生ましめんかな

『生ましめんかな』  栗原貞子

 こわれたビルディングの地下室の夜だった。
 原子爆弾の負傷者たちは
 ローソク1本ない暗い地下室を
 うずめて、いっぱいだった。
 生ぐさい血の匂い、死臭。
 汗くさい人いきれ、うめきごえ
 その中から不思議な声が聞こえて来た。
 「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
 この地獄の底のような地下室で
 今、若い女が産気づいているのだ。

 マッチ1本ないくらがりで
 どうしたらいいのだろう
 人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
 と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
 と言ったのは
 さっきまでうめいていた重傷者だ。

 かくてくらがりの地獄の底で
 新しい生命は生まれた。
 かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
 生ましめんかな
 生ましめんかな
 己が命捨つとも

いきなりこんな詩で始めてびっくりされたかもしれません。
この詩はご存知のように1945年8月6日夜の広島での実際の出来事を描いたものですが、この詩が訴えたものは何でしょう?
それは、原爆の破壊力をもってしても消すことのできなかった人間の強さ、やさしさ、尊さだと思います。産婆さんだけでなくその場に居合わせた人々が自ら瀕死の状態であるにもかかわらず、残された力を合わせ振り絞って、新しい命を誕生させたのです。 新しい命は未来への希望でもあります。

いま、東北、北関東の人々は文字通り未曾有の困難に直面しています。経験したことのない巨大な地震と津波に加え、人災と言うほかない原発事故まで加わり、今日一日を生きるに精いっぱいという日が続いているのだと思います。こんな惨害を見ると、自然の力の前では人間はほんとうに無力だと思わざるを得ません。
しかし一方で私は、この大災害を通じて、この詩に描かれた広島の夜のように、自然の力をも超える人間の途方もない尊さを感じています。災害後まもなく、ごった返す避難所の中、配られた救護品を「私は大丈夫です。もっと大変な人にあげてください」と譲る人を見ました。また、家族をなくしたり安否もわからない中、自分のできることを生かして救援にあたったり助け合う数知れない人々がいます。通常であれば、新聞の大きなスペースで報じられるような称賛されるべき行動を、無名の人々が当たり前のようにしているのです。人間はなんとすばらしいのかと思わざるを得ません。

さて、このブログも本編のHPもしばらく更新できませんでした。原因は私生活でいろいろ急がなければならないことが次から次へと起こってきたためですが、何人かの方からメールまでいただき、ご心配をおかけしてしまいました。
まだまだそんな日が続きそうなのですが、とりあえず、本編の「若葉のささやき(各曲寸評)」を更新しました。ライブアルバム『私は天地真理』です。これで、残るは『童話作家』だけ、と思ったら、アルバム未収録の曲がありました。次回は合わせて更新して、全アルバムを完了したいと思っています。

惨状に心を傷めながら、この更新作業を並行して進めていく中で、真理さんのうたの力というものをますます強く感じました。そのやさしさ、強さ、そして希望が、心に浸みました。
真保さんのブログには真理さん自筆の被災者の方々へのメッセージが載せられていました。そのメッセージに沿って、真理さんのうたのメッセージを届けたいと思います。『私は天地真理』から『ひとりじゃないの』です。


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最後の後ろ姿はチャップリンの『モダンタイムズ』のラストシーンです。名もなく貧しい恋人たちが、何もかも失いながら、人としての幸せを求めて、互いに励ましあいながら未来を信じて歩み出すシーンです。
私たちも<ひとりじゃない>ことを信じて、互いに信頼しあい、助け合い、再び笑顔あふれる日を迎えましょう。


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Author:ひこうき雲
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