『半神』

Youtubeに「夢の遊眠社」の「半神」のビデオがアップされています。その中に真理さんの『ひとりじゃないの』が使われている場面があります。下の動画は、『ひとりじゃないの』が使われている場面だけ切り出したものです。



全編を見たい人は、次のところにあります。
http://www.youtube.com/watch?v=sMHHf_FmkjY 
http://www.youtube.com/watch?v=M1kY39djvGc

【これは期間限定ということですが、ニコ動でも見ることができます。遊眠社版(1988年)の他に、1999年のNODAMAP版(深津絵里ほか)もあります。】

この作品は萩尾望都の短編「半神」を原作としていてストーリーは次のようなものです。(AMAZONのユーザーレビューから)
【 心臓だけを共有した結合体児のシュラとマリアは、自分の不幸に気づかないように世界と隔離された生活を送っている。そんな中で彼女たちの元に一人の数学者が家庭教師として招聘され、双子に隔離された環境のままで世間を垣間見せるという依頼を受ける。そこで双子は、誰もが味わうがけっして自身は味わうことの出来ない孤独というものの存在を知り、それを夢想する。
 そして彼女たちが成長し、たった一つしかない心臓が二人を支えきれなくなったとき、彼女たちの両親は結合体児の離断手術を決心するが、そこには2つの難問が隠されていた。どちらの子供を生かすのか、そしてその判断は誰がするのか。
 これらの問題に誰もが向かい合おうとしない中で、なんとかして双子を両方とも生かすことが出来るのではないか、そう考えた家庭教師は双子とともに世界の果てへと出向き、双子を二人とも助けるべく彼女たちが背負った運命と対峙する。 】


しかし実際はそこにブラッドベリの「霧笛」の朗読や<化け物>の誘惑などもからみ、非常に複雑な構成となっています。正直なところ、私には理解不能なところがたくさんありました。私は散文的な人間なので、こういう<詩>のような演劇というのは苦手です。しかし、よくわからないままではありましたが、静かな感動が残りました。それをちゃんと論じようとすると大変な長編になってしまうでしょう。ですから、ここでは強引に、私にとって理解しやすい言葉で表現させてもらえば「深い孤独の中にある希望」と言えるように思います。

しかし本題はこの演劇自体ではありません。そこで使われている『ひとりじゃないの』です。
わたしはずっと以前に【シュラの絶望シーンに流れる天地真理…。このシーン、忘れられないです】という書き込みをネットで見て、この演劇に関心を持っていました。それが今回、実際に見ることができたわけです。実は別の書き込みで【愛されるマリアを憎み、「ひとり」になりたいシュラ。シュラが天地真理の「ひとりじゃないの」をBGMに「ひとりにして~ぇ!」と叫ぶシーンは切なく哀しかった。】と書かれてあるのを読んで、どういう意味でこの曲が使われているかはわかっていました。そしてここからは『ひとりじゃないの』はシュラの「ひとりになって自由に生きたい、孤独になりたい」という願望に対する軽薄な常識を象徴する皮肉な役割なのかもしれないと思っていました。

野田秀樹氏がどうしてこの曲をここで使ったのかはわかりません。「ひとりじゃないってすてきなことね」という(シュラにとっては)上滑りな言葉を“アイドル”の(やはりシュラにとっては)心を素通りしていくような“元気”な歌で流すことで、自分を理解してもらえないシュラの悲しみを際立てようとしたのかもしれません。

しかし、少なくとも私は全く違う印象を受けました。たしかに、「ひとりじゃないって すてきなことね」と歌にかぶせるように家庭教師がいう言葉は実に嘘っぽいのです。家庭教師はシュラの自由への希求、孤独への憧れをわかっていながらそれを肯定してやることができないからこそ、嘘っぽくなるのです。しかし、真理さんのうたそのものは、この場面で、そうした浮き上がった感じが全くないのです。むしろシュラの心に寄り添っているような印象さえ受けます。それは真理さんのうたのやさしさ、あたたかさが運命に抗うシュラを包み込んでいるからだと思います。

<うた>は言葉ではないのです。「ひとりじゃないってすてきなことね」という言葉はそれだけを取り出せばシュラの心を逆なでするような言葉です。しかしそれがどのような声でどのように歌われるか、ということによってその意味は変わってくるのです。以前私は【『ひとりじゃないの』は実は「明るい」だけの曲ではなく、さびしさや孤独を抱えた曲で、だからこそみずみずしいよろこびがそこにある】と書きました。http://amhikokigumo.blog67.fc2.com/blog-entry-15.htmlそしてそのようなうただからこそ、この場面で違和感なく、寄り添うような印象を受けるのです。

