合、写真だけ一緒に撮って内容は編集部(ゴーストライター)の創作ということが多かったみたいです。この文章の場合、全くの創作ではなく、ある程度真理さんの考えを反映していると思いますが、それがどの程度かは判断できません。同じ時期の「週刊プレイボーイ」1974.11.5号にも「モンローの自伝を読んでいる」と書いてあるのですが、それ以上のことは書いてありません。
そこで、なぜ真理さんがモンローを好きだと言ったのか、真理さんの言葉を挙げて説明することはできませんが、私なりに推測をしてみたいと思います。
当時“清純派”と言われていた真理さんと“セックスシンボル”と言われたモンローは対照的な存在と見る人も多いと思います。しかし、“清純派”にしても“セックスシンボル”にしても男たちが勝手に抱いた妄想の表現でしかありません。
そのようなレッテルを離れてそれぞれを見てみれば、真理さんが「モンローが好き」と言うことがうなずけるのです。
天声人語で「演技や歌より、胸や尻が話題にされる立場に、本人はうんざりしていたらしい」と書いてありますが、胸や尻ではないものの外見だけが話題にされるという意味では真理さんもおなじだったでしょう。
また様々なスキャンダルに翻弄されたという点でも似ているかもしれません。
私はモンローについてあまり詳しくは知りませんでしたから、Wikipediaで調べてみると、世間一般のイメージと違って自分の人生を積極的に切り開こうとしたり、向上心を持って努力しようとする人であったようです。ただ最初、セクシーな魅力でスターになったために、世間ではもっぱらそんなイメージで見られるようになってしまったのです。何が実像なのか虚像なのか私にはわかりませんが、いずれにしても、非常にナイーブな人であり、いわば本音で生きていた人ではないかという印象をもちました。
「明星」の記事の中に「女の自由さの中で生きつづけていきたい」という言葉がありますが、確かにモンローは男のように地位とか名誉とか社会的システムとかにとらわれない「自由さ」の中で生きたのかもしれません。しかしそういう生き方は周囲との軋轢を生じ、反感や誤解を生んでしまいがちです。「うまくやる」ということができない不器用な生き方ですね。
この頃の真理さんも「うまくやる」ことがしだいにできなくなってきており、だからこそモンローの「自由さ」に共感したのではないでしょうか。
そしてその後の真理さんの人生にも、マリリンの「自由さ」が影を落としているように私には思えるのですが。
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」へ
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朝日新聞の天声人語でもこの話題を取り上げていました。
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なぜマリリン・モンローを取り上げたかと言うと、真理さんはモンローを好きだったのですね。私がそのことを何で知ったのか確認しようとしたのですが、実はよくわかりませんでした。1974年の『明星』11月号に「モンローと私」という記事があります。私はこの記事で知ったと思っていたのですが、読んでみるとどうも違うように思うのです。(文章を読むにはこちらをクリックしてください)

この記事は真理さんの一人称で書かれていますが、おそらく編集部が書いた文章でしょう。当時そういうことは芸能誌ではむしろ普通で、対談などもほとんどの場合、写真だけ一緒に撮って内容は編集部(ゴーストライター)の創作ということが多かったみたいです。この文章の場合、全くの創作ではなく、ある程度真理さんの考えを反映していると思いますが、それがどの程度かは判断できません。同じ時期の「週刊プレイボーイ」1974.11.5号にも「モンローの自伝を読んでいる」と書いてあるのですが、それ以上のことは書いてありません。
そこで、なぜ真理さんがモンローを好きだと言ったのか、真理さんの言葉を挙げて説明することはできませんが、私なりに推測をしてみたいと思います。
当時“清純派”と言われていた真理さんと“セックスシンボル”と言われたモンローは対照的な存在と見る人も多いと思います。しかし、“清純派”にしても“セックスシンボル”にしても男たちが勝手に抱いた妄想の表現でしかありません。
そのようなレッテルを離れてそれぞれを見てみれば、真理さんが「モンローが好き」と言うことがうなずけるのです。
天声人語で「演技や歌より、胸や尻が話題にされる立場に、本人はうんざりしていたらしい」と書いてありますが、胸や尻ではないものの外見だけが話題にされるという意味では真理さんもおなじだったでしょう。
また様々なスキャンダルに翻弄されたという点でも似ているかもしれません。
私はモンローについてあまり詳しくは知りませんでしたから、Wikipediaで調べてみると、世間一般のイメージと違って自分の人生を積極的に切り開こうとしたり、向上心を持って努力しようとする人であったようです。ただ最初、セクシーな魅力でスターになったために、世間ではもっぱらそんなイメージで見られるようになってしまったのです。何が実像なのか虚像なのか私にはわかりませんが、いずれにしても、非常にナイーブな人であり、いわば本音で生きていた人ではないかという印象をもちました。
「明星」の記事の中に「女の自由さの中で生きつづけていきたい」という言葉がありますが、確かにモンローは男のように地位とか名誉とか社会的システムとかにとらわれない「自由さ」の中で生きたのかもしれません。しかしそういう生き方は周囲との軋轢を生じ、反感や誤解を生んでしまいがちです。「うまくやる」ということができない不器用な生き方ですね。
この頃の真理さんも「うまくやる」ことがしだいにできなくなってきており、だからこそモンローの「自由さ」に共感したのではないでしょうか。
そしてその後の真理さんの人生にも、マリリンの「自由さ」が影を落としているように私には思えるのですが。
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