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「真理ちゃんとデイト」 少し変わった?

CS 衛星劇場の「真理ちゃんとデイト」はほぼ前半を終わったところですが、8回、あるいは9回あたりから少し変わってきたようです。オープニングもこれまでは何となく始まったような感じでしたが、(例のテーマソングはまだ登場しませんが)「ドレミの歌」がテーマソング代わりに歌われて「始まりました」という感じになってきました。一番目立つのはサンルームのような印象的なセットが普通の部屋になったこと、いろいろの意味を持った広場の場面がなくなったことです。ゲストもこれまではほぼ自分の曲を歌うだけでしたが、出演部分が多くなりました。それに伴って、それまで番組の中心だった人形たちどうしのやりとりが減り、人形たちの役割が小さくなったように思えます。(11回ではニンジンとオレオレという個性的な人形がいなくなりました) 全体の印象として、展開がスムーズになり、歌も増えてより楽しく見られるようになった感じがします。しかし一方で、最初の頃のような詩的で哲学的ともいえる独特の味わいが消えて、万人受けするエンターテイメントになったようにも思えます。よく見るとスタッフも変わってきていて、アートデザインの妹尾河童さんの名前が消えています。それでセットが変わったのですね。作・構成も鈴木悦夫さんから田波靖男さんに代わっています。(回によってはほかの人の場合もあるようですが)鈴木さんは「天地真理オンステージ」のオリジナルソング「また逢うためにさようなら」の作詞者であり、田波さんは映画「愛ってなんだろ」の脚本作家ですから、お二人ともこの番組以外でも真理さんとは縁があった方たちです。しかし資質は少し違っているようで、鈴木さんは放送作家として「おかあさんといっしょ」や「ピンポンパン」も手掛けていますが、むしろ童話作家が本領だったようで文学的素養の豊かだった人のようです。田波さんは若大将シリーズやクレージーキャッツの一連の映画、「青春とはなんだ」「太陽にほえろ」などのテレビドラマを手掛けていて楽しく見られる娯楽作品に優れた手腕を持っていた人だと思います。そう言えば以前は童話のような趣がありましたし、今はホームドラマのような感じがあります。「真理ちゃんとデイト」の変化にもそういうお二人の違いが反映しているのでしょう。ちょっと連想を広げると、真理さん主演の2つの映画「虹をわたって」と「愛ってなんだろ」の違いにも似たところがあるのではないでしょうか。「虹をわたって」は明るい喜劇とばかり言えない重層的な要素がありますが、田波さんの脚本による「愛ってなんだろ」は掛け値なしに明るく楽しい青春映画になっています。最近の変化もみなさんの反応はそれぞれのようですが、いずれにしても真理さんの豊かな表情が見られたり、番組オリジナルなバージョンや初めて聴くカバーが聴けたり、真理さんの魅力は十分に発揮されているように思います。後半も楽しみですが、「となりの真理ちゃん」は放送されるのか、気になりますね。

※ 「真理ちゃんとデイト」各回の内容についてはいろいろの方が紹介されていますが、特にクミさんのブログでは詳細な内容を知ることができますし、クミさんの率直な感想も興味深いです。

※ 更新がだいぶ遅れてしまいました。本当は新しい動画を予定していたのですが、なかなかうまくできません。そこでつなぎに、"困った時の真理ちゃんシリーズ”で「真理ちゃんとデイト」の話題にしようと思ったのですが、身体の節々を痛めたようで数日安静にするということになってしまいました。もちろんコロナとは関係がなく“年寄りの冷や水”の類ですが、おそらく旅行の時を除いて最長の間隔になったのではないかと思います。これまで何とか2週間あるいは半月の間隔で更新してきましたが、身体も頭も以前のようには回らなくなってきましたから、これからはなかなかそういかないかもしれません。更新が遅い時は「やっぱり歳だなあ」と気長にお待ちください。


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みんなが美しいものを多く見られる世界

3月23日、CS衛星劇場で「真理ちゃんとデイト」復活第1回の放送がありました。
復活第1回ですが1972年の放送では第2回に当たるものでした。本来の第1回がどうして放送されないのかわかりませんが、複雑な権利関係があるのかもしれません。それはともかく、前回、当時の私の感想として「期待して見たけれど少しがっかりした」と書いたのですが、約半世紀を経てあらためて見て、<素晴らしいものを見た>というのが私の率直な感想です。当時の私は何を見ていたのでしょうか?おそらく人形などとのやり取りを見て、<子供向け>とステレオタイプに決めつけてしまったのだと思います。世の常識的な価値観にとらわれていたということですね。

