ひとりじゃなかった

10月14日、朝一番に朝日新聞土曜版beを開きました。予告通り「もういちど流行歌」で「ひとりじゃないの」が取り上げられていました。全国紙でこれだけ大きな紙面で天地真理さんの話題が載るのは本当に久々ですね。それもとても心和む記事でよかったと思います。すでに何人ものファンの方々が報告されていますが、一応記事を掲載しておきます。
ひとりじゃないの紙面
(クリックして拡大してご覧ください。見にくければWEB版でご覧ください。WEB版は無料会員登録すれば読めますが、会員登録したくない方はしんりさんのブログで文章を読むことができます。)

この記事のテーマは冒頭部分にはっきり書かれていますね。
「真理ちゃんといえば「元祖女性アイドル」。最大の魅力はスマイルで、歌のうまさは二の次という印象もありました。でも、実は高校で声楽を学んだ本格派だったって知ってましたか?」
つまり「歌手・天地真理」に焦点を当てた記事と言えると思います。読者のコメントも「アイドル・天地真理」に関するものもあったはずですが、「歌唱力を再評価する声」を集めて紹介しています。本来の意味でのマスコミでこういう記事は初めてかもしれません。その意味でこの記事は私たちが待ち望んだものと言えると思います。このような観点で記事を書いてくれた担当の記者さんに心より感謝したいと思います。
ただ欲を言えば、もう少し<うた>の面を掘り下げてほしかったと思います。こういう記事は興味をもって読んでもらうためにどうしてもエピソード的なことが多くなるのは仕方ないと思うのですが、真理さんの<うた>を評価する根拠が国立音高で声楽を学んだという経歴しかなく、真理さんの<うた>の具体的魅力に触れたのは読者のコメントだけです。「ひとりじゃないの」を取り上げたなら、それを真理さんがどう歌っているかということを追究して欲しかったと私は思うのです。そうしてこそファン以外の人たちに真理さんの<うた>の魅力を理解してもらえると思うからです。しかしスペース等の制約もあるでしょうからやむを得ないことかもしれません。
記事の最後がいいですね。結びの言葉「ひとりじゃなかった」には真理さんの青春へのあたたかな共感が感じられました。

それから同時に行われた投票ですが、「ひとりじゃないの」は残念ながら4位でした。

ひとりじゃないの順位
605票ですから先日の「想い出のセレナーデ」の時に比べれば格段に増えました。しかしそれでも1位には届かなかったのです。いつも言っているようにこのランキングはかなり狭い範囲での投票の結果で必ずしも一般的な傾向を示すとは限りません。しかし逆に狭い範囲だからこそ強力に取り組めばいい結果も出せるのです。その意味で考えさせられる結果でした。

しかしともかくもこのような記事が掲載されて、あらためて真理さんの歌を聴いてみようという人たちがたくさん増えることを期待したいものです。



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哀惜歌う真理ちゃん

9月23日付朝日新聞土曜版beの「もういちど流行歌」は<1974年10月>でした。特集は中村雅俊さんの「ふれあい」でしたが、以前投票を呼び掛けた「読者のベスト15」では天地真理さんの「想い出のセレナーデ」が11位でした。1974年10月の実際の順位である4位には届きませんでした。
もういちど想い出読者のベスト15
もういちど想い出当時のベスト10

しかし、特集以外の曲についての記事では郷ひろみさんの「よろしく哀愁」とともに天地真理さんの「想い出のセレナーデ」が取り上げられました。
もういちど想い出記事編集
最初の引用は私のものですが、原文は次のようなものでした。

