特別編  東北へ行ってきました

このブログは天地真理さんに関する話題を扱っていますが、今回は特別編ということで、ちょっとちがった話題に触れたいと思います。

先日、東北岩手へ旅行してきました。スリーピーさんのようにボランティアに参加できればよかったのですが、距離的にも年齢的にも体力に自信が持てなかったので普通に観光旅行をしてきました。とはいえ、東北に行こうと思い立った動機は震災、津波の現地でその実態を自分の目に刻みたいと思ったからです。しかし、自分で計画するのではどこを見ればいいのかさえわかりません。そこでネットで希望に合ったツアーはないか探したところ「岩手デスティネーションキャンペーン」の一環として「被災地支援金付復興応援ツアー」というのを見つけ、「陸前高田大船渡号」に参加してきました。今回はその紹介です。

4月14日、朝10時に一関駅前からツアーのバスに乗り込みました。参加者は二十数名。この日はこのツアーの初日と言うことで朝日新聞の記者も取材で乗り込んでいました。
陸前高田は海岸の町ですが、一関は内陸ですから、北上山地を抜けて約60Km走らなければなりません。出発から一時間を過ぎ、そろそろ陸前高田に近づいたかな、と思った頃、突然、広々としたところに出ました。私ははじめ田んぼが広がっていると思っていました。ところがよく見ると田んぼではなく、ただの裸地で、ところどころで重機が動いています。何の工事?と思っていたら目の前にのぼり旗を立てた仮設の商店がいくつも見えてきました。つまりここはすでに津波の被災地だったのです。私がすぐにわからなかったのは、そこは山に囲まれどこにも海は見えていなかったからです。しかしガイドさんの説明によると、そんなところにも川をさかのぼって津波が襲ったのだそうです。私はこの話を聞き、またその場所を見て津波のすさまじさを初めて実感しました。
バスはその後、山の中のようなところにできている市役所の仮設庁舎でトイレ休憩をとった(ほかにトイレに行ける場所がないのです)あと、いよいよ海岸の陸前高田市の中心部に向かいました。数分後、急に前方が広く開け、海まで一気に見渡せました。その間をさえぎるものが何もないのです。あの「奇跡の一本松」も遠くに見ることができました。本当にまっ更で何もないのです。そういう光景はテレビなどで見てはいるのですが、実際に自分の目で見ると、言葉がありませんでした。ところどころにコンクリートの大きな建物が残っていますが、バスはその一つの前にとまりました。それは以前は上の写真のように道の駅でにぎわっていたようですが、今は下の写真のような状態です。
      道の駅
      道の駅2
ここで、地元の方がガイドとして乗り込んでくれて、当時の話を聞かせてくれながら、周辺を回りました。
まず降りたのは旧市役所でした。この建物は遠くから見ると形は残っているように見えたのですが、実際にその前に立つと中は完全に破壊されているのがわかりました。この建物は4階建てですが、ここを襲った津波は18メートルだったそうで、屋上に逃げた人だけが助かったそうです。金属は飴のように曲がっていますし、内部は今も片付けられていなくてガラガラの状態でした。私はこの内部を見たとき、こんな光景をどこかで見たことがあると思いました。どこだったろうとしばらく考えて、広島の原爆ドームだと気づきました。今の原爆ドームは修復・整備されてある意味で整然としていますが、私が中学生の頃(50年ほど前)訪れた時にはほとんど手が加わっておらずすぐそばまで近づいて内部をのぞくこともできたのです。その時の印象がこの時甦ったのです。
      市役所1

      市役所2
      市役所3
市役所の前には市民会館がありここも避難所に指定されていたのですが、市役所より低いので完全に波にのまれ、ここへ避難した100人の中で助かったのはわずか3人であったということです。市役所や市民会館を下から見上げると、ここまで波が来たのかと信じられないような高さでした。安全と信じていたところまで波が襲ってきたときの皆さんの恐怖を思うとなんともいえない気持ちになりました。市役所前の祭壇で手を合わせ亡くなった皆さんのご冥福をお祈りしました。
 ※この時の私たち一行の写真が4月23日の朝日新聞に出ていまし
  た。乗り込んでいた記者がとったものです。

          朝日

市役所の次は海岸に移動して「奇跡の一本松」の見えるところでバスを降りお話しを聞きました。
私たちの降りたところは気仙川の河口付近でしたが、そこから海の先の方を見るとリアス式の深い湾が続き穏やかで美しい海でした。これがあの惨害をもたらした海とは信じられませんでした。
市街地の方を振り向くと先ほどの市役所付近までずーっと見渡せます。この間には以前はたくさんの建物があったはずですが、今はあちらこちらに積み上げられた瓦礫の山以外、視界を妨げるものはありません。もちろん津波の直後にはたくさんのものが積み上がっていたでしょうが、1年後の今はそれらはすっかり片付けられ、「何もない」状態になっているのです。
目を正面に戻すと、テレビで何度も見た「奇跡の一本松」が目の前に見えます。今は一本しかありませんが震災前は見事な松原が見渡せたはずです。それが一瞬にしてこうなってしまったのです。津波の強大な力を象徴的に示す出来事でしたが、その中でこの松だけは津波の猛威に耐え、根を踏ん張って生き抜き、被災者のみならず日本中の人々に勇気を与えたのでした。しかしその戦いに力尽きたのか、この松はまもなく枯死してしまいました。しかし、今、そのこどもたちがすくすくと育っているそうです。ガイドの方は何年か後、その子どもたちによって美しい松原が復活する夢を語ってくれましたが、私もそれまで健康を保って、必ず再びこの地を訪れ、その松原をこの目で見たいと願っています。
       一本松

短い旅でわずかな見聞では到底この震災について分かったなどと言えません。被災者の方たちの今に続く悲しみ、苦しみを簡単に共有できるとも思いません。
しかし、ガイドの方も言われていたように、自分が見てきたことをできる限り伝えることが、今の私にできる最大のことだろうと思い、敢えて「特別編」として書かせていただきました。
この記事をご覧になった皆さんもぜひご自分の目で現地をご覧になることをお薦めします。ボランティアができればもちろん素晴らしいですが、私のようにいろいろの事情で困難な場合でも、見るだけでも行かないよりはいいのです。昼食に立ち寄った食堂の方も去年訪れる人もなくなってしまった時のさびしさを語っておられました。
「物見遊山」でいいのだろうかという抵抗感もあるかもしれません。私にもありました。でも、その心さえあれば物見遊山でいいのです。
このツアーの前日の平泉も穏やかな地でした。そしてとりわけ中尊寺金色堂は私の想像を超えるすばらしいものでした。ツアー翌日は花巻の宮澤賢治記念館など賢治ゆかりの場所を訪ねましたが、この日は快晴で「イギリス海岸」では北上川が悠然と流れ、白く輝く早池峰山を背景にトビがゆったりと青空に舞っていました。春のよろこびが輝くような青空でした。東北は豊かでやさしい地です。それを知ることは東北に心を寄せることになると思います。皆さん出かけましょう!

       イギリス海岸

この青空を見て「空いっぱいの幸せ」が頭の中に聴こえてきました。家に帰って早速その思いからNHKFMにリクエストを出したら放送してくれました。ほかにも3人の人がリクエストしてくれていました。(4/23ミュージックプラザ)

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