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夢を叶えよう

前回の記事にたいきさんから次のようなコメントをいただきました。多くの方に見ていただきたいので、コメントへの返信ではなくこちらに紹介させていただくことにしました。

さて、リクエスト関係でKBS京都ラジオに真理さんのライブ盤が存在しないことがわかりました。(5/2の「われら夢の途中」)
そこで今後リクエストをかけてもらうために7月6日にKBS京都ラジオに「天地真理プレミアム」を寄贈しました。寄贈の旨の手紙と同封に天地真理さんがデビュー50周年、70歳(古希)を迎えること(KBS京都ラジオも開局70周年)を伝え、番組中に特集として月に1回2曲ずつ12か月真理さんの曲をかけることを提案いたしました。(良く知られた曲より隠れた名曲を中心に1回きりでなく2曲でいいから長期間)
しかし7月11日の放送では何の反応もありません。確かに一人のリスナーのリクエストにいちい反応していられないでしょう。(7月21日真理さんのドラマデビューの日に近い7月25日から特集を提案)
そこでお願いですが、記事をご覧の方でリクエストをしてもいいという方がおられましたら毎週日曜放送の「われら夢の途中」を中心にKBS京都ラジオにリクエストをお願いしたいのです。
寄贈した「天地真理プレミアム」が有効に使われればうれしいです。


以前からリクエストに精力的に取り組んでおられるたいきさんが、アルバムに収録された曲もリクエストできるように放送局にプレミアムボックスを寄贈してくださったのです。ご存じのようにプレミアムボックスは決して安価なものではありません。それを無償で寄贈するというのはかなり決意のいることです。それを淡々と実行されたたいきさんに敬意を表したいと思います。
たしかにファンの方なら、真理さんには大ヒットしたシングルだけでなく、アルバムにはオリジナルでもカバーでも素晴らしい曲がたくさんあるのを知っていますし、それを多くの人に聴いてほしいとリクエストしたのにさっぱりかけてもらえないという経験をお持ちの方もおられるでしょう。その理由の一つに実は放送局が音源を持っていないと言うことがあったのです。私も以前、NHKが持っている真理さんの音源を調べてみたことがあったのですが、シングル以外もある程度はあるのですがプレミアムボックスはないようでした。NHKさえそうですから、民放、特に地方の民放では(個性あるパーソナリティーでもいない限り)期待はできないでしょう。
そこで、実は私も放送局にプレミアムボックスを寄贈したことがあるのです。その放送局は、ずっと長くこのブログを訪れていただいている方はご存じですが、新潟県の新発田市のコミュニティーラジオであるFM新発田です。新発田市在住のファンの方がみんなで真理さんの歌を集中してリクエストしようと呼びかけられていたので、選曲の幅を広げようとプレミアムボックスをその方を通じて寄贈したのです。2013年のはじめでした。FM新発田でシングル以外もかけられるようになったという記事はその時のものです。そしてそれからしばらくはFM新発田は真理さんファンのメッカのような様相を呈していました。ただ、FM新発田は全国どこからもインターネットで聴くことはできましたが、なんと言っても地方の小さな放送局ですから、ファン以外の多くの人に真理さんのうたの真価を届かせるには力不足で、いろいろの事情もあり、この取り組みも自然消滅してしまいました。
今回たいきさんが寄贈したのはKBS京都ラジオですから、全国キー局ではないもののはるかに広い範囲で多くのリスナーを持つ放送局だと思いますから、ずっと影響力は大きいと思います。たいきさんは反応がなかったと言われていますが、7月11日の「我ら夢の途中」ではトップで「恋する夏の日」がかかったようですね。夏の定番曲ではありますが、一つの兆しとも言えないでしょうか。番組の都合でひとりの歌手の曲を連続でかけることは難しいということもあるでしょうし、リクエストしてもすぐ採用されないかもしれませんが諦めず続ければ次第に頻度も高くなってくると思います。番組のタイトルは「我ら夢の途中」ですが、<歌手天地真理の真価>を広く認識してもらおうという私たちの<夢>もまだまだ途中です。たいきさんの文字通り”身銭を切った”決断を無駄にしないよう、多くの方に参加していただくよう私からも呼びかけたいと思います。



