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2人の天地さん

ご無沙汰してます。あまり更新がないので、何かあったのではないかとメールをいただいたり、ご心配をおかけしてしまいました。私は年相応に眼、歯、整形外科関係、そして以前からの定期検診など医者通いは多くなっていますが、幸い日常生活に困らない程度には健康で過ごしております。
ただ、文章を読む、映画を見る、音楽を聴くといった、いわば「入力」は長い時間続けられるのですが、自分の考えを「出力」するということについては集中力があまり続かなくなっていて、それが更新がなかなかできない要因になっています。
今回、久しぶりに更新を思い立ったのは、Youtubeでちょっとおもしろい動画を見つけたからで、実は天地真理さん自身についてのテーマではないので、世間話のような気楽な気持ちで書けるかなと思ったからです。

次の動画を見てください。タイトルは<音声悪いですがお聞き下さい 司会(徳光和夫アナ)・ゲスト(藤純子)・八代亜紀・小林幸子・いしだあゆみ・天地真理>です。「天地さん」が出てくるのは33:00頃です。

皆さんどうお聴きになりましたか? 私は、「東京ブギ、天地さん、どうぞ」という紹介を聴いて、「え?真理さんがそんな歌を歌ったの?」と驚きと期待で耳を傾けたのですが、聴き始めて「???? これは違うんじゃないの?」と思い始めました。「でも確かに天地さんと言っていたし・・・」とちょっと混乱したのですが、はたと気がついたのは、これは天地総子さんではないかということでした。
私ぐらいの世代なら天地総子さんのことは知っているのですが、それより若い世代の方はどうなのでしょう?ずっと若い世代の方は知らない人が多いのかもしれませんが、CMソングとかNHK「みんなのうた」で歌手としておなじみだったほか俳優、声優としても活躍していた人です。「天地」という苗字は珍しい方ですから、真理さん登場以前は「天地さん」といえば天地総子さんだったのです。(天知茂という俳優もいましたが一字違いです)
お恥ずかしいエピソードを紹介すると、実は私は真理さんを総子さんと勘違いしていたことがあったのです。前にも書きましたが、私が天地真理さんを初めて見たのは帰省中に見た『時間ですよ』の画面でした。ギターを弾き歌う姿は印象的でしたが名前までは知らないままでした。「水色の恋」はたぶん街中で流れていたのを聴いたのがはじめで、耳に残ったものの誰が歌っているのか最初は知りませんでした。その後それが「天地真理」という歌手だと言うことは知ったのですが、その時点で容貌は知りませんでした。そこで「天地」という苗字から私の知っていた「天地総子」さんと何となく思い込んでしまったのです。しかしほどなくテレビで「天地真理」さんを見て「あれ!」とようやく気づいたというわけです。
それはともかく、動画で歌っているのが天地総子さんだろうとは思ったのですが、聴き慣れたCMソングなどの印象とはちょと違うのでまだ自信はありませんでした。そこでYoutubeで天地総子さんの動画を探してみたのです。そうしたら次の動画が見つかりました。

間違いありませんね。アルバムのタイトルも「東京ブギウギ」ですし、この「ラッパと娘」を聴いてみても上の動画と同じ声、同じ歌い方です。天地総子さんがこういう歌を歌うのは聴いたことがありませんでしたが、とても見事であらためて多彩な才能を持った方だったのだと認識を新たにしました。
ところで、天地真理さんと天地総子さん、苗字以外にも共通点があるのですがおわかりになりますか?それはふたりとも出身が国立音楽大学附属高校なのです。つまり先輩、後輩の関係になるのですね。「天地」という当時の芸能界では他にいない苗字(真理さんは芸名ですが)なのにそのお二人が同じ高校の出身とは不思議な縁ですね。お二人が言葉を交わしたことがあったのかどうかわかりませんが。
もう一人、国立音楽大学附属高校出身者を紹介しましょう。何と美輪明宏さんです。ただし美輪さんは中退です。声楽家を目指していたのですが父から絶縁され自立して生活するため退学したと言うことです。しかしその結果、誰にもまねできない唯一無二の才能を開花させたのですから人間の人生はわからないものですね。真理さんは美輪明宏さんとは会っていますね。誰かに連れられて新宿の美輪さんのバー(?)に行ったことがあったようです。その日はたまたま黒っぽい服を着ていたところ「そんな地味な服ではだめ。もっと派手にしなさい」といったようなことをアドバイスされたと何かで読んだことがあります。
たまたま上の動画について調べていく内に3人の縁が思い出され、人間のつながりって面白いなと思ったので記事にしてみました。



