ショパンとバッハ
真理さんのピアノがうまいということはよく知られていることですが、ちょうど真さんがバッハの『インベンション』について見事な解説をしておられます。実は私にも前からこのことについての書きかけがありましたので、ちょうどよいタイミングなので仕上げてみました。もちろん真さんのすばらしい分析には及びもしませんが、真理さんのうたの特質がより明らかにできればと思います。
真理さんの本格的なピアノ演奏としてはセカンドアルバム「ちいさな恋/ひとりじゃないの」に付録として付いていた「ピアノと私」というレコードがあります。もちろん今は『プレミアムボックス』にCD化されて収められていますが、レコードは今でもネットオークションにしばしば登場しますから、聴いてみたい人は入手可能です。とりあえず聴くならYoutubeでも聴けます。このレコードはA面ではショパンの幻想即興曲にかぶせて真理さんの語りが入っており、B面ではまずバッハの『インベンション15番』が単独で入っていて、その後に真理さんのナレーションが入っています。
まず、ショパンを聴いてみましょう。これはナレーションがかぶっているし、全曲ではなく短く編集されているので、真理さんのショパン演奏を聴くのに十分ではないのですが、それでも、真理さんの魅力的な語りを聴かないようにして音楽に集中すると、その片鱗は聴くことができると思います。
私は自分でピアノを弾けるわけではないので、この曲が実際どの程度に難しいのか判断できませんが、やはり素人では難しい方だろうと思います。真理さんはそれをしっかりと弾いていますね。プロと比べれば早いパッセージでは少し指がついていかないところも見られますが、全体とすればよく弾いていると思います。
ショパンはルバートを多用したりして、若干形を崩して感情をこめて弾くことが多いのですが、真理さんはあまり崩さず過剰な感情をこめていません。たとえば中間の抒情的な部分です。プロのピアニストで聴くとここはぐっとテンポを落として気持ちを入れて“入魂”の演奏になります。それに対し真理さんはそれほどにはテンポも落とさず、ルバートも多用せず、さらりと弾いていきます。もちろん雑に弾いているわけではなく、丁寧に弾いていて、装飾音のやさしさなど魅力は十分なのですが、沈殿するような弾き方をしていないということです。ここは技術的には全く問題がないところだと思うので彼女自身の音楽性が出ていると考えていいでしょう。それは彼女のうたに通じると言っていいと思います。
彼女は情感の濃厚な歌を歌うとき、大概の場合あっさりと歌います。たとえば、ちょうど真さんが詳しい分析をされている『小さな日記』を例にとると、森山良子さんなどが最初から悲劇的に歌うのに対し、実にあっさりとむしろほのぼのと歌っていきます。しかしその前段があるからこそ「山に初雪降る頃に」以降の悲劇が一層胸にしみるうたになっているのです。『愛する人に歌わせないで』や『サルビアの花』もそうですね。悲劇的な歌い方に慣れた人には「こんなに明るくていいの?」と感じるかもしれません。物足りないと思う人もいるでしょう。このあたりが、真理さんは下手だと思われた一つの原因でもあると思います。しかし「こうでなければならぬ」という先入観を捨ててうたに寄り添っていくと砂漠に水が浸みこむように心が潤っていくのがわかるはずです。
次にバッハの『インベンション15番』を聴きましょう。真理さんがいかに見事に弾いているかは真さんのブログをご覧ください。私の場合は真さんの緻密な分析とは違ってただの印象しか語れませんが、バッハとしてはむしろ情動的な印象を受けます。
私がレコードをもっていてなじんでいるバロック演奏は40年くらい前のものですから最近のバロック演奏がどうなっているかよく知りませんが、その頃はバッハはあまり感情を入れず淡々と演奏するものであったと思います。19世紀的なロマンティックな解釈から、近代的なすっきりしたスタイルに代わってきて、感情を入れない、その意味では禁欲的な演奏が一般的だったと思います。
ところが真理さんの演奏を聴くと非常に情感が入っています。もちろんそれは哀しいとかうれしいとかの具体的感情ではないし、特に誇張して弾いているわけでもありません。楽譜通りに弾いているのだけれど、タッチの強さに彼女のなにか強い情感が込められているのかもしれません。特に10小節あたり、その情感がグーンと高まってくるのを感じられないでしょうか。また後半、各声部が次第に重なり合って厚みが増してくるところでも、この情感が高まってきます。
これも彼女のうたの特徴として言えます。情感の濃厚な歌の場合にはむしろあっさりと歌うと書きましたが、淡白な歌の場合は逆に情感をこめて歌うことが多いのです。たとえば『結婚しようよ』。この曲はオリジナルの吉田拓郎も他の歌手も軽快に楽しくリズムに乗って歌います。ところが真理さんは必ずしも軽快にリズムに乗るという感じではなく、一言一言にかなり情感をこめて歌っています。声が軽いので決して重い表現にはならないのですが、「さらいにくるよ 結婚しようよ ムームー」の「結婚しようよ」とか、『もうすぐ肩まで届くよ」というところなど軽くはあるが濃厚な表情で気持ちを込めています。こんな豊かな表情というのはフォークとしては異例でしょうが、真理さんのフォークはいつもそうです。
フォーク歌手は“歌謡曲”へのアンチテーゼとして、濃厚な表情付けを避け日常的な感覚を大事にしていたと思います。それはそれで新鮮さがあったのですが、芸術表現としてはかなり未熟でもありました。真理さんはそうしたフォークの自由さに共感しながらも、表現としては細やかな表情を大事にしていました。そのことは彼女のファーストアルバムを聴くとよくわかります。
このように真理さんのピアノ演奏には彼女のうたに通じる音楽的感性が見てとれます。オリジナル曲を含め、明るい歌でもただ元気なだけでなく豊かな情感があり、悲しげな曲でも形を崩さず感傷におぼれないという真理さんのうたの原点がここにあると言っていいでしょう。