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人生初の経験

いぶんご無沙汰してしまいました。実は約一ヶ月病気(コロナではありません)入院していました。 救急車でいきなり病院に運び込まれ、そのまま入院が続きました。何の準備もなく、ブログもメールも放りぱなしになってしまいました。スマホは持っていましたが、ブログ編集のパスワードを忘れていて、記事の更新はもちろんコメントやメールへの返信もできませんでした。先日ようやく退院し覗いてみるとブログの新しいコメントはなかったようですがメールは何通かいただいていました。メールにつきましてはすぐご返事すべきですが、まだ少し静養が必要で正直なところ気力が出ません。いただいた方には大変失礼とは思いますが、ご理解いただければと思います。ブログの更新も体調の回復具合を見ながらボチボチとやっていこうと思います。Youtubeの「歌手天地真理の魅力を探る」シリーズについてもしばらくは新しい動画の公開は難しいと思います。ただ、12回の計画の内、残りの2回は私の主観の強い内容になりますので、これまで公開した10回で私の意図はほぼ達成できていると言えます。したがって後2回分はのんびり楽しみながら作れたらと思っています。
今回は人生初の経験で、正直なところ精神的にとても苦しいときもありましたが、そうならなければわからないいろいろのことに気づかせてもくれました。私は決して頑健な身体ではありませんが、病気とは縁遠く、風邪さえあまりひかないくらいで、もちろん一度も入院したことがありませんでした。そしてそれが普通のように感じていたのですが、今回のことで健康でいることがどんなに幸せなことか痛切に知りました。天地真理さんも(ずっと入院していたわけではありませんが)3年にわたる闘病がありましたが、それがどんなに苦しいことだったか、ほんのわずかではありますが身にしみてわかったように思います。一方、そんな私自身の苦しい日々の中で私の心を慰めてくれたのはスマホに入れておいた真理さんの歌でした。最初に流れてきたのは「ひとりじゃないの」(「私は天地真理」版)でしたが、みずみずしく生気に満ちた真理さんの歌声が聴こえてきたとき、沈んでいた私の心が天に昇るように軽くなり、身体の隅々にエネルギーがよみがえってきました。コロナによる面会禁止のため家族の顔も見ることができない中、何とか元気を保てたのは真理さんのうたのおかげでした。真理さんのうたに出会えて本当によかったとあらためて思いました。
 

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「青春時代の真ん中は・・・」

先日、新聞を見ていて、ふと見た「週刊現代」の広告で<森田公一とトップギャランの『青春時代』を語ろう>という見出しが目に入りました。真理さんについての記事ではないけれど森田公一さんですからひょっとすると真理さんに関した話も載っているかもしれないと思い、珍しく購入しました。(週刊現代 5月15日号)
該当の記事を開いてみると、森田さんだけでなく中曽根晧二さんも加わって、濱口英樹さん(1965年生まれ)が話を聞くという内容でした。中曽根さんはCBSソニー(当時)のディレクターとして真理さんのデビューから全盛期を支えた人ですが、最近はどうされているのか情報がなかったので写真を見てうれしかったですね。
森田さんと中曽根さんがそろったので、真理さんのことも出てくるかなとますます期待して読んだのですが、残念ながらやはり『青春時代』のことがほとんどでした。ただ一度、真理さんの名前が出てきたのは次の所でした。
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森田 僕の作曲は、歌い出しの音程にもCMの要素を採り入れているんです。当時のスポットCMは15秒単位で切り替わりが速いから、とにかく冒頭のつかみが大事。だから高音から始めるのがいいんです。
濱口 言われてみると、森田さんが作曲したアグネス・チャンさんの『ひなげしの花』の「丘の上」も、天地真理さんの『恋する夏の日』の「あなたを待つの」も高い音から始まります。
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そしてもう一カ所、次の写真がありました。