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聴き比べ「別涙」

「各曲寸評」の更新が滞っていますが、先日見たYoutubeで興味深い動画がありましたので久しぶりに聴き比べをしてみたいと思います。取り上げる曲は因幡晃さんの「別涙(わかれ)」です。私自身はこういう曲調の歌はすこし苦手なのですが、どうしてこれを取り上げるかというと、たまたま天地真理さんの「別涙」の動画を見ていたら、その横の関連動画にちあきなおみさんの「別涙」が出ていたのです。前に、最近は聴き比べに適当な動画が少なくなったと書いたことがありますが、天地真理さんとちあきなおみさんが同じ曲をカバーした動画というのは見たことがないので非常に興味をそそられたのです。突然事実上引退して伝説的な名歌手という評価を得ているちあきなおみさんと天地真理さんを聴き比べてみようというわけです。

ではお二人の前にオリジナルの因幡晃さんのうたからお聴きください。



歌詞からすれば女性の歌ですね。いじらしい女性の心を男性歌手が巧みに歌っていると思います。しかし、当時の感覚ではそうなのですが、現在の感覚では、やはり男性が書いた男性にとって都合のいい女性像と言われるかもしれません。しかしそれはともかく、ここでは”うた”として評価していきたいと思います。
ではちあきなおみさんと天地真理さんはこの曲をどう歌っているでしょうか。続けてお聴きください。





ちあきさんは感情を前に押し出さず抑制的で細やかな表現です。自分を抑え恋人を送り出す、そういう歌詞の意味からすればふさわしい表現かもしれません。
一方、天地真理さんはもっとストレートに感情があふれぐんぐん高揚していきます。この動画は3366Mariさんの作品ですが1979年10月行われた、3年に及ぶ休養後の復帰コンサート「明日への出発」のライブ録音です。(このコンサートの模様は3366Mariさんにいただいた音源に基づく以前の記事がありますのでご覧ください)正規録音ではないので言葉やニュアンスにやや鮮明でないところもありますが、それにもかかわらず聴く者の心に強く訴えてくる表現だと思います。
うたの評価はどうしても主観的な面があり、聴く人によって感じ方も様々ですが、私からすると、ちあきさんのうたは巧みとは思いますが心に響かない、ある意味つくりすぎているように思えます。それに対し率直に音楽の流れに感情を乗せた天地真理さんのうたは私の心を深く捉えるのです。皆さんはどう感じられましたか?

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もう一つ、久しぶりにリクエストの紹介です。
前回記事のコメントにたいきさんが紹介したくださっていますが、4月30日、KBS京都ラジオ「我ら夢の途中」で「若葉のささやき」がたいきさんをはじめ大勢の方のリクエストでかかりました。しかもたいきさんの強い希望でライブ版(オン・ステージ)がかかりました。ラジオで真理さんのライブ版がかかることはほとんどありませんが、皆さんご存じの通り、天地真理さんの真価はライブでこそ発揮されるものでしたから、多くの人に聴いてもらえたのはうれしいことでした。これもたいきさんの粘り強い努力のおかげです。ほんとうに頭が下がります。ありがとうございました。





各曲寸評② 「水色の恋/涙から明日へ」(2)