今回の放送を見てまず惹かれたのは真理さんの表情の豊かさです。画面が思っていたよりずっときれいで微妙な陰影もとらえられていたこともあって、刻々と変化する表情が見事に映し出されていました。
もちろん真理さんのうたは素晴らしかったですね。最初の「ちいさな恋」はこの番組のオリジナル音源のようですね。ひそやかなシングル版と比べると弾けるようで、いわば「ひとりじゃないの」を経て一皮むけたという感じがします。うれしかったのは真理さんの歌う「花はどこへ行った」が聴けたことです。おそらく漣健児さんの訳詞だと思うので、この曲の本来の内容とは全く違った内容になっていますが(「想い出のグリーングラス」もそうですね)、全くオリジナルな曲として聴くならば、真理さんのうたは若芽のようなみずみずしい生の息吹が感じられます。「好きだから」はレコード音源ですが、おそらく実際に歌いながら曲に合わせて揺れるような動きがすてきですね。「少年と少女」はこのシリーズで生まれたオリジナル曲の中でも当時から私も記憶していた印象的な曲です。最後の「虹をわたって」はオリジナル音源で、はじめの部分の弾き歌いの時のようなゆったりとしたうたがとりわけ魅力的でした。
もうひとつ、私が当時はわからず今回知ることができたこと、それは人形たちと真理さんの会話が実に意味深いものだったことです。それは哲学的ともいえる内容を持っていたのです。そのテーマはいわば「見えるものと見えないもの」とでも言えばいいでしょうか?ノッペラはのっぺらぼうですから元々目がないのですが、(第1回で?)真理さんが目をつけてしまったようなのです。それは「この街の素敵なもの、流れる雲や青い空、緑の葉っぱに、公園のベンチにかけている人、生まれたばっかりの子猫、そういうものすべてを見せてあげたい」と思ったからなのです。しかしニンジン君は「見るものすべてがそんなにきれいじゃない。みんな見てしまったら僕みたいになってしまう。」と言って目を取ろうとするのです。その後の詳しいことは割愛しますが、最後にヒネクレは「星よりも花よりも、きれいなもんがあるのと違いまっか?」と言い、真理さんが「みんなが美しいものを多く見られる世界だったら楽しいだろうなぁ」と結びます。これらの言葉はそれぞれにすぐには結論できない深い意味を持っていて、私は『星の王子さま』の「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」という言葉も連想しました。驚くのはこのやり取りの中で真理さんの意見は必ずしも正しいと肯定されていないことです。ニンジン君は真理さんの考えを間違っていると公然と批判します。真理さんの人気によって生まれた番組なのに真理さんにおもねっていないのです。このことは以前にも書いたことがあります。(https://amhikokikgumo.web.fc2.com/lemon.htm の☆8
をご覧ください) とは言え、こうしたやりとりは決して理屈っぽいものではありません。むしろ詩的ともいえる雰囲気の中で進行するのです。私は、たった30分の子供向け番組の中にこれだけのことを盛り込んだ当時のテレビスタッフの気概に脱帽します。翻って今のテレビ、マスコミにこの気概はあるのでしょうか?冒頭に<素晴らしいものを見た>と書いたのはこのことです。
次回以降、さらに楽しみですね。