愛する人を失った哀しみを切々と歌う曲ですが、天地真理さんの歌は大げさに悲しみを表現するのではなく、節度を保ちながら繊細な表情の変化でにじみ出るように哀しみが高まり熱い想いへと昇華されていきます。
まさに天地真理さんらしい歌唱ですが当時この曲は天地真理さんの「イメージチェンジ」などと言われました。しかしデビュー曲「水色の恋」もそうした曲でしたし、アルバムではオリジナルでもカバーでもそうした曲を見事に歌っていました。ライブではそれをさらに上回る見事な歌唱をきかせていたのです。
逆に言えば、”天地真理らしい”明るく弾む歌も実は同様にしっとりとした情感を伴っていたのです。そういう天地真理さんの歌の本質が当時の聴衆も専門家と称する人々もほとんどわかっていなかったために、この歌は「イメージチェンジ」などと錯覚されてしまったのです。

若干省略、修正されていますが意味はほぼ変わっていません。次の千葉の女性(ネットで知っている方でしょうか?)のコメントも真理さんのうたの本質をよく表していますね。真摯な取り上げ方で、短いながらもよい記事でした。

ただ11位という順位はやはり残念です。前にも書きましたが、このアンケートは一般の人には知られにくいし期間も極めて短いので、参加者数も少なく、「読者のベスト20」といってもどれだけ妥当性があるかわかりません。ごく狭い範囲の偏ったものかもしれません。しかし逆に言えば、少ない得票でも上位に入ることが可能だということです。しかもその結果が紙面に載ると「この曲が1位なんだ」と(まるで世論調査のように)信頼性があるものと思い込む人は多いのです。しかも全国紙ですから非常に多くの人にアピールできます。ですからできるだけたくさんのファンの方に参加してもらおうと「さくら貝掲示板」にも投稿して投票を呼びかけましたし、このブログはもちろん、クミさんもブログやツィッタ―で呼びかけてくれました。私の知らないところでほかにも呼びかけてくれた方があったかもしれません。にもかかわらず117票というのはちょっとがっかりです。ファンクラブの会員数は300名くらいと言うことですから、それだけでももっと上位になるはずです。
ただ今回は記事として取り上げてくれたので(順位だけでは見過ごされてしまったかもしれないけれど)かなりアピール出来たと思います。担当の記者さんに感謝です。もちろん投票した皆さんがメッセージに込めた熱い想いが、得票数以上に記者さんの胸に響いたのだろうと思っています。
先日投票があった「ひとりじゃないの」はどうだったのでしょうね?ファンクラブ事務局からも呼びかけがありましたから今回より多くなるとは思いますが。もし担当の記者さんが今回と同じなら内容も期待できそうですね。

<放送情報>
クミさんのブログで教えてもらいました。
BS-TBS 火曜19:00~の「日本名曲アルバム」
9月26日は「決定版!70年代歌謡ポップス名曲集」ということで、「若葉のささやき」が放送されるようです。楽しみですね。


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没入し体験されるべき芸術

「もういちど流行歌」の話題が入ったのでだいぶ間が空いてしまいましたが、8月25日の朝日新聞に面白い文章がありました。(磯崎憲一郎「文芸時評」)
 音楽の授業でモーツァルトの交響曲を聴いて、「作曲者の意図を述べなさい」という課題が出されることはないし、美術の授業でセザンヌの作品を見て、「画家の伝えたかったことを述べなさい」という課題が出されることもない。ところが国語の小説の場合は、「傍線部の作者の意図を三十字以内で述べなさい」という問題が当然のように出される。ここに大きな間違いがある。文字で表記されているという見た目は似ていても、小説は論説文や新聞記事とは違う、音楽や美術と同じ仲間の、没入し体験されるべき芸術なのだ。・・・