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真理さんの本格的なピアノ演奏としてはセカンドアルバム「ちいさな恋/ひとりじゃないの」に付録として付いていた「ピアノと私」というレコードがあります。もちろん今は『プレミアムボックス』にCD化されて収められていますが、レコードは今でもネットオークションにしばしば登場しますから、聴いてみたい人は入手可能です。とりあえず聴くならYoutubeでも聴けます。このレコードはA面ではショパンの幻想即興曲にかぶせて真理さんの語りが入っており、B面ではまずバッハの『インベンション15番』が単独で入っていて、その後に真理さんのナレーションが入っています。
まず、ショパンを聴いてみましょう。これはナレーションがかぶっているし、全曲ではなく短く編集されているので、真理さんのショパン演奏を聴くのに十分ではないのですが、それでも、真理さんの魅力的な語りを聴かないようにして音楽に集中すると、その片鱗は聴くことができると思います。
私は自分でピアノを弾けるわけではないので、この曲が実際どの程度に難しいのか判断できませんが、やはり素人では難しい方だろうと思います。真理さんはそれをしっかりと弾いていますね。プロと比べれば早いパッセージでは少し指がついていかないところも見られますが、全体とすればよく弾いていると思います。
ショパンはルバートを多用したりして、若干形を崩して感情をこめて弾くことが多いのですが、真理さんはあまり崩さず過剰な感情をこめていません。たとえば中間の抒情的な部分です。プロのピアニストで聴くとここはぐっとテンポを落として気持ちを入れて“入魂”の演奏になります。それに対し真理さんはそれほどにはテンポも落とさず、ルバートも多用せず、さらりと弾いていきます。もちろん雑に弾いているわけではなく、丁寧に弾いていて、装飾音のやさしさなど魅力は十分なのですが、沈殿するような弾き方をしていないということです。ここは技術的には全く問題がないところだと思うので彼女自身の音楽性が出ていると考えていいでしょう。それは彼女のうたに通じると言っていいと思います。
彼女は情感の濃厚な歌を歌うとき、大概の場合あっさりと歌います。たとえば、ちょうど真さんが詳しい分析をされている『小さな日記』を例にとると、森山良子さんなどが最初から悲劇的に歌うのに対し、実にあっさりとむしろほのぼのと歌っていきます。しかしその前段があるからこそ「山に初雪降る頃に」以降の悲劇が一層胸にしみるうたになっているのです。『愛する人に歌わせないで』や『サルビアの花』もそうですね。悲劇的な歌い方に慣れた人には「こんなに明るくていいの?」と感じるかもしれません。物足りないと思う人もいるでしょう。このあたりが、真理さんは下手だと思われた一つの原因でもあると思います。しかし「こうでなければならぬ」という先入観を捨ててうたに寄り添っていくと砂漠に水が浸みこむように心が潤っていくのがわかるはずです。
次にバッハの『インベンション15番』を聴きましょう。真理さんがいかに見事に弾いているかは真さんのブログをご覧ください。私の場合は真さんの緻密な分析とは違ってただの印象しか語れませんが、バッハとしてはむしろ情動的な印象を受けます。
私がレコードをもっていてなじんでいるバロック演奏は40年くらい前のものですから最近のバロック演奏がどうなっているかよく知りませんが、その頃はバッハはあまり感情を入れず淡々と演奏するものであったと思います。19世紀的なロマンティックな解釈から、近代的なすっきりしたスタイルに代わってきて、感情を入れない、その意味では禁欲的な演奏が一般的だったと思います。
ところが真理さんの演奏を聴くと非常に情感が入っています。もちろんそれは哀しいとかうれしいとかの具体的感情ではないし、特に誇張して弾いているわけでもありません。楽譜通りに弾いているのだけれど、タッチの強さに彼女のなにか強い情感が込められているのかもしれません。特に10小節あたり、その情感がグーンと高まってくるのを感じられないでしょうか。また後半、各声部が次第に重なり合って厚みが増してくるところでも、この情感が高まってきます。
これも彼女のうたの特徴として言えます。情感の濃厚な歌の場合にはむしろあっさりと歌うと書きましたが、淡白な歌の場合は逆に情感をこめて歌うことが多いのです。たとえば『結婚しようよ』。この曲はオリジナルの吉田拓郎も他の歌手も軽快に楽しくリズムに乗って歌います。ところが真理さんは必ずしも軽快にリズムに乗るという感じではなく、一言一言にかなり情感をこめて歌っています。声が軽いので決して重い表現にはならないのですが、「さらいにくるよ 結婚しようよ ムームー」の「結婚しようよ」とか、『もうすぐ肩まで届くよ」というところなど軽くはあるが濃厚な表情で気持ちを込めています。こんな豊かな表情というのはフォークとしては異例でしょうが、真理さんのフォークはいつもそうです。
フォーク歌手は“歌謡曲”へのアンチテーゼとして、濃厚な表情付けを避け日常的な感覚を大事にしていたと思います。それはそれで新鮮さがあったのですが、芸術表現としてはかなり未熟でもありました。真理さんはそうしたフォークの自由さに共感しながらも、表現としては細やかな表情を大事にしていました。そのことは彼女のファーストアルバムを聴くとよくわかります。
このように真理さんのピアノ演奏には彼女のうたに通じる音楽的感性が見てとれます。オリジナル曲を含め、明るい歌でもただ元気なだけでなく豊かな情感があり、悲しげな曲でも形を崩さず感傷におぼれないという真理さんのうたの原点がここにあると言っていいでしょう。
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