山上路夫特集

少し紹介が遅くなりましたが、3月10日、ラジオ日本「タブレット純 音楽の黄金時代」で「若葉のささやき」がかかりました。この日の放送は「山上路夫特集」で「黄金リクエスト」のコーナーでかかりました。



リクエストはムツキさんという方でした。この日は「山上路夫特集」ですから真理さんの曲はいくつでも候補があるので、必ずかかると思いました。しかし、私自身はつい先日リクエストを採用してもらったばかりだったので今回は難しいと考えて、さくら貝掲示板にリクエストを呼びかけていました。この方がそれを見てリクエストしてくださったのか、よくわかりません。お葉書でのリクエストだったことや、その文面などから推測すると、どうもそうではないように思います。また、「テーマに沿っていなくてもよいでしょうか」と尋ねておられますが、「山上路夫特集」なら「若葉のささやき」はテーマ通りですからちょっと不自然です。何か勘違いされていたのかもしれません。そうだとすると、やはり掲示板を見た方ではないと思われます。
そういう、天地真理ファンのコミュニティー以外の、いわば一般の人がリクエストしてくれたならとてもうれしいことです。そういうことがもっともっと広がってくれればいいなと思います。

桜の開花のニュースが始まりました。花の季節が始まって、まもなくすれば若葉の季節になります。例年この時期になると、あちこちの番組でこの曲が流れます。真理さんの歌声で、自然と同じように、私たちの生命もよみがえるようですね。

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黄金年鑑1972年

2月24日のラジオ日本「タブレット純 音楽の黄金時代」は「黄金年鑑1972年」でしたが、私のリクエストをかけていただけました。

最初に吉田拓郎「結婚しようよ」からこの年の時代的背景を見て、次に私のリクエスト「虹をわたって」をお聴きください。





番組HPではこの日の特集は、最初「黄金年鑑1972年」となっていましたので、お聴きのように1972年という年についての話題を書いて出したのですが、放送直前にHPを見ると「2,3月の歌」と付け加わっていました。そうすると「虹をわたって」は外れてしまうので、かけてもらえるかどうか、自信がありませんでした。しかしこの番組は「黄金リクエスト」というコーナーなら特集テーマと違ってもいいので、そこでかけてもらえました。久しぶりにリクエストがかかって、やはりうれしいですね。
ただ、読んでもらえたのは前半だけで、実は後半もあったのですが、私自身も長すぎるかなと思っていましたから、仕方ないですね。
全文は次の通りでした。

1972年でとても印象に残っているシーンがあります。6月中頃、テレビの歌番組で天地真理、小柳ルミ子、南沙織の3人娘がベストテンの1,2,3位を独占したシーンです。その時私は、これは一つの転換点だと思いました。つまり若者が音楽市場を”大人”から奪い取った瞬間だと思ったのです。吉田拓郎の「結婚しようよ」「旅の宿」の大ヒットによってフォークが大衆化してきたのも同じ流れでした。
アルバムでもこの年の年間1位は天地真理のファーストアルバムでした。アルバムは当時2000円前後でしたが貨幣価値で言うと今の3倍ぐらい、つまり今なら6000円くらいの感覚でした。したがって買えるのは大人が中心で、演歌とか洋楽が中心だったのです。ですから若いポップス系の歌手が1位を占めたこの出来事は特筆すべきことでした。しかもこの天地真理のファーストアルバムはフォークのカバーアルバムといってもいい内容でしたから、いわばアイドルとフォークと言う若者の支持を凝縮したような性格をもっていたのです。
こうして若者文化が大衆文化の主流となっていく、その転換点となったのが1972年と言っていいのではないでしょうか。