ファーストアルバムの二回目、レコードのB面になります。

7 涙から明日に

  「時間ですよ」で堺正章とデュエットで歌った、いわば隠れたデビュー曲。堺正章のあくの強いややセンチメンタルな歌い方と比べると実にあっさりとしているのだが、そのスタイリッシュな歌い方によって、「涙」に落ち込まないさびしさとあこがれが一歩踏み出そうとする強さとともに見事に表現されている。とりわけ「今ひとり行こう 燃える頬ぬらして」のフレーズのすばらしさは彼女ならではというべきだろう。

何度聴いても、思わず居住まいを正してしまうようなきりりとした形の美しさに陶然としてしまいます。

8 忘れな草をあなたに

 ちょっと歌謡曲的な歌で、彼女のうたも「しーあわせいーのる・・・」という部分や「わすれなぐさあーを」というところなど天地真理節といってもいいような独特な節回しで歌っている。彼女がフォーク的な歌を歌うときはフォーク歌手に比べずっと感情がこもったうたになるのだが、この歌ではそうした表情の濃さが前面に出ているといえるのかもしれない。しかし、全体としてはあっさりした感覚が生きていて過度に感傷的にならないのも彼女の特質だろう。それにしても、特に3番の「喜びの、喜びの」という部分の心震える表情をはじめ一つ一つの言葉が見せるニュアンスの変化はほんとうにすばらしい。

以前このブログでこの曲の聴き比べをしました。
http://amhikokigumo.blog67.fc2.com/blog-entry-212.html
真理さんのうたも含めてかなりの動画が削除されてしまっていて実際に聴き比べができるのはわずかですが、あらためて真理さんのうたの独自性を確かめることができるうたですね。

9 虹と雪のバラード

 トワ・エ・モアが歌った札幌オリンピックのテーマソング。トワ・エ・モア、特に山室(白鳥)英美子さんの清潔な声は当時とても好きだったのだが、今彼らでこの歌を聴いてみると、自分の中にあったトワ・エ・モアのうた(のイメージ)とはだいぶ違っていた。むしろ逆に天地真理のうたの方が繊細なニュアンスに富んでいる。たとえば、「真っ青な空が」という部分の息を呑む美しさ、2番の抒情部分の繊細な表現はほんとうにすばらしいし、高揚部分もスケール大きく歌いきっている。

この曲も以前の聴き比べの記事があります。(動画はすべて削除されていますが)
http://amhikokigumo.blog67.fc2.com/blog-entry-150.html
札幌オリンピックは今の商業主義にまみれたオリンピックに比べれば、まだまだアマチュアリズムが健在だった頃で、この曲自体もそんな空気を感じさせますが、真理さんのうたは本当に清冽で白銀の世界にふさわしいですね。


10 恋は水色 

 「涙から明日に」と同様、「時間ですよ」で窓に腰掛け歌っていた曲。彼女の歌声が電波に乗った最初の曲である。たとえば森山良子はこの曲を元気いっぱいの表情で歌うが、天地真理のうたは夢幻的である。彼女の歌がいつもそうであるように、一見何の技巧もないようなのに実はあらゆるフレーズに細やかで豊かなニュアンスが込められている。最初はわりとストレートに明るい生気ある歌い方だが、2番になるとスッと影を帯びたような歌い方になる。言葉のニュアンスもより深くなって、たとえば「青い海と」というところでも、「青い」で高揚しかかりながら「海と」で陽の翳るようになだらかに下降し、次の「水色の空が」へと陶酔的に続き、「愛し合って」で再び高揚した後、「ひとつに結ばれる」とささやくように、しかし思いを込めて歌っている。3番になると更に透明感が増し、言葉のニュアンスはよりくっきりと歌い分けられてゆく。軽くたゆたうような表情はまさに絶品と言うべきだろう。

この曲にも聴き比べの記事があります。
http://amhikokigumo.blog67.fc2.com/blog-entry-141.html
これも削除された動画が多いですが、かなり詳しく分析していますのでご覧ください。ともかく微妙な光線が交錯するような真理さんのうたの魅力が一杯です。