もう一か所、最後のカーテンコールの場面で流れる『ひとりじゃないの』は公演ではなく、ビデオ化する時に入れたものでしょう。これによって長い緊張が解かれ、癒されていくのが感じられます。しかし感動は少しも損なわれないのです。それは「深い孤独の中にある希望」と真理さんのうたに断絶がなくつながっていることを証明しています。
そう考えると、ここに『ひとりじゃないの』を入れたということは、野田秀樹氏がこのうたの本質を見抜いて使っていたのではないかと思われてきます。
もし当時そういう意図でなかったにしても、いまこのビデオを見たら、そう感じるのではないでしょうか。
『ひとりじゃないの』は震災の際に応援ソングとしても取り上げられましたが、その包み込みやさしさをあらためて感じる経験でした。

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年内の更新はこれで最後になると思います。真理さんのデビュー40周年の諸行事も成功裏に終わり、ファンの輪も確実に広がっているようです。私自身についていえば、本編『空いっぱいの幸せ』の「各曲寸評」が完成できたことがうれしいことでした。
来年も真理さんにとってさらに良い年になるように祈りたいと思います。

1年間ありがとうございました。良いお年をお迎えください。


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「風評評価」

由紀さおりさんのアルバムが全米ジャズ部門第一位になったということで話題になっています。さらにカナダでも第一位になり他の国でもランク上昇中ということですから「スキヤキ」(上を向いて歩こう)以来の快挙ということでしょうか。
日本の歌のよさがより広く世界の人たちに知られるのはうれしいことです。ただ、それが日本国内で大ニュースになって由紀さんの評価が急に上がるようなところが見えることには私は違和感があります。

由紀さおりさんは私も好感を持つ歌手の一人です。もともと童謡歌手でしたから音楽の形がしっかりしていて演歌系の人とは違うさわやかさがありますし、大げさでなくさりげない表情で情感豊かに歌うことのできる人です。でもそういう由紀さんの魅力は40年前から変わらないと思います。歌っている曲も「1969」というアルバムのタイトルどおり1969年のヒット曲です。由紀さん自身の「夜明けのスキャット」いしだあゆみさんの「ブルーライトヨコハマ」といった我々の世代ならおなじみの曲ばかりです。もちろん今回対象となったアルバムはアレンジも違っていますし、Youtubeで聴いてみると以前よりはさすがに声の若さは失われ、かつての透明感、軽さは見られませんし、表現は少し濃厚になって情感は深くなっています。しかし根本的には変わっていないと思えます。ですからアメリカでヒットしたなどと騒ぐ必要はないのです。由紀さんのうたの良さは日本人は40年前に知っていたのですから。「いま頃わかったの、遅れているね」と言えばいいのです。アメリカ人は40年も遅れてやっとその良さが分かったと言うことです。もちろん事実はその頃アメリカの人たちは由紀さんのうたを知らなかったということですが、知っていたらヒットしたでしょうか。売り方一つでしょう。
今回も「ピンク・マティーニ」というジャズオーケストラと組んだことで話題を呼んでヒットしたということでしょう。つまり「情報」の問題なのです。もちろんジャズ風のアレンジでアメリカ人好みの雰囲気になったということもありますが、何の話題にもならずこのアルバムを並べておいたらヒットしたというわけではないでしょう。
しかもそのきっかけは、リーダーが中古レコード店でたまたまジャケットが美しいということで手に取ったことだそうですから全くの偶然ですね。前回の記事でヒットするかどうかは偶然と書きましたがまさに典型です。
ともかく、「この日本の歌手は素晴らしい」とアメリカの人気アーティストが認めて一緒に録音したからヒットしたということで注目されヒットにつながったということでしょう。
しかし、そういう由紀さんのうたの価値に40年前から今まで、日本のマスコミや業界は気付いていなかったのです。

日本という国は何でもアメリカに認められるとお墨付きをもらったように喜ぶ国ですね。アメリカに限らず、そういう権威に認められないと自信が持てないようです。天地真理さんのうたがあまり高く評価されなかったのもそういう権威がなかったからでしょう。あれだけの多くの人の心をとらえた、その事実だけでも評価に値するのに、マスコミなどはそれを外見の魅力にすり替えてしまった。そもそも彼らには真理さんのうたを評価する能力がなかった。由紀さんなどのうたが世界に通用するうただということを見抜く能力がなかったと同じことです。

「風評被害」という言葉がありますが、「風評評価」とでも言うべきこともあるのではないでしょうか。風のうわさで「あれはいい」と聴くととびつき、「あれはだめ」と聴くとそう信じてしまう、そういう現象です。由紀さんのヒットをよろこぶのはいいと思いますが、外のうわさに一喜一憂せず、自分の耳を研ぎ澄まし、自分の耳を信じるべきでしょう。その意味で、私は40年前にファーストアルバムを聴いたその時から、天地真理さんのうたは普遍的な価値をもつと信じているのです。


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