たしかに音楽や美術では「自分が何を感じたか」ということが何より大事なことです。一方、小説などの文学は「言葉」を使った表現であることから、どうしてもその「意味」にこだわってしまいます。しかし文学も文体やリズムなども含めた芸術表現だというのですね。詩や短歌ならまさにそうですね。「汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる」という一句の魅力は「意味」では説明できません。「汚れてしまった悲しみの上に、今日も小雪が降りかかって来る」では、原文の繊細な心が伝わってこないのです。意味だけでなく、言葉の選択、文体、リズムといったものが総合されてひとつの芸術表現になっているのです。そして時評の筆者は散文である小説でもそうだというのですね。
私はこの短い時評から<表現>ということについてあらためて考えさせられましたが、そのうえで「逆もあるのではないか」とも考えました。
時評の見出しは「(小説を)音楽や美術のように読む」というのですが、「逆」というのは、音楽や美術が(一般的な)小説の読み方のような聴き方、見方になっていないか、ということです。『音楽の授業でモーツァルトの交響曲を聴いて、「作曲者の意図を述べなさい」という課題が出されることはない』でしょうか?授業ではともかく、世にあふれている音楽評論の大部分はむしろそうしたものになっているとは言えないでしょうか。単に好きか嫌いかと言った次元のものは別としても、もっともらしく書かれたものも、音楽(演奏、歌唱)そのものを論じるのではなく、歌詞の意味やそこから類推するストーリー、歌手の人生、作詞・作曲家の情報、当時の音楽の流行事情、社会状況との関連といったことで<うた>を論じたように思っているものも多いと思います。さらには販売・広報戦略、芸能界の裏情報などまったくの周辺事情を事情通のように得意げに書いているものも多いのです。(と言っても私はそうたくさんの評論を読んでいるわけではないので主観的かもしれませんが)
前々回紹介した「名盤ドキュメント」にもそういうところがありました。この番組は音楽(歌)そのものもよく論じていたと思いますが、この歌を聴いた人はどう感じたのか、ということについては充分には触れられていなかったように思います。
天地真理さんの<うた>については当時はもちろん、ようやく彼女の<うた>の素晴らしさが再認識されてきた今でもそんな傾向がより顕著なように感じます。
そこで、私自身がどうしたら彼女の<うた>そのものを論じることができるだろうかと試みたのがホームページ「空いっぱいの幸せ」の中の「若葉のささやき(アルバム別各曲寸評)」でした。もちろん私の力量では拙い分析しかできませんでしたが、より力量のある方々がそれを土台にしてさらにすぐれたものを生み出してほしいという思いで公開しています。ひところはそういう私の願いが実現しそうな気配もあったのですが、最近では低調です。このブログだけでなく、他のブログや掲示板などでのさまざまな意見交換も少なくなってしまいました。それが私の主観的な思い込みであればいいと思いますが。

最後に「名盤ドキュメント」のなかで紹介された真理さんのセカンドアルバムから「好きだから」をお聴きください。併せて上記ホームページでの私の寸評も載せておきます。
(動画はma4ever100さんの作品です。なお埋め込みができませんがkei sukeさんの作品もあります。)



はじけるようなよろこびがあふれる曲。出だしの「はじめての」「好きだから」というところはもぎたての果物のような鮮烈さで、たちまち聴く者の心を幸福感で満たしてしまう。はっきりしたアクセントがリズムを弾ませて(たとえば「ほんとに好きだから」)曲が高揚し、いったん区切りをつけた後「赤い花束」につづくフレーズになると深く強い声になってオペラチックと言ってもいいくらいスケールの大きな展開となる。その後の彼女の歌ではこういう発声は次第に影をひそめてしまい、洗練された、あるいは抑制された発声になっていく。それはそれでとても魅力的なのだが、私はこういう伸び伸びとした発声もとても好きである。この曲も他の"アイドル"が歌えばもっとかわいい、ちょっと媚びた歌になるのだろうと思うが、彼女が歌うとほんとうに生命力に満ちたスケールの大きな歌になる。彼女にはそういうスケールの大きな歌を歌える力が十分あったし、そういう面をもっと展開していたら一般の人のもつ「天地真理」のイメージもずいぶん違ったものになったのではないか、と少し悔しい気もするのだ。ともかく、この曲はそういう可能性を感じさせながらも、自然な若さの奔流が心をうきうきとさせてくれる。


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もういちど流行歌

<追記あります> (9月11日)