11 恋人もいないのに

 一人デュエットだが見事に歌っている。オリジナルのシモンズと比べるとちょっと明るくメリハリが強い感じだが、ハーモニーは実に美しい。ただあまりに同質なので、蒸留水のような淡白さがあるかもしれない。それでもこんな心地よいハーモニーを聴いていると、心が癒されるだけでなく、身体の中まで清められるように感じる。

歌詞からすればシモンズの少し湿った歌声がふさわしいのでしょうが、私はやはり真理さんの晴れやかなうたに惹かれます。

12 バタフライ

 原曲はフレンチポップスということだが私はまだ聴いたことがない。だからオリジナルではどんな風に歌われていたか知らないのだが、彼女のうたは実にすばらしい。ほんの少しタメを作って音をずらす歌い方が目立ち、それがとてもスタイリッシュな印象を与える。その効果もあって、この曲での彼女のうたは切れ味鋭く、一段とみずみずしい。最後のバックコーラスは当時のスタッフが歌っているのだそうだが、周りの人々の温かな心に支えられて歌手としての一歩を踏み出した彼女の、希望に満ちた一番幸せな時間であったかもしれない。


オリジナルのダニエル・ジェラールのうたはこちらで聴けます。
https://youtu.be/mYoGz4L-0Uc
日本語版もあります。 https://youtu.be/6WzMNZFQq1I
やはりシャンソンの伝統でしょうか、少し語りっぽい歌い方ですね。もちろんそれも魅力的ですが、これを聴くと真理さんのくっきりとしてメロディックな歌い方が一層際立ちますね。


各曲寸評①  「水色の恋/涙から明日へ」(1)

  あけましておめでとうございます

前回、次の更新期間はもう少し短くなるだろうと書きましたが、それどころか年を越してしまい、年賀のあいさつを兼ねての更新となりました。健康上の配慮で夜は早めに寝るようにしたり、無理をしないように気をつけているので、何ごとも一定時間でできることが限られてしまいます。すると不急のことはどうしても後回しになってしまいますし、やろうとしても以前のように一つのことに長く集中することができなくなってしまっていて、結局ずるずると長引いてしまいました。しかしとうとう新年になってしまいましたので、急いで更新することにしました。
そのため「各曲寸評」のブログ版といいながら、元のホームページ版と変わらないものになってしまいましたが、ホームページ版を見たことのない方に読んでいただければそれなりの意味もあるかなと思います。
それではブログ版「アルバム別各曲寸評」第1回「水色の恋/涙から明日へ」(1)をご覧ください。(青字のところは追加した所です)

    水色の恋/涙から明日へ(1)

天地真理のファーストアルバムだが、最初にして最も完成度の高いアルバムと言ってもいいかもしれない。『水色の恋』以外の全曲がカバーであるが、フォークを中心におそらく彼女がそれまで歌いこんでいた曲で構成したのであろう。いずれも満を持したような名唱ぞろいである。また、この構成からは彼女の音楽的な志向もうかがうことができる。

1 水色の恋

 言うまでもなく天地真理のデビュー曲である。しかし、彼女のためにつくられたオリジナル曲ではない。ヤマハのコンテストで別の歌手によって歌われた曲を彼女自身が愛唱していたらしい。元々は「小さな私」というタイトルだったようだ。彼女自身が選んだというところに彼女の感性の原型が表れているのかもしれない。つまりこの曲は彼女のシングル曲の中では例外的に暗めの曲なのだ。この後からのオリジナル曲は彼女の「イメージ」に合わせて明るい曲がほとんどだから、この曲から彼女の中にある別の面が見えると言っていい。
デビュー曲だが歌い方もむしろ彼女のシングル曲の中では最も彫りの深い表現となっている。たとえば「あなたの姿あなたの声が」という部分の切々とした歌い方などはその後の彼女のヒット曲ではなかなか見られないものだ。しかし、かといって感傷に沈んでいるわけではない。むしろ微妙な陰影を帯びた、色で言えばまさに「水色」の、ひそやかな哀愁を美しく歌い出している。そこに彼女の感性があり、本質的に明るい彼女の声と、歌い崩さない形のしっかりした歌い方がそれを可能としていると言えるだろう。

