「幸せな人生でした」
ご存じのとおり、先日、田中好子さん、スーさんが亡くなりました。
55歳、ほんとうに若すぎますね。真理さんより若い人だけにショックでした。キャンディーズファンの人たちの悲しみも察して余りあります。
本編の更新があり、ちょっとタイミングが遅れてしまいましたが、今回はこのことについて触れたいと思います。
キャンディーズは太田裕美さんと共にいわば真理さんの直系の妹分ですね。同じ渡辺プロであり、音楽的にも同じ明るいポップスで、森田公一さんの作品も共通項ですし、実際、真理さんの曲のカバーもあります。特にスーさんは3人の中でも顔立ちや声質など雰囲気が真理さんに一番似ていました。
キャンディーズがファンだけでなく多くの人の記憶に強くとどめられることになったのは「普通の女の子に戻りたい」という言葉だったと思います。私はキャンディーズについて詳しくはないので、全くの推測なのですが、あの言葉は真理さんがいたからこそ発せられた言葉ではないでしょうか。
あの言葉は1977年7月のコンサートの中での発言でした。同じ年の初頭、真理さんは突然入院し、以後消息を絶っていました。この事情もいまだに謎ですが、その前年のコンサートの中で真理さんは「今日私は、この歌を歌いたかったんです」と言って、「心のままに生きていくのはいけないことでしょうか」(『告解』)と歌っていました。その後のことについては私にもひとつの想像はありますが事実である確証はありません。しかし、数ヵ月後、真理さんが心も体もボロボロにして姿を消してしまったのは事実です。
そしてキャンディーズの3人はそれをつぶさに見ていたはずです。そのことが、「普通の女の子に戻りたい」という言葉につながり、突然ファンの前で解散を宣言し事務所に事後承認を迫るという高等戦術につながったのではないか、と私は想像しているのです。もちろんあくまで想像で、詳しいファンの人からは「ちがうよ」と言われるかもしれません。ただ、直接の関係でなくても心理的に何らかの影響をもったに違いないとは思っています。
しかしともかく人気絶頂期のこの解散によってキャンディーズは“潔い”と讃えられ伝説化したのです。その後、スーさんとランさんは女優として復帰しましたから実際には「普通の女の子」にはならなかったのですが、その後の真理さんの波乱の人生と比較すれば、3人それぞれに順調な人生を歩んで来たのだと私は思っていました。
ところが、今度初めて知ったのですが、スーさんは実は20年も病気と闘い続けてきたということでした。本当に若いころから死と向き合ってこられていたのですね。最後は余命も告げられていたと思われますし、若いだけにどんなにつらかったでしょう。最後の肉声メッセージには只々涙でしたが、その中で、「幸せな、幸せな人生でした」と言われていたことに慰められました。精一杯生きてきたという思いがこの言葉に表れているのだと思います。
震災に直面し、またスーさんの訃報に接し、〈命〉というものを考えることが増えました。最近周囲の人たちを見ても思うのですが、幸せなばかりの人生もないし、不幸なだけの人生もありません。
ナチスの強制収容所を生き抜いた心理学者フランクルが「それでも人生にイエスという」という言葉を残しています。ありとあらゆる地獄を見てきた人が、それでも人生には価値があるというのです。価値のない人生などない、生きるということ、〈命〉というものはやはりかけがえのないものだという思いを深くしています。
逝く命もあれば生まれ出る命もあります。『生ましめんかな』のようにあの混乱の中でも新しい命は人々に守られ生まれてきました。もちろん、被災地以外のいたるところで新しい命は日々生まれているのです。私たちになじみの方のところでも小さな命の誕生が告げられています。生まれたばかりの赤ちゃんは生命そのもののように輝いています。
今あらためて思います、生まれ出た命は私たちの希望です。本当に幸せな人生を生きてほしいと心から願います。
そうであれば、私たち大人ができることは何でしょうか。それは新しい世代の未来に澄んだ空と清い水と清浄な大地を残すことだと思います。
スーさんが映画『黒い雨』で渾身の力で演じてくれたのもこのことではないでしょうか。
ジョーン・バエズ 「雨を汚したのは誰」
アーカイブ(過去記事)へ 「空いっぱいの幸せ」INDEXへ