すでにさくら貝掲示板に投稿してありますが、朝日新聞土曜版beの「もういちど流行歌」で特集テーマに天地真理さん「ひとりじゃないの」が取り上げられます。
今回は「1972年6月」ということですから、「ひとりじゃないの」が、先行して大ヒットしていた「瀬戸の花嫁」をあっという間に抜き去ってトップに立ち6週連続1位を続けていた頃ですね。真理さんの人気が不動のものになった曲ですから特集で取り上げられるのは当然ですね。
「もういちど歌謡曲」では特集と併せて、当時のオリコン・ベスト20の曲への投票もあります。せっかく特集で取り上げられるのですからこちらでもぜひ当時と同じ「1位」を取りたいものです。この投票は、投票できるのが朝日新聞デジタル会員のみで期間も極めて短いので限られた範囲での投票になります。全国的人気投票ではありません。とは言え、何といっても全国紙です。そういうメジャーなメディアで天地真理さんの実績にふさわしい取り上げられ方をされるのは本当に久々です。
これは待ちに待った機会です。この記事を見たすべての人はぜひ投票、投稿をしてください。投票だけでもいいですが、「ひとりじゃないの」についての思いを書き込む質問もありますから、できれば書き込んでください。熱心な書き込みが多ければ担当記者に与えるインパクトも違ってくると思います。また知っている方にも呼びかけましょう。投票で1位になれば、真理さんは今も多くの人に愛されているということが、ネットを見ない人たちを含め一般の人たちにも伝わるでしょう。それを機会にもう一度真理さんの歌を聴いてみよう、動画を見てみようという人も増えると思います。

朝日新聞を購読していなくても、 http://enq.digital.asahi.com/? で無料会員登録すれば誰でも投票ができます。

投票、投稿は同じページからも入れますが http://enq.digital.asahi.com/beranking/enquete/VIEW_MTUwNDI0NDU1Mi41OTkz.html で「回答する」をクリックしてください。

締め切りは9月11日です。時間がありません。すぐに投票、そして呼びかけをお願いします。

<追記>
ラジオ日本「タブレット純 音楽の黄金時代」で2週続けて真理さんの曲がかかりました。
9月2日「山川啓介特集」で「私が雪だった日」、9月9日「1974年9月のうた」で「想い出のセレナーデ」です。
実は私が使っていたネットラジオ録音ソフトが少し前から機能しなくなり、パソコンの前にいなければ聴くことができない状態です。そのため、「私が雪だった日」は聴けませんでした。リクエストがあったのかも不明です。「想い出のセレナーデ」はかろうじて間に合って途中から聴けました。こちらはリクエストもありました。ただ録音できなかったので、音で紹介することはできません。
いずれにしても、この番組は真理さんの曲をよく取り上げてくれます。皆さんもリクエストして見て下さい。
ところで、皆さんの中で良いネットラジオ録音ソフトをご存知の方がおられましたら、教えていただけませんか。別のソフトをインストールしてみたのですがうまくいきません。受信できるラジオ局もコミュニティーFMはカバーしていません。情報をお願いします。



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「名盤ドキュメント」

8月20日、NHKBSプレミアムで<名盤ドキュメント 太田裕美「心が風邪をひいた日」木綿のハンカチーフ誕生の秘密>という番組(再放送)を見ました。私はあまりテレビを見ないのですが、たまたまネットで紹介されていたので見てみました。
内容はこちらをご覧いただくとよいと思いますが、なかなかよくできた番組だと思いました。
一番よかったのは民放などでよくある“人情もの”みたいな話でなかったことです。本来当たり前のことなのですが、歌をちゃんと音楽、作品としてアプローチしていました。この「名盤ドキュメント」という番組は(私は見なかったのですが)以前の内容を見るとそういう番組なのですね。
ただどうしても、“つくる側”からの視点で論じられているのですね。筒美京平と松本隆を軸に編曲の萩田光男、企画の立場で(真理さんの後期の作品も担当した)ディレクターの白川隆三と言った人たちがどんなふうにこの曲をつくったか、ということが主題になっていて、表現する側、つまり太田裕美さんがどう歌ったか、あるいは“聴く側”がこの歌のどういうところに何を感じ取ったのか、ということについて掘り下げられるところまではいかなかったように思います。
もちろん太田裕美さんがそれをどう歌ったかということも触れられていましたし、テレビ番組としては割とよく分析できていると思いました。また、どう聴いたかということもある程度取り上げられていました。しかし私自身はそちらの方に関心があることもあって、十分ではありませんでした。マスコミというのは送り出す側ですから、そう言う立場で考えてしまうのでしょうね。
こうしたことについてはちょうどこの曲について以前の記事でも触れました。
しかし良質の番組であったことは確かで、こんな番組を天地真理さんについてもつくってくれないかなあとうらやましくなりました。