「水色の恋」が生まれる経緯については次の記事をご覧ください。
http://amhikokigumo.blog67.fc2.com/blog-entry-2.html
http://amhikokigumo.blog67.fc2.com/blog-entry-22.html

デビュー曲をどのような曲にするか、ソニーでも試行錯誤があり、様々な傾向の候補曲がいくつかあったようです。「水色の恋」のB面の「風を見た人」もその一つだったかもしれません。しかし結局ソニーのオーディションでも歌った「小さな私」に決まり、少し手を入れて「水色の恋」になったのです。この曲は彼女が1970年のヤマハの第2回作曲コンクールの応募曲から見つけ自分の持ち歌のようにして歌っていたもので、詳しくは上記の記事をご覧ください。彼女はシンガーソングライターではありませんが、自分の感性で見つけた曲という意味で<自作曲>に近いと言えるでしょう。
レコーディングは初めてとあってかなり難航したようで、スタッフも彼女をリラックスさせようといろいろの工夫をしたようです。録音を聴くと確かにぎこちなさも感じられますが、それが同時に初々しさを感じさせます。


2 なのにあなたは京都に行くの

 この曲では彼女の「もう一つの面」がより前面に出ている。最初のところなど「風を見た人」を連想するような暗い表情で始まる。オリジナルのチェリッシュでもその後の曲に比べるとフォーク的というより歌謡曲的で悦ちゃんの歌もまさに「泣き節」だが、それでも可憐な声質が軽さを感じさせている。ところが天地真理の場合、そうした軽さはなく、むしろ思いつめたような情感が支配している。歌いまわしにぎこちなさもあるが、そこにむしろ原石のような感触があり、彼女の心の中にある「熱さ」が生の形で出ている録音と言える。

他の曲でもそうですが、当時これを書いた時と今では機器の音質が微妙に違うと言うこともあるのか、「ぎこちなさ」をあまり感じなくなりました。むしろ巧みに歌っていると思えます。しかし、繰返し聴く中で彼女の歌いまわしに慣れてしまったからかもしれませんし、このときこう感じたと言うことは大事にしたいと思います。

3 あのすばらしい愛をもう一度

 彼女のレコーディングされた歌の中で、完成度という点で最高のもののひとつ。ここでは彼女は実に丁寧に、すみずみまで細やかなニュアンスを通わせて歌っている。
 ひっそりと抑えられた「命かけてと」という歌い出しはまさにこの歌が今生まれてきたようなときめきをもっている。一つ一つの言葉がインスピレーションに満ちていて、たとえば、「すてきな思い出残してきたのに」という短いフレーズも、「すてきな」は軽く「思い出」は思いを込めて「残してきたのに」はテンションをあげてというように次々と変化する。「あの時」とか「今は」の後のはっとする「間(ま)」が音楽をどんなに豊かにしているだろう。「あのすばらしい愛をもう一度」というフレーズも2回繰り返すうち、1回目はストレートに歌っているが2回目は「すばらしい」にいつくしむような表情が現れる。
 2番もほぼ同様な歌い方だが、さらに表情豊かになり、音楽の流れが次第に高揚してくる。
 3番に入るとめくるめくような千変万化の表情が続く。言葉の一つ一つ、フレーズの一つ一つが生きて震えしかし風のようにさりげなく流れていく。「広い荒野にぽつんといる」ような孤独、それはまさに天地真理の世界そのものだ。