コメントは掲載までに多少時間がかかることがあります。しばらくお待ちください。
55歳、ほんとうに若すぎますね。真理さんより若い人だけにショックでした。キャンディーズファンの人たちの悲しみも察して余りあります。
本編の更新があり、ちょっとタイミングが遅れてしまいましたが、今回はこのことについて触れたいと思います。
キャンディーズは太田裕美さんと共にいわば真理さんの直系の妹分ですね。同じ渡辺プロであり、音楽的にも同じ明るいポップスで、森田公一さんの作品も共通項ですし、実際、真理さんの曲のカバーもあります。特にスーさんは3人の中でも顔立ちや声質など雰囲気が真理さんに一番似ていました。
キャンディーズがファンだけでなく多くの人の記憶に強くとどめられることになったのは「普通の女の子に戻りたい」という言葉だったと思います。私はキャンディーズについて詳しくはないので、全くの推測なのですが、あの言葉は真理さんがいたからこそ発せられた言葉ではないでしょうか。
あの言葉は1977年7月のコンサートの中での発言でした。同じ年の初頭、真理さんは突然入院し、以後消息を絶っていました。この事情もいまだに謎ですが、その前年のコンサートの中で真理さんは「今日私は、この歌を歌いたかったんです」と言って、「心のままに生きていくのはいけないことでしょうか」(『告解』)と歌っていました。その後のことについては私にもひとつの想像はありますが事実である確証はありません。しかし、数ヵ月後、真理さんが心も体もボロボロにして姿を消してしまったのは事実です。
そしてキャンディーズの3人はそれをつぶさに見ていたはずです。そのことが、「普通の女の子に戻りたい」という言葉につながり、突然ファンの前で解散を宣言し事務所に事後承認を迫るという高等戦術につながったのではないか、と私は想像しているのです。もちろんあくまで想像で、詳しいファンの人からは「ちがうよ」と言われるかもしれません。ただ、直接の関係でなくても心理的に何らかの影響をもったに違いないとは思っています。
しかしともかく人気絶頂期のこの解散によってキャンディーズは“潔い”と讃えられ伝説化したのです。その後、スーさんとランさんは女優として復帰しましたから実際には「普通の女の子」にはならなかったのですが、その後の真理さんの波乱の人生と比較すれば、3人それぞれに順調な人生を歩んで来たのだと私は思っていました。
ところが、今度初めて知ったのですが、スーさんは実は20年も病気と闘い続けてきたということでした。本当に若いころから死と向き合ってこられていたのですね。最後は余命も告げられていたと思われますし、若いだけにどんなにつらかったでしょう。最後の肉声メッセージには只々涙でしたが、その中で、「幸せな、幸せな人生でした」と言われていたことに慰められました。精一杯生きてきたという思いがこの言葉に表れているのだと思います。
震災に直面し、またスーさんの訃報に接し、〈命〉というものを考えることが増えました。最近周囲の人たちを見ても思うのですが、幸せなばかりの人生もないし、不幸なだけの人生もありません。
ナチスの強制収容所を生き抜いた心理学者フランクルが「それでも人生にイエスという」という言葉を残しています。ありとあらゆる地獄を見てきた人が、それでも人生には価値があるというのです。価値のない人生などない、生きるということ、〈命〉というものはやはりかけがえのないものだという思いを深くしています。
逝く命もあれば生まれ出る命もあります。『生ましめんかな』のようにあの混乱の中でも新しい命は人々に守られ生まれてきました。もちろん、被災地以外のいたるところで新しい命は日々生まれているのです。私たちになじみの方のところでも小さな命の誕生が告げられています。生まれたばかりの赤ちゃんは生命そのもののように輝いています。
今あらためて思います、生まれ出た命は私たちの希望です。本当に幸せな人生を生きてほしいと心から願います。
そうであれば、私たち大人ができることは何でしょうか。それは新しい世代の未来に澄んだ空と清い水と清浄な大地を残すことだと思います。
スーさんが映画『黒い雨』で渾身の力で演じてくれたのもこのことではないでしょうか。
ジョーン・バエズ 「雨を汚したのは誰」
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