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「真理ちゃんとデイト」CSで放送

すでにご存知かと思いますが、TBSで放送された「真理ちゃんとデイト」がCS衛星劇場で放送されることになりました。 
1972年10月から1975年3月まで、天地真理さんの人気絶頂期に2年半にわたって続いた”真理ちゃんシリーズ”の第1弾です。
一人の歌手がテレビで自分の番組を持つということ自体が稀であった当時、デビューしてわずか1年、20歳の真理さんがこうした番組をもてたということはその人気がいかに大きかったかということを物語っています。また当時の歌番組では一人の歌手の出番はその時の”新曲”を1曲歌って終わりでしたから、30分じっくり見られる番組は何よりうれしいものでした。
ただ私は、期待して見たけれど少しがっかりしたというのが正直なところでした。私の年齢からすると子供向けという印象だったのです。ちょうど私も就職して働き始めたということもあり、午後7時のこのシリーズは実はあまりよく見ていなかったのです。
ところが後年Youtubeでいくつかの動画を見たり録音を聴いて認識を新たにしました。子供向けであっても、社会的なテーマも扱われていたり、何より多くの魅力的なオリジナル曲があったことを知ったからです。しかしそれらはいずれも断片的でしたから、元の番組で見てみたいという気持ちはありました。しかし、元のビデオテープが残っているかどうかわかりませんでした。1960年代はビデオテープは貴重で放送局でも使いまわしをしていたので、歴史的な名番組もほとんど残っていなかったのです。70年代はカラー化も進んできましたからビデオテープも以前ほどではなくなっていたと思いますが、実際残っているのか全くわかりませんでした。それが2006年のプレミアムボックスにこのシリーズと見られる映像が含まれていて、少なくともいくつかは残っていることが確認されました。それ以来ファンの人たちの間では復活放送への期待が高まり、様々な機会に要望を届けようとしてきたのですが、なかなか実現に至りませんでした。しかしそれから14年を経て皆さんの努力が実を結ぶ日が来たのです。
実は前回の記事のコメントでのやり取りから、渡辺プロが保有する映像素材を公開していることを教えていただきました。
次のところです。    
  https://www.watanabe-group.com/archives/library/02.html
これを見ると「真理ちゃんとデイト」だけでなく全シリーズが保存されていることがわかります。これは事業者向けで個人対象ではなさそうでから、衛星劇場もこれを借り出して放送するのではないでしょうか。とすると、「真理ちゃんとデイト」が好評であれば全シリーズ放送も可能ということになります。
これから視聴申し込みという人はここから申し込めます。手続きの途中でアンケートがあって「視聴を申し込むきっかけになった番組」という問いがあります。ここで「真理ちゃんとデイト」と答える人が多ければシリーズが続く可能性も高くなります。
最初の放送は3月23日です。半世紀近い時を経て20歳の真理さんがよみがえります。


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テレビ・ラジオで変化が・・・

前回記事へのコメントで、2月10日TBSテレビ「歌のゴールデンヒット」で天地真理さんの歌う「あなた」が紹介されたと教えていただきました。この番組は「100万枚以上売れた曲全部聴かせます」という4時間のスペシャル番組で、私も新聞のテレビ欄で見ましたが、100万枚以上という基準では真理さんの出番はないと思っていました。ところが何とカバーで紹介されたというのです。「あなた」には50くらいのカバーがあるということですが、その中から3人が選ばれ、その最初に紹介されたのが真理さんだったということです。真理さんのカバーがいかに優れたものかということはファンの皆さんはよく知っておられることですが、一般の人だけでなくマスコミ関係者にもあまり知られていないと思います。しかし最近、ラジオなどでは真理さんの歌うカバー曲が時々聴かれるようになりました。マスコミ関係者の中でも少しずつ真理さんのうたへの評価が変わってきているということではないでしょうか。そういう流れの中でテレビでも紹介されたということではないでしょうか。実際にはほんのわずかな時間だったようですが、意義は大きいと思います。
私も年相応に気力が以前のようではなくなって、ラジオの番組を探してリクエストを出すということができなくなっています。そこで私自身はテレビもラジオもあまり見たり聴いたりしていないのですが、ちっちゃい私さんが関西方面などのラジオ局でかかった曲を丹念に調べてくださっていて(下の表)、それを見ると真理さんの曲も割と頻繁にかかっているのがわかります。その内、1/5の「明日への出発」は真理さんのオリジナル曲、2/20の「恋は水色」はカバーです。特に「明日への出発」は(「明日」という言葉のついた曲という特集だったようですが)よくかけてもらえたと思います。少しずつ変化は表れています。