この曲でも今は少し感じ方の違っているところもありますが、この曲の屈指の名唱であるという確信は揺るぎません。

4 涙は明日に  

 「あのすばらしい愛をもう一度」の北山修・加藤和彦もそうだが、この曲のオリジナルのジローズもうたはとても素朴だ。彼らのうただったら私はこれらの曲に惹かれなかったかもしれない。天地真理のすばらしいうたがあって初めてその魅力がわかったといってもいい。この曲でも「涙流しふるさとを捨てた」という部分の繊細な表現、「めぐりめぐる人生さ・・・」という部分の生き生きとした高揚など歌に生命が満ちている。

この曲をこれほど豊かな表情で歌えるということ、あらためて彼女の豊かな才能を感じます。


5 悲しき天使  

 オリジナルはメリー・ホプキンだが、天地真理のデビューにあたり、有名な「あなたの心のとなりにいるソニーの白雪姫」というキャッチフレーズのほかに、「日本のメリー・ホプキン」というキャッチフレーズも候補の1つとしてあったらしい。当然この曲を頭に置いてのことなのだろうが、最初のライブ盤『天地真理オン・ステージ』でも歌っているので彼女も好きな歌だったのだろう。実際、1、2番はデリケートな表情に満ちていて、たとえば「春の風と鳥のうたと」というところなど、誰も表現できない繊細なときめきに魅せられる。ライブ盤ではもっと自在に歌っているが、私はむしろまだ未熟な感じを残すこちらのうたに独特な魅力を感じる。

誤解の無きよう記しておきますが、「オン・ステージ」版も名唱です。

6 忘れていた朝

 オリジナルは赤い鳥の彫琢された名唱であるが、天地真理の歌唱もけっして引けをとらない。出だしの明るいみずみずしさは彼女ならではだし、つづく「言葉など・・・」というフレーズなど、楷書のようなかっちりした歌唱がスタイリッシュな表現となって生きている。赤い鳥の洗練には及ばないが、若々しい生気に満ちていて、20歳になったばかりの新人歌手とはとても思えない充実したうただ。

オリジナルとは違った、みずみずしく情感豊かな彼女のうたにあらためて魅了されます。

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次回は割と早く更新できるのではないかと思いますが、気を長くしてお待ちください。


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<うた>の聴き方

前々回の記事で、最後に「続きはボチボチと」と書きましたが、ボチボチどころか三ヶ月も経ってしまいました。以前は二週間に一回は更新するということを私自身の原則にしていましたから、期限が近づくと他のことを放り出して取り組んだものですが、不定期にしようと決めたらずるずると先送りしてしまうようになりました。やはり自分に一定の負荷を掛けるということは大事ですね。とはいっても、今の私には厳しいので、<できるだけ>という逃げ道付きで頑張ってみようと思います。

さて前々回の記事でホームページ『空いっぱいの幸せ』「アルバム別各曲寸評」のブログ版新バージョンを予告しましたが、それを始める前にやはりホームページの「ちいさな恋~天地真理の聴き方」で述べたことをあらためて紹介しておきたいと思います。以下がその全文です。私の寸評を読む際に念頭に置いていただければと思います。