リクエストはそのファーストアルバムから「あのすばらしい愛をもう一度」です。天地真理さんの名唱です。

(※もし、上の音源がなかったら)
リクエストは天地真理さんが3曲連続オリコン1位と言う当時前人未到の記録を達成した「虹をわたって」です。

ここで書いたことは以前このブログにも書きました。<アーカイブ>にも入れてありますが、こちらをご覧ください。


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女性の陽の歌声の象徴

1月6日(土)ラジオ日本「タブレット純 音楽の黄金時代」の「元気の出る歌」特集で天地真理さんの「ひとりじゃないの」がかかりました。さっそくお聴きください。


この曲はこの日の放送では2曲目にかかったのですが、1曲目はクレージーキャッツの「黙って俺についてこい」でした。この曲は「そのうち何とかなるだろう」という本当に楽天的でまさに「元気の出る歌」ですが、「ひとりじゃないの」は同じ意味で「元気の出る歌」というわけではありません。アルバム版や歌詞違い版(”旅”バージョン)ならそういう面もあると思いますが、シングル版はかなり違います。むしろしっとりとした歌い方ですね。しかしタブレット純さんが「女性の陽の歌声の象徴」と紹介したように、真理さんの声の明るさ、あたたかさ、やさしさが沁み込むように萎れたり固くなっていた心を温めて生き生きとさせてくれる、その意味でたしかに「元気の出る歌」と言っていいでしょう。
またタブレット純さんはこの曲を「女性アイドルの概念を確立した曲」と言っています。アイドルの原型を作ったのは天地真理さんだと言われますが、真理さんが本当に独自の<天地真理の世界>を確立したのはこの「ひとりじゃないの」でしたから、たしかにそう言っていいでしょうね。
この曲もリクエストではなかったけれど、タブレット純さんはいい選曲をしてくれますね。ラジオを通して聴くと聴き慣れたこの曲も、あらためて新鮮に聴こえてきました。

もうひとつ、この放送で“発見”したことがありました。最後から2曲目に朝倉理恵さんの「さようなら 今日は」という曲がかかったのです。真理さんの「さよなら こんにちわ」と同名ですね。こういう曲です。お聴きください。


テレビドラマの主題歌ということですから、ご存知の方は多いのでしょうが、私はテレビをあまり見ない方でしたから驚いてしまいました。なかなか良い曲ですが、真理さんの「さよなら こんにちわ」とはだいぶ感じが違いますね。題名も「さようなら」と「さよなら」、「今日は」と「こんにちわ」というように微妙に違っています。でも作詞は両方とも安井かずみさん(真理さんの方は山口洋子さんと共作)なのに、どうして同名になったのでしょう?謎ですね。




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「あの年この歌 1971年」 (3)

「あの歌この年 1971年」の3回目です。前回私は「意欲はあったが全体としてはきまりきったイメージで安易につくられていた」と書きました、その一つの例として小柳さんの話をあげたのですが、もう少しあげたいと思います。
この番組がステレオタイプだというのは番組の副題でも言えます。「ティーンアイドル花盛り」というのですが、「ティーンアイドル」に該当するのは実は南さんだけです。真理さんはデビュー1か月後には20歳になってしまいましたし(当初、渡辺プロは1歳若く公表していましたが)、小柳さんは19歳でしたがあまり「ティーンアイドル」という印象ではありませんでした。「ティーンアイドル」にぴったりなのは「17歳」の南さんや麻丘さん、アグネス・チャンさん、そして「中3トリオ」などでしょう。真理さん、小柳さんは年齢的には大学生に当たるとすると、南さんらは高校生、そして「中3トリオ」は中学生といった間隔です。なのに新3人娘を「ティーンアイドル」にしてしまったのは、その後のアイドルの急速な低年齢化による「ティーンアイドル花盛り」に引きずられたのでしょう。つまり後からできたアイドルのイメージ(アイドル=10代という先入観)を検証もなく元祖に当てはめてしまったのです。