このなかで印象的だったことがいろいろあり、ひとつひとつ触れられるといいのですが、長くなりますから今後少しづつ取り上げることにして、今回は「アルバム」について触れたいと思います。
じつはこの番組の中で、一瞬ですが天地真理さんが登場した場面がありました。セカンドアルバムのジャケットが映り、「ちいさな恋」が流れたのです。
名盤ドキュメント・アルバム

どういう場面かというと、当時の「アルバム」の性格について解説されていたところです。
白川さんによれば、「当時はシングルが優先で、シングルがオリコン何位ということが歌手にとって大事だった。そこで何人かの作詞・作曲家に依頼して数曲をつくってもらいその中からシングル曲を決めていた。そして残った候補曲でアルバムをつくった。」と言うのです。いわばアルバムは残り物であって、相互の関連の無い曲を寄せ集めたものというわけですね。ところがフォークなどのシンガーソングライターは、あるテーマによってつくるアルバム、つまりコンセプトアルバムをつくった。太田は(作詞・作曲もするが)シンガーソングライターというわけではないが「木綿のハンカチーフ」が収録された「心が風邪をひいた日」というアルバムはいわば筒美・松本によるコンセプトアルバムで画期的だった、という話の中で、旧来型の“寄せ集め”アルバムの例として真理さんのセカンドアルバムが映ったというわけです。
なぜ真理さんのアルバムが例として登場したのか?おそらく当時(正確には1972~1973年)最もアルバムが売れていた歌手は真理さんでしたから“代表”として登場したのだと思います。太田裕美さんや白川さんとの関係からしても決して悪い意味ではなく、むしろオマージュかもしれません。ただ私としてはちょっと引っかかるところもあるのです。
それはコンセプトアルバムが“寄せ集め”アルバムより価値があるかのように受け取れたことです。“寄せ集め”であろうと1曲1曲の<うた>がすぐれていればいいのです。コンセプトアルバムが価値があると考えるのは頭でっかちの思い込みだと思います。
私がクラシックを聴き始めた頃、「運命」と「未完成」のカップリングと言うのが定番でした。この組み合わせに特に意味があるわけではありません。ただ一番売れ筋だったからです。儲けのためです。だからと言って、そういう動機だからそのレコードに価値がないなどと言う人はいませんでした。価値を決めるのは演奏自体なのです。寄せ集めであろうと1曲1曲の演奏がすぐれていれば価値のあるレコードだし、構成がいかに深遠な理念によっていようと演奏がお粗末ではそのレコードに価値があるとは言えないのです。
ただ真理さんのアルバムにコンセプトがないのかと言えば、私はあると思います。白川さんが担当した「小さな人生」はコンセプトアルバムですし、「童話作家」のA面もそう言えるでしょう。またコンサートというのは当然コンセプトをもっていますから、それを収録したライブ盤もそういう性格を持つことになります。特に「私は天地真理」はどの曲を収録するかという選択を通してよりはっきりとしたコンセプトを持ったとも言えます。(参照) その他のアルバムも、たしかに一見無造作に作られているように思われますが、1枚1枚にたしかな個性があります。たとえば、番組で映っていたセカンドアルバムは青春のあこがれと幸福感が横溢する稀有のアルバムとなっていると私は思っています。しかしそれはコンセプトが優れているからではなく、真理さんの<うた>がすばらしいからなのです。

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