森田週刊現代20210515

私が注目したのはキャプションです。「天地真理は、森田公一から躍動的な歌い方を学んだ」 私は<「天地真理の世界」が全面開花したのは『ひとりじゃないの』での森田公一との出会いだった>と言ってきました。真理さんのうたは森田さんとの出会いによって一皮むけたように、青空のような明るさと心の底から躍動するよろこびを獲得したと思っています。この言葉は、森田さんがそういう意味のことを言ったのか、中曽根さんが言ったのか、あるいは濱口さんや編集者が書いたのか、はっきりはわかりませんが、本題には関係がないのにわざわざこんなキャプションが付けられていると言うことは、森田さんや中曽根さんがそうしたことを話されていたからではないでしょうか。いずれにしてもこの言葉は、簡単だけれど真理さんのうたの本質をついた言葉だと思います。
ただ、この写真はキャプションとは全く時期が違って休養後復帰時のものですね。編集者はきっと(比較的)若い人でいつ頃の写真かわからなかったのでしょう。

さて、この週刊誌記事の本題は『青春時代』ですが、もっと知りたい方は買ってお読みいただくとして、この記事を書きながら真理さんと『青春時代』を結ぶ動画を思い出しました。大分前にYoutubeにアップされていたのですが今はないと思います。1990年の放送番組のようですが、詳しいことはわかりません。ピーターさんが司会で森田公一さんと天地真理さん、研ナオコさんが語りあい、森田さんが『青春時代』を歌うという内容です。



森田さんのうたはしっとりとしていていつも聴く『青春時代』とはちょっと印象が違いますね。真理さんはあまり見たことのないヘアースタイルですが、「青春時代の真ん中は」と口ずさんでいるところがアップになっています。自分自身の怒濤のような青春に想いを馳せているのでしょうか。




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私のベスト5

更新が遅れていますが、「ライブの輝き」の「② 私は天地真理」が難航しているためです。ひとつは選曲の問題です。「童話作家」と「告悔」は決まりですが、あと2~3曲をどうするか、困っています。このコンサートで真理さんが伝えたかったことがなるべくわかるような構成にしたいが、一方、動画としてはオープニングとエンディングはそれらしくしたいし、しかし曲数が増えると長くなりすぎるし、というような調子でなかなか絞れません。また、「私は天地真理」というタイトルのついたこのコンサートの性格を説明するには、解説や字幕が多くなりすぎるのでどうしたらよいか、という問題もあります。
というわけで、動画ができるまではまだまだ時間がかかりそうなので、つなぎの話題で更新しておくことにしました。

前回の最後に、ファンクラブのサイトで興味深い動画が見られますよ、と紹介しておきましたが、その内、会員専用ページに真理さんの誕生日に合わせて真理さんの歌のベスト5を選ぶという企画の結果発表が出ています。ベスト5といってもシングルではなく、B面曲、カバー曲、LPに収録されたオリジナル曲それぞれのベスト5を投票するという企画でした。その結果を動画で見ることができますが、「会員専用ページ」ですからそのまま公開するわけにはいきません。しかし動画ではなく順位だけなら公開してもいいのではないかと思いますので、それぞれベスト10を紹介します。
投票に参加した人は61名ということですからちょっと少なめですが、それでもかなり票が拡散していて、それぞれに多彩な〈天地真理像〉があるのだなあ、と思いました。

まず、B面曲です。
  ①もの想う季節 30票    ②ブランコ 26  
  ③ある日私も 24      ④君よ知るや南の国 18  
  ④京都でひとり 18     ⑥花ひらくとき 16  
  ⑥真冬のデイト 16     ⑧旅人は風の国へ 15  
  ⑨小さな人生 14      ⑨私の場合 14       
       (全部で34曲、298票)
赤字は私の投票した曲です。(ただ記憶が少し怪しくて、もしかしたら間違えているかもしれません) あと1曲はやっぱり「一杯のレモンティー」でしたが15位(8票)でした。

次にカバー曲です。
  ①この広い野原いっぱい 20  ②あなた 18  
  ③あの素晴らしい愛をもう一度 16  ④童話作家 15 
  ⑤冬物語 12         ⑥サルビアの花 11  
  ⑥告悔 11          ⑥ある雨の日の情景 11   
  ⑨虹と雪のバラード 10    ⑨なごり雪 10      
       (全部で65曲、301票)
私のもう一票は・・・わかりません。候補が多すぎて思い出せません。