次に、3人についてそれぞれ、南沙織さんには<元祖ティーンアイドル>、 小柳ルミ子さんには<ディスカバージャパンの地方ブーム>、真理さんには<テレビから生まれた白雪姫>という「キーワード」で紹介していますが、これも的外れですね。南さん、小柳さんの場合もそうですがここでは真理さんに限るとにして、<テレビから生まれた白雪姫>って何のことでしょう?映像を見ていくと「テレビから生まれた」ということの根拠としては「『時間ですよ』の知名度をベースに人気者となった」「さらなる人気を得ることになったのは子供向けの人気番組『真理ちゃんシリーズ』」あたりがそれに当たるのかと思いますが、当時大学生で世の中の平均的な感覚をそれなりに知っていた(と思う)私の記憶では「時間ですよ」の知名度と言っても“知る人ぞ知る”程度だったのではないでしょうか。また「真理ちゃんシリーズ」はすでに圧倒的な人気が広がっていたから企画されたもので、それによって人気が加速されたとは(子どもたちには多少はあったでしょうが)言えないのではないでしょうか。いずれも「テレビから生まれた」ということを立証する根拠にはなっていないと思います。ただ<テレビから生まれたアイドル>ということは真理さんについて当時からよく言われてきたことで、おそらく当時をリアルには知らない番組制作者がそうした言葉の断片をつなぎ合わせて考えたのではないでしょうか。しかし当時真理さんが<テレビから生まれたアイドル>といわれたのは視覚的要素が人気の要因だと思われていたからです。真理さんの人気をカラーテレビの普及と結びつけたりするのも同じ理由ですね。今でこそ真理さんの<うた>の素晴らしさが(以前よりは)広く知られるようになってきましたが、当時は 
“ファン”でさえ真理さんの魅力を<うた>ではなく視覚的要素で感じていた人が多かったのではないでしょうか。私は初めから<うた>こそ真理さんの魅力と思っていましたが、当然ながら視覚的にも素晴らしい魅力を持った人だと思っていました。そして真理さんの空前の人気がそうした視覚的要素に支えられていたことも事実でしょう。その意味では<テレビから生まれたアイドル>という分析は(<うた>を無視している点で)不十分ではあるが間違ってはいないのです。しかし、もし番組制作者がそうした意識をもって<テレビから生まれた>というキーワードを考えたのであれば、視覚的にどのような魅力があったのかを紹介すべきでしょう。それも「可愛い」などという無規定に近いような言葉ではなく、もっと具体的に紹介すべきです。真理さんの視覚的魅力は単なる顔の造形ではなかったと思います。つまりただ美人だということではなく、その表情の豊かさにあったと思うのです。その象徴が<笑顔>でした。真理さんの笑顔は他の人にはない魅力を持っていました。それは、あたたかく、やさしく、すべての人を幸せにするような笑顔でした。ある意味で生々しさのない普遍性を持った笑顔で、だからこそあれほど多くの人を魅了したのだと私は思っています。しかしこの番組では、彼女の視覚的要素の何が人気に結びついたか掘り下げようとしていませんでした。
真理さんの魅力そのものについて語っていたのは富沢一誠氏だけです。しかしそれは「茶の間の真理ちゃんと言う感じ」とか「3人の中で一番普通」という評論家としてはあまりにお粗末な内容でした。「茶の間の真理ちゃん」というのはすぐ身近にいそうな親近感と言う意味なのでしょうが、富沢氏は南さんについても「学校に行ったら自分の友達にたくさんいそうな」と言っていて親近感と言う意味なら同じだと思うのですが2人の違いはどこにあるのでしょうか。また「普通」という言葉は人によっていろいろの意味になるでしょうし、どういう意味でそう言うのか、どうしてそう言えるのか、さっぱりわかりません。短い時間ではそこまで言えないということならもっと的確な言葉を選ぶべきです。富沢氏は「(天地真理が)人気的にはやっぱり(新三人娘の中で)一番あったのかなあという、僕の印象はそういう感じですよね」とも語っているのですが、真理さんの人気が一番であったのは「僕の印象」ではなく客観的事実です。このように「事実」さえきちんと押さえず「印象」ですりかえてしまうというのは富沢氏だけでなく番組そのものの性格です。
繰り返し言いますが、この番組はむしろ良質のものだと思います。それでも内容的にはきちんと検証が行われず、掘り下げも足りず、定番の評価を繰り返すことで終っていたというのが私の印象です。テレビでも雑誌でも、そこを超える水準のものを期待したいものです。