1/ 5 KBS京都ラジオ「日曜ワイド われら夢の途中」 明日への出発
1/10 STV札幌放送「リクエストプラザ」  虹をわたって
    FM山陰「おがっちのレトロ本舗」   虹をわたって
1/11 RCC中国放送「ふくふくサタデーあの頃音楽館」恋する夏の日
1/13 RCC中国放送「おひるーな」  木枯らしの鋪道
1/14 ABCラジオ「With You」   水色の恋
1/17 STV札幌放送「MUSIC・J」    恋する夏の日
1/19 OBS大分放送「アナログに恋してる」   ひとりじゃないの
    KBS京都ラジオ「われら夢の途中」  ひとりじゃないの
1/23 RBCラジオ「小山康昭の今も青春!」   若葉のささやき
1/30 RBC琉球放送     虹をわたって
2/ 2 ラジオ日本「タブレット純 音楽の黄金時代」  水色の恋
    KBS京都ラジオ「日曜ワイド われら夢の途中」  ちいさな恋
2/ 3 MBC南日本放送   若葉のささやき
2/ 6 ABCラジオ「原田年晴・高岡美樹のHit&Hit」 ふたりの日曜日
2/ 7 ABCラジオ「With You」  ひとりじゃないの
2/17 ラジオ関西「三上公也の朝は恋人」  若葉のささやき
2/20 NHK第一「ひるのいこい」  恋は水色
    ラジオ大阪「”新しいおとなの朝に”ハッピー・プラス」
                        虹をわたって



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「音楽の力」

2月2日の朝日新聞に坂本龍一さんのインタビュー記事が載っていました。
坂本龍一「音楽の力」は恥ずべき言葉
私はとても共感したのですが皆さんはどうでしょうか?「音楽の力ってすばらしいじゃないか、どうして恥ずべき言葉なんだろう?」と疑問に思われた方もあるでしょう。坂本さんと多少ずれるところもありますが、私の考えはこうです。
音楽は芸術の中でも感情に直接的に働きかけることができる芸術です。ですから、やろうと思えば人々の感情をコントロールすることができるのです。映画の中での音楽の使われ方を見ればよくわかる思います。そういう意味では音楽には<力>があります。坂本さんがナチスの例を挙げているのは、その<力>を手段として使うことが「恥ずべき」ことと言っておられるのだと思います。ナチスだけでなく、日本もかつて戦意高揚のために音楽を利用しましたし、戦争のような非常時に限りません。たとえばCMの音楽だって、直接的に商品名などを売り込むようなものはもちろん、一見商品と関係ないようなただ美しい音楽でも、その美しさが無意識に商品とか企業への好印象を刷り込んでいく手段となっています。そういう使われかたはいくらでもありますしすべてを否定するわけではありませんが、音楽には<力>があるからこそ、その使われかたには十分な注意が必要なのです。
しかし私が最も共感するのは「音楽の感動というのは、基本的に個人個人の誤解」「感動するかしないかは、勝手なこと」、そして音楽は「好きだからやっているだけ」というところです。つまり音楽はつくる側も受ける側もあくまで個人的行為だということです。作曲家、あるいは演奏家は自己表現として音楽を生み出すのだし、聴く人がそれにどういう印象を持つかはその人次第ということです。だから坂本さんは「音楽家が癒してやろうなんて考えたら、こんな恥ずかしいことはない」と言うのです。私も「感動させてやろう、泣かせてやろう」というような歌い方には辟易します。感動の押し売りはまっぴらです。実は私が天地真理さんのうたをこんなに長く聴き続けて飽きることがないのは、真理さんのうたがそういうこととは全く無縁だからです。『私は天地真理』コンサートの終わり近く、真理さんが「とにかく今日、私はこの歌を歌いたかったんです」と言って『告悔』を歌い始めます。あくまでも「私」が「歌いたかった」と言っていて、みなさんに「聴かせたかった」とは言っていません。真理さんのうたはその音楽それ自体から自分が感じたことを表現していて、聴き手にどんな効果を及ぼそうかという計算は皆無なのです。私が真理さんのうたに対し「芝居じみたところがない」とたびたび言及しているのはまさにこのことなのです。このことを別の言葉で触れた以前の記事もご覧ください。




※Youtubeの「夕焼横丁の人々」の動画に映画「3丁目の夕陽」と関係があるかという質問があるのですが、1976年9月の中野サンプラザ「そよ風に誘われて」コンサートのパンフレットをお持ちの方で「夕焼横丁の人々」の脚本、あるいはコンサートの構成、演出が誰になっているかお分かりでしたら教えてください。あるいは映画「3丁目の夕陽」との関連について情報をお持ちの方がおられましたら教えてください。よろしくお願いします。

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