最後はLPに収録された天地真理さんのオリジナル曲です。
  ①ミモザの花の咲く頃 25    ②夏を忘れた海 16  
  ③レイン・ステイション 15   ④あなたが教えてくれた歌 13  
  ⑤ひこうき雲 9        ⑥牧場の乙女 8  
  ⑥二月の風景画 8       ⑧さくら貝 7  
  ⑧また逢うためにさようなら 7 ⑧家なき子 7  
      (全部で81曲、297票)
私のもう一票は「好きだから」(30位 3票)です。「ミモザ」は納得ですが、「ひこうき雲」がこんなに上位に入るとは予想していませんでした。私としてはとてもうれしいです。

いかがですか?投票した人はこの結果はどうでしょうか?投票しなかった人も、あらためて自分のベスト5を選んでみたらどうでしょうか。



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日本のポップス黎明期(2)

2007年以来使っていたパソコンがいよいよ不調になり、ついに買い換えました。かなり前からいやになるくらい遅くなって何をするにも時間がかかっていたのですが、年金生活なので少しでも支出は抑えたいとだましだまし使ってきました。しかし最近は勝手にシャットダウンするようなことも起こってきていよいよ限界だなと思い買い換えました。新しいパソコンは画面は2倍くらい大きいし、何と言っても速くて快適です。しかし引っ越しは大変で時間がかかりました。こんなことができるのはあと何年かなと真剣に考えたりもしました。

さて、その間に筒美京平さんがお亡くなりになりました。日本のポピュラーミュージックの最大の作曲家と言っていいでしょうね。私が中学生のころまでは、ラジオ(のちテレビ)から流れてくる曲は”歌謡曲”で、日本語訳詞の欧米のポップスを弘田三枝子さんらが歌い始めたのがとても新鮮だったことは少し前に書きました。そして間もなく輸入ではない日本オリジナルのポップスが生まれてきました。おそらくその先鞭をつけたのは中村八大さんだと思います。ジャズ出身の八大さんは永六輔さんとの”六・八コンビ”でNHK[夢で逢いましょう」の「今月の歌」で次々とヒット曲を生み出しました。坂本九さんを加えた「六・八・九トリオ」による「上を向いて歩こう」をはじめ「遠くへ行きたい」「こんにちは赤ちゃん」「幼なじみ」等、今聴いてもほんとうに心温まる良質の歌を作ってくれました。
当時、クラシックの音楽を聴きはじめ、決まりきった内容でじめじめした歌謡曲にうんざりしてラジオで欧米ポップスも聴くようになっていた私にも八大さんの曲は抵抗なく聴いて歌える曲でした。日本でもこういうセンスのある曲がもっと増えてほしいなと思っていたところ、次に「いずみたく」という作曲家が現れました。「見上げてごらん夜の星を」幸せなら手をたたこう」「いいじゃないの幸せならば」「太陽がくれた季節」「恋の季節」「夜明けのうた」「希望」「夜明けのスキャット」「いい湯だな」等々、実に多くのヒット曲がありますが、日本のポップスを大衆化し根付かせた人といえるのかも知れません。
そしてそのころ、ヒット曲の「作曲」欄に筒美京平という名前が少しずつ登場し始め、私は「ああこの人もいいセンスをしているな」と自分の発見のように思ったら、あっという間にヒットメーカーになってしまいました。その後の実績についてはご存じのとおりです。数えきれないくらいのヒット曲は今後超える人はいないでしょう。しかしマスコミにはめったに出ず、”職人”に徹した人でもありました。
以上のことはあくまで私の個人的な記憶であり、日本のポピュラーミュージックの歴史として妥当なのかはわかりません。しかし、私の思春期に重なる記憶です。それだけに筒美さんが亡くなられたのは自分の大事なものがまた一つ失われたような寂しさがあります。ご冥福をお祈りしたいと思います。
筒美さんと天地真理さんは真理さんの人気が下火となってきた頃、ようやく結びつきます。シングルでは「さよならこんにちわ」「夕陽のスケッチ」、「矢車草」、アルバムでは「小さな人生」の主要な曲が筒美さんの作曲ですが、結果としては大きなヒットとはならず、必ずしも期待された成果は残せませんでした。しかしそれまでの真理さんとは違う側面を引き出した優れた曲が多くあります。
例えば「矢車草」は数ある筒美作品の中でも(もちろん私はそのすべてを聴いたわけではありませんが)これほど清楚な歌はほかにないのではないでしょうか。



あらためてご冥福をお祈りしたいと思います。



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