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「あの年この歌 1971年」(2)

はじめに前回の記事について訂正しておきたいと思います。前回の記事の中で「水色の恋」を歌うデビュー当時の動画はこれまで無かったと書きましたが、実はあったのです。単独の動画ではないのでうっかりしていましたが、1975年に「夜のヒットスタジオ」に出演した時、局がデビュー当時の映像を用意して真理さんに見せたのです。Youtubeの動画で見ることができます。「水色の恋」を歌う場面は2分20秒のあたりからです。


この「初めての涙」の映像もとても興味深いもので、以前記事で取り上げたことがあります(涙より微笑みを)が、「初めての涙」の頃ですから1975年の6~7月の放送でしょう。芳村さんが3年半前と言っていますから「水色の恋」の映像はまちがいなくデビュー当時のものになります。
一方今回の映像については、デビュー直後ではなく翌年2月に東京会館でおこなわれた「ちいさな恋」発売記念「ちいさなパーティー」のものではないかという指摘もいただきました。下の写真がその時のものと言うことで、たしかに衣装は同じようですし、髪形もはっきりはわかりませんが似ているように思います。
19720218ちいさなパーティー東京会館
そうすると「夜のヒットスタジオ」の映像が一番古いということになりますが、どうでしょうか?

さて本題です。前回の続きで「あの年この歌」新3人娘特集についてもう少し考えてみたいと思います。
前回書いたようにこの番組はこれまで見られなかった映像を探し出すなど通り一遍のものにしないようにという意欲はあったと思います。しかし全体としては、やはりきまりきったイメージで安易につくられていたという印象です。南さん、小柳さんについてもステレオタイプな解説でしたが、とりわけ真理さんについては一層そういうことが言えると思います。
たとえば、3人娘それぞれを語る人が、南さんの場合は作詞家の有馬三恵子さん、小柳さんの場合は小柳さん自身というそれぞれのチームのメンバーなのに真理さんの場合は真理さんのチームの人ではなくライバルであった小柳さんがご自分の立場から語っています。真理さんを語れる人をちゃんと探したのでしょうか?探せばすぐに見つかると思うのですが(たとえば菊池マネージャーとか)、それをしなかったのですね。さらに小柳さんの話についてもファクトチェックはしたのでしょうか?個室の件についても、私が当時読んだ雑誌記事では個室を使えたのは美空ひばりだけであとは新人もベテランも一緒と書いてありました。太田裕美さんが真理さんと親しくなったのも楽屋で太田さんが真理さんに気軽に話しかけたのがきっかけと記憶しています。個室だったらそういうことは起こらないですね。たしかに真理さんは特別扱いだった時期があったようで、番組を終わってテレビ局を出るときはプロデューサーがわざわざ玄関まで送っていたという話も読んだことがあります。ですから局によっては個室の時もあったのかもしれませんがそれが常態だったとは言えないのではないでしょうか。しかし小柳さんにとってはそれは強い記憶として残っていても不思議はないし、人はそういう記憶は時間とともに肥大化することもよくあることですから、小柳さんがウソを言っているということではなく、局がチェックするべきことです。
小柳さんのその他の話はいつものことですが、これも検証はされているのでしょうか。個々の事例はともかく、渡辺プロが真理さんを優遇していたというのは事実でしょうか。実際は逆だったと私は考えています。つまり渡辺プロが力を入れていたのは小柳さんだったということです。そのことについては以前も触れています。
実はこのことについてずっと見つけていてまだ見つからない雑誌記事があるのです。1972年であるのは間違いないのですが何月かははっきりとは覚えていません。雑誌は男性向け週刊誌(文春、新潮、ポスト、現代など)あるいは新聞社系週刊誌(朝日、毎日、読売、サンケイ)だと思います。内容は真理さんと小柳さんを比較したものです。その中で私がはっきり記憶しているのは、渡辺プロの社員(名前は覚えていませんがある程度の役職の人と記憶しています)の発言です。言葉までは覚えていませんがだいたい次のような内容でした。「小柳は美空ひばりの後継者として育てていく。天地は2年間稼いでくれたらいい」 私はそれを読んで仰天しました。自分の会社の、これからどんどん売り込んでいこうという人気急上昇の有望タレントを「2年間稼いでくれたらいい」と公言するなど普通は考えられないことです。小柳さんのチームの人が言うならわからないでもありません。しかしそういう立場の人ではなかったと思います。私は渡辺プロの本音が、この迂闊な人からポロリと出てしまったのだと当時思いましたし、今も思っています。真理さんも小柳さんも歌手デビュー前にTVドラマに出演しています。小柳さんはNHKの連続テレビ小説「虹」(1970.4.6~1971.4.3)で主人公の娘と言う大きな役を演じ、演技力をつけ知名度も得たうえで、1971年4月25日「私の城下町」で歌手デビューし、さらに2曲目もヒットさせて年末のレコード大賞、歌謡大賞の新人賞、NHK紅白への出場を勝ち取りました。きちんと段階を踏み目標を定めて育てようとしたことがわかります。一方、真理さんは「時間ですよ」への出演も、ご存知のように瓢箪から駒のように実現したもので、ほんの一場面、セリフもほとんどなくただ歌を歌うだけの軽い役でした。しかし意外に人気が出てきたので急遽10月に歌手デビューすることになりましたが、すでに大賞や紅白には間に合わない時期でした。このように、小柳さんは計画的に育てようとしてきたのに対し、真理さんは偶然の連続、行き当たりばったりであったことがわかります。そういうところを見ても渡辺プロがどちらを優遇していたかは明らかだと私は思っています。
(※この雑誌に心当たりのある方がおられましたら、ご連絡ください)

なお、誤解のないようにしていただきたいのですが、私は小柳さんの発言をあまり不愉快だと思っていません。かつてはそう感じることもありましたが、同じことを話していても真理さんへの気持ちが以前とはだいぶ違っていると感じました。その転機は2010年のTBSの番組「解禁㊙ストーリー」で真理さんと40年ぶりに再会してからではないでしょうか。この時、小柳さんはご自身のブログで「真理ちゃんと私は“戦友”ですね」と書いていました。また、小柳さんはいまやサッカー解説でも知られていますが、スポーツ報知(2015.2.20)のインタビューでメッシと.ロナウドのライバル関係に触れ「私の場合は天地真理さんがそういう存在だった。私がメッシで真理ちゃんがロナウドかな。私は職人、彼女は華があるスター」と語っていました。これを読んで私は、もしかしたら小柳さんは芸能界で当時の真理さんのすごさを最もよく知っている人ではないかと思いました。今回の発言もあまり感情が入らず軽く話していたように感じましたし、むしろ「真理ちゃんは特別だった」という証言のつもりだったのかもしれません。ともかく小柳さんは自分が感じていたことを正直に話しただけで、その検証は局側がすべきことだったのです。

小柳さんの話がだいぶ長くなってしまいましたので、予定を延長して次回も続けたいと思います。


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