 歌の聴き方は人によりさまざまです。そこからその評価についてもさまざまな違いが生まれます。そこではじめに、私自身の歌の聴き方を説明しておきたいと思います。同時に、天地真理についての文章で私が意識的に使い分けていることばについても説明しておきます。
 ある歌について述べるときに、歌詞の意味やストーリーで歌を説明しようとする人がいます。むしろそういう人が多いかもしれません。たしかに歌詞は"ことば"なのでことばで説明しやすいのです。しかし、私は歌詞の説明で歌を説明しようとは思いません。「ことば」としての歌詞だけでは、「曲」(音楽)を伴った歌そのものを表すものではないからです。同じことばでもそれがどのような曲で歌われるかによってその意味も異なってきます。明るいことばでも悲しいメロディーで歌われれば、そこに複雑な心理が表現されるでしょう。それに加えてその歌が歌手によってどのように歌われる(歌唱)かによって、更に複雑な心理が表現されることになるでしょう。
 たとえばこのページのタイトルである『ちいさな恋』の歌詞などまったく断片的で、はっきりしたストーリーは無く、「たまに会えない日もあるけれど、それでもわたしは待っている」というところなどまったく散文的だし、「ちょっとこわいの恋かしら、赤い夕陽が今沈む」というところはどういう結びつきなのかすぐにはわかりません。しかし彼女のうたで聴くと、「それでもわたしは」というところのメリハリの利いた歌い方で心のときめきがくっきりと現れてくるのです。「ちょっとこわいの」というところも浜口庫之助のチャーミングなメロディーが彼女のみずみずしい声とためらうような歌い方で歌われることで、大人の世界へ踏み出す不安とあこがれを見事に表現しています。
 この魅力は「ことば」としての歌詞をいくら分析しても出ては来ないのです。そもそも安井かずみによるこの歌詞も「天地真理によって歌われる」ことを前提に書かれており純粋な「詩」として書かれているわけではないのです。「断片的」であるのも実は天地真理のうたの特質を的確につかんだ歌詞のあり方なのです。
 このように歌は詞・曲・歌唱が一体となることで単独では表せない豊かな内容を表現しているのです。このサイトの各ページで私が<うた>と表現しているのはそのような詞・曲・歌唱が一体となった歌の全体像という意味です。ですからこのサイトではできる限り<うた>としてそれぞれの歌について述べようとしてみました。もちろんその歌の魅力を述べようとするとき、歌詞が相対的に大きな意味をもっていたり、曲(音楽)がそうであったりします。もちろんここでは天地真理の歌唱が中心であるのは当然ですが、いずれにしてもそれらが一体となった<うた>を私の耳がどう聴き、そこから私が何を感じ取ったのか、それをできるだけ素直に具体的に述べようとしたつもりです。

少し付け加えると、<うた>の評価、解説として、その歌や歌手を巡るエピソードや、歌詞から連想される物語など、周辺的事柄を書き綴って<うた>の評価と勘違いしていることがよくあります。あるいは音楽のいろいろのジャンルに分類したり、○○の影響があるなどと”専門的”な分析をしているものもあります。しかし私にはそんなことはどうでも良いことで、私がしようと思ったのは、一つ一つの<うた>自体を語ることでした。そこで私はこの寸評ではまず自分の耳を研ぎ澄まして天地真理さんの<うた>に集中しました。そして自分の耳で聴き取った<うた>から自分が感じたことを可能な限り具体的に言葉で表そうとしました。予断を持たず、虚心に耳を傾け、自分自身が感じたことを素のままに表そうと心がけました。ただ、言葉で表すという部分については、私には文学的才能はなくボキャブラリーが乏しいので、十分に的確な表現ができたか自信がありません。それでも安易な常套句はできる限り避けるようにしました。たとえば「歌唱力」という言葉は一度も使っていません。お気づきの方もおられたかもしれませんが、この寸評だけでなく、ホームページでもブログでも私は一度も歌唱力という言葉を使ったことはないのです。「・・・力」という言葉は本来は単一の尺度の上で比較する言葉ですね。たとえば体力とか学力とかは定義を明確にすれば測って比較することができます。しかし<うた>はそのように測ることができるでしょうか。<うた>の価値はその<質>にあって<量>ではありません。「この歌は10分もかかるから価値が高い」などと言うことはないのです。では歌唱力という言葉はどのように使われるでしょう。「あの人は歌唱力がある」といいますが、何を基準にそう言っているのでしょう。結局それは「自分がいいと思う」以上の意味はありません。つまり主観的な価値判断をあたかも客観的であるかのように権威づける言葉だと私には思えます。<うた>の価値は、何がどのように表現され、聴くものにどのような影響を与えたかで判断されるべきものです。それが<質>の意味です。ですから<うた>の評価とはその<うた>の特質を明らかにすることなのです。この寸評もそのように読んでいただければと思います。

次回から本論に入る予定です。もう少し更新の間隔は短くなると思いますが、自信はありません。気長にお待ちください。


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